第五話 役者不足
「さて……小童。お主、薬食いはできるか?」
狼を倒し、しばらくしてようやく落ち着いてくると、そう話を切り出して来たのは村正だった。
いつの間にか人型をとり、座り込んだ黄色の顔を覗きこんでくる。
「……薬食い?」
「獣肉じゃよ、獣肉。山鯨とはいかんがのう」
「えっと……つまり」
黄色の視線が狼の死体に向いた。
「……あれ、食うの?」
「嫌か?」
「嫌っていうか……食えんの……?」
「中々じゃぞ。ちと淡白じゃがな」
「マジかよ……」
狼肉。
……ニホンオオカミは絶滅して久しく、狼の実物すら見たのは今が初めてだ。黄色にとってはそれが食用に耐えるのかも判別できない。そういえば昔の人は仏教の戒律で肉食を禁じられていたが、薬用だとかこれは山に住む鯨だとかあれそれと言い訳をして肉食をしていたのだったか。それでも聞くのは猪だの鹿だの熊だので、狼肉は耳にしたことが無い。
が、まぁ、なんだ。
少なくとも芋虫よりは美味しそうだな、と思った。
「で、どうする?」
「食べる!!!」
「クク、よい返事じゃ」
村正は口許に手を当ててからから笑うと、ひょいと無造作に狼を抱えあげた。
……結構な重量のはずだが、相変わらずの怪力だ。
「ま、色々あったが……獣相手とはいえ晴れての初陣じゃ。儂を騙したのは許しておいてやるわい」
「……おう。その……悪かったな」
「たわけ、許すと言うておろうが」
「……ん。悪い」
「まったく……さ、帰るぞ。褒美に
「ああ。……なら、あれだ。ありがとな、村正」
「――……ふっ。そう思うならはよう強くなれ、小童」
「……おう」
急に優しくされると、なんだかかえってむずがゆい。まぁ捌けと言われても困るところだったが。ナイフすら砕いて尖った石で代用している状況で、素人が肉を捌けるとはまったく思わない。
しかし、肉……肉である。
いつぶりであろうか、果物と虫以外の食事は。自然と胸が踊った。
調理器具もないしそこまで上等な食事にはならないだろうが、それでも多少文明的な生活に戻れる気がする。実際には狩った獣の肉を食べてるだけなので、別に文明レベルが上がったりはまったくしていないのだがそれはそれである。
……と、ふと思い出すことがあった。
「なぁ村正。実はさっきさ……」
◆ ◆ ◆
「どうじゃ小童、うまいか?」
「生きてるって感じするわ……」
「わはは! 妙なこと言うのう! お主も呑むか?」
「あー、俺未成年だからさぁ」
「なんじゃつまらん! わはは!」
日も暮れ始め、夜闇が森が包む頃。
洞窟の中でいつものように焚き火を囲み、黄色と村正は夕食をとっていた。
いつもと違うのは、二点。
ひとつは、黄色が食べているのが肉であるということ。
シンプルに火で焼いただけの肉だが、なぜだかそれが無性にうまかった。一口目で思わず涙が出るほどだった。
ふたつは、村正がボトル片手に酒を飲んでいることだ。
中身はワインで、最初こそ慣れない味に顔をしかめた村正だったが、今ではすっかり気に入ったようでべろんべろんである。
これは昼間の逃避行中、上流から流れてきたのを黄色が拾ったものだ。
なんらかの儀礼祭祀によるものだろうか?
ともかくこれは上流に人里がある証拠であり、ついでにガラス瓶という文明の利器の入手を意味していた。今まで水を飲む時は川まで行って飲んでいたので、これからは少し水の備蓄ができるということになる。まぁ加熱はできないので相変わらず滅菌処理はできないし、腹を下したらガッツでどうにかするしかないが。
ちなみに何度かやった。昼の仮病は、この手の事件がままあることに由来するチョイスだった。
閑話休題。
「……酒好きなんだな、村正」
「たわけっ! ししょーと呼べっ!」
「…………押忍、師匠」
先程も言ったが、村正は完全に出来上がっていた。
和装を着崩し、頬を赤く染め、両脚を放り出してグビグビと勢いよくボトルを傾ける。百年は生きていると言っていたし、なにせ妖怪なので問題ないとは思うのだが、子供が景気よく酒を飲む絵面の犯罪っぽさがなんともいたたまれない。そもそもこの世界に未成年飲酒禁止法があるかどうかも定かではないが、気分的な問題である。
「いいかぁ? お主はあまつきつねやてんりゅーの担い手としてじゃなぁ……」
しかも割りと絡み酒だった。
仕方がないので、話題を逸らしにかかる。
「……あのさ師匠」
「お、なんじゃ?」
「そういえば、天狗夜天流ってどんな流派なんだ? 聞いてなかったなぁって思ってさ」
「ほーう……興味が湧いたか! しょうがないのう! 教えてやってもよいぞ!」
「興味とか以前に無理矢理仕込まれてるんだけどな……」
「あ?」
「なんでもないでーす」
一瞬だけ殺気混じりの視線を飛ばしてきた村正は、しかしすぐに上機嫌に笑顔を見せると黄色の隣に座り、陽気に背中を叩いた。酒臭かった。
「よぉーし。そもそも天狗夜天流の名は、
「天狗? って……あの、鼻が長いやつ?」
「そうそう、それじゃ。見たことないかの?」
「無いですね……」
「まともかくその天狗じゃよ。主様は夢に出たとか言うておったかの。夜更けに跳ね起きたかと思うと空を見上げ、夜這い星を見ると大笑いして、天狗に指南を受けたと言うておったわ」
