第9話 淡雪の少女①

 彼女は孤独だった。

 その人生、、がどんなものだったのかはもう覚えていない。

 だが、唯一覚えている光景は、燃え盛る炎とガソリンの臭い、人々の絶叫。そして、様々な物が焦げる煙と異臭であった……。


 ――熱い……苦しい……重い……苦しい……熱い……暗い…‥静か…………寒い。……寂しい。


 その意識が途絶える刹那、

《貴女の人生を代価に異世界でダンジョン・マスターになり、自分だけの王国の主になりませんか?》

《YES/NO》

 唯一手放さなかった私物――気を利かせて持たせられたものではない。ただ自分を縛るための目に見えない鎖である――型遅れのスマホの画面(とっくに充電なんて切れている筈なのに)に、そんな表示が見えた気がした。


 自分だけの王国。

 ああ、そんな国があるならば自分を疎ましく思う実の母親や、毎日のように暴力を振るう粗暴な継父、血の繋がらない破廉恥な義兄、常に自分をいじめのターゲットにしている級友にも、何の気兼ねもなく自由に生きられることだろう。


 ――いらない。こんな人生も世界も……。何もいらない。ただ私は……。


 縋りつくように、ただただ逃げ出したい。奪われたくない。否定されたくない一心で、彼女は震える指先を延ばした。


《YES》


 そうして彼女は生まれ育った世界から、この異邦である世界へ『ダンジョン・マスター』として生まれ変わったのだ。

 その際に、傍らに控えていた奥義書グリモワール『Dungeon Manual』635572版の化身(執事風の美青年であった)との会話を経て、自らを『トワ・クオン』と名乗ることにして、与えられた初期ポイントの22万と小さなログハウス(3LDK)を元に、徐々に徐々にその勢力範囲を延ばして、いつしか小なりとはいえ砦のような城型ダンジョンを持つ一端のダンジョン・マスターへと成り上がることができた。


 ――奪われるのは嫌。だから奪いに来るものは倒す。


 幸いにして彼女の居城は北方に位置していて、ことに冬場は雪深い地方とあって、頻繁に人の姿を見ることもなく、時折訪れるものといえばこの地に特化したモンスターと、冒険者と呼ばれる荒くれモノや領主の私兵を名乗る兵隊たち。そしてダンジョンとそこに棲む者たちを親の仇のように敵視する聖職者くらいなものであった。

 そうした者たちを排除して、自分だけの王国に君臨していた彼女。


 こんな日が永遠に続くのだと思っていた彼女だが、破綻はあっという間にやってきた。


 教皇庁に所属する神聖十二神官のタウラス、ヴァルゴ、ピスケス――そう名乗った明らかに人間以外の――三人の男女。

 彼/彼女らの力の前に、堅ろうを誇った城塞も精強であった魔物たちも、たちまち蹂躙され尽くし、トワもまた瀕死の重傷を負って倒れ伏した。


 目の前で炎に燃える城内と、その炎にくべられた『Dungeon Manual』の化身を前に、とめどもなく涙を流す彼女の前に、突如として現れた男――教皇庁が崇める〈神〉を自称するダンジョン・マスターであり――〝オフィウクス”と名乗った、金髪のこの上なく美しい造作をした青年は、小虫を見る目で淡々と取引を持ち掛けてきた。


「選べ。すなわち自ら恭順して、我に『Soul Crystal』の全権と残存するポイントと魔物をすべて差し出すか。あるいはこの場で『Soul Crystal』を砕かれ消滅するか」


