第十二話 そして陽は沈む
「いいか、そのまま後ろ向いてろ。妙な気は起こすなよ?」
「何度も言わなくても振り向かねーよ!」
背後で衣擦れの音。
シャツを着ているのだろう。妙な気恥ずかしさがある。
なにせ黄色も男子高校生なのだ。
自分の背後で美女が着替えているというのは、いささか青少年の心をくすぐる状況であった。別に振り返ったりはしないが。
先ほど一瞬だけ見えた光景がフラッシュバックし、カッと顔が熱くなるのを感じた。
「いい子だピーピング・トム。……よし、いいぞ」
ゆっくり、振り返る。
そこにはエミリオがいる。
シャツとベストを着てはいるが――――はっきりと、女性であることがわかる。
細身の体に、豊かなヒップ。バストはそれほどでもなかったが、先ほど一瞬見えた大きさを考えれば、サラシか何かで潰していると考えるべきだろう。女性的な体つき。室内でもポンチョを着ていた理由がこれだ。
そのポンチョはと言えば、焚き火の側で木の枝にかけられていた。
水が滴っている。水洗いでもしたのだろう。
見れば、エミリオが今着ているシャツも僅かに血で汚れている。
「ヘイ、あんまりレディをジロジロ見るもんじゃないぜ。このセリフは二回目だな?」
「わ、悪い。……返り血、洗ってたのか」
「まぁな。一張羅でよ。シャツぐらいなら、探せば替えは買えるだろうがね」
相変わらず、リボルバーの銃口は黄色へと向けられていた。
警戒の視線。それも当然か。
手の甲には『義』を意味する文様。
仁義八行のひとつ。そのことを、エミリオは知らないのだろうけど。
「……………………………」
「……言えよ。気になるんだろ?」
銃口で促される。
あまりいい気分ではないが、気になるのは事実でもあった。
慎重に言葉を選ぶ。逆鱗に触れたくはない。お互いのためにも。
「……女、だったんだな。てっきり男かと」
「ハ! ジャンヌ・ダルクには生きにくい世の中なのさ。女に用心棒頼む奴は、脳が腐ってるか下半身でモノを考えてるかのどっちかだろ。か弱い乙女を食い物にしようって意気込んだクソ野郎共の風通しを良くしてきたよ。何人もな。それだけか?」
「…………お前も、あっちから来たのか」
「答えはYESだ。オタクらもだろ? ムラマサはどこに行った?」
「ここじゃよ」
直後、鞘に納めていた村正が眩く輝き、人の姿を取る。
銃口が素早く村正に向いた。村正は笑っている。嗤っている。
「そう怯えずともよいぞ、小娘。なにも取って喰らうとは誰も言うておらんじゃろ?」
「……ただのガキじゃねぇとは思ってたが、何者だテメェ」
「付喪神、と言うても南蛮人には通じんかのう……クク、その火縄で儂が撃ち抜けるか心配か?」
「試して見るか?」
「できると
交差する視線。銀と碧。
冷たい殺気が両者の間で交わされる。
村正は僅かに腰を落とし、半身に構えている。
徒手ではあるが、臨戦態勢。
銃口は未だに村正の脳天へと。
「だぁーっ! やめろやめろ! 別に敵じゃねぇんだろ俺ら!?」
流石に見過ごせず、割って入る。
霧散する殺気。村正は肩を竦め、エミリオは唾を吐いた。
「村正は……剣の精霊みたいなもんだよ。それで伝わるか?」
「……ケッ。なにせガブリエルに送迎されておとぎ話みてぇな世界に来てるんだ。エクスカリバーが喋ったっておかしくないのはわかる」
少なくとも彼……いや、彼女の中で納得は得られたようで、黄色は胸を撫で下ろした。
それから、まだ彼女が銃口を下ろしていないことに気付き、胸を撫で下ろすにはまだ早かったことを理解した。
「いいか、キーロ」
鋭く黄色を睨みつけ、エミリオが吐き捨てる。
「オレが今お前に風穴を開けないのは、お前に借りがあるからだ。さっき稲妻を斬ってくれたからな。助かったよ。マジに感謝してるぜ。だが、いいか。驚くべきことにオレが女だったからって、そのことを言いふらしたり、あるいは発情期の犬みてーに妙な気を起こしてみろ。その時にオレが引き金を引くのを躊躇う理由はどこにも無いワケだ。OK?」
「だから言われなくてもそんなことしねーっつーの!」
「OK、OK。お前とは仲良くやれそうだ。今のところはな」
彼女はシニカルに笑うと、ようやく銃口を持ち上げて腰のホルスターに銃を収めた。今度こそ、黄色は胸を撫で下ろす。
