25. 終わって始まる(1)

 平日、授業の後に出かけるというのは緊張する。

 門限に間に合いますように、と祈りながらでも夕方に出て来られたのは、相手にその危機感を分かってくれるという信用があるからだ。

 アイボリーのブラウスと苺色のスカート。おざなりにボンネットとポシェットだけ持ってやってきた喫茶店の窓際の席に、呼び出し人はもう来ていた。

「ごめんね、アルフォンス」

 今年二十歳の従兄。先日、ドゥワイアンヌで会って以来だ。

「こちらこそ。呼び出しをちゃんと聞いてくれて嬉しいよ」

 ミルクの濃い匂いがする紅茶のカップを下ろして、彼はニヤッとした。

「俺が相手だから出てこないかと思ったぜ。さもなきゃ護衛ナイト付かと」

 むっと頬を膨らませながら、テーブルを挟んだ向かいに座る。アルフォンスは、きょろきょろと店の中を、窓の外の通りを見回した。

「あいつは?」

「……リュシアンのこと?」

「ああ。一緒じゃないの?」

「一人よ」

「ふうん……」

 もう一度、カップの中を口に含んでから。珈琲色の三揃い姿のアルフォンスは胡乱な視線を向けてきた。

「で? もう卒業なわけだが」

「そうね」

 溜め息を吐く。

 卒論の提出まであと三日。それが合格となったら、卒業だ。

「叔父さんと叔母さんは、クロエがドゥワイアンヌに帰ってくるって信じている」

「……そうよね」

「勿論、即結婚して、というつもりで」

「分かってる」

 昨日も手紙が来た。その前の手紙に返事を書いていなかったから、それへのお小言込みのものが。

「アルフォンスは説得係なんでしょ」

「そうだよ」

 ニヤニヤと笑った顔にカップを投げつけたい衝動を、クロエは両手でスカートを握ることで誤魔化した。

「結婚するためにだったら…… 帰りたくない」

 ぽつん、と呟いた。

 アルフォンスが見下ろしてくるのを睨みかえす。

「我が侭って言われるのは分かっているわよ? わたしがきちんとドゥワイアンヌの領地を引き継ぐことが高貴なる義務ノブレス・オブリージュだから。でもね、でも……」

 ぎゅっと一度唇を噛んでから。

「もっと王都にいたい。鉄道のこと――もっと知りたくて、できることをやってみたいから」

 言葉を継ぐと、アルフォンスの目元がふわっと緩んだ。

「分かる」

 つい、え、と呟いた。

 するとすぐに意地悪な笑いに戻ってしまったが。

「卒論書いてると、考え変わるよな」

 しみじみと呟くアルフォンスにきょとんとした顔を見せてしまった。

「おまえは鉄道か。俺は、農作物の流通の話だったけどな」

「……そうなの?」

 初めて聞いた、と身を乗り出す。

「ドゥワイアンヌの梨とか売り出せるのかなと調べてみたんだけどな。梨の話じゃ済まなくて、もっと国中の作物をあちこち移動させられたら、何処の地域も食卓が楽しくなるだろうなと思っちゃってさ」

 ニヤニヤと彼は告げる。

「それで、今の会社に入った。俺も王都に居たいとしみじみ思ったんだよ。ついでに言うと、俺もあんたと結婚はお断りだ。一生ドゥワイアンヌのことしか考えちゃいけない人生なんて送って堪るか」

 今度は吹き出してしまった。

 ハンカチで口の端を拭いてから、改めて紅茶を飲んで。

「アルフォンスがそんなに真面目だなんて、知らなかったわ」

 言うと。

「俺はおまえが世間のことを考えていることにビックリだよ」

 言い返された。

 お互いに笑う。


――なんだ。アルフォンスとも普通に喋れるんだ。


 カタンと、空のカップをテーブルに下ろして、アルフォンスは半目で見遣ってきた。

「王都に残るとして、どうすんだ。本当に働くのか? 当ては?」

「あるわ。今、お手紙でお願いを出して、お返事待ち」

 クロエは笑んだ。

――ジェレミー様。働くかい、とおっしゃってくれたのがもし冗談だったとしても。聞いてくださる?

 うふふ、と笑っていると、相手は大きな溜め息を吐いた。

「叔父さん叔母さんは自分で説得しろよ」

「分かってる。結婚相手を探すから残るのよ、くらい書いちゃうわ」

「下宿先くらいは探してやろうか? なんだったら、俺と同じところにするか? 飯は旨いぞ」

「どうしたの、アルフォンス。急に良い人になってる」

「てめえ…… 俺を何だ思ってたんだ」

「意地悪な従兄」

「はいはい、そうだろうとも」

 栗色の髪をぐしゃぐしゃに掻き回した彼と笑い、舌を出し合う。

 そこでクロエの紅茶も無くなったから、今日はおしまいだ。

 夕暮れの通りは急ぎ足の人で溢れている。

「ちなみに。あいつはどうするんだ?」

 今度は誰が、とは言わない。

 一度視線を下げて、にっこり笑って、つい昨日告げられたことを口にする。

「大学に行くんだって」

 いつの間にか、彼は高等学校リセの上の学校を受験していたらしい。落ちたら恥ずかしいから黙っていたと手帳に書かれて、頭を抱えた。

「へえ。やるじゃん」

 アルフォンスが口笛を吹く。

「またカードやろうぜって伝えといて」

 そう言えば、先日のドゥワイアンヌではカードで遊んだと言っていた。

――リュシアンったら、なんだかんだで、いろんな人と仲良くなれるのかしら。

「あんたも王都にいるんなら、会う機会が作れるだろうしさ」

 ふん、と笑ってアルフォンスは去って行った。

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