第5話 地下1階 2部屋(その2)

ナーイアスNAIAD】[複数形:ナーイアデス]

 ギリシア・ローマ神話に登場する、湖、川、泉を支配するニンフを指す。

 美しい乙女の姿をしていて、この種の精霊の中ではもっとも美しいとされている。

 ことに有名な逸話としては、その美貌でアリアドネーから英雄テーセウスの愛を奪ったことは有名である。


「……うわぁ、NTRねとられとか最悪の属性やんけ。やっぱハズレだわ」

 耳元で語られたヤミによる《水の神霊ナ―イアス》の概要を前に、思ったままの感想を忌憚なくぶっちゃける俺。


「だから妾をハズレ扱いするとは何事であるか! そも妾は神の血を引く由緒正しい神霊であるぞっ。姉君であるアイグレー姉様は海神ポセイドンを父に持つ英雄テーセウスの寵愛を受け、他の姉妹も『最も美しいニンフ』と呼ばれる由緒ある一族の直系ぞよ。おぬし如きは妾を前に、畏れ多いと地面に跪いて額をぬかずけるべき――」

「なんか面倒臭いからパス。帰喚しかえっていいよ」


 なんぼ美少女でもタカビーなビッチはストライクゾーンの範囲外だ。

 俺はまなじりを吊り上げ、どこまでも上から目線で捲し立てる《水の神霊ナ―イアス》の長口上を遮って、丁重に手でシッシッと元の場所に戻る様に促した。


「召喚しておいてなんじゃその態度はーーーっ!!!」

 これが逆鱗に触れ、余計な感情をこじらせたらしい。

「そも、こうまであからさまに邪魔者扱いされたのは初めてであるぞっ! 弁えよ! 妾はいかなる時代、いかなる偉大な魔術師、王侯貴族、吟遊詩人、果ては神人に至るまで賛美し、こぞって傍らに寄り添うことをこい願った《水の神霊ナ―イアス》じゃぞ!? それを『ハズレ』とか、野良犬でも追い払うかのように『帰っていい』などと、おぬし自分が何を言っておるのかわかっておるのか?!」


 つってもなあ……。

 ぶっちゃけ生活する上でエンゲル係数が厳しい現在。いくら美少女って言っても、いかにも厄介そうなお荷物の食い扶持をひとり増やすのは財布に厳しいものがある。

 観賞用兼マルチに多才な美少女なら既にひとりいるわけだし……。


「あー、いちおう確認するけど、あんたの……」

「デルフィーナじゃ!」

 質問を言いかけた俺に向かって、傲然と胸を張って自己紹介をするデルフィーナ。

「ああ……そう。えーと、デルフィーナ、、、、、、さん」

「あ――」

 そう俺が口に出して彼女の名前を繰り返した途端、何かがパチンと繋がって弾けたような感覚が走った。

 同時にヤミが小さく息を飲む。


「――しもうたーっ! うっかり勢いで真名まなを明かしてしもうた!! 何たることであるか、このようなチンケなダンジョンと粗忽者のあるじと制約ゲッシュを結ぶとは……なんたる不覚!?」


 刹那、顔色を青くしたデルフィーナの絶叫が、六畳一間のマスター・ルームにこだまする。


「……なにこれ?」

 こういう時に頼りになるのは、文字通りの生き字引であるヤミだ。


「いまのでデルフィーナさんとこのダンジョン及びアカシャ様との契約が正式に完了しました。以後は彼女は我々の勢力に帰属する形になります」

「えーと。つまり……」

「たとえマスターであるアカシャ様を弑逆したところで、元の世界に戻ることは不可能ですね。この世界で生きる他なく、このダンジョンの外で不慮の死を遂げた場合は、この世界の輪廻転生に含まれます」

「あー……」


 なるほど、と。俺は床の上で頭を抱えて身悶えしているデルフィーナに視線を戻した。

 う~~む、第一印象は気位の高い堅物そのものに見えたけれど、なんか一気にポンコツかつ小物っぽく思えてきたな、この娘。大丈夫かね?


