第九話 ここが異なる世界と知る

 アンナに導かれるまま歩くと、やがて人里についた。

 そう大きくはない村だ。道中で畑をいくつも見かけたから、農村なのだろう。収穫期を終え、冬に備えている時期か。あまり人の姿を見ることもなく、どことなく閑散とした雰囲気を受けた。民家の数からするに、実際はそれほど寂れた村というわけでもなさそうだが。

 21世紀の都市部で暮らしていた黄色にとってはあまり馴染みのない空間だが、中世の農村というものについてまったく想像が及ばないというほど無知でもない。少なくともテレビをつければ田舎の農村が映ることは多々あったし、ゲームであれマンガであれファンタジー作品の中ではこの手の農村は頻繁に出てくるものだ。……もっとも、今は自分がそのファンタジー作品の世界にいるわけなのだが。


「ようこそ、ヴァインヴァレイへ! ワインとブドウしかない村だけれど、歓迎するわ!」


 ヴァインヴァレイ――――それが、この村の名前らしい。

 謙遜しつつもどこか誇らしげに村の名を呼ぶアンナの様子から、少なくとも彼女にとっては良い村なのだと感じた。きっと、良い故郷なのだろう。

 ……しかし、時折すれ違う村人からは、黄色たちに対する恐れと嫌悪の感情が僅かに透けて見えた。

 田舎特有の、余所者への警戒心か?

 収穫期の終わった農村など、確かに旅人が寄るような場所では無かろう。

 あるいはいかにも粗暴なエミリオが既に問題を起こし、目の敵にされているか……それとも。


 だが、黄色の関心を引いたことはそんなことではなかった。

 時折すれ違う村人――――その大半は人間であり、に含まれない少数はそうではなかった。

 例えば、狼の耳と尾を持つ男性がいた。

 俗に言う獣人だろう。この世界には、人間以外の人類が存在する……ここまでは、まだ予想できた。

 一番驚いたのは、ことだった。

 彼らは緑色の肌を持ち、耳は大きく尖り、丸みを帯びた鼻は前に突き出し、禿げあがった頭と、老人のような醜い顔を持つ小人だった。

 黄色が遭遇した彼ら――――三人組で、全員男性らしかった――――は木こりのようで、斧を肩に担ぎ、荷車に乗せた木材を馬にかせているところだった。そこには黄色がイメージしていたような醜悪な魔物としてのゴブリンの姿は無く、どちらかと言えば童話に出てくる働き者の小人のような印象を受けた。

 アンナと挨拶を交わしあう彼らに思わず目を丸くして固まっていると、彼らの方も黄色に興味を示したようだった。


「なンだ、コゾウ。おれらの顔になンかついてるカ?」

「あ、いや……すいません。えっと……見慣れなかったもので」

「見慣れない? おれらを……ゴブリンをカ? カカカ! オマエ、今までドコで暮らしてたンだ? 大地人ヒュームの集落カ?」


 どうも、この世界においてゴブリンは立派に市民権を持った亜人の一種らしい。彼らは人間と同等の扱いを受ける、“人類”なのだ。


「はは……森の奥で、家族と暮らしてたんです。他の種族を見るの、初めてなんですよ」

「カカカ、なるほどナ!」

「おれ、てっきり魔王軍扱いされたと思ったゼ!」

「北の連中はみンな魔王軍になっちまったって言うしナ!」

「いっそおれらもなっちまうカ?」

「カカカ! こンなとこまで魔王軍が来ればナ!」

「そりゃ、そうダ! カカカカカ!」

「来たら降る気なんじゃなお主ら……」


 ……陽気に笑うゴブリンの木こりたちから、気になる単語が出た。


 ――――――――――――魔王軍。


 神から依頼された、倒すべき敵。

 無意識に、黄色は右手の甲を撫でていた。孝の紋が刻まれた、手の甲を。

 いるのだ。この世界には。

 魔王。魔王軍。

 それがどのような存在であるかまではわからずとも……そう呼ばれるような存在が、いるのだ。


 ゴブリンの木こりたちに別れを告げ、アンナの家へと向かう途中で彼らのことについて訊ねてみると、アンナは快く答えてくれた。エミリオは無視を決め込んでいたが。

 この世に数いる人類種のひとつ、小火人ゴブリン――――かつて神話の時代に炎神えんじんが火花から生み出した種族とされ、元々一瞬で消える火花から生まれたために全ての種族の中で最も寿命が短いのだという。

 その寿命はおよそ30年。

 しかし多くは無鉄砲な生き方で早死にするため、天寿を全うする者はほとんどいない。

 寿命が短い代わりに彼らは成長が早く、5歳になる頃には成人として認められ、社会に出る。……当然、成人までの5年で詰め込める知識量などたかが知れており、また彼らの刹那的価値観のために知力で劣る者が多いとも。

