第八話 邂逅、第一村人
――――あのワームとの戦いから、数日が経過した。
しばらく休息で戦いの傷を癒してのち、再び上流へ上流へと行進を再開して数日。
今更の話だが、神に授けられた転移特典の治癒力向上は大した効き目のようで、初日こそあちこち痛んだ体も今ではすっかり元気を取り戻していた。道中食には芋虫……ではなく、ワームの肉。刀であるが故に毒が効かない村正が毒見を買って出たところ、特に毒は無さそうと言うことでいくらか切り分けて食料にしている。そろそろ肉も傷み始めるころなので、これ以上は流石に別の食料に切り替えていくべきだろうが。夜は狼の毛皮を布団代わりに、身を寄せ合って暖を取りながら、黄色たちは人里を探している。
……断っておくが、身を寄せ合うという行為に他意はない。純粋に暖を取る目的であって、性的なニュアンスは一切含まれていないことを里見黄色の名誉のために明言させていただきたい。繰り返すが黄色はどっちかというと年上趣味である。
「人里、中々見つからねぇな……」
「そろそろなにかしら見つかってもよいころじゃがのう」
「……そもそもほんとに上流に人がいるのか?」
「たわけ、でなければ酒が流れて来るはずがなかろう」
「そりゃそうか……つっても流石に不安になるぜ、この調子だと」
「ふん。不安で腹が膨れるならいくらでも不安がればよいわい」
「そこまで言わなくてもよくないですかね師匠……」
「無念無想は立ち会いに限らんのじゃぞ。常在戦場。世は常に
「むしろこっち来てからほぼ修行しかしてないんだけど俺」
「健全でよいことじゃの!」
「健全な生活するやつは芋虫とか食わねぇ」
傍らで並ぶ村正と、やいのやいのと雑談を交わしながら川沿いを歩く。少なくとも、不安はいくらか紛れた。ただでさえ当てどない旅なのだ。ここに孤独まで追加されていたたら、不安と恐怖で押し潰されていたかもしれない。本当に人に会えるのか、会えたとして交流可能なのか、このまま無為に野垂れ死ぬのではないか……常人の精神では耐えきれぬ恐怖だ。それはそれとして村正の修行も相当精神を壊す代物だったので、実はどっこいどっこいなのではないかと黄色は思っていたが、それでも孤独の虚しさよりはマシであろうと納得していた。多分納得していた。たまに修行をサボって半殺しにされていたが納得していたのだと思う。
……閑話休題。とはいえ、不安と違って紛れないものもある。具体的に言えば、疲労と空腹だ。
朝目覚めてから歩き通して、陽はすっかり高く昇っている。時計が無いから正確な時間はわからないが、およそ昼時なのは間違いないだろう。くぅ、と腹がせつなげに小さく鳴き、黄色は村正と顔を見合わせた。
「……昼餉にするかの」
「……だな」
さて、ワームの肉がそろそろ限界なので残りを食べるとして、当然生で食べるわけにはいかない。加熱処理のために火を起こす必要があり、これはもっぱら村正の仕事だった。なぜなら村正の方が慣れていて、素早く着火できるためである。ライターもマッチもないサバイバル環境で、木と葉っぱから火を起こす原始的な着火を行える普通の高校生などそう多くはないのだ。ゆくゆくは黄色も熟達するべきと、村正は時折黄色にやらせてはいたが。
そんなわけで、村正が木の枝や葉っぱを拾い集め始める。
その間に黄色がなにをするかと言えば、食料探しである。
芋虫と果物で約一ヶ月過ごした人間が言うことではないが、やはり栄養バランスというのは重要なもの。そろそろ季節も冬ということで実りは少なくなったが、それでも食べられる野草の類はまだまだ存在する。最初の頃は食べられる野草とそうでない野草の区別がつかず、いちいち村正に確認してもらっていたが、最近ではそれなりに判断ができるようになってきた。たまに失敗して腹を下すのはご愛敬である。
「んじゃ草探してくるわ」
「うむ。あまり遠くに行くでないぞ。なにかあればすぐ呼ぶのじゃぞ」
「オカンか」
「たわけ。はよ行け」
「あーい」
ひらひらと手を振り、川沿いを離れて森へと入っていく。
そう遠くへ行くつもりはない。適当に野草を採取して戻るとしよう……と考えつつも、ついつい探索の幅を広げてしまうのは男の子のサガだろうか。
もちろん十分に用心しているし、村正から離れすぎないよう意識しているのだが、それはそれとしてここは異世界なのである。毎日芋虫食べて血反吐吐くほど修行しての毎日だったので忘れがちだが、異世界なのである!