「まあ仕方ない。こうなったからにはお互いに運命共同体と思って、お互いに妥協するしかないんじゃないか? つーことで、デルフィーナさん」

「真名をポンポンポンポン気安く連呼するでない!」

 そこは譲れないところなのか、煩悶した姿勢のまま顔を上げて鋭い声で叱責するデルフィーナ。

「(面倒臭いな)じゃあフィーナさん」

「安直じゃの……まあよい。妾は寛容ゆえ赦してつかわす」


 この場に穴掘って埋めたい衝動に駆られながらも、ぐっと我慢をして――ヤミが背中から俺の肩を押さえて「ステイ、ステイ」と必死になだめてくれている――質問を続ける。


「さっき聞きかけたんだけど、フィーナさんは具体的に何ができるわけ?」

「そのようなこともわからぬのか? つくづく無知蒙昧な孺子こぞうであるな。仕方がない。特別に妾自らが教授してしんぜよう」

「お肉を食べましょう、お肉。特別に今晩は焼肉にしますから!」


 堪忍袋の緒が切れるギリギリのところで、ヤミが俺の理性をつなぎとめてくれる。


「《水の神霊ナ―イアス》とは水を司る神霊ぞ。そうしてこの壺は妾たちの象徴。すなわち汲めども尽きぬ清水を生み出し、小は泉から大は湖、川に至るまで生み出し、その水を自在に操る。それが妾の権能じゃ!」


 気を取り直したのか、姿勢を戻して傲然と胸を張り、どうだ、参ったかと言わんばかりの表情で腕を組んで、フィーナは巨大な水瓶に背中を預けた。


「「…………」」

 それを聞いて無言で顔を見合わせる俺とヤミ。

 お互いの瞳を覗き込んで、浮かんだ感想が同じなのを確認して、同時に長々と嘆息をした。


「な、なんじゃ、その態度は!?」

 俺たちのやるせない表情を前に、微妙に狼狽えながら問い直すフィーナ。


「いや、だってなあ……」

「なんてタイミングの悪さなんでしょう……」

「せめて昨日の内なら、タイミングがバッチリだったんだけどなあ……」

「全部終わった後ですものねえ……」

「つーか、他に能があるかと思って聞いたんだけどな……」

「予想通り過ぎて続く言葉もありませんね……」

 俺とヤミとでお互いに言葉のキャッチボールをしながら、最後にもう一度盛大なため息をついて、

「「やっぱりハズレだな(ですね)……」」

 そう結論付けた。


「なんでじゃあ~~~~っ!?!」

 逆切れしたフィーナが、地団太踏んで絶叫した。


 ☆ ★ ☆ ★


 ダンジョンマスター生活三日目。

 早くも日課になったプレオープン状態のダンジョンの正面玄関の扉を閉めるために、俺は朝一でヤミと一緒に一階へと階段を上るのだった。


 いちいち面倒臭いが、プレオープン状態の有無はダンジョンマスターが直接扉の開閉をしなければならないそうで、まあこれぐらいは朝飯前の軽い運動と思って諦めるしかないだろう。


「今朝のポイントを見たら1,000とか増えてたんだけど、Lvの方は3しか上がってなかったな」

「おそらくは夜間に水を飲みに来た動物なども、泉の餌食になったのでしょうね。レベルに関しては必要経験値がだんだんと上がるので、5から先は高等生物やモンスターを積極的に斃さないと横ばい状態が続くと思います」


 短い階段なので軽い雑談をしているうちにもう着いた。

 一階の部屋に入ると途端に清涼な微風が胸の内に染み込んでくる。

 昨日までと一変して、そこにあったのは部屋の三分の二を占める清らかな泉と、青々と茂る水辺の草と花々であった。


 俺たちに気付いたのだろう。泉の表面が霞んで、半透明の少女のような掌に乗るサイズの《小精霊ウンディーネ》が五人現れて一斉に頭を下げる。

「ああ、おはよう」

「おはようございます」

 どれも同じ鋳型から打ち出したように区別がつかないので、とりあえずまとめて朝の挨拶をする俺とヤミ。


「フィーナはまだ寝てるのかい?」

 そう念のため聞くと、《小精霊ウンディーネ》たちは困ったように顔を見合わせ、うちひとりが気を利かせたのか泉の奥へと、止める間もなく引っ込んだ。


 別に呼ばなくてもいいんだけどなぁ……。


 そう胸中でぼやきながら、泉の外を回り込んでダンジョンの扉を閉める俺。

 鍵を掛けたところで、泉の底から浮かび上がる様にして、フィーナが現れて水面上に床があるかのように、傲然と腕を組んで俺たちの顔を睥睨する。

「――朝餉であるか」

 水から上がったはずなのに髪にも衣装にも水滴一つ付いていないまま、それが当然という顔で朝食をねだってくるフィーナ。

「昨夜の『栗屋の焼肉のもと』を使うた焼肉は美味であった。今朝もあれを所望するぞえ」

 言いながら水面上をすべるようにして、俺たちの方へ来る。


「いや、朝から焼肉にはしないぞ。普通にパンとバターと紅茶だ」

 ジト目で釘をさす俺。

吝嗇りんしょくであるのぉ。一晩中泉の番をして、下賤な禽獣を狩っていたこの妾をないがしろにするとは……」

「――いや、お前寝てたじゃん。一晩中働いてたのは《小精霊ウンディーネ》たちの方だろう?」


 ちなみに《小精霊ウンディーネ》は、レアリティ☆☆☆の魔物である。通常は気ままな気分屋らしいのだが、水の上位精霊である《水の神霊ナ―イアス》には絶対服従というわけで、フィーナの希望で下僕として、ポイントを払って俺が召喚した。

