第十七話 抜刀と街と罪人と
夕刻。
「……今日の所は、この辺りで勘弁しておこうかの」
「お、押忍……」
「まったくこの大たわけめ。何度言うてもわからん奴じゃ」
「お、押ぉ忍……」
ぐったりと――――黄色は草原に倒れ込み、振り絞るように声を出した。
その手に握っていた村正が人型を取り、これ見よがしに嘆息する。
彼女は膝を曲げて倒れ込んだ黄色を見下ろすと、じとりと半目を飛ばした。
「この馬鹿弟子め。このっこのっ」
「お、押ぉっ忍……!」
軽く頭を小突かれる。
痛くはないが、心が痛い。
「……ん。終わったかいお二人さん?」
「うむ。小童め、音を上げおったわ」
「そりゃ大変だ。晩飯も喉を通らなさそうだな。オレたちだけで済まそうか」
「食べる……」
「食い意地だけは張りおる。まぁそれそのものは悪いことではないがのう」
のそのそと這うように焚き火へと近づけば、エミリオが川で釣った魚を焼いているところだった。
ぱちぱちと音を立てる火の灯りに朱く照らされた顔が、意地の悪い笑顔を見せる。
……簡単な狩猟道具。調理器具。食器。調味料。保存食。毛布。
転移直後の劣悪極まる環境が嘘のように、黄色の
それもこれも、ヴァインヴァレイの住民たちが用意して与えてくれたものである。彼らには感謝してもし足りない。
もう黄色は虫を食べなくてもいいし、普通に魚とか食べられるし、食器も使える!
こんなにも素晴らしいことはなく、村を出て数日が経った今も毎日村人たちに感謝を捧げていた。
「随分苦戦してたな。ありゃあなんの芸を仕込んでたんだ?」
「抜刀術じゃよ。小童め、どうにも動きが硬くていかん」
「……バットー?」
「あ゛ー……アンタの早撃ちみたいなもんだよ。剣でやる早撃ち」
「なるほど。そりゃ中々の曲芸だな」
季節はまだまだ冬真っ盛り。
鍛錬で汗をかいた体を放っておけば体を冷やして最悪死に至るので、黄色は火照った体を火に近づけて暖を取る。
陽の出と共に起き、陽の高いうちは進み、陽が沈む前には野宿の準備をして、少し稽古をつけてから夕食をとり、眠る。
この数日、黄色たちはそのような生活を送っていた。
……ここに加えて黄色と村正は夢の中でも鍛錬を続けているのだが、それはともかく。
夜間は灯りもないので危険だし、無理せずさっさと寝るに限るというのが共通の見解であった。エミリオの話によれば、明日には目的の街に到着するらしい。あるいはパルツィヴァルに乗ればもっと速かったのかもしれないが、彼は荷馬であって騎馬ではないので言っても詮無いことである。
ちなみに今までの癖で村正と身を寄せ合い毛布を共有して寝ようとしてしまい、エミリオに本気で引かれたのはそっと無かったことにしておきたい事件であった。
しょうがないじゃん。そうしないと凍死してたかもしれないじゃん。俺悪くないじゃん。違うもんロリコンじゃないもん。好みのタイプはどっちかというと年上の優しいお姉さんだもん。
……閑話休題。
「つーかしょうがねぇだろ。居合なんざ今までこれっぽっちもやったことねぇんだぞ」
「それをできるようにするために稽古をつけてやっておるのじゃろうが。よいか黄色。何度も話したことではあるが、そも
「や、まぁ、それは普通に頑張るけども」
曰く。
刃を抜いて初めて担い手を操れる村正では、どうやっても抜刀の技を使えないらしい。抜刀とは、刃を抜く前から始まる技であるからだ。
担い手無しでは十全の力を発揮できないという村正の弁は、そういった側面もあるようだった。その奥義が抜刀術にあるというのなら、特典として担い手を求めたのも頷ける話である。
「……オレはお前の師匠じゃないんで、あまり口出しはしないが――――」
と、焼き魚にかぶりついていたエミリオが、ちらりと横目に村正を見た。
村正は無言で顎をしゃくり、続きを促す。
それを確認してから、エミリオはその透き通るような碧眼を黄色へと向ける。耳元で茶褐色のイヤリングが揺れた。
「“
「……コツ?」
「ああそうとも。と言っても難しい話じゃない。銃をすばやく抜くには、銃を抜かないのがコツでね」
「お前ら達人はすぐそういうよくわかんないこと言う!」
……すばやく抜くために、抜かない?
