第22話 ミートソース 作り置きの強力な味方

 春である。

 麗かな日差しが窓から差し込み、春眠暁を覚えずになりそうな春である。



 ぽかぽか、窓辺から動きたくなるのはよく日が当たる嘉穂のアパートも然り。今にも出かけてしまいたくなる心地よい陽気。


 しかし、昨今それは許されない。


 冬将軍が猛威を振るう頃から発生し、他国のことと思っていたら世界中に蔓延したウィルス。島国だからといって日本がそれに巻き込まれないという保障もなく、予想通りか否か、あっという間にその歯牙にかかることになってはや一ヶ月。

 麗かな太陽の形から名を取られた悪しき微生物が、侵略域を広げ始めた。

 スペイン風邪の流行から百年、コレラの流行から百九十年。コロナのパンデミックである。


 欧米をはじめ、各国が都市機能を停止しロックダウン。

 嘉穂の住う地域も外出自粛要請緊急事態宣言。不要不急以外、外に出ることは憚られる。

 さりとて、なぜ動いていないのに空腹を覚えるのか(体温維持と脳の活動その他が理由である。仕方あるまい)


「お腹減ったなぁ……」


 普段の週末なら、のんびりとお昼の材料を買いに行くところだ。食料品の買い出しは許されたが、お店の多くも土日には扉を閉めた。となると、必然的に金曜日には冷蔵庫を蓄えねばならぬ。しかし不幸なるかな。同じことを考える人間は多いもので、嘉穂が諸々の用事を終えてスーパーに駆け込んだ時には、日持ちの悪い挽肉しかなかった。仕方なく、独り住まいのくせに三人分くらいを買う羽目になったのだが。


 さらに呆けたことに、冷凍しておくのを忘れた。昼ご飯に少しでも使ってしまわねばならない。


 ついでに言えば、野菜もあまり入手できなかった。棚から消えているということはなかったが、値段が高騰しているのである。嘉穂の方と言えば、自粛規制でバイトのシフトはなくなり、できるところからの節約生活。二本入り198のネギなど買えない。どうにかできるだろうと買ってきたのが、見切り品の野菜達。根菜類はともかくとして、足の速いものは早いところ加工せねば。


 ぼやけた頭で冷蔵庫を眺めていた嘉穂の目が、真っ赤な実に止まった。


 ——あ!


 完熟トマト(「本日中にお召し上がりください」)。


 ——いよっし!


 勝った。コロナによるスーパーの制御に。


 ご飯を炊くなら夜のほうが都合が良い。あと残っている炭水化物は、と眺め回すと昨日の根菜の中にはしっかりじゃがいもがある。こちらも春の陽気のせいで早々と芽が出そうだ。


 大きめのじゃがいもと玉ねぎを右手に掴みあげ、完熟トマトを左手で冷蔵庫から強制退出させると、嘉穂はまな板へ向かった。


 玉ねぎは丸々一つをみじん切り。新玉ねぎなので多少、もったいないが、おかげさまで涙も出ない。出来上がった半透明の白い山をオリーブ油を熱したお鍋にどさり。カコンとコンロに着地させて、ガス火着火。

 強火で思い切り炒めると、香ばしく甘い匂いが立ち込めた。そこへ三人分の挽肉。うーん、お肉、思い切り使っちゃうなんて贅沢。

 ミックスハーブを入れて熱している最中に、トマトに取り掛かる。包丁でスライスしようとしても崩れてしまうほどの完熟。ええ今日はよろしいのですよ。思う存分崩れてくださいませ。見目醜く切れてとてもサラダには載せられそうにない果実をお鍋に投入、じぅじぅいう音をかき消した。

 思った以上にトマトの果汁が多いので、火力を少し強める。ほったらかしでまな板へ。


 綺麗に洗ったじゃがいもは、出かけた若い芽を取り去り(新しい命よごめんなさい)緑になりかけたところを避けつつ皮を剥き、二ミリスライス。グラタン皿に均等に並べ、冷蔵庫から出したとろけるチーズを少しだけはらり。

 昨日湯がいておいたブロッコリーを数房取り出している間に、お鍋の中はいい感じに水分が飛び、鮮やかな赤色のソースがふつふつと言っている。


 オーブントースターのつまみを回し、余熱開始。

 豪華三人分、のお肉でお野菜たっぷりのために四人分はありそうなトマトソースを、レードルにたっぷり。じゃがいも+チーズの上に流しかけ、さらに上にもチーズ、そしてブロッコリー。トースターにれっつごー!


 ふつふつ、音を立てるのが聞こえそうな、庫内でのソースの気泡とチーズがとろけていく様子。時々チラチラ様子を見ながら、嘉穂は残りのソースを空になったジャムの瓶に入れ、きゅきゅっと硬く蓋をする。さて、これがどうにも後で開けにくくなるのは疑問。


 チーン♪


 トースターの扉を開ければ、湯気を上げるポテトグラタン。十分すぎるソースが光って美味しそう。うう、待ち切れない。


「いただきまーす♪」


 自粛規制、買い物も頻繁にはできず。さらに毎食作るのも億劫。そして節約。

 ならば一番は楽しい作り置き。お得な挽肉(脂が多すぎるので赤身を推奨)、見切りのトマト、加熱しても壊れにくいビタミンCのじゃがいも(これも安い)。

 ソースは冷蔵庫や冷凍庫で保存しておけば、パスタにも使えるし、水気を避けて使えば肉詰めだって作れる。なんとなればオムレツにかけたっていいし、パンに載せて焼いてもいい!


 コロナ、負けるものですか。


 三食作って三食洗って、外にも出られずハードなら、せっかくならば、存分にやってやろうじゃないの!


 転んでもただでは起きない。料理は美味しければいいってものじゃない。

 これが嘉穂の信条である。



 ****


 じゃがいもの上にチーズを少し載せてからソースをかけると、グラタンの中でもチーズがとろけて美味しいです。

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