第十四話

 事務所の方とお会いしたのは桜の舞う季節でした。

 服は先生からお借りした上等なものを纏い(無理やり押し付けられた形でしたが)、髪も整えてみたのですが、やはり体型の不味さは補う事ができず、さるぼぼにフランス人形のドレスを着せたような、不恰好で滑稽な姿になってしまっていました。本当はいつもの安いシャツに、流しただけの横着な頭がよかったのですが、先生が「私も挨拶だけご一緒させていただきますから、待ち合わせをしましょう」と言ったものですから適当な格好もできず、仕方なく、チンドン屋のような真似をしなくてはならなかったのでス。「まぁお似合いですね」と、待ち合わせ場所で先生が仰りましたが、その視線には私など入ってはいませんでした。彼女に見えていたのは、教え子が舞台に立ち歌を奏でている妄想だったのですから。


「タクシーを呼びましたから、もう少し待ちましょう」


 そう言ってから十五分くらい、先生はずっとお喋りを続けまして、「インタビューされたりしても、私の名前なんか出しちゃ嫌ですよ」と、もう私がデビューした後の話をするのでした。それがもう、嫌で嫌です堪らなく、なんと返事していいのかも分からなかったものですから、仕方なく、不器用に歯を見せてみると、自分が餌を強請る猿回しの猿にでもなったかのように思えました。自分から人としての価値を貶めている事実に自嘲しながら車に揺られていました。


「あら、いい顔ができるじゃありませんか」


 先生が言う通り、窓ガラスに映った私の顔は実によく笑えていました。卑屈さが板に付いた、正真正銘の、貧者の笑顔でした。



 タクシーが止まったのは高級そうなホテルでした。見上げれば彼方まで電飾が灯っていて、随分と不相応な場所に来てしまったなと、嘆息を重ねていると、先生が「さぁさ」と手を握り、私をエレベーターまで運んで行きました。その腕の力は強く、肌が赤くなるまでしっかりと食い込み、私の脂肪の付いた手首を固定しました。狂気に取り憑かれた先生のお顔が誰かに似ている事に気付き、そして、瞬く間にそれが誰の顔に見えたのかはっきりとしました。狂乱している先生の表情は、「また痩せちゃったわね」と、うわ言のように呟く母そのものだったのです。悍ましく、悲しくしがみ付く虚栄が、二人の人間としての価値だったのでしょう。真に美しく、偉大となる為に必要な徳が彼女達には手の入らないもので、それを知っているからこそ、自らを騙し不幸を幸に変えていたのです。

 ならば、私も自らを偽り、この世の全てに蓋をして、見えないふり、聞こえないふりをして生きていかねばならないのではないかと、頭に過ぎりましたが、考える間も無くエレベーターは最上階のレストランまで上り、ウェイターに、白いテーブルクロスの敷かれた卓の一席に案内されたのでした。


「松井さん。ご無沙汰しております」


 奥の席でお酒をお飲みになっている方に先生が深々とお辞儀をしたので、私もつられて頭を下げました。


「あぁ、しばらくぶり」


「この度は、お声をかけていただき大変ありがとうございました。こちらが、お話をした……」


 先生の目配せに促され、私は名乗り、それから椅子に座りました。松井さんと呼ばれた方は私を見るや否や終始不機嫌そうなお顔をしてお酒を飲んだり、煙草を吸ったりしながら、先生のお喋りに相槌を打って、たまにチラチラと私を見ては、がっかりしたように溜息を吐いていました。品定めされ、不良の烙印を押されたのだと理解しました。大変に不愉快ではございましたが、仕方がないと納得もできましたし、何より嫌われてしまえばもう帰るだけでしたので、楽になりました。


「それでは、私はお暇させていただきます。松井さん。どうぞ、この子をよろしくお願いいたします」


「あぁ。はい。気をつけて」


 先生が帰る際、松井さんは起立もせず、手をひらひらとするだけでろくに見送りもしませんでした。その時もやはり不機嫌そうな顔をしていて、一人残された私は不安が募るのでした。





「で、君は幾つだったかな」


 先生の姿が見えなくなると、松井さんは不躾にそんな事を聞いてきました。


「二十になります」


「なるほど。旬も過ぎているのか。よくもまぁ恥ずかしげもなく来れたものだね」


 松井さんは忌々しげにお酒を飲み干しますと、もう何本目かの煙草に火をつけて、紫煙を私に吹きかけました。


「顔は中の下。身体は豚のように肥えているし、歳もいっている。一体全体、私は君のどこに魅力があるのか分からないんだが、説明してくれないか?」


 心底うんざりしたように松井さんは私を見据えていました。

 言葉は出ませんでした、松井さんの言葉の一つ一つには確かな憎悪が篭っており、言い返そうにも、それを許さない威圧を放っていたのです。その前で口を開き、申し開きをするなど私にできるはずもなく、また、事実松井さんの言うように、私は顔が不味い上に肥え太った、もう十代でもない、ただの醜悪な女に過ぎなかったのですから、返す言葉など、ありませんでした。


 けれど、松井さんは黙っている私を見ると、先程までとは打って変わって、実に晴れやかな笑顔を見せたのです。その様子は得体の知れない不気味さを孕んでおり、恐ろしくって逃げようとして席を立とうとした瞬間、私は、まだ赤くなっていた手を掴まれて、こう囁かれたのでした。


「だが、抱いてやる」


 と。

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