第十話 尖兵

 ――――“彼ら”の元々の目的は、この近辺に生息するというヴァインヴァレイ・ワームだった。


 かつての昔、酒宴神しゅえんしんの零したワインをひと舐め、ふた舐め。

 それによって無敵の力を手に入れた、狡猾な大蛇の末裔なのだと伝承に語られる魔獣。

 その巨躯は山を七度巻いて半分余る……というのは流石に誇張としても、巨大な熊や猪も丸呑みにしてしまうほどの巨体。

 頭から尾の先までは歩兵百人が並んでもなお端に届かぬほどと言われ、その咆哮は天に穴を開けるとか、なんとか。


 そしてこの怪物の真に恐ろしい点はその強靭な肉体ではなく――――残忍で狡猾な習性にあるのだという。

 の怪物は、秋の間中あいだじゅう眠りにつく。

 実りの秋にあえて背を向ける。

 これは酒宴神のワインを盗み飲んだために罰としてそのような呪いをかけられたとも、逆に酒宴神からの追求から逃れるために地中に隠れるのだとも、あるいは力を授けてくれた酒宴神に敬意を示し、その実りを奪わないために眠るのだとも言われている。数ある酒の中でも特にワインを好む酒宴神は、葡萄が実る秋を象徴する神格でもあるからだ。

 ……いずれにせよ、結末は変わらない。

 王のいない秋の森で、獣たちは思う存分冬に備えて秋の実りを堪能して。


 ――――――――秋眠から目覚めたヴァインヴァレイ・ワームが、冬眠中の獣を食い荒らす。


 ……そう。そうなのだ。

 巨体。剛体。

 確かな膂力と生命力。

 それを持っていながら、この魔獣は安全な狩りを好むのだ。

 ヴァインヴァレイの獣にとって、冬眠とはある種のロシアンルーレット。

 穴倉で眠っている間に森の主の腹の中に収まる危険性を常に孕んだもの。

 ワームからすれば、冬を超えるために十分な栄養を蓄えた獣は最高のごちそうだ。

 狩りに大した労力も必要なく、少し穴を掘ればより取り見取り。

 時折襲い掛かってくる人間や、命知らずの獣などは、自慢の巨体で押し潰してしまえばいい。

 強靭な肉体と、残忍な習性――――この二つをもって、彼の魔獣はヴァインヴァレイの森に君臨していたのである。


 …………つい、先日までは。

 ヴァインヴァレイ・ワームを捕縛しようとヴァインヴァレイの森に訪れた“彼ら”が目にしたのは、大口を左右に大きく斬り裂かれ、鱗や牙をはぎ取られた森の主の死骸だった。

 森の主を倒した者がいる――――――――しかもそれは人で、つい最近のことに違いない。

 その切り口は間違いなく刃物によるものだったし、獣が倒したのであればはぎ取り痕はできないだろう。

 秋眠直後であれば、エネルギー不足で弱ったワームを倒すのは比較的容易である。

 そう考えた数多の狩人が、空腹に怒れる魔獣の返り討ちになってきた。

 “彼ら”ももしかすると、同じく返り討ちになる運命だったのかもしれないが……それは天のみぞ知る話。

 一種一体というわけでは無いにせよ、ヴァインヴァレイ・ワームは絶対数が少ない魔物だ。

 この一帯は今骸になっている個体の縄張りだったろうし、他の個体を探すのはいささか骨だろう。

 それに、もしもヴァインヴァレイ・ワームを倒した人間がいると言うのなら、ひょっとすると捕縛して手駒にしても、すぐにやられてしまうかもしれない――――そう考えた参謀は、ワーム殺しの犯人を捜すことを部下たちに命じた。

 まずは事実確認が重要だ。

 あるいは、ワーム殺しの犯人を懐柔するなり捕縛するなりという道もあるかもしれないのだし。


 そういうわけで、斥候役としていくつかのグループが四方に飛ばされた。

 面倒な仕事だが、下手人を見つけた者には報酬が出るともなればやる気も出ようというもの。

 彼ら五人のグループは意気揚々と森を抜け、人里に向かった。

 下手人が人間なら、きっと人里にいるであろうという合理的な判断だ。実際には参謀の指示に従っただけなのだが、彼らはいつの間にかそれを自分たちの判断であったかのようにすり替えて考えていた。


