第三話
元より内向的だった性格に拍車がかかった私は、高校に上がってからは学校ではほとんど口を開く事がなくなっていました。行事や授業では何とか返答できるものの、一般的なお喋りはてんで無理で無様な有様で、何か話しかけられても、吃ったり、答えられなかったりして、それを思い出しては夜長に溜息を重ね、過去が塗り替えられたら、と途方も無い思考の渦をうねらせていたのでした。人と話さない孤独に慣れこそすれ、それが平気かというとそういうわけでもなく、万事万人仲良くとはいかない沈黙の日々は私から声を奪い、家族を前にしてさえ、真っ当に会話をする事ができなくっていました。
「栄香ちゃん、大丈夫?」
祖母がそんな風に声をかけてくれた事が度々ありましたが、私は「大丈夫」と返すだけでも気力を振り絞らなければならず、青い顔をして口をまごつかせるのがやっとで、益々祖母の心労を増幅させる事しかできませんでした。その様子を見ていた弟が、からかうようにして私に言った事があります。
「病気なんじゃないのかい?」
薄情な、ニヤついた顔をしていました。それに続いて、父母の間でも私を無視して話がなされました。
「馬鹿な。そんな情けない話があるか」
「そうですよ。もしそうだったとしたら、私、恥ずかしくって生きていけないんだから、滅多な事をお言いでないよ」
病気。情けない。恥ずかしい。
これが血を分けた人間にかける言葉でしょうか。
両親も弟も、私の方なんか見向きもしないで他人事のように軽く、いとも軽く、下衆な話をして、時には笑いさえ上げていました。家族の中でさえ私は無用に扱われたように思えました。優しい言葉を、抱擁を期待していたのが、自分でも、酷く滑稽に思えました。法事で家を空けていた祖父母がその場にいたらきっと深愛の情を向けてくれたに違いないのでしょうが、もはや悲観に取り憑かれ深淵に沈んでしまった私の心は、誰も自分を愛してくれやしないという、確信めいた疑心に満ちており、悪い方へ、荒廃的に、精神を狭量へと促すのでした。自分の居場所はない。どこにいても、誰からも一人の人間として向き合えない。これからは久遠の孤独に耐えねばならない。ずっと、必要とされない……そう思うと、闇弱な私の意思はすぐさま悲鳴をあげ、臓腑が締め付けられるような痛みがしました。疎外される苦悩は、終始、私を蝕みました。そしてそれを話すコゲも、私の前から去ってしまいました。いつの間にか姿を消し、小さな畑に響いていた、にゃあにゃあという鳴き声が無くなっていたのです。猫は死ぬ寸前にどこかへ身を隠すと祖母から聞かされました。私は悲しみよりも、自分も、誰も知らない場所へ行き、そのまま死んでしまいたいと考えるようになりました。いっそ、その方がどれだけ楽か、生涯に渡って続くであろう一人きりの地獄に比べたら、一瞬の不快の後にある永遠の安楽にどれだけの望みがあるか。私は死にゆく自分の姿を、布団の中で夢想するようになりました。
しかしながら、今私が生きているという事は、当然死ぬ事はできず、また、彼方へこの身を隠す事もできなかったというわけなのですが、私よりも先に、母が何処へと姿を
私が母の失踪にそれ程感心を持たなかったのは、その頃に抱いていた夢想に囚われていたからだと思います。
母が蒸発する少し前に、私は祖父に手を引かれ劇場へ連れて行かれました。「たまにはこういうものも観なさい」とオペラのチラシを渡されたのですが、それまで歌謡や劇に対して興味はなく、本音を言えば断りたいところを、祖父の気遣いを汲み、嫌々ながら足を運んだのです。
始まるまでは退屈で、期待もせずブラブラと足を持て余していました。内心、早く終わらないかなと、始まってもいないステージの終幕を待ち望んでいました。しかし、いざ幕が上がると、スポットライトに照らされる演者に釘付けとなりました。地鳴りのようなバス、バリトン。透き通るようなアルト、ソプラノ。混声される美の体現ともいえるアンサンブル。全身に立った泡肌は長く消えず、火の消えた心臓が、熱く高鳴るのでした。
その日から私はオペラに夢を見、オペラを愛しました。そしていつしか、自らがあの舞台に、あの歌劇に登場し、万雷の喝采を浴びたいと思うようになったのです。
あまり無謀な、あまりに幼稚な、身分不相応な夢を、私は描いていました。本当は、叶うことがないと、分かっていたのに。
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