さながら禅問答の如き矛盾したアドバイスである。
もしやエミリオがからかっているのかとも思ったが、村正が口を挟んでこない辺りあながち大嘘というわけでもないようだった。正気か。
「HAHAHA! いやマジに言ってるぜ? 西部でまともに
「……もうちょっと詳しく頼める?」
「OK、OK、そうこなくちゃあな。例えば――――――――BANG!」
――――掛け声と同時、抜き放たれるS&Wスコフィールド。
銃口は黄色へ。
緊迫。
鼓動。
迸る死の悪寒。
……幸いにしてそこから銃弾が放たれることはなく、すぐにそれはホルスターへと戻っていったが。
一拍遅れて冷や汗が黄色の頬を伝い、バクバクと心臓が警鐘を鳴らした。
「なっ、なんだよ急に。ビックリしたな……!」
「いや失敬。オレはまぁ、それなりに早撃ちが得意な方だから、抜こうと思って抜いてもこのぐらいの早さで抜ける。……が」
意地の悪い笑みを浮かべながら、エミリオが懐から取り出したのは一枚のコイン。
それを見せつけるように手の中で弄び、彼女はふと真面目な顔をした。
「いざ敵と向かい合って銃を抜こうと思うと、中々簡単にはいかない。筋肉は強張り、視野は狭まり、思うように動けなくなる。銃を抜くぞ、って気持ちに体がついてこなくなる」
……コインを親指で弾き、真上に飛ばした。
「――――だから、銃を抜こうと考えるのをやめる。合図を作る」
当然、弾かれたコインは重力に従い、回転しながら落下する。
「飛び立つ鳥。滴る汗――――」
コインが、
くるくると、
回りながら、
地面に、
「――――――――――――落ちるコイン」
落ちると同時にエミリオはS&Wを抜き放ち、再び黄色へと突き付けていた。
……目にも止まらぬ早業。
コインが落ちた瞬間に銃を抜くのは予想できていたはずなのに、抜いた瞬間を目視できなかった。
思わず引き攣った笑みを浮かべ、ホールドアップ。
またカラカラと笑いながら、エミリオは銃を収めた。
「あとは反射さ。一番すばやい動きは、体が覚えてるからな」
「……でもそれ、落ちるより先に抜かれたらどうするんだ?」
「ハ。言ったろ? そういう奴ほど気持ちが焦って、動きがぎこちなくなるもんだ。オレはその起こりを見てから反射で抜けばいい。結局それが一番早いのさ」
「なるほどね……」
……実際に早撃ちの名手に解説されると、妙な説得力があった。
西部劇でよく見る“後から銃を抜いた方が勝つシーン”も、案外そういった理屈によって作られているものなのか。
思えば、村正からも無念無想の境地について散々叩き込まれている。
銃にせよ剣にせよ、体が覚えている技を体が覚えているままに使うのが一番ということなのだろう。
コンマ以下の速度で目まぐるしく状況が変わる立ち会いの中では、思考の速度は遅すぎるのだ。
「つまり」
「つまり?」
エミリオは、からかうように口元を歪め、眉を上げた。
「一番すばやい動きをたくさん練習して、体に覚えさせなきゃ意味が無い。まずはそっから頑張りな」
「うむ、その通り。夢の中でも稽古をつけるからの。はよ夕餉を済ませて寝ろ」
「結局オチはそこかぁ……!」
うんまぁ、頑張るよ。頑張りますけども。
その夢の中の稽古というのは、基本的に黄色が村正に斬られて死に続けるタイプの稽古なわけで。
とりあえず一回限界に追い込んでから本番みたいな村正の指導スタイル、どうにかなんねぇかなと思うのは心が弱い証なのだろうか。
いや実際それで実になるのはわかるんだけども、もうちょっと手心とかあってもいいんじゃないだろうか。
そういうの無い? 無い。そっかぁ。
……拝啓、親愛なる父さん。あと姉ちゃん。
俺は今異世界で、抜刀術の死に覚えをさせられています――――
◆ ◆ ◆
「――――――――街だーーーーっ!!!」
――――そんなこんなの道中を経て、黄色たちは目的地である都市に到着した。
