第三話 ディス・イズ・スパルタ
「つまり、お主の身体が儂の動きについてこれんかったわけじゃな」
――――あの後、意識を失った黄色の肉体を乗っ取って洞窟まで取って返した村正は、ひどく不満げにそう結論した。
「加減ぐらいしてくれよほんとに……!」
ズキズキと黄色の全身が痛む。
……あの時黄色の耳に聞こえた異音は、黄色の骨と筋肉が悲鳴を上げる音だ。
神速の踏み込み、神速の斬撃……村正が操り動かした技に、一介の高校生の肉体が耐えきれなかったのである。
限界を越えて無理やり動かしたものは、なんであれ壊れるのが道理。そういうわけで、黄色の肉体は一瞬にしてズタズタになったのであった。
「たわけ。あれ以上に加減などして、万が一遅れを取ったらどうする。そもそもお主が貧弱過ぎるのがいかんのじゃ!」
「それはちょっと酷くねぇかなぁ!?」
「まったく……ともあれ、これでは迂闊に森も出れんな」
はぁ、と村正が無念そうにため息をつく。
……責任の所在はともかく、迂闊に森も出られないというのは、事実だ。今回はたまたま熊が退いてくれたからよかったものの、あそこで怒り狂って熊が襲ってきていたら?
村正は黄色の肉体を動かして熊を撃退し、そして今度こそ黄色の肉体は限界を越えて決定的に破壊されていただろう。あとひとつでも技を使えば、二度と動けなくなってもおかしくはなかった。
現在体がひどく痛むという程度で済んでいるのは、ひとえに交戦が一瞬で終わったことと、あれが村正の基準で“小手調べ”であったこと。そして、転生特典のおかげだ。
「……治癒能力の向上は、ありがたい話だったけどさ」
黄色が右手を持ち上げれば激痛が走り……そして、右手の甲が淡く光を洩らした。
翻訳と、治癒能力の向上。八人の勇者全員に与えられた基礎特典のおかげで、もうしばらく休めばどうにか動くことはできそうだ。
とはいえもし次に同じことがあれば、今度はどうなるかわからない。うまく切り抜けられるかもしれないし、全てが終わってしまうかもしれない。
この段階でその危険な賭けに出るのは避けるべきだと言うのが、二人の結論だった。
「……こうなればもはや、道はひとつしかあるまい」
「…………まぁ、遅かれ早かれだよな」
「もー少し落ち着いた場所で始めたかったんじゃがのう……四の五の言ってはおられんか」
ため息、ふたつ。
村正は銀の瞳を細め、白く細い指を黄色に突き付け――――宣言する。
「――――――――お主には、少なくともあの熊を斬れる程度には強くなってもらおう」
――――それ即ち、剣術修行の開始を意味していた。
◆ ◆ ◆
「たわけッ! 切っ先がブレておるわッ!」
「ぁ痛ァッ!?」
平手が頬を張る甲高い音が、森の中に響き渡る。
叩いたのは? 黄色だ。
では叩かれたのは? これも黄色だ。
「やり直し! はよ構え直せ!」
「ぐぐ……」
「返事は!」
「お、押忍ッ!」
言われるがまま、黄色は村正を正眼に構えた。
背筋を伸ばし、足を前後に開き、真っ直ぐ前を見つめ、数歩先にいる敵の喉元に切っ先を突き付けるイメージで、構えを取る。
……そのまま止まる。
微動だにせず、ジッとそのまま動きを止める。
意識は切っ先。
刀の重さを意識して、決して切っ先を動かさないように――――
「たわけッ! 切っ先の向こうの敵を意識せいと言うたじゃろうが!!!」
「ぁ痛ァッ!?」
また平手打ち。
やはり今度も叩いたのは黄色で、叩かれたのも黄色だ。
……要するに、一瞬だけ肉体の支配権を取った村正が自分の頬を叩かせているのである。
「だいたい構えが違うておるぞ。足の開きはこう! 腰の高さはこうじゃ! たわけ!」
「お、押ォ忍ッ!」
そのまま“正しい構え”に矯正され、支配権を返される。
意識を集中させる。
今取っていた構えを、決して崩さないように――――
「体に力を入れすぎじゃたわけがッ!」
「ぁ痛ァッ!?」
……万事、この具合だった。
なにはともあれまずは構えから、ということで構えを教わって既に一週間近く、構えしか取っていない。ただひたすらに構えを取り、矯正され続ける日々である。
いやわかる。構えというのは大事なものなのだろうし、基本中の基本で、これが無いと先に進めないというのは、理論としてわかる。
そこについて黄色から異論はないが……
「……よしやめッ!
