第十五話 刹那の風

 里見黄色は、怒っていた。


 オークとゴブリン魔術師ウィザードがヴァインヴァレイ・ワームの隣を離れ、悠然と歩み寄ってくる。

 周囲は飛び道具を構えるゴブリンたちに囲まれている。

 黄色は油断なく村正を構えていたが――――ハッタリだ。

 最初の切り払いは、身体の操作を村正に託したが故の妙技。村正に身を預けられる回数は日に二度が限界、という制限は変わっていない。黄色の腕では飛来する矢を切り払うことはできない。事実上、もう一度同じことをするのは不可能と言っていい。

 それでもゴブリンたちが攻撃を渋っているのはハッタリが効いているのか、あるいは単に頭目の到着を待っているだけなのか。

 黄色の後ろでは、エミリオが力なく立ち上がっていた。右脚は焼けた縄で縛りつけたかのような火傷が痛々しく残り、右腕からはどくどくと血を流している。右腕の方は、完全に動かないらしい。それでも左手は動く。リボルバーを握る手は。


「……カッコつけやがって」


 愉快そうに、エミリオがくつくつと笑っていた。


「お前にだけは言われたくねぇ」


 軽口で返す。

 万全とは言い難いが、心地好い会話だった。


「――――お仲間かァ? ほそっこいヒュームが二人。妙な武器ィ使うみてェだが……正気かよ。いや正気じゃねェな!」


 ……水を差す声があった。

 白銀の鎧を着たオーク。巨体。肩に剣を担いでいる。

 ヒュームであれば両手剣に分類されるであろうそれも、オークが握れば片手剣扱いだ。

 オーク。樫鬼人オーク酒宴神しゅえんしんの眷属。

 酒宴神が森神もりがみをからかうために樫の木から生み出した、醜くも屈強な種族。

 樫のように頑健で、酔漢のように陽気で、猪のように貪欲な者ども。

 それがニタニタと笑っている。嘲るように。

 追従するように、オークの陰からゴブリン魔術師ウィザードも哄笑した。


「いやまッたく、派手に暴れてくれましタけどネぇ! その飛び道具は見切りましタし、新手は剣士! 相手にハならンでスよォ!」

「だがまァ、そうだな。俺もかわいい部下どもがやられちまったし……どうだ?」


 オークがこれみよがしに剣を黄色たちに突き付ける。

 巨体。伴うリーチ。威圧感。


「魔王様に忠誠を誓い、この俺様の部下になるってんなら、許してやってもいいぜ?」

「おやま! 寛大でスネぇ! 流石は大親分!」

「殺された部下どもの分ぐらいは、働いて貰わないとなァ! わァーっははは!!」


 巨体を揺らし、大きな大きな大音声で、オークが笑った。


「……へぇ。魔王軍ってのは、そんなに魅力的な職場なのかよ?」

「応とも! 奪い放題、殺し放題、犯し放題よ。何も我慢する必要はねェ。ケチな暮らしをする必要はねェ。どうせそのうち、この世界は魔王様のモンになるんだからな。好きなだけ暴れて、好きなだけ楽しめばいいのよ。最高だろ? この鎧だって、魔王軍に入ってから貰ったもんでよ。どんな矢も俺には届かねェ。剣で俺に勝てる奴もいねェから、俺は無敵ってわけだ!」


 黄色の問いに、下卑た笑みを返す。

 ――――こいつはクズだ。

 どうしようもない。どこまでも。


 ……里見黄色は、怒っていた。


「――――バルさんたちはさ。仕事上がりに飲むミルクが好きなんだと」


 静かに、言葉を零す。

 突然始まった無関係な話に、オークたちはきょとんとした表情を見せた。


「だからあの村が好きなんだって、そう言ってた」


 息を吸い、吐く。

 ……ピリピリと、怒気が漏れるのがわかった。


「普段は、村のみんなとも仲良くやれててさ。今はたまたま気が立ってるだけなんだって、そう笑ってたよ」


 森に入って約一日――――バルたちと、いくらか話をした。

 その時に彼らが零した言葉だった。

 村人の態度に腹は立つが、いつかはまたうまくやれるだろう。

 そのことについて我慢する気も無いが、だからって一生仲良くやれないわけでもない。

 ひとしきり殴り合えば、また前みたいに仲良くやっていけるはずだ。

 笑いながら、バルたちはそう話していた。


「アンナも言ってたけどさ。いい村だと思う。……いい村だったはずなんだ。ちょっと今は、歯車が噛み合ってないだけでさ」

「……なんだ? なんの話だ?」

「わかんねぇか?」


 里見黄色は、怒っていた。

 息を吸い、吐く。

 脳裏を過ぎる、絶望を押し殺したアンナの笑顔。

 バルたちの鷹揚な笑み。村人たちの怒声。

 ……怒りに身を任せるな。

 握る村正は何も言わない。

 だが、彼女の教えは既に身についていた。

 怒気を漏らすのは未熟故。

 呼吸が心を落ち着かせる。

 余計な力みは命取り。構えの至上は自然体。

 それでも――――ああ、それでも!




