第十九話 反抗者たち

 金髪の女――――は、酷く不機嫌に黄色を睨んだ。

 黄色はと言えば、改めて彼女を上から下までマジマジと見ようとして……それがあまりにもなものだから、どうにも気恥ずかしくてさっと目を逸らした。

 ショートパンツも、すらりと伸びるタイツに包まれた脚も、大きく胸元の開いたシャツも、髪をまとめたことで覗く首筋も――――どうにも、直視しづらい。

 それは今まで彼女が隠してきたもので、だからこそ改めてあけすけにされると、彼女がどうしようもなく美女であることを突き付けられた気分だった。同時に彼女の裸を見てしまった時の記憶もフラッシュバックしてしまい、ますますよくない。すごくよくない。青少年のあれやそれによくない。


「……なんだって急にそんなイメチェンしたんだよ」


 気恥ずかしさのせいで顔が熱いのを自覚しながら、視線を逸らした黄色がエミリーに問う。

 問えば、彼女は呆れた風に肩を竦めた。


「何度も言うが不本意だよ。だがまぁ、衛兵連中が探してるのは“奇妙な風体の”でね。ポンチョと覆面の下が女だとは思ってないのさ」

「あれだけ入念に正体を隠せば、いっそ女かもしれぬとは思うておるかも知れんがの。それだけ様変わりしてしまえば、それほどは追及されんじゃろうな」

「……男が女に化けるのは難しいしな」


 黄色の生きていた時代、“男の娘”だの“女装レイヤー”だのが巷にいたりはしたが――――原則、男が女に化けるのは難しく、逆に女が男に化けるのは容易いものである。

 なにせ大抵の男は女よりも体格がいいのだから、どうしたってゴツくなってしまう。お前のような女がいるか、というやつだ。顔つきはある程度化粧などで変えられるが、首の太さや肩幅など、誤魔化しにくい箇所はいくつもある。女が男に化ける分にはある程度“細身の男”で片付けられるし、体格を水増しするなら着込むなり詰め物をするなりしてしまえばいいのだから比較的楽だ。肩パットとか。

 歌舞伎の“女形おんながた”もそうだし、シェイクスピア時代の演劇も女人禁制で、男が女の役を演じていたと言うが――――本格的な異性装というものは、徹底した研究と研鑽を以て初めて成せる妙技なのである。


 その点で言えば、エミリオ……もといエミリーのは見事なものだ。

 そりゃあ元々女なのだから女らしく見えるのは当然だが、すっかり見違えている。

 よく見れば簡単な化粧もしているようで、唇には紅が引かれてすらいた。


「……なにか文句でも?」

「いやまぁ、うん。よくお似合いですよ姐さん」

「あ?」

「あっこれ褒めてもけなしても怒られるやつだな!?」


 理不尽だった。


「しかし随分と肌を晒す服を選んだのー」

「だーからこれしか無かったんだって言ってるだろうが。ったく……それ食い終わったらさっさと行くぞ」


 からかうように笑う村正を睨みつつ、エミリーが嘆息する。

 ……行く?

 黄色が怪訝そうに眉をひそめる。


「行くって……どこに?」

「決まってるだろ? まさかホワイトハウスに行こうってわけじゃないからな」


 彼女は肩を竦めると、親指で店の外を指し示した。




「―――――――――レジスタンスのアジト、だとさ」




   ◆   ◆   ◆




 道中、エミリーは黄色たちと別れたあとの話をしてくれた。

 あの時、食堂で感じた奇妙な違和感や、処刑場に居合わせた男性から聞いた事情から彼女はレジスタンスの類がいるはずだということを予想したのだという。

 風来のはずの旅人たちが妙に和気藹々としていたのは、政府組織への反乱という目的で団結していたため。強引な接収計画で宿屋からの立ち退きが要求され、居合わせた連中が反抗したのだろう――――という、単純と言えば単純な予想だ。

