08. 負け組の来た道(4)
――親愛なるクロエ。
お招きありがとうございました。
お昼に頂いたクロワッサンは美味しかった。
貴女のお母上が作られたのだったね。王都のシェフだって驚くような味だった。機会があったらまた頂きたいと、お伝えください。
夜はお父上、アルフォンスと一緒にカードゲームをしました。
僕の表情が読めないから、とお父上が連敗してしまった(勝ちは、僕とアルフォンスで半々だった)。
大きな声で笑うお父上のことが、好きになったよ。
マダム・アンナもマドモワゼル・リディもムッシュー・ロイクも、僕に親切にしてくれた。喋れない僕に対してこんなに心を砕いてくれて、感謝しかありません。
皆さんにも、ありがとうを伝えてもらえますか?
本当に温かい街で、羨ましい。
貴女がいつも笑顔でいるのがどうしてか、分かった気がする。――
「アンナは
言うと、隣に座っていたリュシアンが微かに目を瞠った。
「本当。結婚してないの。ロマンス小説が大好きでたくさん読んでいるのに、本人はとんと駄目だって、言ってたわ。お料理も上手だし一緒に居て楽しい人なのに、どうして好い人がいなかったのかしらね」
クロエは眉を下げて笑った。
「でも、ロマンス小説が好きで、わたしが小さい頃に読んでくれたお伽噺もお姫様と王子様が出てくるお話ばっかりでね。
苦笑いしか出ない。
リュシアンは静かに首を振る。
がたん、と列車が跳ねて少しだけ体が浮いた。
雲の流れ、ダニューブ河の流れに逆らって汽車は走る。
ドゥワイアンヌでは一泊しただけ。そこから王都に向かう列車の席に座ったクロエの膝の上には、二人でやり取りするための手帳。
実家を出る直前に渡された手帳を広げれば、リュシアンが新しく書き込んでいた。今朝書いたのだろう文字は、揺れている。
――同時に。
君が難しい立場なのだということも分かった。
ドゥワイアンヌの地を継ぐ人は必要だろう。梨の産地としてもさることながら、鉄道が通っているこの地は、他にも、発展できる力を持っていると思う。
穏やかに発展させることに心を砕いていく人が絶対に必要だ。
本家の貴女に、従兄弟たちはいても、男兄弟はいないのだね。
ならば、結婚を急かされるのは仕方ないのだろう。
貴族はどうしても、結婚が避けられない。
僕の兄も、縁談を持ちかけられてばかりで厭になると言っていたことがあるよ。
妹は、卒論のペアを巡って気を配ることが多くて辟易すると言っていた。
僕だけはこうだから、何も言われないけれども。
僕自身、普通に結婚して、というのは想像できないんだ。
卒業した後、どうなってしまうのだろう。
いくつか希望はあるけれど、そのうちのどれが叶えられるのか、悩んでいる。
そして。
貴女は卒業したらどうするのだろうか。誰かと結婚して、家庭を築いていくんだろうか。
……と、ここまで書いて、書いたことを後悔している。
僕が訊ねることではない。
もう出かけなければいけない時間だから、言い訳が書けない。
だけどどうか、見捨てないでおくれ。
リュシアン――
そっと視線を向ける。
「リュシアン」
呼ぶと、別の本に向けられていた顔が向けられた。
「わたしは」
と言って、一度ぎゅっと目を瞑った。
「……わたしも、卒業した後のことは考えていないの」
首を振る。
「結婚はね、しなきゃいけないの。ずっとそう言われてきたし、それ以外考えられないんだけど。でも」
――誰と、結婚するかなんて。
幼い日。あるいは、進学のために列車に乗った日。その日に夢見た未来からは程遠い場所に居ると解っている。
お伽噺に出てくるような。白馬の王子様は来てくれない。
――だから、どうする、なんて。
ゆっくりと顔を上げると、リュシアンの水色の瞳に、自分が映っているのが見えた。
丁寧に編み込んだ髪、お気に入りのデイドレス、幼い顔を、彼はどんな思いで見ているのだろう。
「どうしたらいいんだろうね」
情けない、と嗤っているのだろうか。
「リュシアンは…… 希望ってどんなことを考えているの?」
問うと、彼は瞬いて、
乱れたリュシアンの署名の横に。
――兄の手伝いがしたい。
引き攣れた字が並ぶ。
「お兄様?」
こくり、静かに頷く。
「ええっと。ブランドブール侯爵様? 違う、今はお父様がご当主よね?」
もう一度、頷かれる。
「お兄様は、何をしてらっしゃるの?」
するとさらに、字が綴られる。
――鉄道事業を始めたんだ。
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