「テメェらが踏みにじって来たモノの話をしてんだぜ、クソ外道ども……ッ!」




 ――――――――里見黄色は、怒っていた!


 オークたちの蛮行が……否、魔王軍の横暴が。

 それが踏みにじった尊いもののために、里見黄色は怒っている。

 アンナの、バルたちの、村人たちの、あるいはこの世界のあまねく民の!

 人心を脅かし、不和を撒き、小さな日々の幸せを踏みにじったことに、どうしようもないほどに怒りを覚えている!


「――――よく言っタ!」

「応よォ!」

「待ちくたびれタゼぇ!」


 それと同時、歓声と悲鳴が聞こえた。

 歓声の主はバル、ボル、ガル。

 悲鳴の主は飛び道具を構えていたゴブリンたち。

 ……事前に、周囲を囲む連中の後背を突けるように回り込んでおいて貰ったのだ。

 手斧を握ったバルたちが、弓やら投石紐スリングやら、接近戦では何の役にも立たない武装を握るゴブリンたちに刃を叩きこんでいく。

 一拍遅れて小剣やナイフを抜く者もいたが――――あちらは、任せて平気だろう。


「……つまりよォ。交渉決裂か?」

「今すぐ首を差し出しな。俺の要求はそれだけだ」

「つまり――――交渉決裂だよなァ、ヒューム風情が……!」


 直後、オークの体から怒気が立ち上る。

 筋肉が怒張し、その頬が笑うように吊り上がる。まさしく悪鬼が如き形相。

 威圧感。気圧されそうになる。踏みとどまった。

 ああ、そうだ。譲る必要はない。どこにもない。

 怒りと言うなら、黄色だって負けてはいないのだから!


「HA、HA、HA! クク……ああ、そうだなキーロ。こんなクズどもの話なんざ、付き合う必要もねぇ」


 エミリオが堪えきれないという風に笑いながら、リボルバーを構えた。


「……わかっておると思うが、奴の剣を受けようと思うでないぞ。あれは示現じゃ。受けきれん」

「わかってるよ、師匠」


 握る村正と言葉を交わす。

 敵は二人。

 こちらも二人。

 条件は五分。

 剣を担ぐオーク。その背で杖を構えるゴブリン。

 果たしてどれほどの難敵か――――


「俺様に勝てると思ったかァ!?」

「うるせぇ。天狗夜天流は無敵だッ!」


 ――――――――それが開戦の合図となり、二人の剣士は大きく一歩踏み込んだ。


 先んじて剣を繰り出したるはオーク。長身。伴う長い手足。間合いが違う。

 担いだ剣を大上段に。力任せに振り下ろす一撃は、全てを屠る必殺のそれ。

 そも、膂力が違い過ぎる。

 受ければ剣を砕き、肉と骨を引き裂くだろう。

 例え鉄の鎧であっても、砕いてみせる自信がオークにはあった。

 黄色の構えは正眼。

 迫る剣。あるいは死。頭蓋をカチ割る明確な殺意。

 受ければ死。克明に。

 黄色の脳と心臓が警鐘を鳴らす。

 死だ。死が来るぞ。死がお前の命を終わらせに来るぞ。

 うるせぇ。その警鐘をねじ伏せる。

 恐怖はある。怒りもある。それを全てねじ伏せる。

 臆せば死ぬぞ。さりとて死ぬぞ。

 はやれば死ぬぞ。さりとて死ぬぞ。

 それがどうした。黄色はもう死んでいる。

 一度死に、あるいは夢中の稽古で幾度となく死を体験した。

 仮面を被れ。演者であれば。

 求められるは繊細なる体捌き。

 僅かでも力の配分を間違えれば死に至る狭き活路。

 そこを潜り抜けろ。里見黄色が、天下無敵の剣術を修めるのであれば!