異世界! ああ、なんと甘美な響き!
異世界の森というだけで黄色の中の冒険心がそれはもうものすごく刺激される。寂れた祠とかがないかついつい探してしまう。そんなものは今まで一度も見かけたことはなかったが。
「……つってもまぁ、ほぼただの森なんだけどなぁ」
祠どころか、異世界っぽい要素を感じることはほとんどないというのが実情であった。
多分生えてる木とか草とかは地球にはない品種だったりするのだろうが、別に木とか草とかに詳しくないので新鮮味はまったくない。
そんなことを考えながら散策を続けると、視界に入ってきたのはいつもの芋虫であった。めちゃくちゃ気分が盛り下がった。もう顔も見たくない。というかお前いつまで地上にいんの? そろそろ冬なんだけど? 生態どうなってんの?
次々と湧き上がる疑問とやるせなさから必死に意識を逸らす。
……と、聞こえる音があった。
枝を踏みしめる音。
足音?
――――つまり、人?
「――――――――っ!」
咄嗟に意識を集中させる。
方角。距離。そう遠くはない。
音を立てぬよう用心し、近場の樹の陰に身を隠した。
獣の足音とは違う。
敵か? 味方か?
友好的な人物かどうかはわからない。
樹の陰から顔を覗かせ、そっと足音の方向へ視線を向ける。
――――しばらく待つと、姿を見せたのは一人の少女だった。
いかにも村娘風な、飾り気のないワンピース。
腰まで伸びた亜麻色の髪は素朴なバレッタで留められ、上機嫌に鼻歌を口ずさみながら歩いている。
肘に小さな籠を提げていて、恐らく彼女も野草なりなんなりを採取しに来たのだろう。
年の頃は黄色とそう変わらないだろう。16~18ぐらいに見える。
……ひとまず、いかにも温厚そうに見えた。
少なくとも武人の歩き方ではない。話しかけて、急に襲われるということはないだろう。
行くか。あるいは。
一瞬の逡巡。決断。樹の陰から一歩を踏み出し――――――――
「――――――――――――あんまりレディをじろじろ見るもんじゃないぜ、ピーピング・トム?」
――――その一歩は、後頭部に押し付けられた硬質な感触によって中断した。
「っ!」
即座に振りむこうとして、二の腕を掴まれ樹に叩きつけられる。
硬質な感触は後頭部から額に。
冷たい鉄の感触。
拳銃――――拳銃!
さっと血の気が引く。明確な殺人兵器。剣と魔法の世界と聞いていたが、銃もあるのか。
「オタク、村の住民じゃねぇよな? だったらアンナを観察したりはしねぇもんなぁ」
「ま、待ってくれ。俺は怪しいもんじゃ……」
「怪しかったからこの銃口はテメェの額にキスしてんだよ。わかるか?」
ゴリ、と銃口が額を押した。
思わず両手を上げて恭順の意思を示すが、果たしてどれほど効果があるものか。
銃の担い手は、いかにもガンマンという風貌の人物だった。
カウボーイハット、茶色のポンチョ、レザーグローブ。
赤みの強い金髪のショートカット。長い睫毛の下から睨む碧眼。
口調は粗野だが、相当の美貌だ。いかにも舞台映えしそうな、華のある顔立ち。
「OK、わかってくれたみたいだな兄弟。安心したよ。さぁ自己紹介から始めようじゃねぇか。オレもあんまり気の長い方じゃねぇからよ。頼むぜ?」
――――別になんか悪いことしたわけでもないのに、死ぬかも。
自分でも意外なぐらいにさらっとその言葉が胸中に浮かんだ。
事情を説明して、解放してもらえるだろうか?
というか、説明できるのか? 異世界から召喚されたと? 信じてもらえるのか?