「お、押忍師匠……」
……日の出から正午までぶっ続けで殴られまくると、流石に少し嫌になる。
しかも殴っているのは自分の手なので、自分の手も痛い。つらい。
ちなみに食事はもっぱら果物と虫である。全部黄色が採取している。「これも修行」と言って、腰に村正を差したまま食材集めをやらされているのである。
幸いにして季節は秋。食材集めにさほどの苦労はなかった。道具が無いので狩りが難しく、タンパク源はもっぱら虫だったが。つらい。ちなみにキノコもよく見かけるが、素人が手を出すと危険なのでノータッチである。
というかこの虫なに? みたいな虫が結構いる。魚とか小動物にもそういう不思議な生物がちょくちょくいるので、やっぱり異世界なんだなぁと見かける度に現実逃避をしていた。
この小型犬ぐらいある芋虫とか、なに? というかほんとに食べて平気なのか? 既に何度も食べてしまっているので食べても平気なことを祈る。つらい。
猛烈に故郷が恋しかった。
故郷というか、文明的な食事が恋しかった。
なんでこんな原始人みたいな生活してるんだろうみたいなお気持ちがあった。
泣き言を言っても仕方がないので、黙々と焚き火に薪をくべて巨大芋虫を焼く。ちなみにこの芋虫、甘い。なんで甘いんだろう。怖い。
そもそもこの焚き火からして着火に相当な手間がかかった。二度とやりたくないので、適時薪を足して火を欠かさないようにしている。
小高い洞窟の中の暮らしだから、獣が寄ってこないのは幸いだった。どうもこの洞窟がある岸壁の近辺は猛獣があまり寄り付かないようで、その辺りも幸いだ。食料調達のためには森に分け入る必要があるが、細心の注意を払えば猛獣との急な遭遇は避けられる。
「焼けたか?」
「いやまだ……」
「焼けたらはよう食えよ。すぐ修行に戻るからの」
「押忍……」
なお村正は食事を必要としない。時折、戯れに果物をかじるのみである。ずるい。
くぅ、と腹が鳴った。
このグロテスクな芋虫に対して食欲を覚えているのがものすごくつらかった。心が死んでいくのを感じていた。
感じていたが、食事をしないわけにもいかない。焼き上がった巨大芋虫にかぶりつけば、柔らかい肉質から臭みの強い甘さが口の中に広がっていく。美味しいかどうかで言えば……そこそこだ。人間って結構なんでも食べられるものなんだなぁと思った。
そんな地獄のような昼休憩を終えれば、待っているのはまた修行。
再び地獄の構え指導……ではなく、今度は素振りである。
妙な癖がつくといけないと言うことで、構えをしっかり身に付けるまでは村正が黄色の肉体を乗っ取って素振りを代行している。
……ある程度加減はしているようだが、それでもいくらか黄色の能力を超える動きをしているのか、負荷はそれなりに高い。
ひたすら刀を振り上げ、踏みこみ、振り下ろし、一歩下がる。
ただこれだけの動きを延々と、本当に延々と、空が茜色になるまで延々と続ける。
そのぐらいになると素振りを切り上げ……夕食(当然虫と果物だ)をとり、へとへとになった体で日没と共に泥のように眠る。熾烈な修行によって疲弊しきった肉体は、本当に電池が切れるように眠りにつく。
微睡みの中、束の間の休息を――――とることすら、村正は許さない。
気が付けば、黄色はどこかの辻に立っている。
ざぁ、と生暖かい風が頬を撫で、そのまま舐めるように通りすぎては脇に立つ柳を不気味に揺らしていた。
手には村正によく似た刀を握っており、そして向かいには侍が立っている。
距離は三畳分。笠を被った侍の顔はうかがい知れず、ただ背丈が黄色と大差無いということが確かにわかる。衣服に隠れてよく見えないが、首や手首の太さを見るに、筋肉の量では比べるべくも無さそうだ。もちろん、相手の方がよく鍛えられているということである。
侍もまた刀を握っており、そしてそれは村正である。
「さぁ続きじゃ。構えよ、小童」
村正の声は、相手が持つ方の刀から聞こえた。
もう何度も来た場所で、何度も繰り返した会話で、そしてこれからのことも何度も繰り返している。黄色はもはや驚くこともなく、深く息を吐きながら刀を構えた。
互いに構えは正眼。
じり、と間合いを測る。
一足で斬り込める間合い。
張り詰める緊張。
呼吸はできない。すれば吸った隙に斬られるだろう。
無呼吸状態での間合いの調整。
高速で思考が回転する。
行けるか。
それとも行かれぬか。
どれだけ時間が経ったのだろう。
一瞬か、それとも永遠か。
侍は村正を正眼に構えたまま、微動だにせず黄色の打ち込みを今か今かと待ちわびている。
あるいは少しでも隙を見せれば、前述のように斬られるだけだ。
極度の緊張から、汗がどうと噴き出しているのがわかる。
生か、死か。
……それでも、斬らねば進めまい。
意を決し、黄色は踏み込んだ。
可能な限りコンパクトに刀を振り上げ、
――――その瞬間、黄色の手首が消えた。
