03. チャンスはある(3)
女子寮の宛がわれた部屋に戻るなり、デイドレスを脱ぎ捨てた。コルセットもどうにか外して、部屋の隅に放り出した。
白いシュミーズとドロワーズだけの姿で、寝台に倒れ込む。すると、その傍の棚に置いた手紙が否応なく目に入った。
四角四面な文字で書かれたそれは、実家の母親から。とっくに中身は読んで、全て頭に入っている。
「ペアが決まったら一度顔を見せに来なさい、か……」
卒論のペアは重要だ。将来の結婚相手かもしれないのだから。
クロエの結婚相手とは、実家――マニアン家にとっては、大事な入り婿。跡取りだ。
以上を踏まえれば、『顔を見せに来なさい』というのは、単に『元気な顔を見せに来て』という意味でないとよく分かる。ペアとなった相手を知りたいのだ。家柄とか、人柄とか、家柄とか家柄とか。
一人娘のクロエ。大事にされてきたと感じている。甘やかされていたのだ、とも。青い空、梨畑、そして朗らかな住人達。誰もクロエの前では悪意など見せなかった。裏の顔があるなんて微塵も感じさせなかった。
例外は、次期当主の座に収まりたい従兄弟たちだ。ケーキを分けてくれなかったり、毛虫のついた葉を投げつけてきたり、スカートをめくってくるような彼らのうちの誰かと結婚するというのも、勿論アリなのだろうけど。マニアン家の為にはなっても、クロエ自身がそれが納得できなかった。だからこその、王都への進学。
笑い合える幸せを求めての決意。
リュシアンの無表情を思い出す。
「……あれこれ考えても仕方ないか」
次の週末は、リュシアンに付き合ってもらってドゥワィアンヌに帰るしかない。
「一泊で! 従兄弟たちに見つかる前に早々に帰ってこよう!」
さらにその前に。なんとか彼と意思疎通を図り、卒論の
よし、と握り拳を作って、起き上がる。
今度はアイボリーのブラウスと苺色のフレアスカートだ。
「お腹いっぱいになって、元気にならなきゃ!」
お昼の
パンは、いつもより一つ多めに食べた。
気合十分で図書室に向かう。
学校の校舎は、百年前に建てられた貴族の別荘を利用している。件の一族が財政難に陥った時に、初代の校長が買い受けたものらしい。
王侯貴族が集まっていた場所というだけあって、石造りの外壁は元より、その内部の細かい装飾が素晴らしい。図書室はその中でも一等手の込んだ家具が置かれていた。
ごった返す室内。今日ばかりは最終学年のみの貸しきりだ。下級生は遠慮してしまう。
その中でリュシアンを探すのは簡単だった。そこだけぽっかりと、ざわめきが薄いのだ。
誰も彼に声をかけない。
静かになってしまっている窓際のテーブルで、頬杖をついて本を読んでいる。
そろりそろり近寄った。
「遅くなってごめんなさい」
声をかけると顔を上げてくれた。紺色の
――いい匂い。
「香水つけてるの?」
水色の瞳にははっきりと自分の顔が写っている。その影は彼の瞬きとともに揺れる。
「えっと…… ごめんなさい」
なんでもないの、と呟いて、隣に腰を下ろそうとして、やっぱり止めた。小さなテーブルの斜向かいに移る。
「ええっと…… だから…… 卒論の
そう言って、リュシアンが読んでいた本が先ほどセシリアに借りた本だったと気が付いた。
「鉄道、興味あるの?」
無表情。
「わたしは…… 乗ったことはあるけれど、今まで全然、敷くことには興味なくて。だから」
言葉を切ると、続かなくなった。
「ごめんなさい」
うう、と呻く。
「えっと…… でも、あなたの考えていることが分からないと、どうしようもできないんだけど……」
リュシアンは静かに見つめてくるが、それだけだ。何を言えばいいのか、調子が狂う。
不安が過ぎる。
このペアで良かったのだろうか、と。
自分にとっても、リュシアンにとっても。
「ねえ、何か言ってよ……」
このまま何も話してくれないのは困る。
何を考えているのか分からないのは困る。
喋ってよ、と睨みつける。
じっと、動かない唇を見つめる。真っ蒼になるまで、噛みしめられているそこ。
はっとなった。
もしかして。喋らないのではなくて、喋れないのではないか。
「ごめんなさい」
机の上に突っ伏す。
「無理をしちゃいけないわ…… うん、無理はしないで」
でもと両手で頭を掻きむしって、前に伸ばす。
「あなたの気持ちを知りたいのに、どうしたらいいんだろう」
どさっと転がっていた掌の先に、温かいものが触れた。
リュシアンの手だ。
先程も触れた、クロエのより大きくて骨ばった手。
その手元には、紙とペン。
――そうだ。
どうして気が付かなかったのだろう。
がばっと顔を上げて、それらをひったくる。ガリガリと、ペン先を擦りつける。
『文字は書ける?』
初めて、リュシアンの表情が揺れた。大きく目を見開いて、唇を戦慄かせて。
かた、と揺れた指先が、ペンを取る。インクが紙に沁み込んで『
「そうよね…… 当たり前よね」
文字が書けなければ、文章が作れなければ、今までの試験はどうしていたというのか。そもそも入学だって認められない。
それに、周りが喋っていることを聞いて理解していてこそ、授業に参加する意味があるというもの。
「ごめんなさい。書いてもらえばいいのよ」
ね、と笑いかける。彼は首を傾げた。
「わたしの話は聞こえているんでしょ? 分かってくれているんでしょ? その返事とか、ほらいろいろ…… 言えなくても書けば伝わるし」
ぱちぱち、と瞬かれる。噛みしめていた唇が少し動いて、また無表情に。
でも、怯まない。
「これからは、思ったこと考えたことなんでも書いてもらえる?」
じっと見つめる。すっと右手だけ動かして、彼はまたペンを握った。
『
「嬉しい!」
ぱんっと両手を打って、そのまま彼の両手を取った。
「よろしくね、リュシアン! わたし、頑張るから!」
ぎゅっと握った両手から熱が伝わってくる。体全体も温かくなる。
「よし、頑張ろう、頑張ろう…… えっと、何を」
あ、と声を零す。
彼はわずかに首を傾げて。
それから、するすると綴り始めた。
『思うところはある。だけどまだ、考えをまとめきれていない。だから今夜まで時間が欲しい。貴女に手紙を書きます』
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