疑問はいくつもあり、しかし質問に答えないことにはなにも始まらない。
必死に心を落ち着かせながら、聞かれるがまま自己紹介を始めようとして、
「――――こらーっ! 急になにやってるのよ、エミリオさん!」
「……見ればわかるだろ? ストーカーと楽しくお話さ」
「有無を言わさず脅しつけてお話? まぁ紳士的ですこと!」
……黄色たちに気付いた村娘が駆け寄ってきて、ガンマンを叱りつけた。
ガンマンは銃を黄色に突き付けたまま帽子を目深に被り、肩をすくめる。
「こいつ、村人じゃないだろ? あんたを
「旅人さんかもしれませんけど? あなたと同じようにね。もう、どうしてすぐに乱暴するのかしら!」
「あんたらが不用心なのさ」
「あなたと違って優しさを忘れていないだけよ。ほら、その武器をしまって!」
「………………アイ、アイ、マム」
不承不承といった顔で、ガンマンが銃口を上に逸らした。
指先でクルクルと
いずれにせよ、即座に撃たれることはなさそう――――とは言い切れない。
ガンマンの
映画で見る分にはともかく、身をもって体験しようという気にはなれない。
静かな緊張が両者の間に流れ、しかし少女はどうもそれに気付いていないようだった。
「まったくもう……ごめんなさいね。この人、ちょっと乱暴で……」
「あ、ああ。いや、こっちこそ悪かった。確かに失礼だよな、隠れて観察するのは」
「それは……そうかもね。でもいいわ。私は気にしないし。私はアンナ。この人は……」
アンナ――――微笑んでそう名乗った少女の視線が、ガンマンへと向けられる。
ガンマンはもう一度肩を竦めると、ひとつため息をつき……名乗った。
「……エミリオだ。エミリオ・クイーン」
「……俺は里見黄色。よろしく?」
精一杯に込めた皮肉は、軽く鼻で笑われた。
◆ ◆ ◆
その後、旅人であることともう一人仲間がいることを説明し、黄色たちは村正の下へ向かった。
村正は黄色が人を二人も連れて帰ってきたことに非常に驚いた様子だったが、当初の目的である人――――ひいては人里――――との遭遇を喜んだ。
「……キーロ、この子は?」
「あー、なんつーか……」
「儂か? 儂は村正じゃ。帰りが遅いから心配したのじゃぞ、"兄者"!」
「…………そうだな!! ごめんな村正!!!」
……そしてこれは、あらかじめ決めておいた台詞だった。
この世界の文化はわからないが、見た目が幼子である村正を連れて旅をするというのはいささか目立つ可能性が高い。
そこで、村正が黄色の妹であることにして追求を逃れよう……と、あらかじめ相談していたのだ。
「……妹さん? の割りには……」
――――まぁ髪の色とか全然違うので当然怪しまれるのだが!
当然、その辺りについての回答も用意してある。
「……血は繋がってないんだ。妹っていうか、妹分かな」
そういうことになった。
なんで俺は百年以上を生きる妖刀を妹だということにしているんだろう。これ本当に意味あるんだろうか。この設定ほんとにいる? そんな感情が黄色の中で浮かんでは消えていく。
それでも胸中の虚しさを顔に出さなかったのは、演劇の経験が生きたのだろう。こんなことで生かしたくはなかった。
「……? 複雑なのね」
「……うん。複雑なんだ」
複雑だった。
「それにしても、こんな小さい女の子を連れて二人旅だなんて……」
「あー……親と死に別れてさ。森の奥に住んでたから、道もわかんなくて」
「まぁ……」
嘘はついていない。
実際(死んだのは黄色だが)親とは死に別れているし、つい先日まで森に住んでいた。道がわからないのも本当だ。まさか異世界で死んで魔王を倒すために冒険してますと言うわけにもいくまい。
「それで、もしよかったらなんだけどさ……」
黄色は一度言葉を切ってエミリオに視線を送る。
エミリオはこちらを見ている。油断なく。が、敵意までは無かった。
「……アンナが住んでる村まで、案内してくれると助かる。俺たちにできることなら、お礼はするから」
やめろ。睨むなガンマン。人攫いとかじゃないんだ本当に。
村正もやめろ。「お? いっちょ前に睨んできおって、この小童調子に乗っておるの?」みたいな顔で睨み返すんじゃない。
……妖刀とガンマンが睨み合うのを背景に、アンナは口に手を当ててクスクスと笑った。
「ええ、もちろん構わないわ。……ところであなた、お昼ご飯は?」
