広がる世界の端と未来の話 ―ベルテール王国より―

秋保千代子

01. チャンスはある(1)

 謝肉祭カルナヴァルが終わって、いよいよ本番だ。

 今日はいつもより気合の入ったドレスを着る。


「駄目! これ以上は無理!」

 クロエは両手を上げた。正面に立っていた少女が憮然とした顔で振り返る。

「無理じゃないでしょ、なんとかしてよ。コルセットがちゃんとしまっていなきゃ、キレイに見えないでしょ?」

「知ってる知ってる! だからね、頑張って引っ張ってるんだけど……」

 言いにくいけれど、貴女のウエストをこれ以上細くするのは無理なのよ。甘いものが大好きなお腹には柔らかな脂肪がたっぷり乗っかっているの。

 えへへ、と笑ってみせる。大きな溜め息が返された。

「仕返し。変な締め方してやる」

 後ろに回った少女が呟く。

「あ、ご勘弁を」

「大丈夫よ。クロエなら少しくらい変な締め方してても変わらないから」

「えー!?」

 抗議の声は、さして広くない部屋の中の姦しさに吸い込まれていく。

 その部屋の中には、白いシュミーズとドロワーズだけを身に付けた少女たちが四人。

 隅の椅子にはどさっと、色違いのデイドレスが積み上げられている。

「家のメイドたちが、どれだけ着付けが上手だったか、身に染みたわ」

「母さんたちの我慢強さもね」

「駄目よ、音を上げちゃ。今日は絶対に頑張ってお洒落しなきゃなんだから」

 誰かが誰かの背中に回って、コルセットを締め上げる。

 ようやく全員が付け終わった後、今度はせっせとペチコートを履く。

「あーあ。クリノリンが欲しいなぁ……」

「まだ子供だからって認めてくれないなんて理不尽よね」

「諦めなさい。来年になったら着れるから」

「そうね。デビューが楽しみだわー」

「その前に、ちゃんと卒業しなきゃね」

 頷き合って、部屋を出る。

「おかしくない?」

「平気平気」

「クロエも今日は頑張ったね」

 うん、と頷いて、クロエは自分のドレスを見下ろした。

 ラズベリー色の、フリルたっぷりのドレス。同じ布で作られたボンネットは、縁を白いレースで飾ってある。顎の下で結わえたリボンも白いレース。

「お茶こぼしたら、汚れちゃいそうね」

「そんな言わないで。本当こぼしちゃいそうじゃない」

 頬を膨らませてみせるが、言った少女はケラケラ笑うばかりだ。

「だってクロエってば、そそっかしいし、不器用だし――なんてったって負け組だし」

 クロエは小さく息を吐いて、それから笑った。

 皆が笑った。



 それもこれも、牽制の笑顔だ。クロエだって分かっている。



 寮から講堂へとぞろぞろと移動する。

 高等学校リセの最終学年全員、120名。

「男子も気合入っているなあ……」

「ねえ、あいつ見て。緑色の胴衣ジレ、フリルがたくさん」

「似合ってないわねえ…… 自分のごつい顔を鏡で見てごらんなさいって言ってやりたい」

「向こうのあいつの袴服パンタロンは細過ぎ!」

「腿の贅肉がバレバレよ。見苦しいわ」

 ざわめきの中、扇形に広がる席へ、おのおの座る。

 クロエもまた、いつも座っている中央よりやや右寄り後ろの方の席へ。

 座ろうと身を滑らせると、その斜め後ろに座っていた少年が顔を上げた。

「おはよう、リュシアン」

 努めて、朗らかに、声をかける。

 少年は何も言わずに、手元の本へ視線を戻していった。

 そして、ざわめきは最高潮へ。

 校長先生が壇上に登場だ。

「おはよう諸君。ベルテール王国の未来を担う少年少女たち。今日は君たちに卒業に向けた最後の試験を与える日だ。だからもう一度、この学校で学ぶことは何だったかおさらいしよう」

 黒い法服を着た白髪の男性が張りのある声で述べる。

「この学校はベルテール王国建国に遡る血を引く王侯貴族の子たちが集う学校だ。君たちはこの三年間で十分に高貴なる義務ノブレス・オブリージュをその身に付けなければいけなかった。さて如何だろうか。自信のほどは?」