一応、自分たち三人は八犬士……異世界からやってきた同郷の勇者であり、仲間であるはずなのだが……エミリオにも村正にもそのような意識はほとんど無いようで、二人とも不快げに警戒心を露わにしている。頼むから仲良くして欲しい。
「ちなみに儂は奴が
「じゃあ教えてくれよ!?」
「なんじゃ、奴が
「その修行積んだことないんでぇ……」
「……それで、なんの用事だったんだ? まさかマジで覗きに来たワケじゃないんだろ」
「ああ……アンナが呼んでんだ。俺らに頼みたいことがあるんだと。力仕事じゃねぇかな……」
「なるほどな。了解した、が……」
エミリオが視線を脇に向ける。
視線の先には焚き火とポンチョ。ポンチョはまだ濡れていて、乾くにはもう少しかかりそうだった。
「先に戻って、後から行くって伝えてくれや。理由も聞くか?」
「……聞くまでも無い、な」
正直に言えば、このままエミリオと二人(正確には三人だが)で村に戻るというのも、なんというか……気まずかった。
そういう意味では助かる提案だ。心の整理をつける時間が欲しい。
男だと思っていたアウトローが実は女で、地球人で、八犬士の仲間だった……詰め込み過ぎだ。どう考えても。魔王軍だの、魔法だの、他にも詰め込まれた情報が色々とあるのだ。
少し、整理する時間が欲しかった。
だからやめろ村正。舌を出して煽るな。
エミリオもやめろ中指を立てるな。仲良くしてくれ。
黄色はこれ以上喧嘩になる前にと村正の手を引き、その場を去るのだった。
◆ ◆ ◆
村に戻ると、アンナが頼んできたのは予想通り力仕事メインの雑用だった。
家具を動かし、道具を運び、患者を寝かせ、他所の家に薬を届け……村正と共に、雑用に従事する。
……なぜ、アンナがこんなことをしているのだろう。
その疑問は、すぐに解消された。
「魔女だったのよ。私のおばあちゃん」
「……魔女?」
「ええ、村で唯一の魔法使い。腕も良くてみんなに頼られてたんだけど、ちょっとキツイ性格だったから……あんまりみんなとは仲良くなかったのよね」
黄色の脳裏に浮かんだのは、おとぎ話に出てくるようなとんがり帽子の老婆の姿。
確か、つい最近亡くなったという話だったか。
「お母さんと私はその弟子だったの。だから、今は私が村で唯一の魔法使い。流石におばあちゃんほどの魔法は使えないけど……癒しの魔術とか、魔法薬作りぐらいなら、少しは使えるのよ?」
鍋で薬草を煮込んでいたアンナは、顔にかかった髪を耳にかけながら誇らしげに胸を張った。
今、寝室で寝かされているのはゴブリンの木こりたち。
あの時放たれた電撃の威力は、見た目に比べて大したことが無かったらしい。木こりたちは意識こそ失っているが、少し寝て薬を飲めば明日には元気に動ける程度なのだとか。村正で無効化できたのは、その威力の低さもあったのかもしれない。
「……でも、それならなんでわざわざ余所者の俺たちに手伝わせるんだ? なんか、門外不出とかだったりしねーの?」
「くく、全てを知った儂らを始末するつもりなんじゃろ」
「そんなことしません! もう……ふふっ」
もしそうだったら、黄色はこの世の全てを信用できなくなっていたところである。
「おばあちゃんの遺言なの。村の連中に私の道具を弄らせるなー、ってね。でもキーロもムラマサちゃんもエミリオさんも、村の人間じゃないでしょ?」
「その遺言で、なんとなく人となりが掴めた気がするよ」
「そう? きっと予想通りね。本当に偏屈な人だったもの。……でも、自慢のおばあちゃんだったわ。二番弟子として、頑張らなくっちゃ!」
……アンナを見ていると、不思議と活力が胸にあふれるような感じがした。
俺も頑張らなくちゃな――――自然とそう思えた。
彼女の素朴な善良さがそう思わせるのだろう。
さて、自分ももう一仕事と袖をまくった時。
「そりゃ感心だ。オレが手伝う必要も無さそうか?」
「エミリオさん! おかえりなさい。もちろん、手助けを頂けると嬉しいのですけれど?」
「ハ、仕方ないな。お姫様の仰せの通りに」
丁度エミリオが帰ってきた。
ポンチョを羽織っている。乾いたのだろう。
改めて、女性であるということを知った上でその姿を見ると……確かにそのように見えた。
