第18話 地下2階 7部屋(その7)

 一目見て面食らった様子のアレッタだったけれど、すぐに気を取り直したみたいで、糸の結界越しに俺のいる方向を迷いなく見据え、

「遮蔽物に阻まれれば『鑑定』の類いのスキルは使えないと思ったんでしょうけど、おあいにく様。あたしにはあんたのいる位置が手に取る様にわかるわ」

 そう言って躊躇なく魔剣〈ノートゥング〉を振るった。


 その様子を《ダンジョン投影》で確認して、さらに『真眼:君子危うきに近寄らず』(以下『真眼』とする。)で、危うい場所を察知した俺が「右!」と合図した瞬間、俺の体が猛烈な勢いで右に引っ張られた。


「――うおっ!?」

 ジェットコースターなんて問題にならない横向きの重力によって、内臓がバウンドする。

 気のせいか一瞬前まで俺がいた場所に、俺の残像が残っているようにも見えた。


 その残像と周囲の糸が千切れるも、俺本体はすでにその場所におらず、だがさらに続けざまに「上、左斜め下、急速降下!」飛んできた剣線を、必死に躱す俺。


 もちろん、俺の『飛翔フライ』にこんなアクロバティックな動きができるわけがない。種を明かせば、俺の体に巻き付いていたシノの糸と操作によって、糸操り人形のように振り回されているだけである。


「――ちっ、ちょこまかと。というか、他にもいるわね? 魔物? 随分とこの場所になれた動きの……そっか、この糸を巡らせている蜘蛛の魔物ね? 不意打ちするつもりで近づいてくるわけじゃないみたいだけれど……」

 情緒不安なのか、口に出してぶつくさ考えをまとめているアレッタ。


 そんな彼女の様子を《ダンジョン投影》で見ながら、

「ふーん。どうやら『千里眼』とかそのあたりのスキルじゃないらしいな。動くものに反応? いや、それなら表でリュジュと戦った時の先読みみたいな能力が説明できない。見てわかる系統のスキル――」

 そう推察を重ねる俺の頬を、〈風の小妖精シルフィード〉たちが、自分たちの出番はまだかとばかり叩いて通り過ぎる。

「悪い、もうちょっと相手の手札を暴かないと――」

 そう〈風の小妖精シルフィード〉たちをなだめかけたところで、先ほどのアレッタの台詞を思い出した。


 ――他にもいるわね? 魔物? 随分とこの場所になれた動きの……そっか、この糸を巡らせている蜘蛛の魔物ね?


 そういえば『魔物』という括りなら、ここには〈風の小妖精シルフィード〉たちもいる。それと底には水を張り巡らしているフィーナもいるはずであるが、いまのところアレッタはどちらも気付いた様子はない。


「実体をもつかどうか? いや、それならフィーナに気付かないのはおかしい。距離の問題か? いや、直線で100m程度なら、リュジュも十分に離れていたのに動きを読まれていた。何が違う?」

 リュジュとフィーナの違い。片方は空にいて火炎で攻撃をした。片や水中にいて待ち受けの姿勢である。

 火と水? 一見すると相反するものだが、実体は単にエネルギーの運動量の違いぐらいで、熱いか冷たいかの違いだ。

「ん? まてよ〝熱”? もしかして熱で探知しているのか? 蛇がピット器官で赤外線を探知して獲物を見つけるように……?」


 可能性は高そうに見える。

 ならば――!


「〈風の小妖精シルフィード〉、予定変更プランBを即時展開するぞ! フィーナ、〈水の小妖精ウンディーネ〉と協力して、思いっきり霧を起こしてくれ! なんだったら水面から逆噴射させても構わない! シノは所定の場所まで退避っ」

 口頭で傍にいた〈風の小妖精シルフィード〉に、《ダンジョン投影》でフィーナとシノに指示を飛ばす。


『派手に水を噴き上げれば良いのじゃろう? 要は噴水じゃな。よかろう。〈水の小妖精ウンディーネ〉たちには荷が勝ち過ぎるので、濃霧程度じゃな』

『承りました、ご主人様』

 鷹揚に頷くフィーナと、殊勝な態度で頭を下げるシノ。


 それとほとんど同時に〈風の小妖精シルフィード〉たちが、地下二階の壁を流れるちょろちょろとした滝の水に取りついて、一斉に部屋全体にエアーミストのように水滴を降り注がせる。

