第十四話 ある馬鹿なガンマンの肖像




 ――――――――――――エミリー・カーペンターの人生は、本当にクソみたいなものだった。




 優しい母親。クソの塊みたいな父親。

 酒、ギャンブル、暴力。

 開拓村の農民の癖に、どこでそんな娯楽を覚えたのか。父親は本当にゴミのような男で、毎日夜遅くまで浴びるように酒を飲んでは、少ない稼ぎをポーカーでスり、腹いせに母親や娘を殴りつけるような、そんな父親だった。父が暴れ始めると、母は強く娘を抱きしめて、この子だけはと父に請うていたのを覚えている。


 ――――なんだって母さんはあんなクズと結婚したんだ?


 ……結局、最後まで聞くことはできなかった。

 聞くのが怖かった。

 その理由がなんであれ――――いつか自分も、父のようなクズと結婚しなくてはならないのかもしれないと、そう思ってしまいそうで嫌だった。


 そんな生活が十四年。

 よくあんな生活が十四年も続いたものだと、今にして思えばいっそ感心する。

 この頃になると私も既に働き始め、稼ぎを酒とポーカーに費やす父に代わって生活を支えていた。生活は苦しかったし、父の態度が改まることは一切無かったが、それでも優しく健気な母を想えばいくらでも耐えられた。幼いころに守ってもらった分、私が母さんを守るんだと張り切っていたっけ。……くだらねぇ。


 終わりは唐突だった。

 ガラの悪い男が二人、家にズカズカと上がり込んできた。


 ――――ここの亭主はイカサマに手を出して死んだ。あいつは俺たちに借金があったから、その分を取り立てさせてもらう。


 最初、男たちがなにを言っているのかわからなかった。

 父親が――――あのクズが、死んだ?

 それはあまりにも唐突で、まるで実感が無かった。

 悲しくは無かったが、一拍遅れて奇妙な喪失感が湧いて出た。

 ……そうか。あいつ、死んだのか。

 死ねばいい、といつもいつも思っていた。

 実際に死んでみると、意外とスッキリしないものだな、と感じた。


 そんな風に呆然としていると、男は私を殴りつけた。

 聞いてんのか、とかなんとか言ってたと思う。苛立った物言いだったが、ニタニタと下卑た笑みを浮かべていた。

 それから、借金の額がどのぐらいで、あれを貰うとか、これを貰うとか、家の中を指さしてあれこれとまくし立てた後、満足そうに私と母さんを見た。値踏みするような、生理的嫌悪感を呼び起こす視線だった。