「ん、まだだけど……」
「じゃあ、これもきっと
「えっ、い、いいのか!? い、いやでも悪いし……」
「困った時はお互い様よ。その代わり、そうね……力仕事とかお願いしてもいいかしら。エミリオさん一人じゃ運べないものもあって困ってたの」
「天女か……?」
「ふふ、大げさよ!」
黄色には、微笑む彼女の背に後光が見えた。
思えばこの約一ヶ月、会話の相手と言えば村正のみ。別に村正が嫌いなわけではないが、口を開けばたわけと罵りながら責め苦のような修行を課す女である。女というか妖刀だが。
このような純朴な人の優しさというものに触れたのは随分と久しぶりで、思わずはらりと涙がこぼれた。
「ちょ、ど、どうしたの!? 急に泣き出して……! どこか痛いの!? 病気!?」
「ち、違うんだ。すまん。ただちょっと、嬉しくて……」
「良かったのう兄者……飯と言えば、野草か虫の生活じゃったからのう……」
慈愛に満ちた眼差しで健気な妹アピールしてくるのやめろ。
黄色が泣いている理由の半分ぐらいは村正のスパルタ指導のせいであることを忘れてはならない。リメンバー修行期間。
「虫って……どういう生活してたの、あなた」
「……狩猟道具が無かったから芋虫焼いて食ってた。デカいやつ」
うわぁ、みたいな顔をされた。
しかもアンナだけではなく、エミリオまで同情的な視線を向けてきたのは流石に堪えた。いや、うん。意外と食べれるのだ。思ったよりはちゃんとおいしいのだ、芋虫。ただちょっと見た目がエグいだけで。
「……じゃあ、今日のご飯はとびっきりおいしいのにしなくちゃね! さ、行きましょ! エミリオさんも、それでいいわよね?」
「……ああ。ま、しょうがねぇな」
さっきまでめちゃくちゃ警戒的だったエミリオがあっさり折れた。
そんなにか。そんなに哀れか芋虫生活は。
でも黄色も逆の立場だったらすごい同情するだろうな、と思った。
だって芋虫である。
昆虫食文化に文句があるわけではないが、21世紀で暮らす一般的な日本人からすると相当アレな食生活だ。
「――――おい虫食い野郎」
「その呼び方やめろ」
「言っておくが、オレは別にオタクらを信用したわけじゃない。オタクらがどこまで本当のことを言ってるかは知らんが、もしも妙な色気を出そうもんなら……」
言いながらエミリオはポンチョの下から左手を出し、指で銃の形を作った。
黄色に突き付け、発射するジェスチャー。
「バキューン……OK?」
「……わかってるよ。恩を仇で返す気も無いし」
「OK! 物分かりがよくて助かるぜ、虫食い野郎」
「その呼び方やめろ」
ケタケタと意地悪く笑いながら、エミリオは踵を返す。
……その瞬間、彼の視線が村正を鋭く睨んだような気がした。
感じ取っているのだろうか。
村正の、妖刀としての……魔としての性質を。
あるいは、達人としての実力を。
「……クク。また生意気な奴じゃの」
「おい、あいつお前の事気付いてるんじゃねぇか?」
「かもしれんの。だが構うまい。仮に敵となろうと、我が天狗夜天流は――――」
「――――天下無双、か」
「……たわけ。儂の台詞を取るな」
とはいえ……銃。
村正は知っているのだろうか。
彼の武器が、剣の時代を終わらせた代物であるということを。
黄色にも既に剣士としての自負はあるが……果たして、銃と戦って勝てるのだろうか。
いくらかの不安がよぎる。
必ずしも敵対する必要が無いとはいえ、今後敵に銃使いが出てくることもあり得るのだ。
その時、自分は妖刀ひとつで抗し得るのだろうか――――
「おーい! どうしたの二人とも! 置いてっちゃうわよー!」
「森の中が好きなんじゃないか? なにせ虫食ってたような奴だぜ」
「もう、またそうやって……」
その思考は、気付けば先に歩き出していたアンナの声で中断する。
……今は考えまい。
ひとまず、今の黄色が考えるべきは空腹とかなわけだし。
「ああ、悪い悪い! 今行くから!」
「さて、いよいよ人里か……何が出るか楽しみじゃのう、兄者?」
「……善良な人々の歓迎パーティぐらいはあってほしいね、妹よ」
村正と視線を交わし、肩を竦めて……黄色たちもまた、歩き出した。
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