第9話 領域と思惑③


 ◇


「一時はどうなるかと思いましたが、無事なようで何よりです。あれだけの高さから落ちたのによく生きていられましたね」

「……落ちた地盤がクッションになったみたいだしな。衝撃対策はしたがあまり意味がなかったし、本当によく生き残れたと思うよ。まあ、途中からは無我夢中すぎてよく覚えてないんだがな」


 降りてきたところを見上げマコトが感心しているが、ユウヤは呆れるばかりだ。いくら生き残ろうと必死になっても、半ばもう死んだと思っていたのだ。この短時間で窮地に遭ってきてまだ首や胴体が欠けることなく繋がっていることには、運が良かったと言わざるを得ない。

 しかし、これで窮地から脱出できたとも思っていないし、いつどこで身の危険が迫るかも知れないのはいつものことだ。

 生の歓喜よりも現状の確認を優先させる。


「降りてきたってことはお前の判断か?」

「……はい」


 ユウヤの問いかけにマコトが間をおいて首肯く。表情は少しだけ硬い。その様子にユウヤは彼が悩んだ末の決断であることをなんとなく理解した。隠そうとしているみたいだか案外ばれるものらしい。ただ、決断に至るまでのプロセスの方がユウヤは重視しているので、悩み自体を中心とした感情論での決断は考慮に除外している。

 マコトもそのユウヤの性格を理解した上で続けた。


「まず、自分ひとりの能力ではあの時点から生き残り帰還を果たすことが難しいと判断しました。さっきみたいに馬鹿げた威力の狙撃が出来ることはわかりましたが無暗に使用することはできませんし、使おうにも長期戦には向かないことは明白です。大体、軍全体にリークされていない武器の情報です。危険性も視野に入れて使用を制限するべきです」

「…………」

「また、今までの行動を先輩に一任してしまっているので、その後の対応もそれに準拠した方が成果率および生存率は良いのではと勝手ながら結論付けています。それに、数は力です。できるだけ集団行動をしていくのが妥当ではないかと考えます。先輩の無事も辛うじて上からでも確認できていましたので合流を優先した次第です」


 マコトは理由を簡単にまとめて説明する。ユウヤはその間黙って聞いていたが、一段落したところで口を開いた。


「言い分は理解した。だが、行動は安直だな。テンプレートに沿った考え方には頷けるが、ここは外方領域だ。自分の身の安全を優先した上での判断だと自信を持って言えるのか? 途中で結論を保留にしていなかったか? 仮定と推測は十分か? 今後がどうなるかはわからんが、結果論に任せようとは思ってはいないだろうな」

「うぐっ」


 痛いところをつかれ、マコトの頬が引き攣る。いくつ当てはまっていたかは定かではないが、どうやら心当たりがあるようだ。途中で投げ出してユウヤに案を委ねるような人任せな行動に走っていたがために、それを後ろめたくも思っているのだろう。ユウヤはマコトがどんな思いで合流を選択したのかは推測の域を出ないが、最終的にユウヤの指示を仰ごうとしたのは発言からも明らかだ。それを一方的に責めはしないが、軽率であったことは事実だ。だから、多少説教みたいな形で問い詰めていた。


 だが、結果論としてみればマコトの行動がそこまで愚策にはならないということもユウヤは把握していた。


「まあ、今回は俺がマコトに責任を丸投げみたいな形になりかけていたことだし、これ以上は不問にするよ。それに――」

「……?」


 尋問のような時間を軽く切り上げて、ユウヤが上層にできたがっぽり開いたままの穴を見上げる。それに倣ってマコトも先ほど降りてきた先を見つめる。上昇も考慮して設置した足場とワイヤーは残したままだ。


「案外、マコトの選択は失策じゃない」

「なら、早々に上がりましょうよ。と言いたいのですが、それもすぐにできることではなさそうですね?」


 合流に成功したことでマコトは一刻も早く引き返して下核領域に無事に戻りたいと思っていたが、ユウヤの背後にあるもののお陰でそれがうまくいきそうにないことを悟っていた。敢えて今まで触れてはいなかったが、ユウヤの抱える問題も考慮しなくてはいけないと判断した時点でその話を引き合いに出したのだ。


