第25話 地下3階 10部屋(その6)

 首から下げた『ギルド証』のお陰か、狭い街なのでもう俺の事が知れ渡っているお陰なのか、心なしか棄民街スラムの俺を見る雰囲気――異物を見るような警戒感――が、一気に和やいだのを自覚しながら、俺たちは《スードウ・ゴブリン》のハグレ個体を狩る依頼を受けて、街の外へと向かった。


 途中でアレッタトワが、顔見知りらしい露天商のおばちゃんに声をかけられたり、

「いや~、アレッタちゃんが無事でよかったよ。だけどまさか旦那を連れて帰ってくるとは思わなかったけど」

「ちょ――違うわよ! こいつは単なるツレよ! 世間知らずのボンボンだから、同郷のよしみで世話をしているだけで……」

「あはははははっ! アタシと亭主との馴れ初めも似たようなもんだね。どうにも、この人は商売が下手で、かといって腕っぷしも大したことがなかったから、隣で商売していたアタシがじれったくなってねぇ。世話をしている内に、いつの間にやら子供が七人――まあ、三人は病気と怪我でコロッと逝っちまったけど――ときたもんさ!」

 そうおばちゃんが視線を向ける先では、隣で髭面の痩せたオヤジが屋台で得体の知れない肉と、東南アジア風の焼きそばであるパッタイ、もしくはミーゴレンに似た麺を焼きながら、きまり悪げに視線を逸らして咳ばらいをしていた。


「……まあなんだ。なるようになるのが人生ってもんだ」

 そう言って、トワと俺とに串焼きの肉と、飲み物代わりなのだろう、水気の多い瓜に似た果物を半分に割ったものを、「サービスだ」といってぶっきら棒に寄こした。


「ありがとう。おじさん! おばさんも元気でね。じゃあ、これから仕事だから」

「気を付けるんだよ~。お兄ちゃんもアレッタちゃんをしっかり守ってやってね」

「はははっ、アレッタのほうが俺よりも腕っぷしは強いんですけど……まあ、頑張ります」

「おう。男だったら女の盾になるくらいの気概がないとな」


 挨拶をしてその場から離れる俺たち。

 トワは歩きながら早速、串焼肉にかぶりついて、美味しそうに顔をほころばせる。


「……美味いのか、それ?」

 この世界の食い物は、アミノ酸の形態が違うから、そもそも食べても魔族俺たちには一片の栄養もないはずなんだが。

「死ぬほどマズいに決まっているじゃない」

 顔だけは微笑みを絶やさないようにしながら、トワが小声で答える。

「けど、この世界のニンゲンの街で暮らす以上、こうやってフリだけでも美味しそうに食べないと、周りから変に思われるでしょう?」

 そういいつつ、続いて瓜を口に運ぶ。

「ぐ……前はまだしも無心で飲み込むことができたんだけど、ここんところまともな食生活をしていたせいで、舌が肥えてクーワマ瓜の汁でさえも喉を通らないわ」


 もぐもぐといつまでも口の中で食べたものを頬張りながら、ゲンナリとした口調でトワがこぼした。

 それほどマズいのかと、ドリアンやシュールストレミングに挑戦する好奇心で、俺ももらった串焼肉とクーワマ瓜とやらを一口ずつ食ってみる。


「……確かにマズいわ、これ」

 なんつーか、串焼肉は半年間雨水に漬けた古新聞をそのまま焼いた感じで、クーワマ瓜は床にこぼれた牛乳を、灰色に変色した雑巾で拭いてしっぼった汁でふやけたスポンジみたいな味と触感だった。


 口に含んだまま、棄民街スラムの門を無言で通り抜けた俺とトワ。

 周りに人けがなくなったのを確認して、『結界(Lv1)』を張った上で、ふたり揃って口の中のモノを吐き出して、『インベントリ』にしまっていたポリタンクの水で、うがいをしたのは言うまでもない。

