第二話

 家の事を聞いたAちゃんは、さも哀れそうに「うんうん。辛いね。大変だったね」と、笑うのでした。その軽薄さったらなかったのですが、友達のいない私にとってAちゃんは唯一話しができる人間であり、遊び相手だったのです(遊ぶといってもノートにつまらない絵を描くくらいのものでしたが)。自らの弱みを人に見せるのは無礼だと三島由紀夫は断じましたが、ただ一人、莫逆の絆が結ばれていると信頼していた彼女に、自分の恥部ともいえる内情を曝け出すのを、どうして止める事ができますでしょうか。


 しかしその絆は、私の思い違いでした。彼女は元より秘密の共有など、するつもりはなかったのですから。



 Aちゃんは話の折を見ては度々「栄香ちゃんは可愛そうなんだから」と、私が潜めてした話を皆に暴くのでした。


「栄香ちゃんは貧乏だから」


「お父さんもお母さんも酷いんだよ」


「可愛そう。可愛そう」



 どれだけ止めてと言ってもAちゃんは、私の秘匿しておきたい、私自身の身の上を無遠慮に、まるで歌でも披露しているように広めて回るのでした。

 公衆の面前で丸裸にされたような気分でした。得意げに吹聴するAちゃんを見る度に、どうして私との約束を守ってくれないんだろうと悲嘆しました。


 私はAちゃんと、確かに「秘密よ」と指を切ったのです。確かに、一緒に誓い合ったのです。けれどAちゃんは人の話などまるで聞かないくせに話したがり屋で、いつも誰かに私の事を、私の許可なく聞かせるのです。

 裏切られたと、騙されたと思いました。しかし、私はAちゃんしか話す相手もいませんでしたから、それで離れ離れというわけにもいかず、ずっと私は羞恥に苛まれていたのです。

 幾らか経つと、存分に噂が広がりました。誰もが私の恥を知っている中で、必死で「やめて」と懇願するのは虚しく、不毛で、やるせなく、また幾らか経ち、他人が私を犬や猫を見るような目で私を見始めた頃にようやくAちゃんは私の話を聞いてくれたのですが、彼女は白々しくも「そんな約束したかしらん」と、歯を光らせたのでした。契りの糸がほつれていたのを見抜けなかったのは、私だけでした。


 次第に私は、「汚い」と、陰口を叩かれるようになりました。身体を洗い、髪を濯ぎ、服だって、少ないながら毎日違う物を身に付けていたのに、貧乏臭いとか、品がないとか、笑いながら、皆が酷い言葉を浴びせるのです。その中でも一番に心無かったのは、Aちゃんでした。私が寄ってたかって笑われている時に、彼女は決まってこう言ったのですから。


「やめなよ。栄香ちゃんはかわいそうなんだよ」


と。


 彼女は私を虐げている人間と同じ顔をしていました。彼女の目は私を汚物として捉えていました。彼女の声は嬉々に弾んでいました。彼女の慈愛は偽りでした。彼女は私を傷付けたくてしょうがなかったのでした。いえ。きっと、彼女の中では違うのでしょう。Aちゃんが私を庇ったのは、純粋な正義感だったのだと思います。ただ、その正義の正体は、Aちゃん自身が酩酊する為の身勝手な使命感であったというだけなのです。私は、彼女にとって自己陶酔の道具でしかなかったのでしょう。

 そして何よりAちゃんは、私が他人の批判を口にする事を期待しているのでした。「栄香ちゃんは誰彼が嫌いでしょう?」だなんて事を聞いてきては、いつもの、あの軽薄な笑顔を浮かべ、私がついうっかりと口を滑らすのを待ち構えていたのです。

 けれど私は、嫌だと思う人はいましたが嫌いな人はいませんでしたし、もしいたとしても、既にAちゃんの口の軽さは承知していましたから、彼女に秘密を告白しようだなんて、きっとできなかったでしょう。いずれにしろ、私はAちゃんが望むようなお喋りをするような事はありませんでした。


「嫌いな人はいないんだから、教えてだなんて無理を言われると、困ります」


 彼女の問いには、確かそんな風に答えたと思います。何しろもう、二十年も前の事なのですから、自身の発言さえ朧なのは仕方のない事でしょう。にも関わらず、ある日に言われたAちゃんの一言だけはずっと忘れられず、今でも時折思い出しては、私の胸の中を搔き乱すのです。


「偽善者」


 Aちゃんの顔は失望しきっていました。いえ、それは、いっそ明確な悪意といった方が返って誤解がないかもしれません。彼女は私が惨めで悲しくて、そして卑しい奴婢でなければ我慢できなかったのでしょう。


 果たして自らの欲を満たすために正義を振りかざすAちゃんに善性の真贋を問う資格があるのかというと疑問でしたが、私はそれを口にする事はできず、Aちゃんとは距離を置くようになりました。私の話し相手は、いなくなりました。



 一人というのは、思ったよりも心細く、また、暗いのでした。

 表立った暴力や排斥行為こそありませんでしたが私に近付こうとする人は皆無で、皆、虫を扱うかのように忌諱するのです。喜楽の声が、自分を避けて聞こえてくるのは、自らの存在が空っぽになったみたいで、生きていていいのか分からなくなる事たまにありました。嬉しい事も悲しい事も、一人分でした。私の人生の奏者は、私一人しかいませんでした。


 私は孤独の毒を、野良のコゲに吐き出しました。彼は(彼女かもしれませんが)、私のいう事なんてまるで聞かずに、いつもにゃあにゃあと鳴いて手を齧るだけだったのですが、それでも、私は彼に話をせずにはいられませんでした。


 一人は寂しいです。悲しいです。話す相手がいないのは、ずっとずっと、苦しいのです。

 私の周りには誰もいませんでした。誰も側にいてくれませんでした。友達が欲しかったと願っていましたが、その望みは、今日まで叶わずにいます。

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