 旅人は風来故に遵法じゅんぽう意識が薄く、退けと言われて腹が立ったのか、あるいは宿屋の方を哀れと思ったか、ともかく否を叩きつけたのだろう。


 となれば、あの銀腕の罪人は彼らの仲間だ。

 彼の無謀な行動が示し合わせたものでなくとも、同志に当たるはずだ。

 ならば処刑をみすみす見逃すはずもなく、奪還作戦が計画されているはずである。

 処刑の日程が決まったのはどうも急なことのようだったから、その計画はどうしても場当たり的な側面が強くなる。

 そして場当たり的な計画であれば――――そこはアウトローとしての経験か嗅覚か、潜伏場所はある程度当たりがつくようで。

 急いで渡りをつけて、協力して、あとは黄色たちの知る通り。

 奪還に成功した後はアジトに逃げ込み、ほとぼりが冷めた頃に服装を変えて外に出てきたのだそうな。


「……もしかして、魔術師の到着が遅れてたのは?」

「レジスタンスの連中が足止めしてたらしいな。結局押されて撤退したそうだが」

「なるほど、道理で」


 処刑が中々始まらないわけである。

 察するにあの魔術師が処刑人を兼ねていたか、あるいは処刑になんらかの魔法が必要だったか。

 声を潜めて言葉を交わしながら、三人は路地を歩き――――ふと、エミリーが足を止める。


「ここだ」


 彼女が示したのは、なんてことの無い酒屋だった。

 無遠慮にエミリーが扉を開ければ、からんからんとベルの音。

 ずらりと並ぶワインやエール。

 カウンターには、小人ハーフリングの女性が退屈そうに頬杖をついて座っている。


「……いらっしゃい」


 値踏みするような、じとりとした視線。

 思わず気遅れする黄色を尻目に、エミリーは自然体でカウンターに手を置いた。


「“三日月の狼亭”からの使いで来たんだが、首にリボンを巻いた白のお姫様を貰えるかい?」

「……初回ぐらいは甘く見てもよかったんだけど、覚えてるねぇ。いいよ、通んな」


 ……今のは、合言葉か。

 不敵に笑いながら振り向いたエミリーと視線が交差する。

 彼女が顎で示すまま、カウンターの裏へ。

 はたして、そこには地下へと続く鉄扉があった。

 地下酒蔵だろうか。いかにも秘密基地のようで、不謹慎にも黄色は少しわくわくしてしまう。

 レジスタンスに、秘密の合言葉に、秘密のアジト!

 男の子なら興奮してしまう要素満載である。

 もちろん興奮している場合でもないのもわかっているので、表情には出さなかったが……内心のときめきと共に、階段を降りて地下に入れば、




「――――――――くっ、殺せッ!!」




 ――――むくつけき赤毛の男が縄で縛られて女騎士みたいな台詞をのたまっている地獄めいた光景に、ときめきは全て消え失せた。


「…………えぇー……」


 ものすごいやるせなさである。

 当然と言うかなんというか、縛られているのは先ほど櫓の上で演説を行っていた元・罪人。

 岩山の如き上腕二頭筋、盛り上がった僧帽筋、まさしく胸壁と呼ぶに相応しい胸筋、大樹の幹を想起させる、太く鍛え上げられた首、そして確かな理性を感じさせる精悍な顔つき――――そんな大の男が、澄んだ輝きを放つ銀の腕を後ろ手に縛られている。

 周囲を取り囲むのは十人程度の荒くれたち。アングラな香り漂う地下酒蔵。いや実際“地下アンダーグラウンド”だが。


「……その、別に人の趣味にどうこう言う気はないけど、合意無しってのはちょっと……」

「たわけ」

「なに言ってんだお前」

「おい!!! 俺たちはそういうのじゃないからな!!!!」

「なっ……貴様ら、まさか私を手籠めにしようと……!?」

「ちげーよ馬鹿ッ!!!! 旦那って頭いいけど割と馬鹿だよなァ!?」


 違うらしい。安心した。


「……悪いな。この坊ちゃんはちょいと……馬鹿なんだ。気にしないでくれ」

「そこまで言う!?」

「ああいや、まぁ……こっちも悪かったよ。手籠め云々はともかく、色々と誤解を招く絵面なのは確かだってわかるとも」


 嘆息混じりに肩を竦めたのは、この集団のリーダー格らしき男性だった。

 皮鎧、小盾、片手半剣……“いかにも”な冒険者である。歳は、30は越えた程度だろうか。

 彼は困ったように苦笑して、縛られた罪人に視線をやった。


「その……わかると思うんだが、この旦那はほっとくとまた飛び出して市長の屋敷にノコノコ向かいかねないとこがあってね。仕方なく大人しくしてもらってんだ。俺たちも気は進まないんだが……」