 まさか、『結界(Lv1)』をこんな風に使うことになるとは俺も思いもしなかったけれど……。


 ◇ ◇ ◇


「北北西に500mほど離れた場所に、三体ほどの二足歩行生物の気配を確認したわ。動きからしてニンゲンではなくて《スードウ・ゴブリン》ね」

「野良の《スードウ・ゴブリン》ですか。トワさんがこのあたりに腰を落ち着けていたということは、それなりに個体数の密度が高いということですね?」


 奥義書グリモワールから人型の形態になったヤミの問い掛けに、『気配探知(Lv2)』と『熱探知』を同時に稼働させながら周囲の生き物の分布状況を確認していたトワが頷く。


「まあね。このあたり……というか、北側の渓谷地帯にアリの巣のように複雑なダンジョンが、結構昔からあるんだけど、そこからハグレた《スードウ・ゴブリン》が野生化したらしいのよ」

「へえ。《スードウ・ゴブリン》が野生化する昔っていえば、かなりの古参のダンジョンだよな?」

「《スードウ・ゴブリン》の設定を変えて、アップデートされたのは、およそ1250年前です」

 俺の問い掛けにヤミが補足を加えてくれた。


「つまりそれ以前から存在していたということだ。――まあ、ダンマスは取って替わられているかも知れないけど」

「いえ、公式にはその場所のダンジョン――シリアルナンバー1789番『崑崙クンルンダンジョン』――のDungeon Masterである『楊回ヤンフイ』が代替わりしたという記述はありません」

「ほう。ちなみにどこの派閥に所属しているんだ?」

「してないわよ」

 それに答えたのはトワである。

「言ったでしょう。古参のダンジョンマスターになると『魔王』として、独立独歩でいるって。ここのダンジョンマスターはその典型ね」

「ほうほう」

 やはり外に出てみないとわからないことが多いものである。


 思わずニヤケル俺の顔を横目で眺めながら、

「ああ、アカシャ様があんなに嬉しそうに、生き生きと……」

「悪だくみをしている顔よね」

 ヤミがうっとりと見入り、トワがげんなりした表情で吐き捨てた。


「ははははははっ、人聞きが悪い。ただ、せっかくご近所になったんだから、先に挨拶をしておいたほうがいいかなぁ、と思っただけだよ」

 挨拶をするに、このダンジョンがオープン前の期間は絶好と言えるだろう。基本的にオープン前のダンジョンとダンジョンマスターに戦いを挑むことはできないのだから。

「話がわかる相手だったら協調路線を探るし」

「通じない相手だったら?」

適当に相手ビジネスライクでしよう行こうじゃないか」


 決まっているだろう!

 そう答えると、ヤミが「さすがはアカシャ様です!」と感嘆し、トワが頭を抱えてため息をついた。


* * * *


《ツノウサギ》のようなモンスターではない、この世界の生物である《オオハリウサギ》(保護色である紫色の体毛をした、中型犬ほどもあるハリネズミとウサギを足したような生物)を追い立てて、身動きのとれない林の一角に追い詰めた《スードウ・ゴブリン》のハグレ三匹は、醜悪な顔を喜色満面にして、各々がもっていた、ボロボロの銅剣――もとはどこぞの冒険者の装備だったのだろうが、研ぎ直しも水洗いもしていないので、刃こぼれによって剣というよりもノコギリ、もしくは鈍器と化している――と鉈とで、三匹がかりで《オオハリウサギ》を原型も留めないほどのオーバーキルで殴り殺した。


 湯気を立てる血塗れの肉を前にして、殺戮本能より食欲の方が刺激されたのか、片手に武器を持ったまま(さすがにその程度の警戒感は持っているらしい)たおしたその場で、我先にと《オオハリウサギ》の腹を掻っ捌いて、我先にと柔らかな内臓にむしゃぶりつく《スードウ・ゴブリン》たち。

 それなりの肉の量を持った獲物ではあったが、三匹で競い合って食えばあっという間である。


 内臓を食い終えた三匹は、血と粘液でベタベタの顔と手足のまま、《オオハリウサギ》の背中の毛にだけは注意して(ウニの棘と同じで針に微細な返しがあって、一度刺さると自分の肉を削らないと取れない。三匹とも、かつて痛い目にあった経験がある)、残った手足の肉をお互いに遊び半分で引っ張り合いをして、引きちぎって骨ごと食い散らかすのだった。


