16. すれ違いの条件(4)
「待ってよ、シャルリーヌ!」
必死に走って、追いついたのは女子寮の玄関前で、だ。
周りの子たちが怪訝そうな視線を向けてくる。
その中で叫ぶ。
「誤解だってば!」
「……キスを受けようとしてたのが?」
低い声で呻きながら振り返るシャルリーヌに、クロエは身を竦めた。
目の端に溜まっていた雫はとっくに零れ始めていて、シャルリーヌの顔は真っ赤だ。
目も、赤い。
「言い返さないんだ」
ぽつん、とシャルリーヌが言った。
「じゃあやっぱり、ランベールからキスを貰おうとしてたのね」
違う、と首を振ったのに。
彼女はさらに顔を赤くした。
ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙がその頬を伝っていく。
「なによ、あんたなんか、あんたなんか」
頬にいくつも涙の筋をつけたまま、シャルリーヌは睨んできた。
「成績も良くないくせに、運動もできないくせに、大してお洒落でもない、負け組のくせに! なのにどうして、誰とも仲良くなれるのよ。誰からも好かれるのよ!」
「そんなこと言われても……」
真っ直ぐに顔を向ける。
睨み返すような形になって、それを先に止めたのはシャルリーヌだった。
ふっくらとした唇が弧を描く。
「誰からも好かれればいいって訳じゃないものね」
途端に涙は乾いていった。
「小さな領地しかない田舎貴族だから、わざわざ友好を結ぶ理由はないですもの。卒業試験のペアを組むのに時間がかかったのはそのせいですものね」
強気の表情。いつものシャルリーヌの顔に、ぎゅうと胸が締め付けられる。
「挙句、学年一気味の悪いリュシアンなんかとペアを組むことになったんじゃない」
少し背の高い彼女から、見下ろされて。
瞬く。ぎゅっと唇を噛み締めると、口の中に錆びた味が広がる。
ひとつ、ふたつ。息を吸ってから。
「リュシアンの何が気味が悪いの?」
問う。
今度はシャルリーヌが瞬いた。
「何にも喋らないのよ、それに尽きるじゃない。周りで何を喋っていても、返事も何もしないで、失礼しちゃうわよね。わざわざ仲良くしようだなんて、滑稽だわ。あなたも、大変よね。何も考えてなさそうな奴に懐かれて……」
「何も喋らないのは、何も考えていないことと一緒じゃないのよ!」
叫んだ。
目を丸くしたシャルリーヌをぎゅうと睨む。
――勉強だってできるの。卒論のこと、しっかり考えてくれているの。周りの人の会話だって聞いていて本当は。
「傷ついているのかもしれないのに」
ポツンと呟いて、肩を震わせる。
「なに、よ……」
シャルリーヌもまた、目の端を赤くした。
「わたしが何をしたって言うのよ」
クロエは首を横に振った。
それから、彼女の横をすり抜けて、自分の部屋に真っ直ぐ駆け込んだ。
そうして、どっぷり落ち込んでいたら、夕食の時間を逃してしまった。
「お腹空いたあ……」
体を起こして、ランプを点けて、部屋の中を見回す。
机の上に投げ出したままの封筒を摘まみ上げる。
シャルリーヌに叩きつけられて、それから落とさずに持って帰ってこられた手紙だ。
白い封筒はさすがに
「見ないわけいかないものね」
差出人は、ドゥワイアンヌの母だ。
溜め息と同時に、中の便箋を取り出す。
――あと二ヶ月ですね。
そう始められた話題は勿論、卒業後の暮らしの話だ。
ドゥワイアンヌへ戻るのは当然として、誰が父の後を継いで領主となるのかを考えなさい、というもの。
――結婚を考えてください。アルフォンスで構わないではないですか? ドゥワイアンヌの地をよく知っている人です。考えをきちんと話せない相手より余程良いと思います。
「……リュシアンにも、アルフォンスにも失礼だと思わないのかしら」
呟いてから、吹き出した。
「アルフォンスは嫌よ。意地悪してくるような人と一緒になんかなりたくない」
次いで。
「リュシアンは……」
と眉を寄せる。
「リュシアンは、わたしの」
唇が震える。心臓が跳ねる。
扉が叩かれた音に飛び上がる。
「……どなた?」
「ブリジットです」
慌てて戸を開ける。
「上級生のフロアに来るのって緊張するわね」
ほんのり頬を染めて彼女は笑っていた。
「ごめんなさいね、今日はわたしがリュシーを借りてたの」
ぺろり舌を出して、ブリジットは続けた。
「ペアを組んでって、あんまりしつこいのがいたから、一日
「諦めてくれるって?」
「そうそう。勘違い男はお断りよ、ねぇ?」
くすくす、二人で笑う。
「自分が好きになったから相手も好きになってくれると思わないで―― お騒がせ男さんにもそう言っておいたわ」
「お騒がせ男さん……?」
「アンヴェルス公爵様よ」
ランベールか、とクロエは蒼くなる。ブリジットは深く笑った。
「リュシーが一発ぶん殴ってたから、安心してね」
何を安心しろと言うのだ、と引き攣った笑い声を返す。
こほん、と一つ咳払いをしてから、ブリジットは背筋を伸ばした。
「お届け物よ」
両手で差し出されたのは、革張りの、鍵付きの手帳だ。唾を飲み込む。
御礼は上手く言えただろうか。
小さな鍵で開ける。
栞の挟まれていた頁を開けば、びっしりと書き込まれた文字。
昼間、クロエが答えられなかった『修辞についての完璧な説明』だ。
「リュシアンの馬鹿!」
思わず笑う。
それから、眉を下げた。
――君が立たされている間、生きた心地がしなかった。
すぐ隣にいたのなら、答えを教えてあげることができたのに。
そうでなくても、口が利けたならば……
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