 ただ、ユウヤは背後に控えるものが第一優先とは考えてはいない。それ故に首を横に振った。


「……?」

「いや、それも要因としてはあるが、根本的な問題はそこじゃない」

「――というと?」

「戦闘中、レーダーに反応があった」

「それって」

「ああ」


 マコトはすぐに察したような表情をしたことでユウヤは首肯く。それは戦闘中にユウヤの鞄から鳴った音のことを指している。距離的な問題と様々な音の嵐があの戦闘の中で響き渡っていたのでマコトが認知するまでには至らなかったようだが、ユウヤは確かにそれを聞いたのだ。間違いがなければ、それはユウヤが前以て仕掛けたものに対しての反応であることだろう。確認することはできていなかったが、恐らくその認識は正しい。

 ユウヤはマコトが運んで降りてきたユウヤの荷物の方へ向かい、鞄に付属するポケットのうちの1つを開けるとその場所には1つ装置が入っている。その装置はレーダーの役割を持ち、現在はランプの部分が緑色に点滅している。大元となる機器はユウヤとマコトがはじめに下核領域に降り立ったところに設置されてあるものだ。


 機器を掴み取り操作を行う。機器に備えられたモニターには数字で並べられたデータが表れ、その最新の記述に目を向けると確信に至る。そのデータは詰まるところ生体を反応するレーダーの役割を担っている。


「追手だな。この具合から機器は恐らく既に破壊されていることだろう。どうやら間違いないな」

「……中四強国、ですか」

「ああ」


 味方であれば発見したときにその出自が極東連盟のものであると理解して放置、或いは持ち歩くことだろう。罠の可能性も考慮にいれれば前者が取りうる行動で最善になるが、生憎と機器にエラーが出ているため破壊されていると見るべきだ。現在地が外方領域であることを加味するならばもっと慎重に判断すべきであろうが、追われていることから中四強国の者であると見て良いだろう。


 そして、それ自体がユウヤがマコトの行動に正当性を見出だす1つ要因でもあるのだ。


「荷物はすべて回収してきているな。好判断だ。だが、我々は安易に上昇という選択肢をとることができなくなったわけだ」


 本来であれば最低限の荷物だけで外方領域に赴き、ユウヤの指示を仰いだ後直ぐに下核領域に戻った方がロスする時間を削減できると考える。だが、何が起こるかわからないため、マコトはすべて回収した上で降下してきたのだ。結果的に下で行動しやすくなったことから選択としては最良になるだろう。上昇することにも大きなリスクを伴う観点からもそう言える。

 しかし、上昇すること自体が難しくなった今、これからが問題となる。その選択肢はないわけではないが、時間をかければ追手との距離を縮めることになる。長期的に見ればそれは大きなリスクだ。


 外方領域にいればそういった問題は解消する。わざわざ更なる危険が積み重なる場に割けるような要員は、いくら中四強国の精鋭と言えどそうそうないだろう。外方領域には相応な時間と物資、人員が必要になる。調査するにしても下核領域までが限界であろう。

 このような具合で、人種に対してはある程度対応できる立場にいるとユウヤは分析する。


 しかし、ここは危険な生態が住処とするところであり、下手をすれば対人種以上に厄介な問題になる。結局は取捨選択の問題だ。選択肢を天秤にかけて、よりリスクを避けられる、或いは低い方を選び取ることが最善となる。

 現時点ではどちらが良いかなどわからない。これから先で危険がいつ振りまくのか、予測は残念ながらできない。どちらを選んでも地獄であるならば、運任せも良いだろうが、経過した時間とこれから行動していくための最低限の時間とを頭の中で照らし合わせ続ける。上昇するにしてもこの場から移動するのであれば安全な区域を探さなくてはならない。それも無謀な話か。だが、諦めずに活路があるかを考える。