 そんな風に夢中になっていた三匹は気付かなかった、いつの間にか凍えるような冷気が足元から迫っていたことに。


「ぐぎゃ――?」

 ふと、一匹の《スードウ・ゴブリン》が《オオハリウサギ》の片足を完全に食い終えて、僅かに残った皮についた肉をこそぎ落として食おうと、足を前に出そうとしたところで、足が凍り付いて固まった血と体液とで、地面に張り付いているのにようやく気付いた。


「ぎゃおっ!」

 慌てて手をやろうとして、手もまた、握っていた銅剣の柄に張り付いて、指一本引き外せなくなっている。


 慌てて仲間に助けを求めようとした《スードウ・ゴブリン》であったが、その瞬間、紫色の草原に擬態していたトワの中剣が一閃をして、悲鳴を上げる間もなくそいつの首と胴とを生き別れさせる。


「ぎゃううううううううううん!?!」

「きゃんきゃん!」

 そこで初めて命の危険に気付いたのだろう。残り二匹は一目散に、皮と肉が地面に凍り付いた足の裏を無理やり引き離して――血がしたたり落ちるが、幸いというべきか凍り付いた足の感覚がなくなっているので、この場ではさほどの痛みは感じない――一目散に、トワの反対側。木が密集している林の奥に逃げ込もうとした。


「ぐぎゃ――?」

「が……⁇」

 大慌てで二本の木の間を抜けようとした《スードウ・ゴブリン》であったが、その途端、焼けるような首の痛みを感じてたたらを踏んだ。

 無事な方の手で首筋に手をやると、いつの間にやら首に一筋の傷が開いている。

 さらによくよく目を凝らして見れば、木と木の間、ちょうど《スードウ・ゴブリン》の首がくるのあたりに、一本のよくよく目を凝らさなければわからないような、薄い刃を延ばしたような針金が水平に張ってあった。


「ぎゃおおおおおおん!!」

 怒りに燃えた《スードウ・ゴブリン》が、持っていた鉈で針金を切ると、ピアノ線が切れたような不協和音を立てて針金が切れる――と、同時に地面に潜んでいた括り罠ネアトラップの鋼線が作動して、一気に収束をして、二匹の足をまとめて拘束する。


 もともと冷気で感覚が鈍くなっていたのだろう。もたつく《スードウ・ゴブリン》たちが逃げる間もなく、締まった鋼線によってひとまとめに縛られ、地面に転がり込んだ。


「……最初の極薄のワイヤーでセルフギロチンにかけられると思ったんだけどなー」

『土魔法・鉱物変化(Lv1)』で作りだしたワイヤーを外そうともがく《スードウ・ゴブリン》たちの前に、音もなく近づいていった俺は、手にした〝リアル斬鉄剣”(マジでその名でDPで購入できた)――超硬合金を備前長船刀の形へ溶接して、ダイヤモンドディスクを付けたグラインダーで刃付けしたもので、切れ味は日本刀が木の枝に思えるほど凄まじいとのこと――で、無造作に《スードウ・ゴブリン》の首を刎ねた。


 わざわざ『真眼』で弱点を探るまでもなく、斬鉄剣の切れ味の前にはコンニャクも同然である。

「おわっ、血が噴き出た!」

 慌てて返り血を浴びないように、距離を置いたところで、入れ替わりに近寄ってきたトワが各々スードウ・ゴブリンの体に手をやると、一瞬にして南極のバラの花のように凍り付く《スードウ・ゴブリン》の死体。

 さらに軽くトワが剣で叩くと、壊れたガラス細工のようにバラバラになった。


「おーっ、便利なもんだな」

「前までは肉を取るために、氷点下くらいまでにして、インベントリにしまってたんだけど、いまじゃ必要ないからね」

「なるほど」

 わざわざ好んで食うものじゃないしな。

「それに、便利っていえばあんたの方が便利――いえ、器用よね。正直、『演奏』とか『手芸』とか、何の役に立つんだって思っていたけど、足音や雑音を消すのに使ったり、『土魔法・鉱物変化』で作ったワイヤーで、罠を作るとか、予想もしてなかったわ」

