第18話 北海道からの刺客

「嘉穂、今日家にいる?」

 実家に帰っていた時のことだ。のんびり窓際で本を読んでいた嘉穂に、出かける準備を整えた母が聞いた。

「うん、夜には高校の子たちとご飯食べに行くけど」

「じゃ、荷物くるから受け取っておいて」

「はーい」

 何の荷物かも特に気にせず、嘉穂は了承した。了承してしまった。それが戦いの幕開けだとも知らずに……。


 ***


 ピーンポーン。

「橋立さーん、お荷物でーす」

「はーい」


 来た来た、これで食事会の前にふらふら出掛けられる、と嘉穂は安堵しながら小走りに玄関へ向かった。玄関脇の小物入れから判子を取って鍵を外し、ドアを開く。


 扉の外に、嘉穂の身長の高さまでの細長いダンボール箱が訪ねてきていた。


「すいません、ちょっと大きいんで中に入れてもいいですか?」


 ダンボール、もといその後ろに隠れた宅配のお兄さんが聞いた。唖然として固まった嘉穂だったが、ほぼ何も考えずどうぞお願いしますというよりほか無い。


「じゃ、お世話様でーす」

 いえ、お世話になってるのこちらですから、と心中で返事をしつつ会釈して扉を閉める。

 鍵をかけるなり、ぐるりっと後ろを向いた。


 床には嘉穂の身長よりやや短い(お兄さんが持ち上げていたので高く見えた)、白いダンボール。何度見ても段ボール。


「要冷蔵」


 ——してやられた!


 送り元、北海道にいる父方の親戚。季節は晩秋、細長い箱、要冷蔵、とくれば。


 送り状を見なくてもわかる。


『鮭』


 おじさんからの鮭一本丸ごとだぁ……。


 出掛けるなんてとんでもない。これを冷蔵庫と冷凍庫に入れなくては出掛けられない。当然、一本丸ごと入る巨大冷蔵庫なんてあるわけない。要するに、要するにだ。


 捌かなければならない。


 嘉穂は部屋の中に取って返し、ネットで鮭一本の捌き方を検索した。ええい、「一本丸ごと、プロが捌いてお届けします」なんて用無した。捌くのは私だわたし。家庭で捌ける鮭の捌き方ー!!


 まず、そもそもどのサイトも当たり前のように広々とした調理台に鮭を載せて捌いている。そんなものあるかい。リビングテーブルでは力が入りにくいのは予想がつくし掃除が面倒だ。


 嘉穂は大きめの空ダンボールを解体して床に広げ、その上に真新しいゴミ袋を切り広げて内側を上にした。これで衛生面はセーフ。床もダンボールで傷付かずである。

 台所に走り戻り、ジップパックとタッパーを適当な数だけ抱え、包丁とキッチン鋏を握りしめて玄関に戻る。


 届いた箱を開けると、真空パックで息を塞がれた鮭が、鱗を美しく光らせ、目玉をぎょろんとしてこちらを……見ていない。


 ごめん鮭。これから解体します。


 ぴちっと密着したビニールをハサミで切ると、ふわ、と緊張が解けて袋が空気を吸う。真っ直ぐ縦に切り込みを入れ、鮭の艶かしい魚体をごろんとゴミ袋の上に転がした。


 幸い、内臓はプロが処理してくれたらしい。腹にはすでに切り込みが入り、血も流れていない。厄介な尾びれ背びれも取られている。


 いざ参ります!


 ネットで画像を見ながら、切り込みが入り切っていない腹の部分に鋏を入れる。ずずいと下まで。続いてカマの部分に包丁をそろそろと。ここか、と思うところで力を入れてみるが一発では切れない。やはり女の腕では綺麗にバッサリは無理があるのだ。

 ネットでは鮮やかに切っているのだが、そうはいかない気配である。ハサミと包丁を交互に使い、身を表へ裏へひっくり返しながら切り込みを深くしていく。骨が当たってなかなか手強い。もはやハサミが先に負けそうだ——がきん。切れたー!

 堅いところを制覇すればあとは。容赦なく包丁を入れ、ごめん、と唱えつつ頭を切り落とす。


 ——鮭の首取ったり。


 丁重に首をジップロックに入れ、作業場を広くする。


 さて次は二枚にしなければ。背中部分にも刀を……切腹です。頭よりは容易い。時間はかかるが、背鰭が無ければ勝機は我にあり。


 開帳。


 続いて中骨の処理である。ここからは普段の三枚おろしの応用だ。サイズがおかしいけど。落とされた首側からだーーーっと! だーっ……だっ……進みが鯵のようには行かない……。


 半身は骨つけたままで良いやもう。


 既にもはや汗だくになって、剥がした嘉穂は中骨を適当な大きさに切り分けた。これは後で編み焼きか唐揚げ決定。


 さて、残ったところは、切り身作りである。

 ようやく調理らしい作業に入り、端から包丁を縦に入れていく。お魚屋さんでよくみる姿が一切れ一切れ、嘉穂の手により作られていく。いた、に、さん、し、ジップロック。ご、ろく、しち、はち、ジップロック。尻尾に近づくとサイズも小ぶりに。タッパー行き。はー、やっと半身終わり。


 袖で額の汗を拭いつつ、もう半身。全てを八つ裂きならぬ何十裂きにしたら、嘉穂の両側に朱色になったジップロックとタッパーが積み上がっていた。


 無我夢中で魚と対峙していた。気づけばもう、三十分は経っていた。寒い玄関なのに、身体が暑くて服の背中が夏のように濡れている。


 急いで冷凍庫に入れなければ。何往復かで全ての容器を運んでは詰め、運んでは詰め、冷凍庫もチルド室も赤色一色に染まった。


 使ったゴミ袋とダンボール、包丁とハサミの処理まで終えたら、全身——特に腕がくたくただった。ごろんと床に寝っ転がる。もう食事会まで休みたい。


 ——鮭、討ち取ったりー……。


 今年の戦いは嘉穂が一騎討ち当番になるとは。こうなったら褒美は決まりだ。


 明日は石狩鍋だ。



 ***


 北海道の親戚様、いつも美味しいものをありがとうございます。




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