 母は何かを察したようで、幼いころのように私を強く抱きしめると、この子だけはと嘆願した。

 男たちは意地悪く笑って、あんたの態度次第だな、なんて言いながら服を脱ぎ始めた。


 父が死ねば、生活は良くなると思っていた。

 そうはならなかった。もっと悪くなった。世界はクソだった。

 母も服を脱ぎ始めた。おい、やめろよ。

 奥に行っていなさいと私に告げれば、男がそれを咎めた。見せつけてやればいいと言った。なぁ、やめてくれよ。


 なんなんだ。

 なんなんだよ。 

 まるで鎖に縛られたみたいだった。

 色んなものが鎖になって、私たちを縛り付けていた。

 未来に希望なんて無かった。

 がんじがらめで、私は一歩だってここから出ることはできなかった。

 暗い絶望が私を覆い、それは怒りとなって私の中でふつふつと燃え上がった。


 だからその音は多分、爆発だった。


 ……結果だけを羅列すれば。

 男たちは死んだ。私が殺した。

 母も死んだ。……私が、殺した。

 男たちから奪った銃から零れる硝煙の香りを、私は一生忘れないだろう。

 盾にされた母から流れる血を、失われていく体温を、忘れることはないだろう。



 ――――――――――――私のかわいいエミリー。自由に、思うように生きなさい。もう、誰も貴女を縛らないから。



 震えて泣きじゃくる私の頬を撫でながら、母が穏やかに笑って紡いだ最期の言葉を、忘れることは永遠に無いのだろう。


 それで、“私”は“オレ”になった。

 村を出て、自由に生きた。

 名前も変えた。オレはもう“大工のエミリーエミリー・カーペンター”じゃなかった。

 オレは“女王クイーン”だ。

 自分自身の女王だ。だから、誰の指図も受けない。

 七年。たったそれだけの間、エミリオ・クイーンは自由を謳歌した。

 人を殺すこともあった。だから殺されることになったのも、仕方のないことだ。


 一度、ビリー・ザ・キッドに会う機会があった。

 彼とは軽くポーカーをしたっきりだったが、立ち振る舞いを見ただけでわかった。こいつは格上だ。もしオレが愛銃を抜こうと思えば、ホルスターに手をかけた瞬間にはオレの脳天に風穴が開くだろう。実力が違い過ぎた。

 ……そんな少年悪漢王も、死んだ。

 彼の訃報を聞いた時、同い年だったことを知った。

 同じ年齢で、あれだけの実力差。そんな人物でも呆気なく死ぬ。


 だからその数ヵ月後に自分が死ぬとなった時も――――まぁ、そんなもんだろうと思った。

 クソみたいな人生だったが、後悔は無かった。

 手慰みに開いたS&Wスコフィールドの弾倉は空っぽだった。

 体中のどこを探したって、弾丸なんて一発も無い。とっくに品切れだった。

 盗賊どもはまだまだゴロゴロいた。

 弾丸が残っていればいくらでも相手をしてやる腹積もりだったが、流石のオレも空砲で人を撃ち抜くのは不可能だ。

 それから、村にはダイナマイトがあった。ここ数年で出回っている爆薬。上質と聞くし、少なくとも橋を落とすぐらいの威力はあるだろう。というか、無いと困る。

 木箱の上に腰かけ、最後にバーボンを一杯やりながら、そもそもどうしてこんなことになったんだったか、なんてことをオレは考えていた。

 炭鉱。盗賊。村人。子供。

 放っておけば良かった。戦う義務なんかどこにもない。

 義務なんてどこにもなかったが――――でも、仕方のないことだった。

 オレは自分が納得できる道を選んだ。

 それで十分だった。十分すぎた。


 やがて、馬の群れが駆けてくる音が聞こえた。

 盗賊団のものだろう。オレは残りのバーボンを胃に流し込み、マッチを擦った。


 それでおしまい。

 馬鹿なガンマンの、くだらない一生。

 ……そのはずだったのに、気付けばオレは大天使ガブリエルに導かれ、おとぎ話みたいな世界にいた。

 魔王だなんだと言っていたが……まぁ、儲けものだ。

 死んだと思ったが、また生きるチャンスを貰った。

 別に死んだからって生き方を変えなきゃいけない理由も無い。

 オレはまた自由に生きることにして――――――――それでまた同じことをやっているのだから、笑わせる。


 馬鹿は死ぬまで治らない?

 ……残念。馬鹿は死んでも、治ってくれないらしい。




   ◆   ◆   ◆




 木の裏に身を隠し、エミリオは敵の様子を伺った。

 統一性のない装備に身を包んだ、ゴブリンの群れ。

 誰もが思い思いに身を横たえ、あるいは干し肉を齧り、あるいは仲間同士での拳闘試合に興じている。随分と暇らしい。

 傍らには、巨大な蛇の死骸。ヴァインヴァレイ・ワームとやらだろう。

 それによりかかるようにしているのが、頭目らしきオークだ。

 身長は2mを軽く超える巨体。

 猪のように上向きに突き出した牙と、岩のようにゴツゴツした肉体。岩ではなく、カシらしいが。樫から生まれた樫鬼人オーク。アンナがそう言っていた。その体つきは肥満に見えなくもないが、全てが筋肉だ。

 サーカスで大男って看板を掲げられるな。エミリオは内心でひとりごちた。

 彼はピカピカに光る銀の鎧に身を包み、退屈そうに配下の拳闘試合を観戦している。

 その隣には杖を持った痩せぎすのゴブリンが控えており、これが参謀役だということもわかった。

 時刻は夕方。

 エミリオが村を出てから、一日半ほどが経過していた。

 敵の頭数は……数えて二十六人。

 ヴァインヴァレイにやってきた五人を合わせれば三十一人。情報通りだ。

 かなり急いでここまで来たが、残念ながらあちらは全員集合しているらしい。


 弾丸の数を慎重に確かめる。

 ひとつ、ふたつ……数えて

 一発も漏れはなかった。それも当然か。これはそういうものだ。

 ポンチョの下のガンベルトを撫でる。

 ガブリエルが餞別にくれたもの。“日に三十発の弾丸が補充されるガンベルト”。

 補充されるのは撃った分だけ。毎日、夜明けと同時にキッカリ三十発の弾丸が収まる代物。エミリオが保有する弾丸が三十発を下回ることも、上回ることもない。

 敵の数は二十六。

 外していいのは四発。

 ……四発?