この世界の国々は基本的に大小無数の都市国家……城壁内部である都市と、その周辺をひとつの単位とする国家群によって形成されているらしい。といっても、実際には各地方には盟主となるような強大な国家が存在し、他の都市は事実上その傘下に収まるような形になっているそうだが。
目的地であった都市、イクソニアはこの周辺一帯を治める中堅都市国家だ。
周辺の農村といくつかの小都市を傘下とし、栄えた街である。アンナたちの住むヴァインヴァレイもイクソニア傘下の小都市の管轄であるそうだから、いわば孫にあたる存在ということになる。実際、ヴァインヴァレイで作られたワインはこの街にも数多く輸入されており、これを求めてやってくる旅人もいるのだとか。黄色もエミリオもワインは飲まないが、村正が「南蛮の酒の良し悪しがわかるわけなかろう。が、嫌いではないの」と言っていた辺り、やはり味は確かなのだろう。村正は明らかにべろんべろんに酔うまで飲んでいたし。
とまぁその辺りの事情はともかくとして、とにかく街である。
森の中に飛ばされ、農村を経て――――街である!
街!
いかにもファンタジー世界的な!
城壁に囲まれた!
都市国家!
これには流石の黄色のトキメキを禁じ得ない。
思えばヴァインヴァレイはいい村だったが、しかしその暮らしは黄色の想像の範疇にあるものだった。言ってしまえば現代日本でも田舎に行けば似たような暮らしをしている人々はいるだろうし(もちろんガスも電気も無い以上は完全に同じと言うわけにはいかないが)、あの村で感じた感情は新鮮さというよりもどこか懐かしい暖かさだった。
対して、イクソニアはあからさまに中世ヨーロッパ的な城塞都市!
いや厳密には中世より以前の時代を当てはめるべきなのだろうが、ともかく現代人が想像するファンタジー世界と言えば城塞都市だろう。国民的RPGでも頻繁に出てくるし。
周囲を見渡せば、石造の建築や舗装された道路、そして行き交う様々な種族――――人間、エルフ、ドワーフ、ゴブリン、オーク、獣人、
街は活気に満ち、立ち並ぶ様々な商店が呼び込みに声を張り上げている。
「やっぱ、王様とかいんのかな?」
「市長のことを王様って呼ぶなら、いることになるんだろうがね。なんでも、元騎士様なんだとか」
「騎士市長! 面白い肩書きだなぁ」
「ほー。詳しいのうお主」
「前の街で聞いたのさ。ヴァインヴァレイの前に寄った街でな。ここら一帯で一番デカい街って評判だったよ」
「……あっ、おい! あれなんの店かな! 鎧並んでるけど!」
「そりゃあ鎧を売ってる店だろ」
「買わんぞ。着るわけでもなし」
「えー……あっ、あっちは武器屋だよな! すげぇ! 剣並んでる!」
「そりゃあ武器屋だからな」
「買わんぞ。儂がおるじゃろ儂が」
「ちぇっ。……あぁっ!? あれ売ってるのマジックアイテムじゃね!? すげぇ!!!」
「……こりゃおもりが必要かね」
「はー……たわけじゃたわけ」
……結局、はしゃぐ黄色が落ち着くまでいくらかの時間を要し、最終的に焦れた村正の鉄拳が飛び、エミリオが昼食を提案するのを待つ必要があったことを、ここに記しておく。
◆ ◆ ◆
昼食にと入ったのは、街の大通りに面した食堂だった。
どちらかと言えば旅人向けの店らしく、店内は旅装に身を包んだ者の姿が多く見受けられた。剣を携行する者や、盾を背負う者、杖を持つ者も多い。……その点で言えば、一見武装を持たない黄色たちは珍しい客なのだろうか。入店時に一瞬だけ奇異の視線を向けられたが、それも陽気な旅人たちの喧騒の間に消えていく。
まぁ、冷静に考えれば学ランの男子高校生も、ポンチョを羽織ったカウボーイも、和装の童女も、どれも珍しい存在には違いあるまい。なにせ服飾の文化がまったく違うわけで、奇妙な旅人だと思われるのも仕方のない話だった。黄色にとっては元の世界との繋がりを証明する数少ない物品でもあるから、あまり別の服を着ようという気にもならない。その程度の扱いは、慣れておくべきなのだろう。
