第19話 淡雪の少女④

 魔剣〈ノートゥング〉は狙い過たずにトワの体の中心を貫いた。

 途端、押し寄せてくるこれまでと比べ物にならない、猛烈な痛みと寒さ。

 冗談のように流れる血潮。


 身近に迫った死を前に、トワは諦観と……そして、やり切った安堵を覚えていた。


「……ああ、そうか。あたしはもう疲れていたんだな……」


 喪失の恐怖に狂しいほど煩悶して、すくってもすくっても指の間からサラサラとこぼれる砂のように逃げていくモノたち。

 一度目の失敗から、渇望をしてすべてを手に入れようとして……だけど常に持ち切れずに、結果的にいつも何も持つことができない二度目の人生だった。

 運命に絶望して、奪われるなら奪ってやろう……。そうなりふり構わず奔走して、いつしか手段と目的が入れ替わっていたことにも気づかなかった。

 つまりは運命がどうこうじゃない。これが自分という人間の器の大きさなのだろう。

 ちっぽけなコップ一杯の水で満足していれば良かったのに、つねに流れる川の水を全部すくおうとして、こぼれて流されて……。


 嗚呼ああ、自分は何がしたかったのだろう……? 本当に欲しかったものはなんだろうか……?

 風の中の蝋燭の火のように、いつ消えてもおかしくない意識でぼんやりと考える。


 ふと、気が付くと周囲で話しているものたちの声が聞こえた。


「――やっと回答がきたか。で、なんて言っているんだ運営は、ヤミ?」

「はい、アカシャ様。運営としては『Soul Crystal』を持たないダンジョン・マスターはあくまで野良の魔物、もしくは原住民と同等と見なす……とのことです」

「んなこといっても、『Soul Crystal』に干渉したり権利を譲渡できる時点で、ほぼダンマスと同じだと思うんですけどねえ」

「それについては運営としても遺憾だということで、今後は『Soul Crystal』を持たない元ダンジョン・マスターに関しては、『迷宮創作』のスキルは即時廃却するようにバッチ処理を当てる方針だそうです。それと、名称としても『Dungeon Master(アカウント凍結中)』という部分も」

「泥縄だなぁ」

「その代わり運営から譲歩を引き出しました。今回の件に関しては、〝運営としても遺憾の意を表明するとともに、被害に合った該当ダンジョンに対して補填をする”とのことで、なんと『壺中天』をひとつ融通させました!」

「『壺中天』っていうと、確か中国の故事で壺の中に街があって空があって……って、あれか?」

「そうです。この場合はダンジョンのフロアのひとつの形態なのですが、その一フロアだけで広大な土地とほぼ本物と変わらない空がある亜空間を自在に使えるものとなります。まあ、さすがに無限大に広い……とはいけませんが、正方形にするなら一辺10kmほどの広さがあります」

「ほーっ、かなりのものだな」

「ええ。普通に買えば50億ポイントはしますね。もっともさすがにダンジョンのエリアと違って、『草原』『火山』『海辺』『雪山』『砂漠』『密林』など、ある程度テンプレートは決まっていますが」

「ふーん……じゃあそこで牛を飼ったり、畑を作ったりも」

「できますね。割とそうやって自給自足しているダンジョン・マスターも多いらしいですよ」

「ほー、いいじゃんいいじゃん。つーても、いまのままだと人手が足りないからなあ。――お前ら何か使う?」


 と、水を向けられた者たちが、てんで好き勝手に話し始めた。


「いらん。どうせこの周りがまるごと湖になるのであろう? そっちの管理が忙しそうじゃ。ああ、妾の泉と周囲の湖と繋がる水路を所望するぞえ」

「一種の抜け道だなぁ……まあいざという時の脱出口にも使えるから構わないけど。リュジュはどうだ? 10㎞四方あれば、そこそこ使い勝手がいいだろう? 山の上にでもダンジョンの出口を作って、そこらへんに君臨するってのは」

「えー……それって、山の上にずっと詰めているのが前提ですよねー? あの、ゲームの持ち込みは……?」

「『壺中天』には電気も電波も届きません」

「あ、じゃあパスで」

「はあ……このダメドラゴンが。じゃあシノは?」

「わたしの手には余りますね。可能であれば、地下二階の空洞を住処にさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?」

「ああ、そのほうがパフォーマンスが出せそうだな。もともとリュジュでは狭すぎたと思ってたし。じゃあレギィは?」

「我としましては御屋形様の寝所を警護するために、なるべくお傍に詰めていたいのですが……無論、ご命令とあれば従いますが」

「う~ん、確かに護衛は必要だけど……」

「うむ。そういえばいつの間にやら人数も増えたことであるし、さすがにあの六畳一間へやで、妾たち六人が全員が揃って食事をするとなると窮屈で仕方がないぞよ。もうちょっと何とかいたせ」

「あー、そうですね~」

「……お前ら、今後も俺の部屋で飯を食うつもりでいたのか?! って……六人? ヤミ、フィーナ、リュジュ、レギィ、シノ――まさか《アイアン・ゴーレム》まで呼んでテーブルに付かせるつもりか?」

「阿呆。こやつじゃこ奴。腹に剣が刺さった後、治療を終えたというのにグーすか寝ておるこ奴じゃ」

アレッタトワのことか!?」

「そうじゃ。生かしておいたということは、己の女にするつもりなのであろう?」

「まあ、勝った者が敗者である女を手元に置いておくとということは、そういうことですからな、御屋形様」

「……これだから紀元前の連中は……」

「ですがアカシャ様。彼女については、その処遇について運営から生殺与奪権を委託されていますし、いま現在はもはや野良の魔物と変わりませんので、その気になればこのダンジョンと〝契約”を結ぶことも可能です」

「ヤミ、お前なんか乗り気だな……」

「運営に確認しましたが、特に彼女に裏はないようですし、それならば囲ってしまう方が適切ではないかと。わたくしの持つ知識はあくまで理論であり、マニュアルでありますが、実際にこの世界でダンジョンを運営していた元ダンジョン・マスターの経験はなによりもアカシャ様に必要なものと愚考いたしますので」

「……まあ、確かに奇禍ではあるけれど。あくまで本人がその気にならなけりゃ、契約なんぞできないんだからな」

「大丈夫じゃ。ともに食卓を囲んで美味いものを食べれば、大抵のことはどーでもよくなるわ」

「そんなのはお前らだけだ!」


 呆れたように言い放った男の声に対して、周囲の女性たちが一斉に屈託のない笑い声をあげる。

 そんな暖かな雰囲気に包まれて、トワは――。


「ああ……いいな。こんなところで暮らすのもいいな……」

 そう小さな満足を味わいながら微睡みに耽るのだった。

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