 ――――四発も外していいとは、なんて素敵な話だろうか!

 彼我距離はおよそ20m前後か。30mは無いだろう。

 リボルバー拳銃の一般的な有効射程は精々5~10m。

 腕の立つガンマンでも、20mはギリギリの距離だ。それでも剣よりはよほど広い間合いなのだから、文句は言えまい。


 エミリオはニィと牙を剥いて笑った。

 楽な仕事だ――――とは、思わなかった。

 こちらは一人で、あちらは二十六人。

 銃があるとはいえ物量差は圧倒的だったし、どこまでやれるかもわからない。

 ……それでも、やれるだけのことはやれそうだった。

 死ぬのは怖くない。

 愛銃S&Wスコフィールドの重みが頼もしかった。

 これさえあれば、エミリオは無敵だ。

 だってそれは、エミリオ・クイーンというアウトローの生き方に殉じた結果だからだ。

 身を隠しながら、慎重にオークに狙いを定める。

 まずはリーダーを殺し、指揮系統が乱れたところで畳み掛ける。常道だ。

 何人殺せるか。目標は全滅として、せめて十数人ぐらいは仕留めておきたい。

 舌で唇を舐める。

 銃口は微塵も震えることなく、正確にオークの脳天に狙いをつけていた。

 引き金に指をかける。

 これが会戦の合図になる。


 最後に、後悔が無いか自分に問いかけた。


 ――――そんなもの、最初からどこにも無かった。




 ――――――――――――――――轟音が、響く。




 轟音、硝煙。

 ほぼ同時にオークの脳天に風穴が――――


 外したか?

 ありえない。外すわけがない。

 だが当たっていない。オークのすぐ脇に着弾している。

 舌打ち交じりにもう二連射。

 轟音ふたつ。反応の暇は与えない。

 今度こそ脳天に風穴が、


「……あ?」


 ……おかしい。

 三発も弾丸を放って、一発も当たらないほど酷い腕だった覚えはない。

 うぬぼれではなく、純然たる事実として。

 なぜ当たらない?

 アンナの言葉が脳裏を過ぎった。

 魔法の鎧を着たオーク――――その恩恵か?

 飛び道具を自動的に逸らす魔法でもかかっている?

 再度、舌打ち。


「ん」

「な、なンだ今の音!?」

「竜カ!?」


 ゴブリンたちがにわかに騒ぎ出す。

 エミリオは銃口をオークから逸らし、三度続けて引き金を引いた。

 狙いは、拳闘試合に興じていたゴブリン。

 体が温まっている奴を優先的に狙う。立ち上がりを少しは遅らせられるか。

 三発の弾丸は過たずゴブリン三人の脳と心臓を穿った。

 やはり、腕が落ちたわけじゃない。あのオークは魔法で守られている。


「ったく、早速三発も無駄にさせやがって……!」


 素早く弾倉を開き、弾丸を詰めていく。

 装填数は六発。ゆっくりとリロードするわけにもいかない。

 しかし、正確に、慎重に。弾丸を取りこぼすのはもっとマズい。

 幸い、敵にはまだ気づかれて――――


「あ、あそこダ! 誰かいるゾ!」

「野郎! ブッ殺せ!!」

「ま気付くわな……!」


 ――――訂正、気付かれた。

 ゴブリンたちが慌てて武器を構え始める。だが遅い。

 六発装填。完了!


「HA、HA、HA! ちょいとダンスに付き合ってもらうぜ、旦那方!」


 中折れ式の銃身をスナップと共に元に戻し、それと同時に二発!