「ふん、当然だ。そもそも私の行いになんら恥ずるべきことはなく、であれば堂々と正面から己の思うところを述べ、意見を戦わせることこそが肝要であろう」

「ああ……」


 納得した。


「……名乗り遅れたな。俺はゲオルグ。一応、レジスタンスの顔役ってのをやってる。あんたらがエミリーのお仲間かい?」

「っと、すいませんこちらこそ……俺はキーロ・サトミです。こっちは妹のムラマサ」

「ん。よろしくの」

「ああ、よろしくお嬢ちゃん。それから、こっちの旦那が……」

「待て」


 銀腕の男性はゲオルグの言葉を遮り、青い瞳をまっすぐに黄色たちへと向けた。

 ……どこか、鋼を想起させる瞳である。

 理性。意志。決意。

 それらを溶かし込んだ、青き鋼の瞳。


「――――我が名はアルギリウス。父より授かった名だ。名乗るのであれば、己の口からでなくてはな」


 アルギリウス――――やはりというか、ギリシャ風の名前。


「あー……ゲオルグ。悪いが、この旦那と奥で話してもいいかい?」

「ん? ……あんたには協力してもらった恩もある。別に構わないが……知り合いってわけでもないんだろ?」

「まぁそうなんだが、そうでない部分もあってね。複雑なのさ」


 エミリーは肩を竦め、さっさと奥の小部屋へと向かう。

 一度だけ視線をこちらに向けたのは、ついてこいというジェスチャーだろう。口で言え口で。

 黄色は傍らの村正と視線を交わし、それから怪訝そうにこちらを睨んでくるアルギリウスを見て辟易へきえき気味に肩を落とした。


「……そういうことらしいんで、ちょっと奥まで来てもらえます?」

「……不埒な取引には応じんぞ」

「印の話じゃよ、印の。わかるじゃろうそれで」

「む――――」


 アルギリウスの目の色が変わった。

 印。

 八行の証。

 ……異世界から来た、勇者の証。

 やはりと言うか、彼の方でも察するものがあったのか――――抵抗するでもなく。素直に奥の小部屋に入る。


 ……しかし改めて並ぶと、デカい。

 身長自体は180cm前後だと思うのだが、如何せん筋肉の量が違う。というか骨格レベルで体格がいい。それが胸を張って堂々と歩くのだから、凄まじい威圧感だ。彼がその気になればここから一発で殴り殺されるのではないか、という圧力がある。

 もちろん彼の両腕は拘束されているので、そんなことは無いと思いたいが……ああでも、ハリウッド映画とかだとこの状態から平気で暴れまわるよなアクションスターって……そういう、妙な緊張感があった。


 アルギリウスが素直に言うことを聞いたことに驚いたらしいレジスタンスたちの視線を背中に受けつつ、小部屋の扉を閉める。

 ぱたん。密室。

 高まる緊張感。

 赤毛で巨乳(筋肉)の虜囚と密室で一緒だ。

 驚くほどときめかなかったが、心臓の鼓動は早くなっていた。吊り橋効果かな?


