33 切れた鎖

 夏目が辻組の事務所に着いた頃には、辺りは警察とやじ馬でごった返していた。

 予想以上に道が混んでいたのが悪かった。

 夏目は声を荒げながら人波を搔き分けて前に進んだ。


「どけ!どいてくれっ!」


 やっとの思いで規制線の一番手前に体を入れた時、周囲がどよめいた。


「出てきたぞ!」

「犯人かっ?」


 つられて夏目も建物の上り口へ目を向ける。

 防弾ベストに身を包んだ男四人に囲まれて、前で手を封じられた男が下りてきた。

 廉司だ。

 思わず呼び掛けそうになった時、ヘルメットを腕に抱え、五人の後ろを少し遅れて下りてくる小さな人影が目に留まった。


(なんで、ここに?)


 パトカーに向かって歩いていく彼らに何とか近づけないかと夏目は規制線の外に詰めかけた人混みの中を必死で移動した。


 辺りは無数のフラッシュとシャッター音で溢れかえる。

 あの二人が無遠慮な公衆の面前に晒されるのは我慢ならない。

 夏目は二人に向けられるスマホを時折叩き落しながら進んだ。


 停車したパトカーの前へ回り込む。


 (若!若っ!)


 声にならない叫びを上げる。

 パトカーのドアが開く。

 夏目の手が規制線を持ち上げる。

 警官が止めに入る。

 手を高く上げた夏目と、一番後ろを歩いていた一花の目が合った。


 一花さん!


 そう彼が叫ぶより早く、大きく目を見開いた一花が走り出す。

 夏目の背後から、黒い鉄の塊を握りしめた二本の白い腕が伸びてきた。

 夏目を押さえていた警官が彼を伏せさせる。

 地面に倒れた彼の顔から飛んだ眼鏡が警官の靴の下で歪む。

 一花の腕から転げ落ちたヘルメットがアスファルトに跳ねる。



「死ねぇっ、鏑木!」



 全てがスローモーションに見えた。









 悲鳴を上げた群衆が散り散りに逃げ惑う。

 駆けつけた別の警察官三名が拳銃を手にした白スーツの男を取り押さえた。


 倒れた夏目が地面から視線を上げる。

 パトカーのドアの向こう。横たわる人の足らしきものがぼんやりと見えた。


 廉司を囲んでいたSITのメンバーが倒れた体に駆け寄る。

 入れ替わるように組対の刑事が廉司の前に壁を作る。

 立ち重なる足の間からどんどん広がる血溜まりが見えた。


 イチ。イチ。

 聞きなれない男の声が必死で呼び掛ける。

 男の指先が白くなるほど力を込めて傷口を塞ぐのに、血は止まらない。

 安全を確認したのか、待機していた救急隊員が駆けてくる。


 廉司の背中が刑事に押される。

 パトカーに乗り込む刹那、倒れた者の顔が見えた。


 光を失った大きな目。

 僅かに開いたままのぽってりした小さな唇。

 左の瞳から低い鼻梁を伝って一滴の涙が血溜まりに落ちる。

 赤黒い池の中に切れたネックレスが沈んでいく。


「一花」


 パトカーが動き出す。

 目線だけを閉まったドアの外へ向けた。

 だが、見えるのはゆっくりと流れていく警官の背中ばかりだ。


 車は徐行しながらその場を後にする。

 後部座席に座る廉司は視線を足下に向けていて、泣き叫びながら警官に押さえられている夏目には気づかない。


 パトカーの車体が大通りに出て、ようやくサイレンが鳴り響いた。

 猛スピードで繁華街を離れていく。


 もうすぐ寒さの底も抜ける。そんな冬の夜だった。

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