 迫る剣。 

 正眼に構えた村正を、掲げる。

 僅かに左に踏み込んで、握る拳は顔の上。

 左拳は柄を握り、しかし右手は柄を離れ、刃の背に添えるように。

 切っ先は右。迫る刃に垂直に。

 受ければ死ぬぞ。さぁ死ぬぞ。

 まともに受ければ、村正は真っ二つに折れるだろう。

 黄色の肉体も、真っ二つに引き裂かれるだろう。

 刃が迫る。刃が降る。

 ついに剣がぶつかり――――――――集中。裂帛れっぱく。刃を、流す。


 歯を食いしばる。

 力を抜く。力を入れる。

 力で受けるな。受ければ死ぬぞ。

 集中を切らすな。切らせば死ぬぞ。

 剣に対して垂直に立てた刃を、右に傾ける。

 決して押し返そうと思うなかれ。それは死を意味するだろう。

 衝撃が腕に伝わる。それが刃を砕く前に、斬撃を斜めに受け流す。

 オークの剣が、村正の上を滑った。

 そのまま押し潰されそうになる。そうならない程度に力を入れる。

 右手の甲が黄色の胸まで押し込まれた。

 押し込まれる。身を反らす。


 曰く――――幕末、薩摩の剣士を相手取った者は、時折奇妙な死体となって見つかったという。

 己の剣が、己自身にめり込んで息絶えている。

 これは如何なるからくりか?

 ……決まっている。

 示現流、あるいは自顕流の太刀を受け、受けきれずに己の刀を己の体にめり込ませて死んだのだ。

 常軌を逸した必殺剣。

 一撃必殺を至上とする、天下の剛剣が起こした怪奇。

 これは黄色の世界の話だが――――翻ってこのオークの剣も、およそ似たようなものと言えるだろう。


 生半なまなかな受けは、そのまま死を意味する。

 わかっている。わかっていてやった。

 やらねばならぬからやった。やれるはずだと己を騙してやった!


「――――――――――――――――ッ!」


 声にもならない悲鳴が漏れる。

 それでいい。悲鳴など、断じて漏らしてなるものか。

 身をよじり、円の動き。

 ミシ、と軋むは胸か右手か村正か。

 剣の膂力に逆らわず、後方へと運ぶように――――流すッ!


「っ、だぁッ!!」


 流した。

 流した、流した!

 オークは剣を振り抜き、大きな隙を晒している。

 さぁここだ、ああここだ、今ここだ!

 達成から来る緊張の緩みを引き締めて、再度両手で柄を握り。

 横薙ぎに、オークの首を断つ――――


「――――――――――――『火の矢ファイア・ボルト』ぉッ!」


 ――――咎めるように、飛来するのは炎の矢。

 オークの斬撃を受け流したことで、射線が空いたか。

 矢の如く尖った炎が、ゴブリン魔術師ウィザードの杖から放たれる。

 速い。

 が、見切れないほどではない。

 射線も明確で、実物の矢ほどではない。

 この程度なら、受けられる。

 咄嗟に刃の軌道を変えて、横薙ぎに炎を切り捨てる。

 右手の甲と鍔元の文様が強く輝き、魔法は虚空へ掻き消えた。

 ゴブリンの驚愕の表情。

 だが構っている暇はない。今度こそオークの首を獲る。


「――――たわけッ! 欲張るなッ!」


 村正の叱咤。

 同時に悪寒。反射的に後ろへ跳んだ。

 次の瞬間、空を切るオークの太い腕。

 丸太のようなそれが、力任せに振るわれた。

 ……欲をかいて首を狙っていたら?

 ゾッとする。だからニィと笑った。恐れは仮面の下に。強がってみせろ。

 再度取る構えは正眼。

 苛立たしげにオークが剣を担ぐ。

 また、同じことがやれるだろうか。

 やらねばならぬ。必要ならば。

 一度やれたのだ。二度やれぬ道理はない。


「……今のは悪くなかった。が、気を抜くでないぞ」

「村正が俺を褒めるなんて珍しいな。明日は雨か?」

「たわけ」


 短く言葉をかわす。

 息を吸い、吐く。集中。僅か一合で、滝のように汗が噴き出していた。

 改めて、黄色とオークは向かい合う。

 互いの背にいる射手と魔術師は、射線を気にして出方を伺っているようだった。

 エミリオの弾丸はオークには通じず、その背に隠れている限りゴブリン魔術師ウィザードにも届かない。

 逆にあちらも誤射を危惧して迂闊に魔法を唱えられないらしく、杖を構えたまま攻めあぐねている。無論、先ほどのように突出すれば黄色目がけて魔法が飛んでくるわけだが。ゴブリンの表情は先ほどまでの侮蔑の色が薄れ、黄色のことを明確な脅威を見定めているようだった。自慢の魔法を切り払われたのが、よほど癪に障ったらしい。


「――――殺す」

「やってみな」


 再度オークが一歩踏み出し、黄色は正眼にて迎え撃つ。

 大地にめり込むその踏み込みから、放たれるは横薙ぎ一閃。

 迫る死。二度目。

 前回のそれより、明確で克明に。

 縦の斬撃は、横に逸らせばかわすことができる――――なら、横の斬撃は?