「……すまん待った。夜這い星?」
「なんじゃ夜這い星も知らんのか。ほれ、こう……時折白い筋が夜空を横切ることがあるじゃろう。それも見とらんか?」
「あー……流れ星か」
「多分それじゃ」
古語か何かだろうか。見た目に違わず、古臭い物言いである。
「というか、そっか。元々の持ち主がいるんだよな、師匠。師匠が作った流派じゃないんだ」
「うむ! かの宮本武蔵や伊藤一刀斎にも勝る天下無敵の大剣豪、
「へぇ……すごい人だったんだなぁ」
「おうとも! 剣に生き、剣に生きて……うむ。しかし……うむ」
急に村正が俯き、声が小さくなる。
つい先程までは大声で主の偉大さを語っていたのに、これはどうしたことだろう。
怪訝に思って村正の顔を除き込むと……童女は、さめざめと涙を流していた。
「……知らんのじゃなぁ。主様の名も、その流派の名も、お主は知らんのじゃなぁ……」
「え、あ、お、おう。だ、大丈夫か?」
「うぅ……結局、名を残すことは叶わなんだ。その剣名も、我が忌み名と共に露と消えおったか。口惜しや。嗚呼、口惜しや……」
……困った。
まさか泣き出すとは思わなかった。
さてどうしたものかと頬を掻き……すると、直後に村正がわんわんと大泣きを始める。
「主様はッ!!! 儂を、儂を
「お、おい村正。ちょっと落ち着けって」
「だのに、だのにッ! 儂は呪うてしもうた! 儂のせいじゃ! 儂のせいで、主様は妖刀に狂わされた剣鬼と呼ばれてしもうた! そんなことはなかったのに! あの方は、己で選びとって修羅道を生きたのに!」
「村正……」
……慟哭だった。
それは、ひと振りの刀の慟哭だった。
「儂が貶めたのじゃ! 儂なんかが使われてしもうたから、天狗夜天流は妖刀に呪われた男の呪われた剣に成り果てた! 誰も主様を語らぬ! 儂じゃ! 誰も彼も、儂の呪いしか語らんのじゃ! 主様は、呪われてなどいなかったのに!!」
剣鬼がいたのだという。
その剣鬼は修羅道に生き、修羅道に果てたのだという。
その手には妖刀が握られ……人々は噂した。
――――あの男は、血吸いの妖刀に狂わされたのだ。
誰も、男の豪剣を語らなかった。
誰も、男の剣名を語り継がなかった。
担い手を修羅道に堕とすとは、まさしく神君殺しの妖刀。いやさ恐るべし。
くわばらくわばら、妖刀村正に触れるべからず。
ただただ、そう語られるのみ。
「儂は、儂はなんという不忠を……受けた御恩を、仇で返すなど……」
それはきっと、そのような話だった。
それが村正の罪であり、後悔であり、願いだった。
黄色はぼんやりと、そのことを理解した。
泣き疲れたのか、いつの間にか村正は黄色にもたれかかってすぅすぅと寝息を立てていた。
はだけた太ももで、忠の
「……天下無敵の大剣豪、ねぇ」
村正が弟子を取りたがっていた理由が、今わかった。
彼女は主が練り上げた剣術を広めることで、主に報いようとしているのだ。
己のせいで貶められた剣名を、今度こそ天下に知らしめんとしているのだ。
それだけが主に対する
厳しい修行はその裏返し。
傲慢な物言いもその裏返し。
天下無敵の剣術は、最強でなければ意味がない。
だから弟子に……黄色に、強く在ることを求める。
天下無敵の大剣豪の代わりに、天狗夜天流の剣名を轟かせるために。
「はは……いくらなんでも、役者不足だろ」
だが、里見黄色は凡人だ。
ようやく剣士としての第一歩は踏み出したが、天下無敵には程遠い。
己に剣才があるなどとは微塵も思えなかったし、村正の主に並び立つことなど到底できる気がしなかった。
言ってしまえば、これは村正の押し付けだ。
村正の勝手な事情に、強引に巻き込まれているだけだ。
きっと、逃げる権利はあるのだろう。
自分には無理だと、巻き込むなと、そう言うことはできるのだろう。許される道理なのだろう。
……ああ、だが、それでも。
「んん……あるじさま……」
哀しそうに、村正が寝言を呟いた。
黄色は、村正と出会ってからのことを思い出した。
それはおよそろくな記憶ではなくて、大半が修行でしごかれている時の恐ろしい記憶ではあったが。
……それでも、恩はあった。
熊を退けた。
直後に倒れたが、おかげで殺されはしなかった。
狼を狩った。
それだけの実力を仕込まれ、背中を押してもらった。
初陣の祝いをしてくれた。
その穏やかな笑みに、故郷の姉が脳裏を過った。
いつか、黄色は魔王を倒さなければならない。
そのために、村正の指導は必要なものだ。
この時の修行は、今後とも黄色を助けてくれるだろう。これからも。
……それに。
今こうして本音を聞いて、彼女も心を持つ人間……ではないにせよ、一人の少女なのだと、改めて思い知った。
彼女には願いがあり、黄色にも願いがある。お互いに、人生を賭してもいいほどの願いが。奇妙な仲間意識のようなものが己の中に芽生えていることを、黄色は否定できなかった。
「……最も崇高な芸術は、か」
もう少し楽ができたらな、と少し思った。
楽な道は、どうやら無いようだった。
黄色はそれを、悪くないなと思った。
静かに、夜は更けていった。
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