 しんと静まり返った講堂。そう、ここで手を挙げる方こそ野暮というもの。皆下を向く。校長先生が、えへん、と咳ばらいをした。

「試験はその義務を果たす覚悟ができているかを見るものだ。試験に無事合格してでなければ卒業できないのは、何故か分かったね」

 では、と視線が講演台の上の書類に移る。

「無事に卒業となる頃には、18歳。大人の仲間入りだ。子ども時代の最後を賭けるこの試験について、具体的な説明をしよう。心して聞くように」



 内容は一言で言い表せる。

『卒業した後、何をしたいか』を論文にまとめる。ただそれだけ。

 と言っても、何か理想論をぐだぐだと並べればいいのではない。

 高貴なる義務ノブレス・オブリージュの実践――王国の発展に寄与する何かでなければいけないのだ。

 だから皆、実家の事業の問題や時事の題材を探してきて、模範解答を新聞や『業界の重鎮』の話から抜き出して、如何にもそれらしく聞こえるよう考えて、書き揃える。

 調べる、考える、書くの繰り返しは結構な重労働。

 そしてさらに大きな問題は、その遣り方。一人でやってはいけないという決まりルールだ。

「一人で大きな事業は成し遂げられない」という理由で、必ず二人一組で行わされる。


――二人一組、ってのが問題なのよ。

 校長先生の声が響く中、クロエはそっと息を吐いた。

――女子同士で組む人なんて、いるものですか。


 皆、このペアの相手を選ぶのに全力を傾ける。

 当たり前だ。試験の出来栄えを左右するだけじゃない。将来の友好や結婚につながる可能性があるんだから。


――困ったなあ…… みんな、もう決まっているんだろうな。


 今日が気合の入ったドレスの理由は簡単だ。それは、意中の彼から承諾を引き出すためのお洒落。

 もっとも、正式な届け出が今日というだけで、皆約束は取り付けているのだろう。未来に向けた駆け引きは、入学前、寮に学友たちが揃い始めた頃から始まっていたのだ。

 この潮流にクロエが気が付いたのは、入学して二年目。この時点で負け組が確定していたと言っていい。

 そう。クロエはまだ誰からも誘われていない。


――永遠に決まらなかったら、どうしよう。


 長い長い話が終わる。

 皆が騒めき、立ち上がる。

 ここは幼い社交場。紳士が淑女に声をかける。決まったペアから退場だ。

 クロエは俯いた。

「お先に」

 一緒にきた友達が一人、また一人、最後の一人が席を立っていく。

 もう一度、唇を噛んでから顔を上げた。見回せば、講堂に残った負け組たち。

 この中から『妥協点』を探らなきゃいけない。

 何度目ともしれない溜め息。

 こつん、と後ろで床が鳴った。

 振り返ると、斜め後ろの少年もまだ座っている。

「リュシアンも決まっていないの?」

 返事はない。あったことがない。彼の声を入学以来、誰も聞いたことが無いのだ。



 名を、エドガール・リュシアン・ベニシュということは、名簿を見て知った。建国の際、王の右腕として戦った騎士を初代に抱くベニシュ家の三人いる子供の真ん中が彼だ。

 蜂蜜色の髪に湖のような瞳。繊細な顔立ちで、白いシャツにクラヴァット、紺色のジレがよく似合う、すらりと伸びた体躯の少年。

 きっと、その出自はこの学校に入学しないことを許さなかったのだろう。

 『見た目と血筋だけはいい』というのが女子の間での評判。


――一言も喋らないから、皆気味悪がっちゃってるんだよね。


 いつも一人で静かに本を読んでいる彼。

「リュシアンも決まっていないの?」

 もう一度問いかける。もちろん返事はない。表情も変わらない。

 ただ、水色の瞳は真っすぐに向けられている。

「卒業試験、どうするの? 誰と組むの?」

 瞬く。すると、彼は本を静かに閉じて立ち上がった。

 緩やかに歩み寄ってきて、右手を出される。

「……わたしと?」

 大きく目を開いて、湖の色の瞳を見つめる。そこは凪いだままで、思いの外大きな右手も差し出されたまま。

 ごくりと喉を鳴らす。

 そっと、自分の手を重ねる。

「じゃあ……」

 白いレースが揺れる。

 ゆっくりとドレスを摘まんで、左足を引いて、腰を折る。

「クロエ・マニアンよ。改めて、よろしくね」

 彼はしっかりと握り返してくれた。

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