 上に弾く? それは無茶だ。

 下に弾く? 可能なら。

 問題は――――担い手がオークで、遠心力が十分に乗ったこの一撃は、もはや黄色の膂力で動かせるほどのものではないということ。

 その分威力は振り下ろしに比して多少劣るはずだが、致死の一撃に変わりなし。

 下がればかわせるか? それも否。

 腕が長いということは、間合いも広いということだ。一歩後ろに下がった程度では避けきれまい。


 故に必中。故に必殺。

 白兵にて不敗という大言壮語も、あながち嘘では無いのだろう。

 オークの体格、オークの膂力。ただそれだけが、これほどまでの脅威となる。


 だが、それでも――――それでも、

 ヴァインヴァレイ・ワームの体格は、膂力は、これとは比べ物にはならなかった。

 それを打破した黄色だ。

 それを打破した村正だ。

 それを打破した天狗夜天流だ。

 ならば恐れる道理無し。

 思考が回転する。それを全て捨てる。考えるな。隙になる。

 打開策は、体が導いてくれるはずだ。

 そのために修行を積んだ。幾度となく死に続けた。

 頭ではなく、体が死を遠ざける技を覚えている。

 それに従え。

 黄色の肉体は、大きく一歩踏み出した。それが答えだった。


 オークの剣の、そのに刃を合わせる。

 要はテコの原理だ。真芯をズラし、威力が落ちる剣の根本で攻撃を受ける。

 単純な理屈。そのための心理と技術はどれほどか。

 例え真芯をズラしても、横たわる膂力差は変わることなく。

 ぶん、と振るわれたそのひと薙ぎに、黄色の体は冗談みたいに吹き飛んだ。

 浮遊感――――木に叩きつけられる背中。


「がァ……ッ!」


 受け身も何も無い。痺れるような衝撃が全身に浸透し、それからようやく地に足がつく。

 そのまま膝を着きそうになる。村正を手放しそうになる。

 それは許されない。それは死を意味するからだ。

 飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、ふら付きながらも強く村正を握る。


「おい! しっかりせい小童! 来るぞ! 儂を構えよ!」

「わか、ってる……!」


 まだ、生きてる。

 腕はもげてないし、脚もある。

 それで十分だ。そう言い聞かせる。笑え。剣士の仮面を被れ。


「死ねやッ、ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥムゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!」


 来る。

 再度大上段。

 巨体を揺らし、大地を揺らし、森を揺らしてオークが迫る。

 天高く掲げる剣は、黄色の命を絶つギロチンか。

 いいや、まだだ。まだ死なないぞ。まだ死ねないぞ。こんなところで死ぬものか。

 避けろ。受けろ。どうにかしろ。

 鳴り響く警鐘を必死にねじ伏せ、ふら付く体に力を込めて。


 死が、


 迫る。



 ――――――――――――遮る轟音。



 それも二度。

 加えて金属音。


「……ご自慢の鎧が守ってくれるのは、オタク自身だけらしいな?」


 硝煙。

 エミリオの弾丸が放たれ――――オークの剣にブチ当たった。

 たかが弾丸と侮るなかれ。

 小さな鉄塊が生み出す衝撃力は、人が握る剣を弾くには十分過ぎるほどで。

 それでも剣を手放さないままでいられるのは、オークの膂力を讃えるべきか。

 いいやそれ以上に、振り下ろされる剣を正確に射抜くエミリオの技を讃えるべきか。


 いずれにせよ、死は遠ざかった。

 オークの驚愕の表情。

 好機。ここだ。ここしかない。

 天秤が逆転する。死がオークに帰る。

 黄色は短く息を吸い、しっかと村正を握った。

 踏み込む。懐。黄色の間合い。

 鎧を断てるか。自信はなかった。

 村正ならば断てるだろう。本来の主ならば児戯なのだろう。

 さりとて黄色はまだ未熟。鋼を断ったことなどはなく。

 ならば、狙うは鎧の隙間。刺突を以て穿つべし。


 黄色が吠えた。

 オークが目を見開く。

 死だ。死だ、死だ!

