第22話 地下3階 10部屋(その3)
貧民街、もしくは棄民街と呼ばれるだけあって、建っている建物はほとんどが、チグハグな材料の寄せ集めの掘っ立て小屋で、玄関の代わりに
「どーでもいいけど臭いな」
得体の知れない腐敗臭や下水、汚水の臭いに辟易しながら、慣れた足取りで先を行くトワの背中に『西方大陸共通語』で話しかけると、トワのほうは不機嫌そうな表情を隠すことなく、
「人が生きてるところはこういうものよ。早く慣れることね」
そう言いながらも微妙にげんなりした表情でいるのは、ここ五カ月あまり清潔でマイナスイオンに溢れた俺のダンジョンでの生活に慣れてしまったからだろう。
「慣れるもんかねえ」
「慣れるわよ。あたしも最初の頃は酷かったけど、そのうち気にならなくなったわ」
『それは嗅覚疲労という状態ですね。嗅覚は他の感覚器官に比べて疲労しやすいので、悪臭を感じた場合早ければ五分から十分ほどで麻痺して、特定の臭いを感じなくなるだけです』
俺たちのやり取りを聞いていた『
「ちょ――下手に口を利かないでよ! 余所者はただでさえ目立つんだから」
慌てて俺に詰め寄り、周囲を見回すトワ。
その慌てふためき具合の方が、よほど挙動不審だと思うんだけどなぁ。
まあ実際、あっちこっちで監視していたのか、軒先、家の窓、通りの陰……その他、そこそこでこちらの様子を窺っていた連中が、一斉に警戒の気配を増した。
「落ち着け。ヤミの言葉は専用スキルの『念話』だから、他には聞こえないって説明しただろう?」
途端、ハタと気が付いた顔で俺の胸元を締め上げていた手のやり場に困ったトワ。
「つまり状況としては、突然トワが錯乱して、往来の真ん中でよくわからん男と急接近しているようにしか見えんわけだ」
『修羅場ですね、ひゅーひゅー♪』
客観的事実を指摘する俺と、調子に乗って焚きつけるヤミ。
「あ……が……」
ここでどうやら周囲の視線に気付いたらしい、俺を締め上げた姿勢のまま顔を羞恥で赤くして絶句するトワだが、ステータスの関係でこの手を振る解くのも難しい。
『アカシャ様、これはもう周囲の期待に応えるしかないですね』
「そうだな。――
「――はああ!?」
なんでせっかく歯の浮くような台詞を口にして口説いているのに、こうまでアドリブに弱いんだろうね、この娘は。
この段取りの悪さと柔軟性のなさが、いまの境遇の原因だというのに……。
「ふっ、照れているんだね。愛しているよ」
「ふ、ふざけん――ぬあああああああああああああああっ!?!」
そのまま有無を言わせず
「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!?」」」」」」」」」」
意外とのぞき見していた野次馬が多かったのか、その途端、あちこちから驚嘆の声が地鳴りのように巻き起こった。
◇ ◆ ◇ ◆
宿屋『アナモグラ亭』は、スラムにある宿屋としては上等な部類に入るらしい。
一応はきちんとした大工が建てたらしい二階建てで、気休めとしての鍵がついていて粗末なベッドがひとつあるだけの5.5畳ほどの一部屋だった。
無論、風呂などなく、部屋の隅に置いてある壺はもしかしなくなくてもトイレだろう。
用を足し終えたら、窓から裏に投げ捨てるのがデフォらしい。どうりで道が臭いわけだ。
その部屋で、牢名主のようにひとつあるベッドを占拠して、胡坐をかいて座っているトワと、
「大丈夫ですか、アカシャ様?」
「ん~、殴られた瞬間、頭蓋骨の咬み合わせがズレた気がしたけど、だいじょーぶだいじょうぶ」
「……死ねば良かったのに」
忌々しく吐き捨てるトワに対して、ヤミが本気で怒りをぶつける。
「なんということをするのですか、トワさん! いまの貴女はアカシャ様の眷属という自覚が足りないようですね!」
「眷属だろうが親戚だろうが、いきなり往来の真ん中でべ、ベーゼをするなんて破廉恥じゃないの!?」
「ご主人様に求められたら我が身を差し出すのは眷属の誉れです。だいたい、たかだか粘膜接触くらいで大げさな……」
「たかがじゃない! よほどのバカップルでも、スラムの往来でイチャコラしないわよ! お陰であたしまで同類に見られて、ここも二部屋取ろうとしたら『お前らなら一部屋で十分だろう』って、宿の親父さんにも誤解されて取り付く島もなく、一部屋にされたんだからね!」
いきり立つトワに対して、ヤミはあくまで冷静に、
「別に二部屋は必要ないではないですか。結界を張る手間を考えれば一部屋で十分です。それにこれまでの行動も、必ずやアカシャ様の深慮遠謀があってのことに相違ありません」
「あの考えなしの行動のどこが深慮遠謀なのよ!? 狙いがあるなら教えて欲しいもんだわ!」
ふたり揃って視線を向けられた俺は、ポーションのお陰で腫れが引いた頬を手探りで確認しながら、
「狙いというか、確認だな」
「確認? あのセクハラと傍若無人な態度が?」
確実に不信感を隠そうともしないトワに対して言い含める。
「ああ。普通に考えればいくら『偽装(Lv1)』で原住民に化けたところで、現地人との違和感は拭えないだろう?」
トワのようにLv4まで上げると、精神にも作用してそういった細かな精神的な障壁を取り払ったり、森の一部に化けたりもできるのだが、Lv1では見た目をちょっとイジる程度しかできない。
「まあね」
「だったら最初から飛び切りの変人という先入観を持たせた方が、あとあとボロが出てもリカバリーしやすいと思ったのと」
俺の説明に『一理あるわね』という理解を浮かべるトワ。つくづくチョロい。
「実際にこのスラムの閉鎖性とコミュニティの性質を確認するために、ちょっとしたサプライズを実行してみたわけだ。案の定、相当数の監視の目があった上に、あそこからこの宿に来る間に噂が宿の親父の耳にまで、届いていることが確認できた。確かに迂闊な行動ができないことが理解できた……ってところかな」
「なるほど。さすがはアカシャ様です」
「なりほど――って。それなら別にキ、キ、キスする必要なかったじゃない! 他の事でも全然良かったんじゃない。あんた単に面白がってやったんじゃないの!?」
単細胞の割に変なところで鋭いなコイツ。
「別にいいではないですか。口づけのひとつやふたつ。減るものでもないのですから」
「あんた仮にも女の子の姿をしてるんでしょう!? ちっとは恥じらったり、嫉妬したりしたらどうなの!!」
「嫉妬ですか? そういう感情はないですね……だいたいアカシャ様とは、わたくしが先にキスをしていますから」
「なんでいま告白した!? あんたなにげに対抗意識バリバリ燃やしていない?!」
なんでこんな話になってるんだろうなぁ……と思いながら、俺は恒常型魔法の『結界(Lv1)』(内部の音が漏れない。臭いや姿も遮られる)を施術するのだった。
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