第15話 夏は南仏に行きましょう

 暑い。


 温暖化と言うが、温暖どころかこれは灼熱地獄化だ。どこぞの画家の絵とか地獄を通って地球の裏側に出ちゃうイタリア十四世紀の分厚い本とかを思い出す。

 昨今の日本の夏はどうなっているんだ。三十度越えが涼しいと感じる上に、湿気の多いこの空気。常に温泉状態の毎日はもともと低体温の嘉穂には辛すぎる。


『夏こそよく食べてスタミナつけて!』

『焼肉で暑さを吹き飛ばそう!』


 そんな謳い文句の宣伝がスーパーやらに溢れる。冗談ではない。


『さっぱりと今日のおかずは冷やしゃぶで!』

『薬味たっぷりの素麺を!』


 全く誰に向かっての宣伝なのか。魅力的なメニューなのは否定しない。しかし誰が作るんだ。


 コンロの前で汗だくになるのは誰だと思っているんだい。


 要するに嘉穂は極力火を使いたくないのだ。暑い。冷房を入れないと冗談ではなく文字通り死にそうな部屋の中、例年にないほどエアコンのリモコンに手が伸びてしまっているのだ。


 一回で大量に作れて、保存が効いて、温めなくても食べられるもの……。


 そんな時にインターホンが鳴った。

「お届け物でーす」

 この炎天下の中で運転もカートを押しての配達も本当に頭が下がる。嘉穂は家の中だからとキャミソール一枚だった上にティーシャツを急いで被り、玄関へと向かった。


 ***


 ダンボールを開けたら新聞が目に入り、そのしわしわを外すとこれでもかと茄子とイタリアン・ベジタル・マロー、別名ズッキーニが詰め込まれていた。その間に、封筒にも入れずに紙切れ一枚が入っている。

『おばさんちからいっぱい貰ったから、送ります。母』

 無造作に入れられた茄子とズッキーニでダンボールの中は異様に毒々しい。取り出してみると、茄子の皮は張りがあって艶めき、蛍光灯の光を跳ね返す。

 しかしこのまま置いておけば早晩腐る。この多さだし。


 揚げ茄子……調理が暑い。油の処理も面倒だ。焼き茄子……グリルで出来るけれど飽きる……茄子の浅漬け……この量?

 嘉穂はしばし、紫と緑の瓜を眺めた。


 そうだ。


 ガバリと立ち上がり、茄子とズッキーニをダンボールから数本掴み上げ、キッチンに向かった。流しで洗ってそのまままな板へ。

 床の袋に入れっぱなしだった玉ねぎを取り上げる。よし、まだ芽は出ていない。片手で持つのが難しいくらいの大きな玉ねぎ、これなら一つで足りる。持ち上げついでにそのまま皮を剥く。中はほんのり緑、まだ新鮮。ありがとう冷房、玉ねぎを守ってくれて。


 いざ参らん。


 全ての野菜を洗ってまな板に整列させると、嘉穂は包丁を構えた。茄子を二本並べて一度に切る。それを繰り返して計四本。全て水をはったボールへ、ほうーらあく抜きですとも! 太いズッキーニは縦に二分、あとはざく切り。玉ねぎ、少し小さめに手早く、手早く。急いでも眼にしみる。乙女を泣かすとはなんて罪なヤツめ覚えてろ。

 そうか、私を泣かすとは相棒を忘れていたのか、失礼人参。ピーラーにて一肌剥けてください、玉男と同じ大きさにしますので。


 シンクの下からパスタ用の大鍋を取り出す。嘉穂の狭いワンルームで一番のビッグサイズだ。コンロにカタン、とセット。準備完了。


 続いて冷蔵庫からニンニクを一欠片。丸ごと贅沢に存分にみじん切り。切ったらそのまま包丁の刃の上にスライドさせて、さらに鍋にスライド・イン。


 ——ここからが、真夏の一騎打ちです。


 冷房設定28度、料理をするに耐えられる気温だ。オリーブオイルをひと回し。

 着火!!


 鍋の中で熱せられた油がニンニクと弾け、芳しい香りが部屋に充満する。うーん、夏っぽい。

 玉ねぎと人参のベスト・カップルを一緒に入れる。木しゃもじで揺らして揺らして……暑いので玉ねぎ飴色は諦めます、冬によろしく。


 さて今回の主役の登場。


 茄子の水気を切り、すべて鍋にどばっと(中のかさが鍋の半分に増えた)。続けてズッキーニもどんっと(残り三分の一しか入らない)。お母さんどんだけ送ってきたのよ。


 カポナータに用はない。揚げ茄子を作るなら揚げ茄子だけで食べる(正直、暑い時こそ食べたい)。いえいえ私の気分はイタリアではなく、フランスのプロヴァンスなのです。えぇ、湿気が多くて熱帯になっているジャポンの狭い部屋ですが、気分は爽やかな切れ味の白ワインを片手に、ゆったりと海を眺めながら日陰に座るプロヴァンスなのです。


 トマト缶四百グラムを空っぽにし、ハーブと料理用のワインを入れて蓋を閉める。あとは柔らかくなるのを待つだけ。早々に火のそばから離脱しよう。柔らかくなったらパルメザンチーズでコクを足し、塩胡椒で味を整えて完成だ。


 ——フレンチ某シェフの味ならこのあとオーブンなんだけどね……。


 そんなことを思いながらまな板洗いに入る。まな板、お鍋、しゃもじと包丁しか洗い物がないって幸せ……。


 夏といえば夏野菜のラタトゥィユ。太陽の恵みを存分に受けて、水々しく育った野菜が作り上げるフランスの至宝。分けて保存しておけば、そのままでも、ツナを加えてパスタにも、チーズと一緒にグラタンにも、お肉やお魚の付け合わせにだってなってくれる。鍋いっぱいに作ってしまえば作る手間は一回だけ。冷やしてだって全然OKだし、再加熱もレンジを使えばガス火に汗をかかずに済む。

 おまけに旬モノなりに、体に優しい。ズッキーニには水分調節のカリウム、トマトには対紫外線リコピン、茄子は体を冷やしてくれるときたものだ。

 やっぱりその季節には、野菜も料理もその季節なりの流儀があるのです。うん、大満足です。


 ***


「あれぇ〜?」


 三日後、冷蔵庫を見ても、冷凍庫を開けても、あれだけ作ったはずの野菜の至宝が見当たらない。


 ——そういえば、美味し過ぎて昼も夜も食べてた……。


 箸が止まらぬ料理を作るのも、悩みどころかもしれない。ダンボールの中、まだどのくらい残っていたかしら。

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