 で、実際一晩中水場に来た動物や鳥を泉に引き込んで、せっせとポイントに貢献してくれていたらしい。


 なおこの泉は、

「妾には清涼な水場が必須であるぞ。準備せい!」

 と言うフィーナを半ば厄介払いで隔離できると思って、もともとは井戸であったここに案内した。

 その際に不用意に水に入ったフィーナが、流しっ放しの電気に感電して、土左衛門のようにプッカリと水に浮かぶ――水の精霊が溺れるという前代未聞の――姿を晒したのは見ものであった。

 そんなわけで、現在は電気を流さないようにして、照明は三個とも同じ高さにして、その代わりにフィーナの希望を取り入れて、水草や花を植えたわけである。

 ちなみに泉の大きさはフィーナが調節しているらしい。


「働いていた《小精霊ウンディーネ》に御馳走するならともかく、寝てただけのお前にその権限はないと思うんだが」

「下僕の成果は命じた妾の成果じゃ! だいたい下級精霊のこ奴らは人のものは食さん。ゆえに四の五の言わずに妾をもてなす饗宴の支度をせいっ」


 ジャイアニズム満載のフィーナの論理に辟易する俺を見かねてか、《小精霊ウンディーネ》のひとりが俺の方へ近づいてきて、何やら黒いビー玉みたいなものを差し出してきた。


「?」

「〝魔石”ですね。モンスターの核になっている結晶化した魔素です」

 即座にその正体を見抜いたヤミが補足してくれる。


「――ふむ。夜中に獣を追って角の生えた兎が一羽飛び込んできたので、五人がかりで斃したところ、その石を残して綺麗さっぱり遺骸は消えたそうじゃ」

 残りの《小精霊ウンディーネ》の説明を聞いたらしいフィーナが付け加える。


 そーか、あの《ツノウサギ》お陀仏になったのか……。

 感慨深いものを覚えながら、俺は差し出された魔石を受け取った。


「魔石は現地では魔術の触媒や、魔道具の念料ねんりょうに使われるものです。我々には必要のないものですが、売却することで……この大きさでしたら500ポイント程度にはなると思います」


 そんなもんか、とも思うが《ツノウサギ》はモンスターとして下級なのでこの程度の価値しかないらしい。

 とはいえ食費としては十分である。


「要するにこれをフィーネの食い扶持にあてるので、ケンカしないでご飯を食べてね……ってところか」

 そう確認すると、《小精霊ウンディーネ》たちが一斉に頷いて同意を示す。


「ふふふん! これで文句はあるまい」


 なんでお前が偉そうに胸を張るんだよ。少しは申し訳ないと感謝しろ! と、怒鳴りたいけどなんか小さい子が頑張ってお小遣いをやり繰りして、親孝行をしている姿を目の当たりにしているようで、ここで大人げなく、醜い争いをする真似をすることはさすがにできなかった。


「じゃ、じゃあ、これを換金したポイントで肉を食べるかー(棒)」

「朝からお肉とは贅沢ですねー(棒)」

「最初からそうすれば良かったのじゃ! これだから愚鈍な者どもは……」


 ひとり意気揚々と鼻歌を歌いながらマスター・ルームへ先頭に立って向かうフィーナの背中を、階段から突き落としたくなる殺意の衝動を必死に押さえながら、俺たちは部屋に戻った。


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Name:虚空(通称:アカシャ)

Rank::Dungeon Master

Class:Der Erlkönig

Level:8

HP:2550/2550

MP:2240/2340

Status:

・STR 97

・VIT 88

・DEX 71

・AGI 63

・INT 90

・LUK 11

Point:10001/10022

Skill:『迷宮創作(Lv1)』『召喚魔法(Lv1)』『土魔法・ピット』『ダウジング(Lv2)』『鑑定(Lv1)』

Title:『異界の魔人』『罠師の魔王トラッパーズ・デビル

Privilege:レアリティ☆☆☆以上装備ガチャ(1/1)[初回monster撃退・駆除特典]

