17. 今までとは違う(1)
――不思議なことだと自分でも思う。
僕の喉は、どこか構造がおかしいらしい。
音を発することはできるけれど、それを僕自身が思うような音にすることができないんだ。ひとつながりの「言葉」を話すことができない。
両親はあちらこちらの医師を連れてきて、僕を診せた。でも、誰一人として治すことはできなかった。
今はもう、普通に喋ることはできないのだと諦めているよ。
だけど。
この口が普通に言葉を話すことができたならば、僕はどんな毎日を送っていたのだろうか、と思うことがある。
例えば、母はあんなに嘆き悲しまなかったかもしれないと考えることがある。
僕は、あの人の泣いた顔しか覚えていない。
「ちゃんとした体に産んであげられなくてごめんね」と泣いている顔だ。
嘆き過ぎて寿命を縮めたんじゃないかと勘ぐってしまうほどに、母は泣いていたように感じている。
一方で父は、僕が喋れないからと、きつく当たることも、甘やかすこともなかった。
乗馬も狩猟も満足するまで挑戦させてもらえたし、勉強も妥協を認めてくれなかった。兄と同じく、貴族の男子として誇り高く生きるよう、教えられてきたと思う。
兄と妹は、口を利ける利けないに関わらず、いつでも温かく接してくれる。思うところを偽りなく伝えてくれるし、僕の気持ちも汲みとってくれる。
むしろ、外でどんな目に遭うか、と過剰に心配しているくらいだ。
僕がこの学園に入ることを、
この学園に入学した時、僕自身も不安でいっぱいだった。
喋れない口を奇妙に思う、笑いものにする人がいるということを知っていたから。
入学初日にランベールと親しくならなかったら(それもこの口を誤解した彼と殴り合いをした結果だったけれど!)、途中で挫けていたかもしれない。
予想どおり、僕を気味悪がって避ける人がほとんどだった。
最初のうちこそ声をかけてくれた人たちも、徐々に数が減っていった。
特に、女の子がね。あからさまな扱いをしてくるので、堪えたよ。
僕を見て、蔭でクスクス笑っているのはまだいい方。居ないも同然の扱いで、わざとぶつかって来たり、物を当ててくる人もいた。
そんな中でも、ずっと挨拶を続けてくれる――声をかけてくれる人がいた。
分かるかい?
君だよ、クロエ。
僕が何の返事をできなくても、君は必ず僕に挨拶をしてくれた。
それに気が付いてから、ずっと君を目で追うようになった。
追いかけているうちに、勉強は得意じゃないけれど、物語を読むのは好きだということを知った。
意外に食いしん坊だということを知った。
一着の服、一つの物を大事に使って、長持ちさせる人なんだとも気が付いたし。
でしゃばらないけど、いつも友達の良いところを認めて励ましてあげられる、優しい人だと知った。
恋に落ちるのは、簡単なことだったよ。
でも、この口だ。想いを伝えるどころか、親しくなることさえできない。
ただ笑っているところが見られるだけで、声が聞こえてくるだけで、嬉しいんだと思い込むようにしていた。
だから、君と卒業試験のペアを組めたことがどれだけ嬉しかったか――語るまでもないと思う。
それに加えて。
この学園に入ってから初めてだったんだ。先に「書いて伝えてくれ」と提案してくれたのは、君が初めてだったんだ。
飛び上がるほど嬉しくて、初めてこの喋れない口に感謝した。これがなかったら、君の優しさに触れることも、恋に落ちることもなかっただろうと思うから。
とは言え。少し、はしゃぎ過ぎたようです。
本当は、伝えるつもりはなかったんだ。優しい君を困らせたくはないんだ。
この後、卒業論文が出来上がるまで、君の
だから返事はいらない。
リュシアン――
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