 そして、ユウヤの視線の先には――。


「しかし、先輩がこうもけったいな人助けをしているだなんて思ってもみませんでしたよ」


 マコトは軽い口調で視線の先にようやく言及する。

 そこには1人の少女が眠る。長い時間を要したが、漸く救出に成功したのだ。ユウヤのジャケットにくるまれているお陰で白のワンピースだけという防御力の低い装備から少しはグレードが上がってはいるが、それでも心許ない。というか、ユウヤ自身寒い。本域の方が気温は低く、熱の籠もりやすい地下領域の方が生活しやすさはあるといえど、寒いものは寒い。あたりも少し昏いのでそのまま凍えてしまいそうでもある。

 ユウヤは自身の鞄の中から毛布を取り出すと、自身のジャケット取り替えて毛布に彼女の身体を包み込む。これで少しでも体温が上がって意識が目覚めるなど期待は出来ないし、第一先ほどまであの氷の結晶の中にいたのだ。今更そうしようと変化は得られないことだろう。それでもユウヤの中にある良心が少しでも為になるようにと身体を動かす。


 そう思っていたところだった。


「……先輩」

「どうした」


 マコトの声がユウヤに届く。その声は少々心細いが、確かに聞こえてくる。マコトは少女の顔を覗き込んでいたが、ふと何かに気付いたような口ぶりだ。そしてその口からは驚愕な言葉が漏れた。


「息が、あります」

「……はっ!?」


 ついさっきまで凍りづけにされていた少女の息が吹き返したのだという。氷解弾は温度を操作するための弾丸ではない。従って、本来であれば彼女の肉体そのものは凍っているも同然で、凍結状態を少しずつ解凍作業に移らねば呼吸器官、心臓の拍動までもとに戻すことは至らなかったはずだ。けれど、マコトはその凍り付けに遭っていた少女が呼吸を始めたという。

 どんな冗談か。

 信じられずに、しかしその場にあったものを放り出すほどの勢いでユウヤは少女のもとへと近付く。


「……バカな」

「本当です。信じられません。呼吸器官は安定していますし、肉体も凍結状態から徐々に解放されてきているようです!!」


 凍結状態は直ぐに解決できる問題ではないとわかっていたためどうするか悩み所であったし、後回しにしていたところもある。この場にマキノがいれば、彼女に任せられただろうにくらいしか思っていなかった。助けようとはしたが無責任な行動を取っていることに反省していた最中にこの事例だ。こうして自発的な回復になるとは誰も思うまい。

 もっとも、これで少女の生命活動がわかったことで、突発的にではあったが助けると行動して良かったともユウヤは感じていたが。


 マコトが少女の手首あたりを持ち上げて様子を見ながら、先に佇む氷華を見上げる。そこにはもうあの幻想的な様相はなかなか見ることができないが、壮大さはマコトも感じ取っているのだろう。


「本当にここにいたんですよね? にわかに信じられませんが」

「事実だ」

「格好といい、どう考えても異次元です。まさか……」


 そこから先をマコトは述べずに固まるが、ユウヤも恐らく同じ考えだろうと思う。今ある人種はエラルティアとレイジアーナの2種が主であり、それ以外は希少である。他の人種となれば、例えば体内で強力な電磁力を自由に扱うことができるイェンサの一族が有名だ。存在価値と見ても希少と言わざるを得ない人種が彼女の正体になるのかもしれないと、現在の奇特な状態から察するのは難くない。そしてもっとも代表とされる一族が……。


 ぶんっと頭を振る。

 1つのとある人種が想像できたが、そんなわけはないと選択肢から即座に外したのだ。代わりにもっと昔に当てはまる人種かもしれないのではと考える。そちらの方が少しは可能性があると。

 例えば、絶滅とされた種である。海の存在が謳われている時代には海底世界を生きるリヴァイアサンという種がいたそうだ。その進化種が奇跡的に現在にまで遺してきたとか。

 想像はしたが、現実的ではないと判断して息が漏れる。ならば、太古の種と言われるホモ・サピエンスなんて夢の話だ。可能性のなかには入れてはおくが、いたかもわからない種を追いかけるのも危険と見てそれ以上の考察はしても無意味だと止める。