 さらには基底部分から派手に吹き上がってきた水が、俺の位置を越えてアレッタのいる入り口付近まで爆発的に拡散した。


「――なっ!?! 何が……??!」

 用心のために距離を置いたアレッタだったが、しばらく待っても直接的な攻撃がないことから、訝し気に二歩三歩と戻ってきて、猛烈な濃霧と水滴に覆われた糸の迷宮に首を傾げ――そこで、不意に目を見開いて、自分がどこにいるのかわからない表情で、地下二階のあらゆる方向へ視線を彷徨わせだした。


 明らかに焦りの浮かんだその表情に、俺はさっきの噴水と現在の湿度100%近い環境のため、ずぶ濡れの状態のままほくそ笑んだ。


 どうやら俺の読みが当たったらしい。


「――くっ、どこに!?」

 水に濡れて体温が低下した――あとついでに常時、俺の周りを〈風の小妖精シルフィード〉たちが取巻いて熱を拡散してくれている(風邪引きそうだ)――俺の姿を、明かに見失ったアレッタ。


 よし! プランB成功! このまま――

「――ふん。こんな小細工なんてしても無駄よ!」

 そう叫んだアレッタの周囲に急速に霜柱が立ち、猛烈な真冬の北極圏かと思われるような寒気とともに、糸の迷宮はおろか地下二階にあった滝も泉まで、一切合切が凍り付いたのだった。


「中途半端に温度を下げられたせいで、あんたの位置が掴めなくなったけれど、さすがに体温を氷点下以下にまでは下げられないでしょう? これであんたの位置も見え見えよ!」


 その宣言通り、躱しようのない剣線が四方八方から押し寄せる様子が視えた。

 今の俺はシノのサポートは期待できない。自力で『飛翔フライ』して躱すしかないんだが、こんな無茶な動きができるわけがない。

 せいぜいできる悪あがきと言えば――。


「プランC。照明っ!」

 俺の合図を受けて、天井の部分へ退避していたシノが、照明の明かりを全開にした。

 と言ってもシノに『迷宮創作』が使えるわけもなく、俺も現段階ではマスター・ルームにいないと操作はできないので、行った仕掛けはごくごく単純である。

 なるべく光を通さない分厚い布で光源になる照明を遮っていた。その布を一斉に取り払っただけである。


 そうして燦燦と降り注ぐ照明の下、目の当たりになったのは、キラキラと万華鏡のように光る、まるでミラーハウスのようになった地下二階、蜘蛛の巣と氷の鏡によってできたダンジョンの姿だった。


 一転して、氷によるミラーハウスと化した地下二階の変貌に唖然としたアレッタであったが、

「ふん、こんな悪あがきのこけ脅しをしたところで――!」

 熱探知によって俺の位置を正確に把握している彼女は、幾層もの氷の鏡越しに俺の浮遊している場所を見定めて、魔剣〈ノートゥング〉を構えた。

 構えたところで怪訝な表情を浮かべたことだろう。


 万華鏡のような氷の鏡に映っている俺の分身が、一斉に黒のローブの下から何の変哲もない剣を二本取り出して、構えるでなくしてやったりの﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅笑みを浮かべたからだ。


 警戒のためか俺の『真眼』に映る彼女の攻撃線……ではなく、移動線﹅﹅﹅が希薄になったその背中側へ、素早く回り込んだ〈風の小妖精シルフィード〉たちと、〈ダンジョン・ムーブ〉で剣の位置を入れ替える。