「……あんまり、長居しない方がいいかもな」
そう言いだしたのは、エミリオだ。
木のスプーンで豆のスープに口を付けつつ、油断なく視線だけで店内を見渡している。
四人掛けのテーブル席に座って昼食を楽しんでいた黄色たちだったが、どうもエミリオには懸念があるようである。
頭に疑問符を浮かべながら黄色と村正が彼女を見ると、彼女は声を潜めて続けた。
「活気がありすぎる。……キナ臭い」
「キナ臭いって……活気があるのはいいことなんじゃねぇの?」
それに、ここは旅人が多い店……つまり、荒くれの多い店だ。
旅人と一口に言っても様々だが、それこそエミリオのような風来坊は決して少なくない。
となれば、多少うるさいぐらいが普通なのでは無いのだろうか。もちろん、これは漠然としたイメージの話ではあるのだが……実際店内に意識を向けると、客たちの陽気な会話が見られた。店員も談笑に混ざり、にこやかに過ごしている。
「……じゃあ聞くが、お前さん昨日今日会ったばっかの、それもどこの誰とも知らない奴相手に心を開いて仲良くお話できるか? できる奴もいるが、できる奴ばかりだと思うか?」
「それは……」
「無理じゃの。人との会話に飢えた
「だろ? で、この店の連中は仲が良すぎる」
……もう一度、店内を見渡した。
店内には無数の旅人……それも武装を伴った客が多く、彼らはかねてよりの友人であるかのように語らい合い、笑い合っていた。店員すらも交えて。
「……集団客ってことは?」
「装備やくたびれ具合に統一性が無いし、交流が無秩序すぎる。それに愛想がいいのはウェイトレスにとっちゃ美徳だが、にしたって打ち解けすぎてるだろ」
「…………………………………」
そう言われると――――確かに、いささか奇妙にも思えた。
食事を済ませたら、早急に立ち去るべきか……そう考えたところで、横合いから机を軽く叩く手があった。
「もし、もし、失礼」
「ん……――――」
視線を向ければ、そこにいたのはやはり旅人らしき青年だ。
深緑の外套に身を包み、その下には鎖帷子と鼠色のサーコート。赤みの強い黒髪を三つ編みにし、尾のように垂らした男である。
彼は人懐こい笑みを浮かべ、肩を竦めた。
「いや、ちょいと席が混み合っててね。悪いが
……確かに昼時の店内は相当込み合っていて、空いている席はほとんどない。
一瞬だけエミリオと村正に視線を向ければ、彼女たちはそれぞれに「好きにしろ」のジェスチャー。
「……ああ、大丈夫ですよ。つっても俺ら、食べ終わったらさっさと帰っちゃうかもしれませんけど」
「お、悪いねぇ! いや助かったよ。危うく食いっぱぐれるとこだった! ハハハ!」
黄色が自分の注文した料理(麦のリゾットだ。うまい)と共に一人分のスペースを開けると、彼は鷹揚に笑って感謝しながら黄色の隣に座る。
「
「キーロ・サトミです」
「村正じゃ」
「エミリオ・クイーン。よろしくなお兄さん」
「ああよろしく。しかしあんたら珍しいカッコしてるが、どっから来たんだい?」
……来ると思った定番の質問。
それこそ衣装に統一感がないし、村正に至っては童女である。どう考えても奇妙な三人組だ。というか街に入る時も守衛に聞かれた。
ので、当然回答も用意してある。
「俺と村正は、東の森の奥の方から。両親と細々暮らしてたんですが、最近死に別れて」
「オレはまぁ、たまたま知り合ってね。なんかの縁ってことで一緒に」
と言ってもそれはヴァインヴァレイで話した言い訳とほぼ同じで、単に偶然仲間に加わったエミリオが追加されただけなのだが。
嘘はついていない。
たまたま知り合って、縁があって一緒にいるだけである。