狼のような鋭い美貌も、細身の体つきも、白人としては僅かに小さめな、黄色と同じ程度の背丈も……中性的だった。女性のような男性ではなく、男性のような女性なのだとは思わなかったが。
エミリオの視線が、念を押すように黄色を捉える。
わかってる、バラす気はないと視線で返せば、彼女は肩を竦めた。
「さ、丁度薬もできたし……おばあちゃんの部屋でスペースを作ってもらおうかしら。キーロがやっつけた人を、今お父さんが引き取りに行ってるから」
「……あいつか。どうするんだ?」
黄色が対峙した、小剣を持ったゴブリンの男。
峰打ちで倒したから、無力化はしたが生きている。他の賊はエミリオと木こりたちが殺してしまったから、唯一の生き残りだ。
恐らくは、情報を聞き出したいのだろうが……まさか、拷問でもするのだろうか。
「何人ぐらいのグループか、どこにいるのか、目的は何か……聞いてみるわ。頭に直接ね」
「ハ! ノックしてもしもしって?」
「魔法でに決まってるでしょ。難しい魔法だから、少し時間はかかるけど」
「ほー。便利なものじゃのう」
……記憶を読み取る魔法か、あるいは質問に答えさせる魔法か、そのような魔法があるのだろう。
アンナに指示されるままに、祖母の部屋を片付けていく。
薬瓶が並んだ棚、干された動物の死骸、奇妙な植物、壁にかけられた幾何学模様のタペストリー……まさしく、魔女の部屋である。主の死後はたまの埃掃除ぐらいしかされていなかったようで、どれもこれも年季が入っている。
迂闊に触ると危険なものもあるのだろう。
老婆が村人の干渉を禁じたのは、もしかすると村人を危険から遠ざける目的もあったのかもしれない。指示を出すアンナは真剣そのもので、時折念を押すように「絶対に落とさないで」とか「それは触っちゃダメ」とか、そのようなことを言った。
そして片付けと準備が終わる頃、拘束された賊が運び込まれて来た。父と、村長らしき男性も一緒だった。賊を部屋に安置し終われば、彼女は集中のためにと黄色たちを締めだした。
記憶を読み取る魔法……それがどのような光景なのかは黄色の好奇心をくすぐったが、邪魔をするわけにもいかない。
気付けば日は傾き始め、茜色の西日が村を照らしていた。
◆ ◆ ◆
アンナが祖母の部屋から出てきたのは、日が沈んでしばらくしてからだった。
汗で濡れそぼった長髪を気にも留めず、いの一番に勢いよく水を飲むと、ほうとひと息。
「……だいたい、わかったわ」
ひとことそう呟いてから、彼女は村長の頭に指をかざす。
ぼう、と淡い光が指先に灯った。
「『記憶は
アンナが言葉を紡ぐ毎に、光は強く明滅し――――やがて、彼女が指を離すと共にその光は消えた。
「……なるほどな」
「はい……早くみんなに知らせてください」
「あいわかった。礼にパイを焼いてある。みんなで食べてくれ。では、失礼するよ」
……察するに、記憶を見せる魔法でも使ったのか。
賊から吸い出した記憶を、アンナを中継して村長に見せたのだろう。実に便利なものである。
村長が退出すると、アンナは疲れた様子で椅子に腰かけた。
「……大丈夫か?」
「ふふ……ええ、平気よキーロ。ただ少し……疲れちゃった。お父さん、ご飯の準備をしてもらってもいい?」
「もちろん。と言っても、もうほとんどできているけどね。後は並べるだけさ。キーロくん、エミリオくん、手伝ってくれるね?」
「はい、もちろんですよ」
「……アイ、アイ」
少し遅れた夕食は、パンとスープとミートパイだった。
アンナが部屋で魔法をかけている間、アンナの父がスープの用意をしていたのだ。
ミートパイは村長から魔法への報酬として貰ったもので、殺されてしまった家畜の肉を使っているのだろう。家畜の被害は馬鹿にならないものだったようで、今日は村中が肉を食べているはずだと村長が冗談交じりに言っていたのを思い出す。
「いただきます。……はぁー、人類の食事だ……」
「二回目じゃぞ兄者」
「二回目だから泣けてるんだよ……」
温かいスープの味が、一度限りの夢ではなかった!
それはとても素晴らしいことのように黄色には思えた。昼食と夕食に、真っ当なご飯が食べれるというのは!
嬉々としてミートパイに手を伸ばせば、歓喜が胸の奥から湧いてくる。
肉――――まっとうに調理された、肉!