違う。斬られた。
侍の間合いに踏み込んだ瞬間、侍は半歩踏み出し、刀を捻り込みながら持ち上げた。
ただそれだけ。
ただそれだけの動きで、黄色の手首がすっぱりと切断されている。
ごろんと、カランと、手首と刀が地に墜ちた。
「っ、ずぁ……ッ!」
「遠い。遅い。甘い。次じゃ」
鮮血が遅れて噴き出し、しかし痛みはなかった。
なぜなら、これは夢だからだ。
夢の中では痛みは感じない。ただ、痛い気がするのみである。
斬られた瞬間は怯めど、気を取り直せばなんのことはない。
いつの間にやら手首は生え変わり、その手にはまた刀が握られている。
……例えば上杉謙信の
ある日謙信が姫鶴一文字を磨り上げて短くしろと研師に命じると、その晩研師の夢の中に美しい姫が現れ、どうか短くしないで欲しいと懇願したという。研師が不思議に思って他の者に相談してみるとその者も同じ夢を見たとのことで、これは刀が夢に出て頼んできたに違いないと、謙信に報告して磨り上げを中止させたらしい。
これはあくまで一例で、少し探してみれば似たような話はよく見つかる。
すなわちこれは、力持つ刀とは人の夢に現れることができることを意味する。
……この修行はその応用。
村正は黄色の夢を支配し、夢の中で実戦訓練をさせているのである。
既に幾度となく黄色はこの侍に斬り殺され、その度に蘇ってはまた斬り殺されてを繰り返している。
「……せいッ!」
「見え見えすぎるわたわけ! 次っ!」
横に一閃、黄色の胴に刃が深く食い込み、黄色は死ぬ。そしてまた蘇る。
……いくら痛覚が無いとはいえ、いくら蘇るとはいえ、いくら一度死んでいるとはいえ、死は恐ろしい。己が殺されるという感覚は、例え夢であれ強烈に黄色の精神を苛んでいく。
だからと言ってやめるわけにもいかない。
やめようとすると、向こうから斬りかかってくるからだ。それはますます恐ろしい。
「刀の間合いを覚えろと言うに!」
死ぬ。
「踏み込みに遠慮があるぞ!」
死ぬ。
「刀はしっかり小指で握れ!」
死ぬ。
「なんとなくで切り込むでないわたわけ!」
死ぬ。
「構えがブレておるわっ!」
また、死ぬ。
そのように幾度もなく“稽古”を続け、やがて夢は終わる。どれほどの間そうしているか、体感時間でもよくわからない。少なくとも、この一週間近くで三百は死んでいるのは確かである。
夢が終われば当然目が覚める。
目覚めは日の出の少し前。
ひどい寝汗を拭い、川まで足を伸ばして水を飲み、浴び、朝食の果実をかじり……
「しっかり腰を落とさんかたわけッ!」
「ぁ痛ぁっ!?」
また構えの矯正が始まり、虫を食べ、素振りをして、虫を食べ、眠り、夢の中で殺され続け、目覚めてまた構えの矯正をする。
……必要なことだと、理解はしている。
実のところ、これほど修行が過酷なのには理由がある。季節だ。
現在の季節は秋……もしこの世界にも四季があるのなら、次に来るのは冬だ。
冬の森は、死ねる。
今でこそ食料が容易に確保可能で、気温も肌寒い程度で住んでいるが、これが冬になるとそれらの事情が一気に悪化する。
目指すべき場所が明確であるのならともかく、人里がどこにあるのかもわからない状態で冬を迎えるのは、具体的に命に関わる。
故に、冬が来るまでの間に森を踏破可能な程度の実力を得なければならないのである。
そのことについて黄色は納得していたし、いずれ魔王を倒すとなれば剣術の習得は必要なことだ。家に帰るため、必要な努力だと理解している。
……している。
しているのだが……それはそれとして。
「(流石に修行がしんどすぎる……!!!)」
ちょっとハードモード過ぎませんかね、というお気持ちもまた事実。
一度正直に少し休ませて欲しいと言ってみたが、腑抜けたことを抜かすなの一言で一蹴された。
……実際タチの悪いことに、肉体的な疲労や消耗は回復できてしまうのである。
睡眠が長いのがいいのか、あの芋虫の栄養価がやたら高いのか、あるいは特典の治癒促進能力が効いているのかはたまた全部か。
肉体的な疲労はほとんどリセットされ、かなりのハイペースで肉体が筋肉質になっているのを黄色も自覚しているほどだ。
が、精神の方はそうもいかない。
ほぼ休みなしで熾烈な修行を毎日毎日、娯楽もなしにやらされて、寝ても夢の中で幾度となく殺される。心が安らぐ瞬間というのが一切無く、ものすごい勢いで精神が磨耗している。
これはマズイ。
このままでは、森を抜ける前に精神が崩壊してしまう。
……対策は、既に練っていた。
やるしかないのだ。
やるしかない時というのが、男の子にはあるのだ。
最終的に頼れるのは己だけ。
演劇部として培った演技力を活かす時が来た。
黄色は決心し、胸中で呟いた。
――――――――――――今日、修行をサボる……ッ!
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