「ほー、そりゃ大変だったねぇ。というかお兄さん、敬語なんか使わなくていいよ。楽に話してくれ」
「あ、はい。わかりま……わかった」
「しかし、そうかぁ。んじゃこの街には来たばっかりってことかい?」
「うむ。本当につい先刻じゃよ」
「なるほどなぁ……」
サーベラス、と名乗った男ははしみじみと、何かに納得したかのように幾度か頷いた。
……奇妙な反応である。
どうするか。
一瞬考えてから、黄色は思い切ってサーベラスに尋ねる。
「……なんか、あるのか? この街」
店内の違和感とも、関係していることなのだろうか。
問われれば、サーベラスは苦笑してみせた。
「いや……ま、ちと揉め事さ。
なるほど、街と旅人との間のトラブルか。
何があったのかはわからないが、もしかすると旅人への当たりが強くなっていたりするのかもしれない。
となれば、旅人同士で団結するということもあるかもしれないし……少し、この状況に得心が行く。
……と話していたところで、サーベラスの外套の下に収まっていた白い鞘が視界に入ってきた。
美しい、象牙の鞘だ。
複雑な紋様が金細工で施され、それそのものが芸術品と名乗れるほどに美しい鞘。
村正は妖しくも美しい刀身を持つが、彼の剣は鞘だけでも彼女と並び立てるほどに荘厳な美を放っている。
「うお……すげぇなその剣」
「ああ、これかい? 目立つんで隠してんだが、やっぱり見えちまうもんだね」
思わず呟けば、サーベラスは恥ずかし気に頬を掻きながら柄に手を置いた。
「あ、す、すまん。盗み見るつもりじゃなかったんだけど……」
「いやいや、いいってことさ。大業物には違いないってんで、褒められるのは悪い気はしないよ」
「大業物……やっぱり、中身もすごいのか?」
「そりゃもちろん。天下御免、自慢のひと振りさ。――――――――安く見せるもんじゃあないがね?」
ニヤリ、とサーベラスが不敵に笑う。
その笑みからは、彼の愛剣に対する信頼と自負が見て取れた。
……よほどの業物なのだろう。
そして同時に、ピリと首の裏がヒリつく感覚。
刀身を見せる時は、相手を殺す時だ――――言葉にせずとも、伝わるものがあった。
ヒク、と黄色も引き攣った笑みを浮かべる。
視線を逸らせば、不満げな村正の姿があった。
なんだその顔。
その「儂の方が遥かに優れた名刀じゃぞ」みたいな顔。
見る前から他人の剣にマウントを取ろうとするんじゃない。
いや確かに村正は比類なき大業物だと黄色も思うが。
「そういやお兄さんがたは得物が見えないが、格闘の心得でも――――――――」
……そしてサーベラスが会話を続けようとした、その瞬間。
バン、と激しい音を立てて食堂の扉が開き、息せき切って男が駆けこんできた。
「たっ、大変だ!」
「ど、どうした!?」
「あの、前に捕まった赤毛の兄ちゃんが――――今日処刑されるってよ!」
「今日!?」
「い、いつだ!? 今日のいつ!?」
「今から! 中央広場!」
「いつの間に……!」
客たちが男に詰めかけ、思い思いに質問を投げかけ、返ってきた答えに顔を白黒させている。
……ただならぬ雰囲気である。
処刑――――先ほど話題に出ていた、騒動を起こした旅人とやらか。
「こうしちゃいらんねぇ! 行くぞお前ら!」
「馬鹿! ただでさえ睨まれてんのに、妙なことできるかよ!」
「なんでもいいからとにかく行くぞ! どうするかは行ってから決める!」
「お、おう!」
「悪い! お勘定後で頼む!」
「待って私も行く!」
どやどやと――――客たちは慌てて店の外へと飛び出していく。
客どころか、店員すらも。
最低限の人数だけを残して、先ほどまで喧騒でごった返していた店内はがらんと静寂に包まれた。
「……なんかあるみたいだな」
「だな……行くか?」
「じゃの」
黄色たちは顔を見合わせ、頷き合う。
それから視線をサーベラスに向けると、彼は一瞬キョトンとしてからカラカラと笑った。