焼いた肉であれば森の中でも時折食べていたが、きちんと味付けがされた、料理としての肉を食べるのは久しぶりだ。
久方ぶりに口にするひき肉が、ほろほろと口の中で崩れて行くのが心地いい。
「……キーロくんは本当においしそうにご飯を食べるねぇ」
「はは……お、お恥ずかしい」
「いやいや、どんどん食べてくれ。客人にひもじい思いをさせるのは、家の恥だからね」
そうまで言われるのは恥ずかしいものもあったが、しかしここで恐縮するのも失礼と言うもの。
家主の許可が出たのだから、お腹いっぱい食べるのが礼儀である。
うまい、うまいと喜びを口にしながら、黄色はパンを、スープを、パイを食べていく。
なんやかんやと村正やエミリオも夕食に舌つづみを打っているので、別に黄色だけが夕食を食べ散らかしているわけではないことは明記しておこう。
そんなこんなである程度テーブルの上のものを平らげ、最後のパイに手を伸ばし――――同時に、向かい側から伸びる手。エミリオ。
一瞬、視線が交差した。
俺のだ。
手をどかせ。
いいや、おまえがどかせ――――パイを掴む。
否、手首を払われた。素早い。エミリオの意地の悪い笑み。
エミリオの手が再度パイに伸び――――今度は黄色がそれを払った。
意地の悪い笑みを返す。口笛ひとつ。張りつめた緊張。
手を伸ばす。払われる。
流石にガンマン、素早い。
だが、黄色とて妖刀に指南を受けた天狗夜天流の剣士だ。
抜きの速さで負ける気はない――――エミリオが手を伸ばす、よりも早く次を伸ばした。
掴んだ。やった!
確信。違う。悪寒。
エミリオの手は黄色の手の下を掻い潜り、下から掬い上げる。
掴んだパイは真上に跳ね、飛んだ。
やられた。空中のそれを掴むべく手を伸ばし、エミリオに阻まれる。
遮るように伸びた手。捻られる。逃すまいと黄色はその手を掴んだ。
黄色は右手。エミリオは左手。
互いに利き手を封じた。パイはまだ空中。
それぞれが逆の手を伸ばす。打ち合い、払い合う。
そこには情熱があり、意地があった。
負けるものか――――――――
言葉にせずとも、互いの気持ちが分かった。
パイが落ちてくる。落ちる前に決着を。僅かに気持ちが逸った。
直後、黄色の手が外に大きく払われる。
しまった。取られる。
エミリオの口角が大きく吊り上がり、
――――――――次の瞬間には横から村正がパイを掴んで自分の口の中に放り込んだ。
「うむ。うましうまし」
「……あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーッ!?」
「バッ、テメッ、やりやがったなクソガキ!?」
一瞬の空白の後、黄色とエミリオが勢いよく立ち上がって叫ぶ。
当の村正はどこ吹く風とパイを堪能していた。この野郎。
「こら! 食べ物で遊ばないの! 仲良く食べなさい!」
一部始終を見ていたアンナが二人を叱りつけ……直後に、噴き出すように笑った。
「ふふ……でも、こんなに賑やかな食卓はいつぶりかしら」
「……今の一切れで終わっちまったけどな」
「くく、うまかったぞ」
「村正テメェこの野郎。……でも、うん。うまかったな。本当に」
肩の力がドッと抜け、二人は同時に着席した。
思えばなんであんな戦いをしていたのだろうか。あほらしい。
「さて、食後にワインでもどうかしら?」
「オレは結構。前にも言ったが、神の血は飲まない主義でね」
「あー……俺もいいや。未成年だからな……」
どうやらこの村では、未成年がワインを飲んでも問題ないようではある。と言っても、水で薄めて飲むのが普通らしいが。
かつて先祖たちが住んでいた別の土地では湧水が飲み水に適さず、ワインを飲み水にしていた名残なのだとか。地球でも、ヨーロッパではそのような地方があると聞いたことがあった。
「? キーロ、成人してないの?」
「ん、ああ。まだ十七だよ、俺」
「あら同い年。……十七なら、成人してるじゃない」
「あー……」
……成人年齢が違うのか。
日本でもかつては十五で元服……成人とされていたが、この世界でも同じく成人年齢が現代日本より若いのだろう。
「……まぁその、色々あってさ。とにかくあと三年は酒飲んじゃいけないことになってんの」
「ハ、真面目だねぇ。オレなんざ十を超える頃には飲み始めてたもんだが」
「そういうお前はいくつなんだよ」
「二十一。敬えよ、年上だぜ?」
「驚くほど敬う気が湧かねぇ」
他愛もない雑談を交わしながら、夜は更けていく。
まるで昼間の襲撃なんて、嘘だったみたいに。
――――――――――――翌日にはエミリオがいなくなるだなんて、まるで思えないような夜だった。
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