 飛び散るザクロ。これで五人。

 エミリオは木の陰から転がるように飛び出した。


「なンだあの武器! なンの魔法ダ!?」

「呪文も唱えてねェのニ!」


 口々に悲鳴が上がる。

 向こうはリボルバー拳銃をご存知無いらしい。好都合。

 遮二無二構わず駆け寄ってくるゴブリンたちの脳天めがけ、さらに三発。計八人。残弾一発。

 あちらからすれば、轟音と同時に人が死ぬ怪現象に見えるのだろう。

 不可思議な状況に慌てふためき、対応が遅れている。

 そのまま銃口が九人目に向けられ、


「――――『稲妻ライトニング』ッ!」


 咄嗟にエミリオは身を屈める。

 同時に雷光が頭上を通過し、近くの樹木に直撃した。

 雷撃の担い手は参謀。杖を揺らし、呪文と共に雷撃を放っている。

 流石に参謀役だけあって反応が早い。詠唱も。

 雷撃が直撃した樹木は軽く焦げている。

 短い詠唱の分、威力も大したことは無いらしいが……この状況では、致命打になるだろう。

 銃口を参謀に向けようと思えば、彼はさっとオークの背に隠れた。

 舌打ち。

 リーダーを盾にするというのも中々見上げた根性だが、事実エミリオは魔法の鎧のせいであのオークに対して狙いをつけられない。

 猿のような叫び声と共に飛び込んできたゴブリンの脳天を撃ち抜きつつ、エミリオは木と木の間を縫うように駆けだした。これで九。

 距離を保ちつつ、リロードして、一人ずつ数を減らす。

 これしかない。最初からそうだ。


「――――飛び道具! ありゃア飛び道具でスよォ野郎共! 一発で一人ずつしか殺せネぇでス! ドンドン行きゃアブッ殺せる!」

「ほンとカ参謀!?」

「よォし、ブッ殺せ!」


 ゴブリンたちがいきり立ち、喚声かんせいとも哄笑こうしょうともつかぬ声を上げながら駆け出した。

 投石紐スリングによる投石や、弓矢による射撃がエミリオに放たれるが、森の木々に阻まれて思うように届いていない。それどころか投石がひとつ、エミリオを追うゴブリンの頭蓋を砕く。


