13. すれ違いの条件(1)

 呼ばれて、クロエは顔を上げた。

「……ランベール?」

 机を挟んだ反対に立っていたのは、栗色の髪を短く刈って、緑色の胴衣を着た少年だ。

 彼は白い歯を見せて、笑った。

「寮じゃなくて、図書室で資料読んでるんだ」

「……嫌味?」

 鼻の頭に皺を寄せる。彼は肩を竦めた。

「あー…… ゴメン。そんなつもりじゃなくて」

「じゃあ、何?」

「社交辞令」

「もっとタチが悪いわ」

 ぱたっと表紙を閉じて、本を置く。

 春の昼下がりの図書室は、静かだ。読書に耽るか、うたた寝するかしかできることのないこの部屋にいる生徒は少ない。隅のこのテーブルには、クロエしか座っていない。

 艶々のテーブルに載せられた本の表をじっと見て、ランベールは首を捻った。

「それ、どのの本棚にあった?」

「これは図書室の本じゃないわ。借り物よ」

「……図書室の本じゃないなら尚更、寮で読めばいいのに」

「悪かったわね。でも、ここなら、他の資料が見たくなった時すぐに探せるでしょ?」

 本当は違う。

 勉強している姿をシャルリーヌや、他の友人たちに見られたくないのだ。だから。

「まあ、からかわれないって利点はあるよな」

 ランベールのさらりとした科白にぎょっとなる。

 口をパクパクさせている間に、彼はテーブルの向かいの椅子にどっかりと座り込んだ。

「真面目にやらないと卒業できないのに、真面目にやってると笑われるのな。女子ってわからねー」

 尖った彼の唇に、目はパチパチ動かす。あははっ、とランベールは笑った。

「まあ、ペアを作る駆け引きと一緒で、如何にを手に入れるかも駆け引きだから」

 続く言葉に、さらに顔が歪む。

「下書き?」

「出来上がったのでも。去年だとまだ先生方が覚えてる可能性があるから、一昨年以前の同じテーマの論文を手に入れて、それっぽく書き写すとかね。皆いろいろやっているらしいよ」

 自分たちで初めから、調べ、考えることなどしない。そういうことらしい。

「だから――笑うのね」

 負け組、と。

 ここ数日の級友たちの視線が苦しかった理由はこれか、と考えて。何をしても嘲りを受けるのか、と胸の奥がぎゅうと縮み上がった。

「俺は正々堂々勝負したいのにさ、シャルリーヌが認めねーの。めんどくせ」

 ランベールは右手の爪を噛んだ。

「いいなぁ、おまえらは」

「そう?」

「真正面から真っ向勝負じゃないか」

「良く知ってるわね」

 半目で見遣ると、彼は肩を竦めた。

「リュシアンから聞いた――あー、聞いたっていうか、読んだ?」

「あ、それ分かる」

「だろ? 追及すると長い手紙寄越してくれるんだよ」

 あははっと彼は笑う。

「ブランドブール侯爵家の資料を借りれてるんだって?」

「これがそうよ」

 先程まで開いていた本の表紙を撫でる。ジェレミーが持たせてくれた一冊だ。

「すごく勉強になるわ」

「いいよなぁ。せっかくの機会はそういうふうに使いたいよなぁ」

 羨ましい、とランベールは呟いた。

「リュシアン、あんたと一緒になってめちゃくちゃ喜んでんぜ」

「……そうなの?」

 また半目で睨む。彼はへらっと笑った。

「何も言わないけどさー。こう、口許が緩んじゃって、こっちまでニヤケちまうっての」

 はあ、と頷く。それから。

「ランベールは、リュシアンと仲良いの?」

 問い返す。

「男子寮で一番仲良し」

 胸を張った彼に、吹き出す。

「殴り合って負けたの、俺だけだぜ」

 ついで、目を丸くする。

「何をしたの」

「あー。それはさー」

 彼は、指先で自分の頬を掻いた。

「俺さ。あいつが、思うように喋れないから黙ってるんだって気付かなくてさ。話してもらえないのは馬鹿にされてるからかと思って、殴りかかっちゃったんだよね。で、取っ組み合い。寮に入った初日の話」

「……早いね」

「で、その晩、あいつ手紙を書いて持って来てくれたんだよ。声が出ないってのと、口から変な音が出てこないように顔を動かさないようにしてるんだって言い訳してさ。もう、惚れるしかないじゃん?」

「そう、ね」

 くすりと笑いが溢れた。ランベールも笑っている。

「なんで、この三年、ずっと仲良し」

「そうなんだ」

「授業のこととか話してても、一番真面目に聞いてくれるのがリュシアンだし」

「それでノートを覗こうとしていたの?」

「楽しいんだぜ」

 一頻ひとしきり笑った後。

「傍から見たら、俺が一方的に騒いでるだけに見えるだろうけど」

 ランベールの笑顔が陰った。

「みんな、あいつに話しかけないのな。喋んねえからって、無視するんだよ」

 クロエの眉も下がる。

「黙ってるってだけで、ここにいないわけじゃないのに、なんで無視するんだろうな」

 ランベールは呟いて、クロエを見向いてきた。

「なあ。なんでだと思う?」

 黙る。

 ぎゅっと、唇を噛む。

 彼は吹き出した。

「あーあ」

 ぐいっと両手を組んで、椅子に座ったまま背伸びをした。

「リュシアンが狙ってるって知ってたから、黙ってたけど。俺も自分に正直になれば良かったかなぁ?」

「へ?」

 我ながら間抜けな声だ。ランベールはくいっと口の端を上げて、立ち上がりかけて。

「二人で何をしてるの?」

 冷たい声に動きを止める。

「シャルリーヌ」

 つかつかと近寄ってくる少女に、クロエは瞬いた。

 彼女の顔が、今は強張っている。卵色のスカートは荒々しく翻る。

 どうしたの、と問えず。ぎゅうと膝の上で手を握った。

「何してるの?」

「あー…… お互いの進捗の探り合い?」

「それならいいんですけど」

 ぐいっと、彼女はランベールの袖を引く。

「いてててて」

 彼は引き摺られて行く。

 瞬いて、見送った。

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