 一瞬後、俺の両手の位置に現れるふたりの〈風の小妖精シルフィード〉。

 入れ替わりにアレッタの無防備な背中に向けて落下する二本の剣。


「――っ!?!」

 刹那の反射で地下二階の螺旋階段へ降りる正面踊り場――その凍ったへりギリギリへと小さく跳ねて、これを躱すアレッタ。

 二本の剣はアレッタの背中を掠ることもなく、虚しく凍り付いた地下通路の床へ刺さった。


 思わず空になった両手を開いて『お手上げ』のポーズをする俺。

 千差万別の氷の鏡に映ったその様子を眺めて、小ばかにしたような嘲笑を浮かべるアレッタ。


「――ふん。つくづく小細工が好きみたいだけれど、どうあっても初心者ビギナーのあんたと、あたしとじゃステータス差はひっくり返せないわ」

「まったくだ。RPGゲームだったら、俺が百回攻撃しても一撃入れられたら終わりだろうな」

「そういうことよ」

 俺の言葉も反響しながらアレッタの耳に届いたらしい。

 当然という顔で頷かれた。

「――けどまあ、これってゲームじゃないんだよね」

「?? なにを……」

「ぶっちゃけステータスなんて反射神経とか、腕力とかが増強されているだけで、INTが上がってもスキルの威力が上がるだけで、それを使う頭の中身が上がるわけじゃないし……まあ、要するにRPGと違って、スキルや道具の使い方なんてやりようだってことさ」


 俺の言葉に怪訝な表情のままではあるものの、どうやら自分が愚かだと当てこすられている程度の見当はついたらしい。アレッタの表情が目に見えて不機嫌になってきた。


「つまんない寝言言っているわね。『Soul Crystal』の権利譲渡があるから、一撃では殺さないでおくけれど、手足の一二本とそのペラペラ回る舌はいらないわよね……」


 怒気を漲らせて〈ノートゥング〉を構えるアレッタ。

 今度こそ確実な攻撃線が俺の体の上を覆いかぶさった――ところで、俺は指で足元を示して一言注意をしてやった。


「なあ、変だと思わないのか? ダンジョンの材質は不可侵――お前さんの〈ノートゥング〉級で一時的に傷をつけられる程度だ。それなのに、なんで俺が投げたただの鉄の剣﹅﹅﹅﹅﹅﹅が床に刺さったと思う?」


 途端、はっとした振り返ったアレッタの目に映ったのは、床に埋まった二本の剣先を中心にひび割れている凍った足場であった。


雪渓せっけいってわかるかな? 渓谷の上に雪が積もって一見して山の斜面に見えるけれど、実際は宙ぶらりんの状態で踏み抜くと谷底やクレバスへ真っ逆さまって奴だ」

「ま、まさか!??」

「もともとそこらへんに踊り場なんて作ってなかったんだよな。ただシノ――蜘蛛の魔物に頼んでそれっぽい作りに糸で足場を組んで、土で汚しておいただけで。でもって、それを誰かさんが壊れやすいように凍らせてくれた。で、後は破壊の起点になる場所――俺の目で視て弱そうに見えた部分﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅に、くさびを打ち込んでみた」


 そう言っているうちにアレッタのいる足場が雪崩を打って崩壊した。

 ジャンプをして無事な通路に逃れるには足場がない。それに、またしても罠があるかも知れない。このまま下に落ちるにしても、床までの高さや状況が不明である。

 そう判断したアレッタが取った行動はただひとつ。目の前にあった地下二階の側面の壁に向かって〈ノートゥング〉を突き立て、減速することであった。


 およそ20mほど落下したところで、壁に取りすがる様にして〈ノートゥング〉を突き立て、そして鉄棒選手のような軽快な動きで、壁に刺さったままの〈ノートゥング〉を起点に、素早く体勢を立て直すアレッタ。

 壁に対して直角(というにはやや下向きに下がった感じ)に刺さっている〈ノートゥング〉の柄の上に両足を置く姿勢で一息ついた彼女は、鏡に映った俺が特に何の行動もしておらず、また位置も先ほどからほとんど変わっていないことを熱探知で確認をして、

「まったく……確かにこれは予想外だったわ。だけど、あんたにはあたしを斃せるほどの力はないでしょう? それとも最初にいた魔物――あのドラゴンが増援で来るのかしら?」

 来たら今度こそ〈ノートゥング〉で切り伏せてやる。と言わんばかりに、足元の〈ノートゥング〉にちらりと視線を送る。


「ま、確かに。俺が直接腕力でお前さんを斃すのは難しいと思うし、リュジュ――あのドラゴンはしばらく身動きができないので参加はしない。けど、お前さんが言った『最初にいた魔物』ってのは、間違いだな。一番最初にいた魔物が、是非とも汚名をそそぎたいって言うので、そっちを優先させることにしたんだ」