 彼らはそれこそ火花のように生きることを誇りとしているため、多くは危険な肉体労働に従事して一生を終えていく。寿命の短さも相まってか刹那的な快楽に弱く、ならず者に落ちぶれる者も少なくない。どうせすぐ死ぬのだから怖いものなど無く、何かを我慢する気などない……ということだろう。

 そして――――魔王軍の支配を受け入れる者が圧倒的に多い種族でもあり、近年は風当たりが強くなっているのだとか。

 その風当たりの強さが、ゴブリンたちが魔王軍へ降る一因にもなっているように思えるのだが……ともあれ、人間(こちらでは大地人ヒュームと呼ぶらしい)と並んで人口の多い種族で、どこの街や村に行っても一定数は目にするものなのだという。


「実際、頼りになる人たちなの。こんな時期に森に入るなんて、勇敢なゴブリンたちでもないと……」

「ん……“こんな時期”って、何かあるのか?」

「森のヌシが“秋眠しゅうみん”から目覚めるからね。冬の森の奥には入っちゃいけないなんていうのは、この辺りじゃ常識よ! ……ふふ、だから運が良かったわねキーロ。あのまま森を彷徨ってたら、うっかり主に遭遇しちゃってたかも。村に近いところなら安全だけど、奥だとね……」

「主……」


 ……秋眠。

 聞きなれない単語が出たが、まぁ冬眠の秋バージョンと考えていいだろう。

 となると……思い当たる節が黄色にはあった。きっと、村正にも。思わず無言で顔を見合わせ、二人で肩を竦めた。


「……それって、デカい蛇みたいな怪物だったりする?」

「ええ、そうよ。ヴァインヴァレイ・ワームって言って、熊もひと呑みにしちゃうんだから!」

「そっかぁ……」


 ――――どう考えてもあのワームだった。

 やはりというか、森の主だったのか。

 そしてあの時までまったく姿を見せなかったのは、秋眠とかいう習性が理由か。

 ……寝起きでエネルギー不足、しかも未消化の熊が胃の中に入っていたわけで、相当弱体化していたのだろう。返す返すも、あの瞬間に対峙できたのは幸運と言えた。その上で村正の手助けが無ければ、黄色は今頃ワームの腹の中だったろう。


「そやつ、兄者が倒したぞ」

「……えっ?」

「兄者が倒したぞ。のう兄者?」


 悪戯っぽく、村正が意味深な視線を送る。

 別に何も嘘は言っていないのだが、なんとなくいたたまれない。

 黄色は後頭部を掻き、なんとなく視線を逸らした。


「あー……うん。死ぬかと思ったけど。倒したな」

「え……冗談よね? だってヴァインヴァレイ・ワーム、とっても強いのよ? 今まで森の主を倒そうって息巻いた狩人たちが、何人も返り討ちになってて……」

「運と師匠が良くてさ。……一応、証拠ならあるけど」


 そう言って、風呂敷代わりにしていた狼の毛皮の包みの中から、はぎ取っておいたワームの牙や鱗を取り出して見せる。売ればいくらか金になるかと思い、肉と一緒にはぎ取っておいたのである。

 するとアンナは目を丸くして驚き、エミリオもヒュウとひとつ口笛を吹いた。


「すごい……ほんとに倒したの!?」

「ひょっとしてまずかった?」

「ううん、そんなことない、そんなことないわ! ただちょっと驚いただけ。……もしかして、キーロも魔法使いなの?」


 別にひけらかすつもりもないが、それはそれとしてこうもを貰えると悪い気はしないものだ。

 黄色はもう一度村正と顔を見合わせ、少し得意げな顔をした。


「いや、剣士だよ。剣士。天狗夜天流剣術のおかげでね」

「うむ! 天狗夜天流を前に、あのような大蛇など敵にならんわ!」


 村正と二人で胸を張る。

 達人の助けがあったとはいえ剣術ひとつで倒せた以上、そこまで絶対的な魔物でもないのだろうが……それでも、普通に考えれば剣術ひとつで倒すのは困難な敵だった。デカいし。強いし。これは黄色と、村正と、ひいては天狗夜天流のいい武勇伝になることだろう。