「まあ、なんでも使い方次第ってことだな」


 話している間にトワは手にしたナイフで、《スードウ・ゴブリン》の胸を切り開いて、何かを探してた。

 これが生身だったグロな光景なのだろうけれど、完全に凍り付いた遺体だけに、かき氷をかき混ぜている程度にしか見えない。


「なにをなさっているんですか?」

 離れていたヤミも近寄ってきて、興味津々覗き込む。


「んー。《スードウ・ゴブリンコイツら》たまに、先祖返りで魔石を持っている奴がいるから、もしかして……と思って探してみたんだけど、三匹ともハズレみたいね」


 諦めて、討伐証明らしい砕けて落ちていた《スードウ・ゴブリン》の比較的原型を留めている指を拾って、腰に下げている皮袋に詰めるトワ。

 なるほど冒険者アレッタとしては、インベントリを見せるわけにはいかないので、普段の荷物はああして既存の道具を使っているわけか。


「魔石がないのは痛いですね。DPへ変換することができませんから」

 ダンジョン内で斃したわけではないので直接DPになるわけでもない。かといって変換可能な魔石も手に入れられなかったことに、ヤミは不満な様子である。


「といっても、一般的な冒険者なんてこんなもんよ? ましてあたしは《スードウ・ゴブリン》専門って思われてるし」

「それは以前はトワさんは《スードウ・ゴブリン》しか食べるものがなかったのでやむなくですよね。必要なくなったのですから、今後は方針転換をしてもよろしいのでは?」

「う~ん、まあ、そうなんだけど、いきなり変えるっていうのは、それはそれで不自然だし……」


 どうにも煮え切らない様子のトワの態度に、

『トワさんは、《スードウ・ゴブリン》退治に生きがいを見出しているのでしょうか?』

 ヤミがこっそりと俺にだけ『念話』を飛ばしてきた。

『トワさんほどの実力があれば、こんな下級の《スードウ・ゴブリン》の殲滅に終始していなくても、中級以上のモンスター退治も余裕でしょうに』

 上級だろうが問題ないだろうけれど、さすがにソロで上級モンスターを斃したとなれば目立たないわけがないので、中級あたりを狩っている方が適切であろうに……というヤミの素朴な疑問に対して、

『多分、トワは《スードウ・ゴブリン》を退治することで、棄民街スラムの安全を担っていくつもりなんだろう』

 そう俺は苦笑交じりに答えた。

『……??? 原住民の巣を守ることになんの意味があるのですか?』

 ますます理解できないという風情のヤミ。

『長くこの世界のニンゲンに混じって暮らしてみたいだからな。お前だってお気に入りのペットが殺されたり、好物が粗末にされていたら嫌だろう?』

『私にはその手の所有欲が希薄なので、あまりよくわかりませんが……』

 なおも首を捻るヤミとの念話を切った俺は、トワに提案した。


「とはいえ、俺としてはある程度余所で魔石も補充したいし、それに例の『崑崙クンルンダンジョン』がどうなっているのか。余所のダンジョンを参考にしたいところなんだけどな」

「それは……まあ、わからなくはないし、6級冒険者以上が同行していれば10級でも行けないことはないけど」

 それでもまだ逡巡するトワに向かって、

「だったら決まりだ。『身の程知らずのお調子者の新人が駄々をこねてダンジョンに行ってみた』って体裁で、行ってみようぜ」

 そう提案する。


「う~~ん。まあ浅い階層だったら大丈夫と思うけど」不承不承了承しながらも、思いっきり不審な眼差しで、「まさかと思うけど、いきなり『崑崙クンルンダンジョン』のダンジョンマスターに喧嘩売ったりしないでしょうね!」

「はははははははっ!」

 そんなの相手次第じゃないか。

「その笑いが信用できないのよ!」


 不信感丸出しのトワ。話を変えるために、

「そーいえば、そこにダンジョンがあるのに、そのダンジョンを攻略して、ダンマスになろうとかは思わなかったのか?」

「はああ!? わかってるのアンタ?! 相手は《魔王》と呼ばれるほどの古強者よ。あたしなんかが勝てるわけがないじゃな――って、なによ、その『だからお前はダメなんだ』とでも言いたげな目は?」

「だからお前はダメなんだよな~」


 世の中に絶対不可侵とか、難攻不落なんていう相手がいるわきゃないだろうに。

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