 傲然と。それが当然であるとばかり、すべてを差し出すか、死ぬか……いずれにしても、彼女がこの世界で必死につかみ取ったすべてを奪うと宣言したのだ。

 憤怒と悲哀で頭が真っ白になる彼女の目前で無慈悲に「10、9、8」と勝手に始まるカウントダウン。


「……3、2」

 彼女の『Soul Crystal』の上にオフィウクスの掌が乗って、ゆっくりと力が込められていく。

「1」

「――待って!」


 そうしてトワは折れた。完膚なきまでにそのすべてと心根までも根こそぎ奪われたのだ。


 ダンジョン・マスターが己のダンジョンの権利を譲渡する場合には、互いに『Soul Crystal』に体の一部を当てておかねばならない。

 そうしてお互いの了承のもと譲渡が完了した刹那――。


「では、死ぬがいい」

 何の躊躇いもなくオフィウクスは部下に命じて――自らが手をかけるまでの価値もないということだろう――もう用はないとばかり、疾くその場から姿を消した。


「「「――はっ」」」

 うやうやしくこうべを垂れた神聖十二神官たちは、即座に呆然と立ち竦む瀕死のトワにとどめを刺すべく、三方を囲もうとしたところで、

「トワ様、お逃げくださいっ!!」

 燃え盛る炎の中から半ば崩れ落ちた『Dungeon Manual』の化身が飛び出し、バラバラに分解しながら四方八方に燃え上げる紙片を吹雪のように降り注がせる。


「――ぬっ!?」

 これは予想外だったのか、一瞬だけ神聖十二神官たちがひるんだその時を逃さず、トワは自らの特性――雪姫スネグーラチカと呼ばれる雪の魔族として――残った魔力を全開で放って、生み出した氷の塊を炎にぶつけて、巨大な水蒸気爆発を生み出した。


「しまった!!」

「逃がしてはならぬ! 我らが神の主命を果たさずにおめおめと……!」


 視界の利かない煙の中、神聖十二神官たちが見当をつけて五月雨のように撃ってくる攻撃を縫い、トワはどうにか窮地を脱し、九死に一生を得たのである。


 あれから何年が経過しただろうか?

 人の世に隠れ、息を殺して、辛うじて生きているトワだが、胸にぽっかりと空いた穴はいつまでも埋まらない。

 教皇庁と神聖十二神官、なによりも〈神〉オフィウクスのことを考えると煮えたぎる怒りが湧いてくるが、さりとて彼女がしたいのは復讐がメインではない。

 奪われたものを取り返したいという渇望なのだ。


 だから、教皇庁と対立する勢力に取り込まれないよう、双方に距離を置きながらひっそりと中立の立場を取っている。

 無論、あの城とかつての仲魔たちをそっくり取り戻せるとは思わない。けれどそれに代わるもの――例えば、できたばかりのダンジョンがあれば、今度は自分がオフィウクスの立場となって、そのダンジョン・マスターへ返り咲けるのではないか。

 そう思っている。


 もっとも、まったくもって雲をつかむような話であるので――せめて『Dungeon Manual』が健在であったなら可能だが――偶然発見できる機会など、まずもってあり得ないだろう。


「アレッタ・カルヴィーノさん?」

 思わずカウンターの前で考え込んでしまったトワに、冒険者ギルドの受付嬢が気忙し気な声をかける。

 ちなみに『アレッタ・カルヴィーノ』は、トワの冒険者としての偽名だ。


「ああ、なんでもないわ。ちょっと寝不足ぎみだったから……」

「そうですか。冒険者は体が資本ですから気を付けてください」

 一見すると同年配(18歳くらい)に見えるトワに、同性として親近感を感じているらしい受付嬢が心配そうにそう付け加える。

「ああ、ありがとう」

「ええと、それで依頼ですけれど、最近西の草原に本来は森に棲むモンスターを見かけるようになった、との証言が複数得られていますので、調査をお願いできないでしょうか?」

「森の魔物? あのあたりの森というと……」

「〝ブランの森”ですね。もしかすると森に大型のモンスターか変異種が発生したのかも知れません。とりあえず、モンスターの分布状況を確認して、その後対応を決める予定ですので、無理はなさらないでください」


 トワが常にひとりで行動しているのを知っているので、受付嬢は絶対に無理をしないようにと何度も念を押す。

 苦笑しながらそれに「わかったわかった」と返しながら、依頼を受諾したトワは、早速現場を調査すべく西の草原に向けて歩き出した。

 必要なものはすべて『インベントリ(中)』に納まっているから気楽なものである。


「さてさて。森の異変ね。距離的にダンジョンが発生する条件には合っているけれど、まあ、当てにしないで行ってみますか……」

 そうひとりごちて、歩き始めた。


 この何気ない依頼が彼女のもうひとつの分岐点になるとも知らずに……。

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