「おっとラッキー……十人。残り十六!」


 リボルバーをスイング。弾倉を開き、再びリロード。

 中折れ式という珍しい構造を採用したS&Wスコフィールドは、リロードの容易さがウリの名銃だ。

 敵は残り十六人。

 残弾は十八発。

 弾倉の中には六発。まだやれる。


「『蛇、蛇、焔のわだち! 長い尾っぽハ炎の鞭で、チロチロ覗いたベロなら火花! 出てこい、火焔蛇ファイアサーペント』!!」


 オークの後ろで、ゴブリン魔術師ウィザードが呪文を唱えている。

 杖で地面を小突けば、出てきたのは炎の大蛇だ。

 大蛇と言っても、彼の背後のヴァインヴァレイ・ワームほどではない。が、一抱えほどもありそうな大型の蛇には違いない。

 形を持った炎。それがまるで命があるかのように、素早く滑り出す。


「……オイオイ、火事になったら誰が消火してくれるってんだ?」


 軽口を叩きつつ、改めて状況を確認。

 エミリオ。木の陰でリロード完了。

 オークとゴブリン魔術師ウィザード。30mほど離れたところから指示を出している。

 炎の大蛇。草木を焦がしながらエミリオ目がけ進行中。距離25m前後。

 弓や投石紐スリングで武装したゴブリン。六名が散開しつつ近付いて来ている。距離20m前後。

 近接武器で武装したゴブリン。八名が叫びながら突撃中。距離10m前後。


「なぁにチンタラやってんだテメェら! 死んでも殺せ!」


 オークが怒号を発した。

 ゴブリンたちの喚声がひと際大きくなる。

 うるせぇ。

 非難の代わりに引き金を引く。二度。前衛二人が倒れる。残り十四人。

 射撃の反動に逆らわず、後ろに駆け出す。

 逃げ回りながら少しずつ数を減らしていくしかない。不格好だが、アウトローなんてのはそんなものだ。


 追ってくるゴブリンたちは、案外素早い。

 障害物の多い森の中を、苦も無く縦横無尽に駆けてくる。

 小柄が功を奏しているのか。距離は少しずつ縮まっていた。

 特に素早い個体がとうとうエミリオに追いつく。

 手にはナイフ。哄笑と共に地を蹴り、エミリオの背に飛び掛かる。


「おっと」


 轟音。

 エミリオのポンチョに穴が開いた。

 脇の下からの背面撃ち――――襲撃者は首から血を噴き出して後ろに吹っ飛んだ。


「替えがねぇんだ、勘弁してくれよなっ!」


 振り返り、さらに二発。

 これまた二人のゴブリンが……いや、一人のゴブリンが倒れた。

 もう一人は?

 死体だ。

 弾丸が当たって死体になったのではない。

 


 奥歯を噛む。野郎。

 首と胸から血を噴き出す死体が、だらりと垂れた四肢を動かさぬままに前進する。

 これは一体如何なる現象か?

 決まっている。

 ゴブリンが、仲間を盾に進んでいる!


 行進速度は落ちているが、なるほど合理的だ。

 銃撃は所詮飛び道具。盾があれば防ぐことはできる。

 合理的だ。反吐が出るが。

 追ってくる前衛組は残り四名。

 残弾一発――――いや、今投槍の態勢に入ったゴブリンを撃ったので残弾ゼロ。


 長剣を手にしたゴブリンが足元を払いに来た。

 くれてやったのは前蹴りだ。衝撃が脚に伝わる。クリーンヒット。

 向かってくる敵の数はあと三人。その内一人はを構えているのでスットロい。

 ナイフ使いと棍棒使いのゴブリンが同時に飛び掛かってきた。

 左右。上段、下段。覚悟を決める。

 下段の棍棒を跳んでかわす。

 上段のナイフ。突き込み。舌打ち。

 エミリオは右手を突き出した。

 右の掌にナイフが突き刺さる。

 激痛。顔をしかめる。だが、致命傷って訳じゃない。

 ナイフごとゴブリンの拳を掴む。握力は大分落ちているが、突き刺さったナイフのおかげでしっかり固定されている。

 そいつを強引に下に引き落とす。

 下にいるのは? 棍棒を持ったゴブリン。

 二人のゴブリンは頭から衝突し、黙り込んだ。

 急いで手を離す。グッと力を入れれば、鮮血と共にナイフが掌から抜けた。激痛。激痛。激痛。歯を食いしばる。


 死体を盾にしたゴブリンがもうじき追いつく。

 スナップで弾倉を開き、リロードを。

 ……焦るな。

 弾丸が掌からこぼれた。

 右手がうまく動かない。

 当たり前だ。

 ナイフは貫通していた。

 息が荒くなる。

 こぼれる。弾丸が。

 弾倉に入らない。

 ゴブリンが迫る。

 手が震える。両手とも。

 間合いに入る。敵の。

 手斧が振りかぶられた。

 死ぬ。

 前に。

 弾倉に、弾丸が――――――――入った!


「――――――――待たせたなッ!!」


 スナップ。

 轟音。

 放たれた弾丸は盾にされたゴブリンを貫き、その後ろに隠れていたゴブリンの脳天を穿つ。

 前衛、掃討完了。

 残りは八人。十八人は倒した計算か。

 貴重な残りの弾丸を弾倉に詰めていく。

 すぐ脇を矢が掠めて行った。

 ここに留まるのは不味い。

 息を切らし、汗を振りまきながら、手ごろな木の陰に隠れようとして――――足元に、炎が見えた。


「しまっ―――――」


 炎の蛇。

 隠れていたのか?

 いや、現れた?

 消したりつけたりできるのか。炎を。炎の蛇の癖に!


 文句が口をついて出るより早く、それはエミリオの右脚に絡まった。

 焼ける。灼ける。炎の熱量。

 ズボンを焼きながら、蛇が太ももまで這い上がってくる。

 それそのものが攻撃。

 エミリオは悲鳴を上げた。

 直後、右肩に石がぶつかる。投石紐スリング

 横倒しにエミリオが倒れる。

 焼ける脚。苦痛。激痛。

 咄嗟にリボルバーを蛇に向ける。

 炎でできたその頭目がけ、発砲。蛇の頭が吹き飛び、全身が掻き消えた。

 頭を潰せば消えるらしい。どういう原理だ?