「――――さて」


 と、黄色が馬鹿なことを考えているのを尻目に、エミリーは木箱に腰かけた。

 この小部屋は元々倉庫だったものをレジスタンス用の物置にしているようで、様々な武具防具の類や物資が乱雑に積まれている。


「悪いね。流石に連中の前で魔王だなんだと話したくはないし、しかも異世界がどうのこうの……ハーブでもキメてんのかって思われたくはないだろ?」

「……ということは、貴様らは」

「ああ、そうさ


 エミリーが、レザーグローブを外す。

 その下に刻まれた紋様。『義』。


「エミリオ・クイーン。アンタの知らない遠い未来、アンタの知らない大陸で生まれたガンマンだ」


 同じく、黄色も右手の甲を掲げた。

 刻まれた紋様。『孝』。


「右に同じく。エミリオとは生まれた時代も場所も違うけど、そっちが知らないって意味じゃ一緒かな」


 次いで、村正が――――黄色の袖を引いた。

 何かと思ったが、すぐに理解。

 その手を握れば、激しい光が一瞬だけ部屋を包み――――童女の姿は消え、ひと振りの刀が黄色の手に収まる。

 その鍔元に刻まれた紋様。『忠』。


付喪神つくもがみ、村正じゃ。お主らには刀の精と名乗る方が通りがよいらしいの?」


 これには流石にアルギリウスも驚いたようで、僅かに眼を見開いた。

 そりゃそうだ。童女が刀に変身するなど、思いもよらないだろう。

 しかし彼はすぐに気を取り直し、落ち着き払った顔で二者とひと振りを見据える。


「……なるほど。貴様らもヘルメスに導かれ、悪なる王を打ち倒すべく遣わされた勇者だったか」

「ヘルメス? オレはガブリエルだったが」

「儂は天狗じゃったぞ」

「あー、その辺はほら。担当が違うんだろ、担当が」

「そうなのか? ……まぁいい。ともかく、この縄を解いてくれんか」

「ん……」


 アルギリウスの申し出に、黄色たちは目を見合わせた。

 大人しくさせるために行った拘束だ。勝手に解いて、暴れ出したりしないものか……


「……安心しろ。少なくとも今はお前たちと言葉を交わし、己が出自をつまびらかにすることこそが、我々にとって重要なことであると理解している。再三、よくよく言っておくが、私を辺境の蛮族と同じように野蛮な男だと思ってもらっては困るぞ」


 ……とりあえず、すぐに暴れ出したりはしなさそうだ。

 暴力を嫌うようなことも言っていたし、熾烈ではあれ乱暴な人間ではないのかもしれない。

 エミリーは肩を竦めた。

 それが答えだ。止めはしない、と。

 黄色は慎重にアルギリウスの背後に回り込み、縄を……解こうと思ったが存外固く結ばれていたので、村正で縄を切った。


「人をのこかなにかのように……」


 村正の抗議が聞こえた気がしたが、人ではないので気にしないものとする。

 ……いやだって、ナイフとか持ってないし。

 部屋の中に積んであるけど、勝手に使うのも良くない気がするし。


 ともあれ、拘束から解放されるとアルギリウスは首と肩を回して音を鳴らし――――真摯な瞳で黄色たちを見据え、チュニックの上をはだけさせる。

 ……いわゆる貫頭衣なので、脱ぐのは大変そうだったが、まぁともかく。

 布地の下から現れた、逞しい胸筋。

 エミリーが顔をしかめた。

 けれどその表情は、すぐに鋭い観察のそれへと変わった。

 アルギリウスの胸の、丁度左側。

 心臓がある位置に刻まれた奇妙な紋様――――その意は、『礼』。




「『礼』の勇者、デルフォイのアルギリウスだ。……この出会いも、ヘルメスとアポロンの導きであろう」




 やはりな――――と、黄色は得心した。

 デルフォイというのはよくわからない(多分地名だ)が、古代ギリシャ人。

 そして、犬士だ。

 刻む八行は『礼』。

 なるほどと思い――――


「――――――――では同胞どうほうよ! 同胞はらからよ! 私より遥か遠き時の流れの果てより訪れた勇者よ! それならば、貴様らも圧政の愚かさと、独裁の醜悪さを理解できているだろう! 共に圧政を打破し、市民に希望を与えようではないか! いざ!」

「いざ! じゃねぇ落ち着け」

「……やはり縛っておくべきだったの、こやつ」


 ――――いやでもどの辺が『礼』なのかなぁ、と。

 勢いよく踵を返して部屋から出ようとするアルギリウスの肩を掴んで引き留めつつ、そんな顔をした。

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