     レアリティ☆☆☆☆☆以上魔物ガチャ(1/1)[初日enemy撃退・駆除特典]

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 さて、フィーナも加わったダンジョンマスター生活も一週間目を迎えた。


「……いまさらだけど、俺のステータスって一般的に見て、どうなんだろう?」

「どうとは?」

「虚弱貧弱脆弱無知無能じゃ」


 テーブルを囲んで昼食(チョコ・ジャム・クリームの菓子パン三種類)を食べながら、ふとそう疑問を口に出すと、ヤミが小首を傾げ、フィーナは当然という顔でうそぶく。

 ちなみに1,000ポイントで取得した『鑑定』でヤミを見てみると、

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Name:『Dungeon Manual』830083版(通称:ヤミ)

Rank:-NO NAME-ダンジョン専用奥義書grimoire

Class:禁断の魔導書の精霊

Level:8

HP:1950/1950

MP:2340/2340

Status:

・STR 75

・VIT 67

・DEX 71

・AGI 49

・INT 90

・LUK 11

Skill:『人化』『迷宮知識(Lv2)』『異界知識(Lv2)』

Title:『異界の魔人の下僕』

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 となっていて、なんつーか全般的な能力が、俺に準拠(依存?)しているのがわかる。

 ところがこれがフィーナになると、

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Name:Delfina(通称:フィーナ)

Rank::-NO NAME-ダンジョン一階守護者

Class:NAIAD

Level:??

HP:????/????

MP:????/????

Status:

・STR ???

・VIT ????

・DEX ????

・AGI ???

・INT ???

・LUK 11

Skill:『精霊魔術(Lv65)』『水操作(Lv89)』『水の癒し(Lv7)』『言語理解(Lv9)』

Title:『水の乙女』『神々の寵愛を受けた者』

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 と、レベル差が大きすぎるのか、ほとんどが文字化けして読み取れなかった。

 それでもHPとMPが四桁まであるのはわかるし、ステータスも一部四桁を越えているところを見ると、残りもおそらくは三桁後半なのは想像できる。

 で、これでレアリティ☆☆☆☆☆でなおかつ非戦闘系なのだから、最高レベルの☆8とかなると、どんな数字になるのかと想像するだけでも戦慄ものであった。


「……ああ、なるほど。一般的な比較対象がいないので、現状の強さを客観視できないという意味ですか」

「ふん、愚かであるな。強さとは比較するものではないぞよ。目的があってこそ成立する概念じゃ。目標を見定め達成できるかどうかが強い弱いの目安じゃ」


 納得するヤミと、なにやら高尚な禅問答のようなことを口出して嘲笑するフィーナ。


「いや、まあそうかも知れないけど、俺は俗人だから『スタローンとジャン・クロード・バンダムはどっちが強い?』レベルの話でないと理解できないんだ」


 俺の返答に「これだから凡俗は……」と、フィーナは眉をひそめてジャムパンに齧りつく。


「そうですね。そういった比較であれば、同じLv8程度の原住民のHP・MPともに二桁。ステータスは、いずれも一桁か多くても10台前半ですね」

「つまり、この世界の人間の8~10倍の能力があるってことか」


 幼稚園児に対するレスラーみたいなものか。

 まあ凄いっちゃ凄いんだろうけど、隔絶しているって程でもないな。


「そうですね。もっとも原住民の中には戦闘に特化した能力や、スキルを所有した者も多くいますから油断は禁物です」

 俺が調子に乗らないように念を押してくるヤミ。


 一方フィーナといえば、

「そうじゃ、おぬし『レアリティ☆☆☆☆☆以上魔物ガチャ』をまだ使用しておらんのじゃろう? この際、戦力の増強のために使用したらどうじゃ? いつまでも後生大事に持っておっても宝の持ち腐れであろうに」

 あっけらかんとガチャの使用を薦めてきた。


「「『レアリティ☆☆☆☆☆以上魔物ガチャ』か(ですか)……」」

 思わず同じレアリティ☆☆☆☆☆のフィーナをまじまじと見据える俺とヤミ。

「なんじゃ、その目は!?」


 いや、だってなあ……最低でもこのレベルだろう。下手をしたらコレが二倍になるわけだ。鬱陶しいことこの上ない。

 そんな俺たちの不信の眼差しを不安の表れと捉えたのか、

「安心せい。いかな相手であろうがこの高貴にして、天上に知られた美貌の妾が取りなして進ぜよう。大船に乗って気で存分に召喚するがよい!」

 そう胸を叩いて豪語する。


「「…………」」

 不安しかなかった。

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