 里見黄色が今、オークの死だ!

 腰だめに構えた村正を、下から突き上げるように――――否。

 突き込まんと狙いを定めた鎧の隙間から、逆に飛び出す黒縄。

 縄? いいや――――これは、蛇!


「――――『ひっくり返れ』ェっ!」


 ゴブリン魔術師ウィザードの声が聞こえる。

 その瞬間、蛇が燃え上がる。

 黄色は知らない。

 その魔術の名は『火炎蛇ファイアサーペント』。

 炎であり、蛇であるもの。

 蛇であり、炎であるもの。

 内部に炎を閉じ込める炭のように、呪文ひとつで炎を内に秘めるもの。

 ならば当然、呪文ひとつで再び火を灯すが道理。


 仕込んでいたのだ。こんなこともあろうかと。

 鎧の下で待機させ、罠として牙を潜ませて。

 いざ飛び込む者があれば、逆に焼き殺すために隠れていたのだ!


 炎が牙を剥き、黄色に迫る。

 思わず足を止めたが、それが何になろう。

 牙が迫る。炎が迫る。即ち死が迫る。

 再度天秤は逆転した。

 断てるか。

 ここから?

 近すぎる。

 蛇の頭は目と鼻の先。

 間に合わない。


 ――――――――――――再度轟音。蛇の頭が消し飛んだ。


 炎が掻き消える。

 エミリオの射撃。重ねて大した神技だ。

 だが、讃える暇は無い。

 今度こそ、今度こそ!


 足を止めた黄色と、腕を止めたオークと。

 それらが態勢を立て直すのは同時だった。

 オークは袈裟に。黄色は下段より。

 間に合うか。どう断つか。

 手があった。

 故に吠えた。



「村正ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーッ!!!!!」



 黄色の瞳が銀に輝く。

 あいわかった、と聞こえた気がした。

 踏み込む左足。

 腰を捻り、腕が持ち上がる。

 袈裟に振り下ろされるオークの剣。

 ――――――――それを、すとんと腕ごと切り落とす。

 神速の斬り上げ。

 神技の一撃。

 抵抗すらなく、丸太のような剛腕が千切れ飛ぶ。


「ギ―――――――――――――――――」


 悲鳴。

 上げるよりも、なお速く。

 歯を食いしばる。

 銀の瞳は、黒に戻った。

 黄色が願った。そう望んだ。

 この一撃を、村正に任すわけには行かないと。

 黄色が始めた戦いで、黄色が選んだ戦いだから。

 どうかこの一撃だけはと、黄色は己自身で大地を踏みしめた。

 全身に激痛が迸り、それでもこの一撃だけはと意地を張る。

 振り上げた刃を捻り――――信頼する。己を騙す。

 村正は鋼すら断てると信頼し、己にはその技があると暗示する。

 この手に握るは天下の名刀。振るう術理は天下無双!

 切っ先は頭の左から天に向き、無防備なオークを間合いに納める。


 吠えた。

 裂帛。


 同時に刃を振り下ろす。

 撫でるように、引くように、右足を一歩下げながら、刃を振り下ろす。

 刃が届く。

 鉄の感触。鉄の衝撃。


 断てるか。

 いいや、断たねばならぬ。


 断てるか。

 いいや、断てぬ理由こそありはしない!


 万力込めて、されど力に頼ることなく。

 刃を下ろす。振り下ろす。

 村正が、オークの体に吸い込まれ―――――斜めに鎧を断ち割れば、鮮血撒いて巨体が崩れる。


 断った。

 斬った。

 黄色の手で、命をひとつ断ち切った。

 これで黄色は、人殺しの仲間入りか?

 これで黄色は、修羅道に堕ちたのか?

 黄色の父は、人殺しの父になり果てたのか?