 なんにせよ、人里というのはいい。

 まず人がいるし、家畜がいるし、畑があるし、備蓄がある。

 つまりはなんでもかんでも奪い放題というわけで、殺すのも犯すのも嬲るのも好きにできるのだ。

 頭目や参謀はがめついので下っ端に回る食事の量は少ないし、偵察がてらこの村で遅めのランチというのも悪くない選択肢だろう。

 彼らは言葉を交わさぬままにその思いを共有し、舌なめずりして村に近付いていく。


「ん。あんたら……また余所者か。最近多いな……ようこそヴァインヴァレイへ。こんな時期に、この村に何の用だ?」


 すると、見張りらしき男が声をかけてくる。

 簡素な槍を持っているが、鎧は着ていない。

 隣には同じ装備の男がもう一人立っていて、退屈そうに彼らへと視線を送っていた。

 彼らはもう一度顔を見合わせ、すぐに残忍な笑みを浮かべると、思い思いに己の得物を手に取った。


「お、おい……そ、その刻印! まさかお前ら……!」


 見張りが二の句を告ぐよりも、飛び掛かった戦士のナイフが喉笛を掻っ切る方が素早かった。

 首から鮮血が迸り、男がどうと倒れ伏す。


「――――ぞ、賊だァーーッ!鐘を鳴らせェェェーーーーッ!!!」


 もう一人の見張りが怒鳴るように叫ぶ。 

 仲間を呼ばれるか。

 面倒だが、構うまい。

 見張りの実力からするに、大した奴は出てこないだろう。

 彼らはケタケタと笑い、五人がかりでもう一人の見張りに飛び掛かる。

 見張りはせめてもの抵抗と槍を突き出したが、そんな苦し紛れが通用するはずもなく……腹部に棍棒の一撃、怯んだ隙に足首をナイフで引き裂き、後ろから剣で刺し貫く。これで死体が二つ。


 直後、警鐘がガンガンと鳴り響いた。

 彼らには、それが己らの行軍と略奪を祝福しているかのように感じた。


 さぁ、行こう。

 我らは略奪者。

 我らは簒奪者。

 我らは殺戮者。

 思うままに奪い、思うままに殺そう。


 死体を踏み越え、村へと足を踏み入れた。

 周りを見れば獲物でいっぱい。

 民家、倉庫、家畜小屋!

 これから全てが彼らのものだ。

 奪え、奪え!

 逃げ惑う村人を追い立て、立ち向かう村人を殺し、全てを奪い尽くそう!

 興奮と歓喜と嗜虐心の赴くまま、彼らは思い思いの方向へ駆け出す。

 視界に入った奴から手当たり次第だ!

 もはや協調だの連携だのと言ったくだらない考えは彼らの思考には存在せず、ただひたすらに己の欲求に従って行動している。


 そして彼は民家の扉を蹴破り、中へと飛び込んだ。

 ぐるりと視線を巡らせれば、怯える少女が二人、それを庇うように震える女が一人、火かき棒を手に不格好に構えた男が一人。

 ニィ、と残忍な笑みが浮かぶ。

 血に塗れた長剣を見せびらかすように担げば、男が一歩後ずさった。

 素人の農夫など、相手にもならない雑魚だ。

 少し遊んでやろうか、それとも――――ああ、面倒だ。とりあえず斬ってみて、生きてたらまた考えよう!