「剣術! すごいのね……でも、肝心の剣が無いようだけど?」

「あー……まぁちょっとな。そこは門外不出ってことで」

「あ、聞いたことある! タツジンは手の内を明かさないのよね?」

「そんな感じ」

「うむ。そんな感じじゃ」


 まさかこの妹(仮)が刀に変身しますとは言いにくかった。

 もしかすると、そういう魔法や種族が存在する可能性もあるが……確認が取れるまでは、迂闊なことは言いたくない。


「マジに“虫食い野郎ワームスレイヤー”だったってわけか。驚いたね」

「二度とやりたくねぇけどな。芋虫食うのも、ワームと戦うのも!」


 ……その後はワームとの戦いについてあれこれと聞かれ、時折エミリオに皮肉を飛ばされつつ歩き――――無事にアンナの家に到着したのだった。




   ◆   ◆   ◆




 ――――――――そして、里見黄色は涙を流す。


 赤子のように、力の限り涙を流す。

 人生で男が泣いていいのは三度だけ。

 そんなことを誰が決めたのか。泣きたいから泣くのだ。そこに何をはばかる必要があろうか。

 里見黄色は胸いっぱいに広がった歓喜のために、ただひたすらにむせび泣く。

 それでも出すべき言葉があった。

 口にするべき言葉があった。

 言わねばならぬ。

 故に黄色は泣きながら、どうにかこうにか言葉を絞り出した。



「――――――――――――飯が、美味い……ッ!」



 里見黄色、異世界生活約一ヶ月――――ここに来てようやくの人間らしい食事であった。


「うん……うん、いいのよキーロ。たくさん食べてね。おかわりもあるんだから!」


 アンナが慈母の如き笑みを浮かべている。

 黄色には、彼女の背から後光が差しているように見えた。


 ……アンナの家に到着した黄色たちは、家人と自己紹介を済ませた後、昼食にご相伴しょうばん預かった。

 決して豪勢な食事ではない。

 パンと、スープ。ただそれだけ。

 ただそれだけの食事が――――どうしてこんなにも、暖かいのだろう。

 それは人の優しさの味であり、人の尊厳の味だった。

 スープを一口すする度、アンナの優しさが染み渡った。

 パンを一口かじる度、失われた尊厳を取り戻していくように感じた。


 きっと、気付かぬうちに摩耗していたのだろう。限界だったのだろう。

 森の中で村正にしごかれ続け、草と果実と虫を頼りに野宿をする生活は、確実に黄色から何かを奪い続けていたのだろう。

 それを取り戻していた。癒していた。


 ――――――――里見黄色は、涙を流しながら食事をとっていた。


「おーおー、良かったのう兄者」


 村正は興味無さげにパンをムシャムシャ食べていたので若干台無しではあったが。

 少なくとも悲運の兄妹感は全く無かった。

 彼女は兄妹ごっこをする気がちゃんとあるのか、はなはだ疑問だった。


「…………マジでどういう生活してたんだ、お前」


 エミリオも、半ば呆れながらパンをスープに浸して頬張っている。

 ちなみに彼は食事中だというのに手袋どころかポンチョすら脱がなかった。

 帽子ぐらいは脱いでいたが、あまりお行儀がいいとは言えないだろう。

 ……とはいえ、それがこの世界においてマナー違反であるかどうかも黄色にはわからない。

 気にはなったが口を出すつもりも無かったし、そんなことより飯が美味い。


 野菜の甘味がよく染み出したスープは、とても優しい味がした。

 今まで飲んできた飲み物と言えば川の水で、常に腹を下す危険性と隣り合わせだった。

 その心配をする必要が無い――――それだけで素晴らしいのに、甘いのだ!