 ……いいや、否だ。断じて否だ。

 恐ろしいのは、人を殺すことではない。

 黄色が恐ろしいのは、父に顔向けができなくなることだ。誇らしい己でいられなくなることだ。それはもはや、黄色にとっては生きる意味を失うに等しいことだ。

 これは黄色が選んだ戦いだった。

 ならば、その責を誰かに押し付けるべきではない。

 正しいと思って刃を手に取ったのだから、逃げる事こそ許されない。

 命を断った責を負う。

 それだけが、黄色に許されることだ。


「――――――――ようやった」


 村正の声が聞こえた。

 ……同時に、膝をついた。

 体に力が入らない。

 二度、村正に体を貸した。

 限界だ。

 マズい。

 まだ、あちらには魔術師が。


「お、大親分!? お、おお、おのレぇ! 『燃えろ盛れよ炎よ炎、集まれ灼火しゃっか、まとまれ火花』――――」


 魔法の詠唱。

 杖の先で炎が集まり――――掻き消すように、銃声が鳴り響いた。

 弾丸がゴブリンの脇を掠める。驚いて詠唱が止まった。

 外した?

 ……まさか。


 エミリオ・クイーンは――――静かに、ゆっくりと、黄色の前に進み出た。

 遮るように。

 ここは通さないと、そう言わんばかりに仁王に立つ。

 彼女も傷付いているのに。それでも立った。

 右腕は垂れ下がり、右脚は焼けただれ……それでも。

 タフに、シニカルに牙を剥く。

 ポンチョを脱ぎ捨て、リボルバーをホルスターに納めた。

 何を?

 ……理解できたのは多分、本人と黄色だけ。


「――――あと一発だ」

「な、なニ?」

「あと一発。オレの相棒に入ってる弾丸の数さ。あと一発だけ、オレは弾丸を放てる。わかるか?」


 笑って彼女は吐き捨てた。

 親愛ではない。威嚇かと言えば、そうでもない。

 この瞬間を楽しめと、世界に告げんがために彼女は笑う。


「抜きな」


 それは作法。

 彼女の故郷、無法者の間で通じる、たったひとつのシンプルなルール。

 このまま狙いをつけて引き金を引けば、このゴブリンは殺せるのだろう。

 だから、この行為に意味は無い。

 意味が無いから、彼女は笑う。

 そうでなければ、甲斐が無い。


「撃てよ、ご自慢の魔法を――――オタクが使える、一番素早い技を見せてくれよ」


 これは流儀。

 この大きな大きな決闘に幕引きするための、荒野の流儀。

 愛銃をホルスターに納めたまま、困惑するゴブリン魔術師ウィザードに言葉を告げる。




「―――――――――――――――――――試してみようぜ。どっちが素早いか」




 ……しばし、沈黙。

 遅れて、緊張が漂った。

 あからさまにゴブリン魔術師ウィザードが困惑する。狼狽する。

 死。

 本当に?

 このヒュームは手負いで、しかも武器をしまっている。

 勝てる。勝てるはずだ。

 ……なのに、この恐怖はなんだ?

 動けば死ぬ。

 予感があり、確信があった。

 沈黙。

 エミリオは、不敵に笑っている。

 風が吹く。

 冷たい、冬の風だった。

 枯葉が両者の間を通り過ぎて行く。

 沈黙。

 動かない。動けない。

 焦燥がゴブリンを支配する。

 動け、動け、動け――――――――視界の端で、手下の頭蓋に斧が叩き込まれているのが見えた。


 瞬間、爆発した。






「――――――――――――『ライト「おせぇよ」





 轟音。

 ……それでおしまい。

 頭蓋に風穴を開けたゴブリンの死体がひとつ増えて、おしまいだった。

 硝煙を吹き消し、もう一度リボルバーをホルスターに納める。


「……よぉ。随分情けねぇカッコじゃねぇか」


 エミリオが振り向き、膝を着く黄色をからかうように笑った。


「うるせぇ。……お前だって人の事言えねぇだろ」

「ハ! 違いねぇ」

「まったく、もう少し危なげなく勝てんのかお主らは」


 周囲を見渡せば、丁度バルたちも下っ端たちを全滅させたところのようで、三人そろって勝鬨を上げていた。

 ……どうやら、全員無事らしい。

 黄色がふら付きながら立ち上がろうとして……力が入らず、よろめいて倒れそうになる。


「おっと」


 それをエミリオが支えた。

 ……女の腕だった。

 けれど――――荒野を駆ける、タフなアウトローの腕だった。


「しっかり立てよ。腰でも抜かしたか?」

「……まさか。ちゃんと立つっつの。んで――――」


 改めて、立つ。

 見下ろせば、オークの死体。

 命を断った。

 例え外道が相手でも、それは事実。

 ならば――――その責任の分、しっかりと立たなくてはならない。



「――――――――――――立って、歩くよ」



 それが、黄色が選んだ道だった。

 冷たい風が、ぴゅうと吹いた。

 荒野の風とは程遠い、冬の森に吹く風だった。

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