 それでもピンとこないらしい不得要領のアレッタに向かって、重ねてヒントを与えてやる。

「お前さん、このダンジョンの前で真っ先に氷の雨を降らせた相手がいるだろう?」

 そこまで言われて初めて思い出したらしい。

「あの〈スケルトン〉のこと? バカバカしい。100倍の数で来られても片手で捻ってみせるわ。だいたい、どこにいるのかしら?」



「ここにいる! その節は世話になったなっ!」



 押し殺した憤怒の咆哮とともに、氷の鏡をぶち破って革鎧を着た赤毛の女戦士がアレッタの目前に現れると同時に、手にした長剣を横薙ぎ――剣術で言うところの渾身の貫き胴――がものの見事に決まった。


「がはっ――そ、どこから……?」

 これが同レベルであれば胴体が両断されていたであろう一撃であったが、見た感じ与えられた傷はどうにか皮を切って肉に届いたか……といったところである。

 だが、肉体的な傷よりも精神的なショックの方が遥かに大きいようで、衝撃で〈ノートゥング〉の上から弾き飛ばされたアレッタの驚愕に見開かれた瞳は、彼女を追って滞空しながら、いまだに鏡に映っていない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅彼女の不可解さに注視されていた。

 なので、正解を教えてやった。

「鏡に映らず、体温もなく、流れ水も渡れない〈吸血鬼ヴァンパイア〉。ありがとう、君のお陰で彼女が最高のパフォーマンスを叩き出せる環境を作ることができたよ。――まさか、先にやった彼女を相手に『不意打ちなんて卑怯だ』などとは言わないだろう?」

 せいぜい厭味ったらしく。


「レギィ、このまま下に叩きつけられても明確なダメージを与えられりとは思えない。まずは動きを止めろ!」

 それから〈吸血鬼ヴァンパイア〉である――元女蛮族アマゾネスの〈スケルトン〉10人が一人になった一人軍団ワンウーマンレギオン――レギィと名付けた彼女にそう指示を飛ばすと、心得たもので背中の弓を空中で構えて、落下するアレッタ目掛けて続けざまに矢を放った。


 無造作とも言える勢いで放たれた矢はすべて狙いたがわず、アレッタの全身――着ている衣服を貫通して――凍り付いた基底へ叩きつけられた彼女を、その場へ縫い付ける。


「――ぐはああ……っ!!」


 さすがにこの高さからの受け身の取れない落下は堪えるのか、アレッタの口から明確な苦痛の叫びが漏れた。

 朦朧としながらも、『だが、これ以上の攻撃手段はないだろう』と僅かに口元へ侮りを見せる彼女。

 だが、そうは問屋が卸さない。


「シノ! リュジュ頼む!」

 言いながら自由落下をする俺を追い抜いて、天井からぶら下げってきたシノとその蜘蛛の下半身のところに跨っている人化したリュジュ。

 素早く壁に刺さったままの〈ノートゥング〉に取り付いて、リュジュがそのステータスに物をいわせて引き抜いて、

「はい、どうぞ!」

 やはり〈竜殺しの魔剣〉は苦手なのか、バッチイもののように俺に向かって放り投げてきた。


 と言っても俺のステータスではこいつを使うことはできない。だが――。

『先端を水にさらすと上流から流れてきた一筋の羊毛が絡みつかずに、そこで真っ二つに断たれるほどの切れ味を誇ると言われる名剣です』

 俺の脳裏にヤミが説明してくれた〈ノートゥング〉の逸話が蘇った。

 川に突き刺しておいただけで、羊毛をすら真っ二つにする切れ味を誇る魔剣。

「なら、真っ直ぐ下に突き下ろす﹅﹅﹅﹅﹅だけでも問題ないよな!」

 自由落下中の束の間の無重力状態の中、〈ノートゥング〉の柄を握った俺は、ようやく事態を理解して愕然としているアレッタ目掛けて、その切っ先を軌道修正したのだった。

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