 結局、もし彼女の意識が戻るならばその時に訊けばよかろう。


「その点については考えることはやめよう。いまは無駄だ。それよりも今後の予定を早急に決めていくぞ」

「どう動くかは先輩の意向に従うつもりですけど、この少女も連れていくことになりますよね?」

「……放置はできない」


 呼吸も確認できたし、ここで置き去りにするのは流石に鬼畜の所業であろう。取り敢えず、生態調査という名目で保護をする。本当に後先を考えないのは自分かマコトか、どちらかと思い、マコトへの申し訳なさが滲み出てくる。先輩にあたるし、今後の方針も自分が立てていくことと結論付けた故、強がってでも推し進めねばなるまいだろうと覚悟を決める。

 このとき、ユウヤは隊長である髙村の顔が浮かんだ。


(なんだかんだ、隊長も大変ですよねえ)


 自分が決めたことを貫き通さねば、部下の命にも関わることを背負っていた隊長を心の中で労いつつ、ユウヤは顔を上げる。


「現状はひとまず待機だ。上の仕掛けが反応するかどうかはわからんが、下核領域にしても外方領域にしても変化の兆候が見られた時点で対処を開始する。期間は長くなれば1週間、いくら追手だとしても無茶は出来ないはずだ。そこでここからの上昇を試みる」

「別の脱出口は探さないんですか?」

「安全と判断できるところまではな。下手に動いた方が危険だし、下核領域からの生態反応で人種であれば準備も不十分なはずだし外方領域にまで進入しようとはしないだろう」

「……でもトラップを仕掛けられる可能性はあります。僕たちが潜入で使った入口は押さえられているのでは?」

「当面は外方領域からの安全な脱出を最優先とする。ただ、今はその時ではない。下核領域に上昇することができればもう少しは自由に動けるだろう。入口については出口として使うつもりは勿論ない。マッピングも不十分な状態である観点から下核領域にも相応な潜伏期間を設けようとは思うが、それは後々詰めていく」


 最終的に足早に要素を並べただけのユウヤの言葉に対して、しかしマコトは即座に「了解です」と相槌をうつ。

 実際、ユウヤの頭の中では考慮すべき要素が多すぎてまだ流れのある行動方針がいまいち立てることが出来てはいない。具体的な内容を後から詰めていくこともあり、取り敢えず考えを並べただけに過ぎないのだ。

 それに、結果的に時間の経過を待つしかないとも思っていた。事実、ユウヤは外方領域に落ちてからまだ氷獣の一体にも遭遇していないし、気配すらも感じてない。違和感はあるしまだ短時間しか経っていないが、この場に潜伏していた方が安全なまであるとも考えられる。また、過信しているわけでは決してないが、ユウヤ自身索敵に関する技量は軍でも好成績で修めていることも踏まえ、人よりも少し行動の出だしが遅れてもある程度まではカバーできるだろう。


 意識不明の少女がいる分だけ慎重なことに不十分はない。兵糧の面から見てもまだ余裕はある。焦るときではない。

 言い聞かせ、ユウヤは決断する。



 ▼


 ――憎い。


 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。


 殺したいほどに憎らしい。


 でも出来ない。


 が邪魔だ。さえ破壊できれば直ぐにでもその喉元を掻き切ってやるというのに。簡単に心臓も貫けるというのに。どうしても届かない。


 何故。


 こんなにも憎いのか。


 理由は忘れた。

 でも、憎い。


 だから、チャンスだ。

 今しか出来ない。

 不思議とそう感じる。第六感が『今だ、殺せ』と叫ぶ。


 本能に従い、進む。


 後少しだ。


 最大の悪意と本能が、じわりと近付く。



 ◇


 ――それを見たとき、彼は本当の“死”を見た気がした。

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