第20話 料理は女子力に入らない

「ねえ、嘉穂って好きな人とかいないの?」


 そんな突然の質問すら突然ではないのが大学生活というものだ。同じゼミに所属する友人が、休み時間に嘉穂が持ってきたクッキーを摘みながら聞いてきた。


「は? え?」


 大学入学すぐに彼氏もち、の後、数回別れて今何人目という強者の友人は、しっかり流行りのメイクで嘉穂から見ても女の子らしいな、と思う。見てるとこちらが恥ずかしくなるくらい。


「いるでしょー。実はー」

「え、え、え、何いきなり」


 しどろもどろになってしまう嘉穂ににやりと笑い(そんな小悪魔っぽさすら、嘉穂にはない色気に見える)リップが艶めくその唇が容赦無く続ける。


「ほっらいる! なーんだー! 告白とかしないの?」

「え、だってほら、私こんなだし女の子っぽくはないし」


 しまった。これでは否定にならない!

 いや、事実だけど! 化粧だって簡単に済まし、流行には乗らない嘉穂である。おまけにバイトが忙しいし、遊ぶとなったら女友達。


 嘉穂の頭の中のパニック状態に構わず、友人はきゃははと笑ってはやした。


「えー、何言ってんの嘉穂、女子力高いじゃない! いつもお弁当ちゃんとしてるし、こういう美味しいのもぱっと作ってくるくらいじゃない!」

「料理は女子力じゃない!!」


 間髪入れずに言い放つ。


「コックさんも板前さんも男だって浅○くんが言ってたでしょー!!!」


 たんたんたん、と思わず机を連打して嘉穂は抗議した。相手の顔が直視できないのには突っ込まないで欲しい。


「誰よ浅○くんて」(注)



 ***


 しかし、もしかしたらチャンスはあるかもしれない。料理が得意な男子がいると思えば、かたや全くできない男子がいるのも確かである。そして、例のあの人は後者だったはず。


 でも直球なんてできるわけがない。はじめの一歩は慎重に……せめて仄めかすくらいで、他の子たちに配る中で取り敢えずあげてみて、料理は出来るよって言うのも……。


 ぐるぐるぐるぐる、英語より文豪の作品成立年を覚えるより頭の中が混沌としているのに目を逸らしながら、作るものを考える。


 ——カモフラージュのために大量に作れるもの……それでクッキーとかよりちょっと凝ったもの……個別にラッピングできるもの……



 ——ベリーチョコレート・カップ・ケーキ!!



 これなら手持ちのマフィン型に市販のカップ・ケーキ型を買ってくればゼミ・メンバーの分も作れるし、カラフルで可愛い紙ナプキンで包んでリボンをつければラッピングも十分いける。

 ミックスベリーは生を揃えるのは無理だけど冷凍ならたくさん使えるし! 


 思い立ったが吉日、大学帰りに製菓用品店に寄り、普段のトートバックを肩に、材料とラッピング・セットの入った紙袋を引っ提げて、誰も見ていやしないのにどきどきしながら嘉穂はアパートへの道を急いだ。


 ***


 プレーン・マフィンの材料は大体、パウンド・ケーキと同じ。卵、バター、小麦粉、砂糖がほぼ同量。今日はベリーがふんだんに入る分だけ、生地の量を少なめに作らねば。


 基本のマフィンと同じく砂糖とバターを擦り合わせ、乳化。小麦粉はベーキング・パウダーと一緒に振るって卵を入れて……


 ミックス・ベリー、今日は贅沢に投入。

 生地を混ぜ過ぎると膨らみが悪くなる。さっくり、さっくり、切るように。今回のベリーは冷凍なので、下手に潰すと生地の色も悪くなってしまう。あくまでさっくり、適と……もとい、絶妙な塩梅で。


 続いて、包丁とめん棒を駆使して砕いたブロックチョコを豪快に。このカッタいブロックチョコを砕かなきゃいけないあたり、やっぱり料理は女子力じゃなくて男子力が必要だと思うのですが。


 満遍なく混ざってきたところでオーブン余熱。さて型に生地をイン。八分目まで入れて、上からもベリーとチョコレートを均等に。これ溶けたら絶対美味しい。


 平らにならして(動かし過ぎず!)オーブン、百八十度、三十分!


 アパートの狭い部屋に幸せな香りが満ちる。奮発してバターをしっかり使った生地が焼ける香ばしさ、チョコレートのとろけるような甘さ……


 心臓のばくばくが止まりません。


 ***


 翌日、嘉穂は大量生産したマフィンが詰まった紙袋を手に、大学へ向かった。大きな紙袋の中にはもう一つ、リボンをつけた小さな空色の紙袋。中には薄く透ける桃色のラッピング・ペーパーを巾着型に包んだマフィンが二つ。


 さりげなく、さりげなく。電車の中で打った「消費手伝って」メール。うん、さりげなかったはず。お腹がすく頃の二限前に図書館前に呼び寄せる。こちらが平静を装ったの……気づかれなかったよね?


「えっと皆さん、今日差し入れあるんですー」


 ゼミの時間になって、嘉穂はメンバーを自分の席に呼び寄せる。簡単にリボンを飾ったマフィンを一つずつとっていってもらう。「わー」「お腹空いてたー」と口々に喜びの声を上げるゼミ生の中で、彼と同じ演習をとっている友人がすすすと、嘉穂に擦り寄り、腕をトントン、と叩いた。


「嘉穂ちゃん、嘉穂ちゃん、さっき聞いちゃった。すごい喜んでたよー」


 囁き声で言う友人の顔が思い切り面白そうに笑っているんですけれど、こればれてますか。

 しどろもどろの返答に、ましてや相手は女の勘が……働かなくても気付くだろう。


 彼には、気づいて欲しいような、気付かれたら困るような。

 微妙である。


 ***


 二週間後の昼休み。

 この曜日の三限は、二人して同じ講義で、向こうの友人がサボる時には嘉穂と前後の机で喋るのが常だった。早くに来てお弁当を食べていた嘉穂の後ろに、いつものように彼が座る。


「あれー橋立さん今日もお弁当?」

「うん」

「流石だわー。この間のもおいしかったよ、ありがとう。いーなー女子の手作り弁当」


 美味しかったの一言に内心、ばくばくになりながらも、いえいえ、とあくまで軽く答え、嘉穂は心臓を高鳴る心臓を奥まで引っ込めて隠す、気分である。


 しかし、男の子と言うものが鈍いのか、彼が鈍いのか、嘉穂が駄目なのか。


「俺もお弁当作ってくれる彼女とかほしーなー。作ってくれなくてもいいから欲しいわー」


 期待はかなし。延々と嘉穂には程遠い好みの芸能人だのを並べ立てられ、嘉穂は何も言えない自分の度胸のなさに、脳内で思い切り突っ込んだ。


 ——料理ができても相手を振り向かせられる女子力には、ならないんだってば!!!



(注)津田雅美『彼氏彼女の事情』白泉社 花とゆめコミックス第3巻、1992年(2002年第37刷)、p. 112.

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