「
「わかった。またな!」
まぁ、運が良ければまた会えるだろう。
黄色は青年剣士に別れを告げ、お勘定をテーブルの上に置いてから、人の流れを追うように広場へと向かった。
「……さて、どうなるもんか。お手並み拝見かね」
見送るサーベラスの呟きは、誰にも届かずに消えた。
◆ ◆ ◆
広場は数多の人が集まっており、中央には簡易的な櫓が組まれている。
その周辺は全身鎧に身を包んだ兵士たちが警護し、押し寄せる観衆たちを押しとどめていた。
櫓の上にいたのは、赤毛の男性。
見たところ二十代……いや、三十代には届いているかという年頃に見える。
鍛錬の程が垣間見える逞しい肉体を、ひざ丈の白いチュニックで包んだ男。
特筆すべきは、その両腕の肘から先が透き通るように輝く銀で包まれているということだろう。
銀の手甲か――――否、否、そうではない。
今から処刑されようという者が、手甲などはめるものか。
それすなわち、“銀の義手”。
両腕を銀に置き換えた、屈強な男である。
彼は拘束され、しかし堂々と櫓の上に立っていた。
あるいは彼こそがこの広場の主役であるかのように、堂々と。
罪人であることなど本人すら思っていないかのように、堂々と。
男は癖の強い赤毛を風に揺らしながら、しっかりと二本の足で櫓の上に立ち、胸を張って――――大きく息を吸い、叫んだ。
「――――諸君! 暴君の行いにより、私は処刑の憂き目にあうこととなった。しかし、このような暴虐が許されてしかるのであろうか! 私の罪は騒動を起こしたことであると彼らは告げるが、心臓より生まれ出でる正義の言葉を示すことが、どうして罪となろうか! かの哲人は“悪法もまた法なり”と罰を享受したが、しかし議会も法廷も通すことなく、独裁者の一存によって振るわれるそれは法と呼べるのだろうか! 私は法廷を望み、彼らはそれを一顧だにしなかったのだから! これが真実法による罰であると言うのならば、私も理性ある人として偉大な哲人にならい、処刑を受け入れよう。しかし独裁者の癇癪に屈すると言うのならば、それは理性ある人としての敗北に他ならぬ。私がではなく、諸君が敗北するのだ! 諸君の中の、獣ならぬ人である証が!」
……朗々と。
そして、長々と。
男は広場に集まった全員に聞こえるように、そう叫んだ。
「……おい、魔術師の到着はまだか」
「は、す、すみません。もう少しで……」
兵たちの辟易した会話が聞こえた。
おかまいなしに、罪人は演説を続けた。
「私は祈ろう! 諸君! この広場に集まった、イクソニア市民諸君! 諸君らの心臓には理性があり、理性ある人、すなわち私の死を目の当たりにすることで、諸君らの善良なる精神が呼び覚まされることを! 見よ! 私こそ、諸君の明日の姿である! それは善良なる人間として戦う姿であり、しかしもしも諸君に勇気が無くば、戦わなかったために処刑台に立つ隣人の姿に他ならない! 市民が独裁者を許した結果、今私は死ぬのだから! おお、神々よ! 私は誓って、己の良心と正義に従い死ぬのです! どうか私を哀れと思うのであれば、せめて彼らに幾ばくかの勇気を与えてやっていただきたい!」
その演説は酷く感情的で――――難解で――――どこか抽象的でもあったが――――しかし、胸を打つものがあった。
真に迫るものがあった。
観衆たちは、その男の言葉を真摯に聞いていた。
男を黙らせようと、兵が槍の柄で男を殴りつけた。
彼は一瞬よろめいて――――鋭く兵を睨んだ後、頭から滴る血を気にせずに叫んだ。
「――――――――輝けるアポロンに誓い、私は今から堂々と死のうではないか!」
……この世界にはいないはずの、異世界の神の名を。
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