第五話

 荷物をまとめてしまい込んだ部屋は、随分乱雑で、手狭に感じました。

 引っ越しは父が手伝ってくれました。本土の隅から大きな橋を渡り、列島の下部まで降りてゆくのは、なんだか敗残した兵隊みたいで情けなくって、移動中、しきりに明るく笑みを見せてくる父に申し訳なさと煩わしさを含んだ相槌を返していました。部屋について、荷解きをして、一緒にご飯を食べて、「今晩は宿を取るから、何かあったら連絡を寄越せ」と、どこかへ消えた父を見送って、ようやく一息を吐くと、途端に涙が溢れ出して、かといって、薄い寮の壁を気にもせず声を上げる恥はかけず、私は、一人なのにも関わらず、唇を噛み、しずと自分の両肩を掴んだのでした。気付けば夕暮れとなり、悲しい色をした西日がカーテンのない窓から差し込んでいて、私はそのまま、夕闇の訪れと共に消えてしまいたいと考えたのですが、未だ片付けきらぬ荷物を見て現実に戻り、重たい身体を持ち上げて、愚鈍に部屋を作っていくのでした。積み上げられる荷物と段ボールが妙にもの悲しく、これからは一人で生活をしていくんだと実感させられたのを覚えています。私はこれから、いえ、これからも、寄りかかり支え合う人間は現れず、じっと、石の下に潜む鋏虫のように生きていかなければならないと悲嘆していたのです。


 しかし泣いてばかりいるわけにもいかず、また、歌劇の花となる無謀な絵も消しきれず、何より、いずれ返済しなければならない奨学金ばかりを頼りにするわけにもいかないと考え、雇ってくれるお店を探す事にしました。世間知らずな私は、静かなカフェで給仕などをしたいと夢を見ていました。楽しく働けるのは、楽しく生きている人だけだと知るわけもなく、未だ虚像を追い掛け、暗闇からの脱却を目指していたのです、私のような惰弱な人間が、真っ当に働けるわけがないのにも関わらず。


 務める先は早々と決まりました。街中にある大きな茶屋でした。私が住んでいた田舎にはない、洗練された造りをしていて、実際に働く前は、こんな所でお仕事できるんだ。と、随分明るく物事を捉えられていたのですが、いざ銀色のトレーを運ぶようになると事態は暗転し、抱いていた、期待は大きく裏切られたのでした。

 給仕の仕事は注文を受け、運ぶというような簡単なものでした。お客様も少なく、暇な時間が多かったのですが、それ故に、給仕同士のお喋りに花が咲くのは自然な成行で、そして、私は、その花の彩りに、連なる事ができませんでした。人を前にすると、嫌な汗が吹き出て、言葉は忘却され、自分の立っている場所さえ危うくなるのです。そうなるともう、呼吸が苦しくなってしまい、苦しくって、苦しくって、隙を見ては、目の届かぬ所へ逃げ、ひたすら蹲っている事しかできなくなるのでした。その逃避が見つかると、給仕達はこぞって私の悪口を言っては笑い者にし、ついには、当たり前のように、私に対して非道を行うようになったのです。私の居場所は、私の尊厳は、いとも容易く、破壊されました。しかし、どうしてそれを責める事ができましょうか。いくら時間が空いているとはいっても、事実、私は仕事を放棄していましたし、何より、弱者が虐げられるのはどうしようもない自然の摂理だと、その頃には学んでいたのではないですか。その末路は当然の帰結であり、抗えぬものであると、私は、その時にはもう知っていたはずなのです。

 悪いのはすべて私なのです。弱く、意気地のない私の心根に罪があるのです。責められるべきは、私なのです。けれど、その咎を背負い、堪えられるかというのはまた別の話で、私はその原罪ともいえる無情を前に、逃げるかとしかできなかったのです。私が、その茶屋で働いた期間は、一月にも満たない、僅かな時間でした。私は、自らに降った罰を甘受する事ができませんでした。

 お店を辞めた私は、更に、深く、意気を落とし、生に対し、過剰な恐怖と諦観を持つようになりました。やはり私は駄目だ。卑屈で、何をやっても下手を踏む。人と話す事もできないできそこないだと、なにかにつけて考えるようになったのです。これから先が不安でした。生きていく事が恐怖でした。子供の頃と同じく、早く死にたいと、願うのでした。

 しかし自ら首を括る姿を想像すると途端に意気地がなくなって、価値のない命にすがるのです。私は愚かで哀れな、虫でした。

 お金を得られない私は、しばらく睡眠をして過ごしていました。お金を使わぬよう、消費が罪であるかのよう、時間ができたらベッドの上に寝そべって動かず、ご飯は水と、送られてくる野菜やお米を干したものを齧っていました。ギギと鳴き声のように発する声に、私はカフカの変身を思い出しました。名実共に、自らの身体が虫へと変貌してしまったと倒錯することがままありました。頭の中では、ギギ、ギギ、と、私が発する虫の声が響いていて、時折それが堪らなく笑いを誘い、面白くもないのに笑うのですが、喉が閉じ、口の開き方も朧げだったものですから、やはり、ギギ、ギギと、小さな鳴き声を上げる事が精一杯なのでした。


 とうとう死ぬかなという時、祖父母から連絡が届きました。元気ですか。たまには連絡をください。という、ごく単純な書簡でした。

 二人の文字を見ると、突然家が恋しくなりました。あんなに嫌っていた家が、田舎が、とても尊く、恋しいもののように思えたのです。


 帰りたいと、口にしてしまいました。


 けれど、それはできません。私は、もう後戻りができないのです。親にお金を出してもらって、奨学金まで借りてここまで来たのです。それを今更、どうして、何もなし得ていないのに、帰郷の途につけるというのでしょうか。


 死ねない私は、生きなければなりませんでした。生きて、そこで何かをしなければなりませんでした。しかし、その何かが、空腹と頭痛に襲われていた私には分かりませんでした。あれだけ夢を見ていたオペラの舞台は辛苦に追いやられ、考えられなくなっていました。思い描いていたものは、所詮、その程度の夢だったのです。

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