 そうと決まれば、ぐっと姿勢を下げていざ飛び掛からんと――――――――



「――――――――さ、せ、る、かァァァァァァァァァーーーーッ!!!!!」



 ――――その背に、強かに石がぶつかった。




   ◆   ◆   ◆




 ……危ないところだった。

 あと一瞬、黄色の投擲が遅れていれば……ゾッとしない想像が脳裏を過ぎり、それを振り払う。

 そんなことを考えている場合ではない。

 悲鳴はあちこちから上がっている。

 他にも賊はいるのだ。

 早急にこいつを無力化し、次に向かわねばならない。


 黄色は既に刀へと変じた村正を正眼に構え、敵を見据える。

 敵の得物は小剣。

 血に塗れたそれは切れ味こそ劣るだろうが、血に塗れているということ自体が十分な殺傷力を示唆している。

 担い手は黄色の腰ほどの大きさで、村正と対峙した時にも似たやりにくさを感じていた。


 ……賊は、ゴブリンだった。

 黄色は彼が民家に押し入り、住民を脅かしている姿を見て、咄嗟に石を投げたのだった。

 投石は無事にゴブリンに命中し、注意を引くことに成功したが……さて。

 リーチはこちらが上。

 間合いの取り合いになるだろう。

 村正以外の戦士と、初めて対峙する。

 呼吸を落ち着け、仮面を被る。


「……天狗夜天流門弟、里見黄色がお相手する――――!」


 怒りに任せて民家から飛び出したゴブリンが、獣の如き眼光をぎらぎらと光らせている。右頬には幾何学的な文様が刻まれており、彼が無法者であることを主張しているようにも見えた。

 先ほどは小剣と言ったが、ゴブリンの背丈からすればあれは長剣と呼ぶべき代物だろう。

 小剣の間合いで、長剣の術理。

 黄色の知らないもの。

 黄色の想像の外にあるもの。

 やれるか。

 否、やらねばならぬ。

 ここで引けば、あの民家にいる家族は惨殺されるだろう。

 それは看過できない。

 臆病者の誹りは、父にも師にも汚名となろう。

 村正を握る右手の甲で、孝の文様が僅かに輝きを放つ。

 もう一度、呼吸を落ち着け――――くるりと、村正の


「――――――――……小童」

「……わかってる」


 ……これが先日までの黄色であれば、悪鬼に容赦はいらぬと一刀に切り捨てることもできたのだろう。

 だが――――知ってしまった。

 知ってしまったのだ。ゴブリンが、人であると。

 獣が殺せて人が殺せぬとは、なんと傲慢な理屈であろう。

 わかっている。

 そんなことはわかっていて、それでも黄色はゴブリンを斬ることができなかった。


 無理からぬことである。

 里見黄色は命のやり取りとは無縁の人生を送ってきた人間で、みだりに人を傷つけてはならぬと教えられて生きてきた。

 それを今更、悪人であれば殺していいなどと切り替えることは容易ではない。


「……賊でも、殺したら罰則とかあるかもしれないだろ」


 言い訳である。

 敵は殺意を向けている。

 どころか、剣が血に塗れていることを思えば既に人を殺しているのだろう。

 この状況でこのゴブリンを殺し、大きな罰則を受けるという可能性は極めて低い。


 それでも――――それでも、ここで殺してしまえば!

 黄色の父は、里見竜二は、

 どうしてそのような親不孝ができようか!

 いずれは魔王の首を獲らねばならぬ。

 そうとわかってはいても、父親に顔向けできなくなることが黄色にとっては何よりも恐ろしい。


「……たわけ」

「わかってる」


 ……問題は無い。

 峰打ちであれ、鉄の棒で人を殴るのだから十分な攻撃力を発揮できる。

 命までは取らずとも、骨の数本も折ってしまえば無力化はできる。


 構えは正眼。

 敵は剣を肩に担いでいる。

 でたらめな構えだ。

 恐らく、彼の中に剣術という概念が無いのだろう。

 チンピラの喧嘩殺法。ならば勝機はある。

 天狗夜天流は、天下無敵の剣術――――――――胸中でそう呟き、鋭く敵を睨んだ。


「…………来いッ!」

「アアアアァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーッ!!!!」


 絶叫と共に、ゴブリンが駆け出した。

 素早い。ある程度は予想通り。

 大振りに下段。

 まずは足を殺す腹積もりか。

 素早く後ろへ下がり、間合いを離す。小剣が空を斬った。

 かわせた。いける。反撃。否。

 背筋に走った悪寒に従いさらに下がる。

 次の瞬間、もう一度空を切る小剣。

 速い。手足が短いからだと直感した。

 二歩目を出すのが早い。

 剣を振り抜くのも、振り抜いた剣を振り戻すのも早い。

 手足が短いということは手足の回転運動の距離が短いということで、それが彼の素早い連続攻撃を実現させていた。

 三撃目が来る。

 これ以上は相手の前進速度の方が早い。

 相手の斬撃を村正で受ける。

 金属音。手に伝わる衝撃。

 大人以上――――ということはないにせよ、体格の割には確かな膂力。

 だが呆けている余裕はない。次が来る。

 二合、三合、四合!