 よく火を通した野菜が滲ませる、ほのかな甘み。

 柔らかくなるまで煮込まれたキャベツ。

 噛めばほろほろと崩れる人参。

 決して味付けは濃くはない。

 文明レベル的に、調味料や香辛料がそこまで発達していないのかもしれない。

 だが、それが黄色にはありがたかった。

 薄味の、優しい味付けが心を雪解けさせていく。

 パンは冗談みたいに硬かったが、スープに浸せばどうにか咀嚼できた。

 その硬さすら、今の黄色にはどこか心地よい。

 スープがあるのだ――――その単純な喜びを、パンと一緒に噛みしめる。


「あまり急いで食べるとむせるぞ、お客人。パンもスープも逃げないから、ゆっくり食べなさい」

「は、はい!」


 そう苦笑するのは、アンナの父親だった。

 この家に母親はいない。兄弟も。

 母はアンナが小さいころに事故で死に、兄は一人いたが、数年前に都会に出てしまったのだとか。

 そしてつい先日に祖母が天寿を迎え……今は、アンナと父の二人で暮らしているのだという。

 決して幸運な家庭とは言い難いかもしれない。しかし、不幸な家庭ではないのだろう。

 アンナも、父親も、客人を暖かく迎えるだけの優しさがあった。

 この家には幸福があり、それがこの食卓だった。

 裕福というわけでもないだろうに、娘が突如連れてきた二人の客人に嫌な顔ひとつしなかったのだから。彼らの絆と優しさが、なにも言わずとも伝わった。


「それにしても、この時期に旅人が三人とは……珍しいこともあったもんだなぁ」


 一通り食事が終わって一息ついていると(黄色もようやく落ち着いた)、しみじみとアンナの父が呟いた。


「……すいませんね、ほんと」

「ああいや、責めるつもりじゃないんだ。ただ珍しいな、と思っただけでね。ご両親が亡くなって、故郷を出たんだったか……大変だったろう」

「……ええ、まぁ」


 善人を騙している――――という罪悪感が黄色の胸を苛んだ。

 嘘はついていないが、騙していることには変わりない。異世界からやってきたと正直に話す気も無いが、どうしても心は痛む。


「そういえば……エミリオも旅人なんだよな? そりゃ農民には見えねぇけど」


 誤魔化すように、話題の矛先をエミリオへと向ける。

 エミリオは興味なさげに肩を竦め、指先を空中でくるくると動かした。


「実家は健全で敬虔な生産階級だったがね。風の吹くままさ。たまたま風がこの村に吹いたってだけ。他に理由がいるかい?」

「浪人じゃのう。村にはいつからおるのじゃ?」

「三日ぐらい前ね。ふふ、あの時は大変だったんだから!」


 くすくすとアンナが笑えば、エミリオは決まり悪く苦笑する。


「あまり気が長くは無いんだ。反省はしてるさ。連中が反省してる限りはな」

「そりゃあ、あの人たちも少しは懲りたと思うけど。少しやりすぎよ?」

「なんじゃなんじゃ、喧嘩でもしおったか?」

「ええ、そう。そうなの。エミリオさんったら、村の酒場で狩人の人たちと喧嘩になっちゃってね」

「喧嘩? 馬鹿言え、あれは抗議だぜお嬢さん。人民が等しく持つべき自衛と自助の権利を、平和的に行使しただけさ」

「よく言うわ。あの人たちも随分と嫌なことを言ったみたいだけど……お店の壁に穴を開けたのはやりすぎね。あそこでたまたま私が立ち寄らなかったらどうなってたか!」

「その時は……少し平和的じゃなくなってたかもしれないな」

「ほら!」


 ……なんでも、この時期の狩人たちは“森の主”を恐れて猟を控えるのが昔からの習わしらしい。

 だから暇を持て余した狩人たちが昼間から酒場で管を巻くのは珍しくもないことらしいが、そこにエミリオが現れて喧嘩になってしまったのだとか。

 一色触発を一歩越え、さぁこれから殺し合いが始まるぞ……というタイミングで、偶然立ち寄ったアンナが双方を取りなして事なきを得たのだという。

 エミリオもそのまま村を去ろうとしたが、しかしアンナがそれを引き留めた。


「せっかくヴァインヴァレイに来てもらったのに、嫌な思いだけして帰るだなんて……この村の住民としては見過ごせないじゃない? だから、少しぐらいはいい思い出を持って帰ってもらおうと思って」

「こいつらのことといい、お人好しは結構だが……ちょいと不用心に過ぎるぜ、お嬢さん。だいたい、あんな酔っ払い共のためにキミが頭を下げる必要なんてなかったんだ」

「同じ村の仲間だもの。それにこの三日間、あなたが悪さをしたかしら? 私の見る目は間違ってなかったことよ」

「次も間違っていないといいんだが」

「……俺たちのこと言ってる?」

「よくわかったな。その通りだよ」

「はははこの野郎」

「もう! 挑発しないの!」


 ケタケタと笑いながら、エミリオが帽子を手に取って弄ぶ。


「……ま、とはいえ三日だ。新しいお客人もできたみたいだし、婆さんの部屋の片付けが終わればオレはおいとまするよ。酒場の壁に開けた穴だって埋めたしな」

「そう……うん、わかったわ。じゃあ、今日の夜はごちそうにしなくっちゃね!」


 まぁ、彼も旅人なのだ。

 いつまでもこの村にいるわけでもなし、潮時と言えば潮時なのだろう。

 この世界の旅人から色々と話を聞いてみたい気持ちはあったが、彼が去るまでに少しでも聞けばいいか……――――と、黄色がぼんやりと考えた瞬間の出来事だった。



 ――――――――――――――――数度に渡って鳴り響く、鐘の音。



 なにかの時間を伝える鐘かとも思ったが、それにしては鐘の叩き方が激しい。

 それに、アンナと父親の顔に緊張が走ったのもわかった。

 警鐘だ。

 なにか、よくないことが起きた知らせ。

 それから、鳴り響く怒声。




「――――――――賊だぁーっ!!! 賊が出たぞぉーっ!!!!」




 黄色と村正が顔を見合わせ……その瞬間には、エミリオは家を飛び出していた。

 呼び止めるアンナの叫びに弾かれるように、黄色と村正も家を飛び出した。

 繰り返す警鐘の音が、村中に響き渡っていた。

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