 ……考える意味は、あまりなかった。


 視界の端で、矢を番えるゴブリンの姿が見えた。

 狙いは真っ直ぐエミリオに。

 エミリオは動けない。

 脚が焼けて、立ち上がれなかった。

 ズボンが焼け、露わになった右脚は痛々しく焼け爛れている。

 相手の腕が悪いので無ければ―――――詰みだ。


「……ま、こんなとこか」


 エミリオはあっさりと、己の死を受け入れた。

 まぁ、うまくやった方だ。敵の数を随分減らしてやった。

 ……これで、アンナたちでもどうにか村を守り切れるだろう。

 やれるだけやって――――納得した。

 矢が放たれる。

 それはしっかりと、エミリオの頭を貫くルートを辿っていた。

 あとはそれが当たって、もう一度死ぬだけだ。

 エミリオは無性にバーボンが飲みたくなった。

 けれど、代わりにしてもいいようなものはたくさん飲んだのだから、まぁいいかと思った。

 そのまま、彼女は瞳を閉じて死を受け入れようとして――――――――




「――――――――――――何を諦めておるか、たわけッ!」




 その矢を切り払う、少年の姿を見た。

 里見黄色。

 瞳は銀に輝き、手には妖しく煌く刀を握っている。

 飛び込んで、飛んでくる矢を切り払う? どんな芸当だ。

 驚くエミリオを一瞥した後、彼の銀の瞳は元通りの黒に戻った。


「……よ。随分苦戦してるみたいじゃねぇか、アウトロー」


 黒い瞳が周囲を睥睨する。

 飛び道具を構えているゴブリンが六名。

 奥の方で、新たな敵の出現に驚いているオークと参謀。


「…………なにしに来たんだよ、虫食い野郎」


 エミリオは天を仰ぎ、憎まれ口を叩いた。

 客観的に見て、彼女はボロボロだった。


「そりゃお前だろ。……なんで、黙って戦ってんだよ。なんで村を守ろうとしてんだよ。関係ないんじゃ無かったのか?」


 黄色は油断なく刀を構えている。

 次の飛び道具が飛んで来れば、それも切り払って見せると言わんばかりに。


「それは――――……まぁ、なんつーかな」


 普段なら、話さなかったかもしれない。

 けれど死に瀕したエミリオは、自分でも驚くほどに饒舌になっていた。

 ヤケクソ、と言ってもいいのかもしれないが。

 脚の痛みを噛み殺しながら、近くの木を支えによろよろと立ち上がる。


「……アンナの飯は、うまかった。ベッドも暖かかった」


 その口元が、シニカルな笑みを浮かべた。


「――――――――アウトローが命を賭けるのに、こんなに上等な理由があるか?」


 ……きっと、それだけの話なのだ。

 いつも。前も。今も。

 あの時――――エミリオが死んだ時と、今この時と。

 何も変わらない。

 エミリオ・クイーンは自分自身の女王で、己の思うようにした。

 優しさに。恩に。無辜に。

 ただ、報いたかった。それだけだった。

 左手の文様が、淡く輝いた。


 『Justice』――――――――ガブリエルは、その言葉こそエミリオに相応しいとこの文様を与えた。


 笑い話だった。本当に。

 黄色も、応えるように口角を吊り上げた。


「……そうだな。そりゃ、十分すぎる」


 見れば、オークたちがゆっくりとこちらに近づいて来るのが見えた。

 増援と見て、いよいよ真打登場か。

 黄色の右手と、握る刀の鍔元で、それぞれの文様が淡く輝いた。



「天狗夜天流門弟――――『孝』の犬士、里見黄色」

「同じく天狗夜天流師範代、『忠』の犬士村正」



 名乗る。

 村正の声も、どこからか。


 風が吹いていた。

 森を突き抜けるように、一陣の風が吹いていた。

 黄色が吠える。

 森の奥までよく通る、そんな声で。




「――――――――――――――――この戦い、義によって助太刀致すッ!!!」




 少年は、仮面を被った。

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