 旋風の如く吹き荒れる斬撃の嵐を、ひとつひとつ丁寧に受けていく。

 受けられる。見切っている。

 村正と比べれば、このゴブリンの剣技など児戯にも等しい。

 だが、押されている。

 回転が早過ぎる。連打に隙ができない。

 一歩、一歩と後退させられている。

 このままでは。最悪の予想。振り払う。


「ええいたわけたわけたわけ! 押されるがままに退いてどうするッ!」

「っ、なる、ほどぉ!」


 ……そうだ。

 押されるがままに退けば、退き続けるだけだ。

 敵の膂力は確かなもので、

 つまり、パワー自体は黄色の方が上だ。

 踏み留まる。剣を受ける。

 僅かに受け損ない、太ももを浅く切った。

 目障りな哄笑。走る痛みを噛み殺し、続く連撃を巻き上げて押し返す。

 相手の体勢が崩れた。膂力は黄色の方が上なのだから!

 腕が大きく開き、防御ががら空きになっている。ここしかない。


 咆哮。

 一閃。

 村正の峰打ちが、ゴブリンの肩に叩き込まれた。

 骨が砕ける音。


「アギャァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

「うるせぇ寝てろッ!」


 悲鳴と共に剣を取り落としたゴブリンの顎に、渾身の力で蹴りを入れる。

 つま先が正確に顎を撃ち抜き、冗談のようにその小さな体が飛んでいった。

 地面にバウンドし、一回転、二回転。

 土煙を上げてゴブリンが転がっていき……動きを、止めた。

 残心。

 油断なく村正を構えなおし――――もうゴブリンが起き上がりそうにないことを確認して、膝をつく。


「はっ、はっ……っぶねぇ……」

「たわけ! ひやひやさせおって……手を抜くならもっと余裕をもって勝たんか!」

「はは……か、返す言葉もねぇ……」


 どっと汗が噴き出す。

 実戦。獣とではなく、確かな敵意を持つ人との戦い。

 初めてだった。

 だが、勝てた。

 遅れて高揚が沸き上がり、それからすぐにそれどころではないと気付く。

 まだ他にも賊はいる。

 一刻も早く、他所の救援に向かわねば――――――――


「―――――――――――たわけ小童! 後ろじゃッ!」

「っ!!!」


 弾かれるように振り向く。

 敵。飛び掛かるように。ゴブリン。両手にナイフ。

 咄嗟に村正での防御が、間に合うか。いや、これは。

 スローモーションで世界が動いていく。

 黄色の瞳が銀に輝いた。

 村正が肉体の主導権を取ったのか。

 間に合うか。村正ならば。しかし膝立ちのままで。

 加速する思考。殺意に満ちたゴブリンの絶叫。




 ――――――――それらを掻き消す、猛獣の咆哮にも似た轟音。




 空中にいたゴブリンが真横に飛び、鮮血と共に転がった。

 一瞬遅れて、それが銃声であると黄色は気付いた。

 視線を銃声の方へと向ける。

 肉体の主導権は、いつの間にか黄色に戻っていた。


「……火縄か!」


 村正の驚愕交じりの声。

 視線の先では、エミリオがポンチョの下から出した左手で拳銃を構えている姿。

 銃口からは煙。彼が今の銃撃の主である何よりの証左。


「――――――――なにボケっとしてんだ、虫食い野郎。家に忘れ物でもしたか?」


 シニカルな笑み。

 ふっと吹き消される硝煙。

 撃たれたゴブリンを見た。

 頭部に一撃。

 ……空中にいる、高速で移動中の小さな目標の、急所を一撃。

 たったの一撃が、彼の実力を雄弁に物語っている。


「……すまん。助かった」

「“どういたしまして You're Welcome ”。疲れたならオネンネしてな」

「……誰が!」


 意地悪く笑いながら去っていく背中に怒声を浴びせつつ、ふらふらと立ち上がる。

 恐らく、次の標的を探しに行ったのだろう。

 この村のどこかで、まだ誰かが襲われているかもしれない。

 ……傷は浅い。やれる。まだ戦える。


「…………行けるか、小童?」


 村正の問いには、短く返答を。


「―――――――――当然っ!」


 エミリオの背を追い、黄色は勢いよく駆け出した。

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