第14話 意地

 ◇


「君がやるって、どう言うことですか?」


 純粋な疑問が生じたのか、マコトが真雪へ訊ねると、彼女は再度上を見上げた。


「この様子だと、あなたたちの言う『上』ってこのまま氷が続いているようね」

「どうしてそれがわかる」

「……わかるわよ。エラルティアじゃあるまいし」


 棘のある言葉を言い放つが、見解としては間違いではないのだろう。真雪は手を翳して目を閉じる。


「私は雪や氷を操る者として、それらの存在を触れずともある程度までは知覚できる。私がいた頃はここまでではないにせよ氷雪地帯が広がっていたし、勘は鈍っていないみたいね。調子も悪くない」


 深呼吸。


 息を調えて集中しているようだ。その後、真雪は立ったまま微動だにしなくなった。


「なにを──」


 独り言のように言いかけて、止める。変化があったからだ。それは微細な変化、目に見える程度に粉雪がチラチラと舞い、真雪を中心に渦を描き始める。

 風がさらっと吹いた。ユウヤの頬を優しく撫で、通り抜けていく。


 すべてが彼女を中心にして規則的に連なっていく。冷気も発生し、多少空間の温度が下がる。ふわりとワンピースが揺れた。緩やかに空気の循環が起きている。


 部屋が和やかな雰囲気であたりが揺蕩う。空間一体を支配しきっているような感覚を受ける。


 彼女の中で一区切りがついたのか、目を開け小さく首肯く。再度、深呼吸をして心を落ち着かせている。但し、立つ位置は変わらず一歩も離れようとはしない。


「すべての荷物を持って私の近くへ」


 上半身のみをひねり、ユウヤとマコトに声をかけた。これから何を始めるのか、一切を伝えられていないだけに不安がある。しかし、それ以上に真雪の能力の底知れないものを垣間見たことで、有無を言えず従う他なかった。

 荷物をまとめ、彼女の側に寄る。マコトも戸惑いを感じているようだったが、ユウヤの行動に倣って真雪のもとへと近付く。


 彼女との距離まで50センチメートルとない。初めはもう少し離れていたが、真雪がもっと寄れと言ってきたのだ。流石に、少女の側に男2人がいるのは倫理的なものもありここで限界だったが、真雪は気にせず次へと移行する。近いようで、身体の触れない距離。逆に、触れはしない距離だが、お互いが任意で近付ける距離ではない。


「座って、絶対に私から離れないで」


 お構いなしに出される指示に従い、しゃがむ。

 その数秒後から、あたりから気配を感じる。敵ではない。しかし、ユウヤが得意とする広範囲知覚を邪魔するように空間に生み出された気配に埋もれてしまいそうな思いになった。


(これは──)

 

 真雪が実行していることなのか。氷壁が共振し少しずつ空間へ影響を及ぼしている。

 揺れる、揺れる。

 三半規管が少々麻痺し、身体がぐらつく。この時間がいつまで続くのか、悲鳴を起こし始めている肉体が耐えるも疑念が深まる。


 そう考えていたとき、漸くといえる時間が経ち更なる変化が起きた。


 けれど、今度認知できたそれは急展開すぎて反応を鈍らせていた。


 天井が啼き、崩れ始めたのだ。


「先輩!!」


 マコトがユウヤへと叫んだ。

 その間にも、氷塊がユウヤたち目掛けて降り注いでくる。このままでは下敷きにされてしまう。なんとか軌道を逸らせなければ直撃する。

 咄嗟に光学銃を構えようとした。けれど、少女はそれを否定する。


「やめて」


 ユウヤとマコトが何かする前に、真雪が動く。軽く腕を振り、すぐに自身もしゃがみ込む。

 タイミングを合わせるように、3人を包み込むように薄い膜のようなものが広がり、内部に閉空間ができた。


 そのコンマ数秒後には氷塊の雨が降る。

 しかし、ユウヤたちへ直撃することはなかった。いや、軌道上では直撃していたが、覆っている薄い膜がこれを阻止したのだ。重量もある落下物に対して問題なく防げるのは見かけによらず頑丈さを示している。


 だが、このままではいくまい。降り続ける氷塊の量は甚大で、このままでは生き埋め状態と変わりない。なれば脱出も難しくなってしまう。

 真雪の考えが読めなくて、ユウヤは焦る。


 焦燥の中に身を投げ出されていたその時、不意に足元がぐらついた。バランスを崩して尻餅をつく。うまく立つこともできそうにない。体幹を鍛えているつもりの軍人にあっさりと倒すかの勢いで、揺れが発生する。周囲にも氷塊が落ちているわけだから、その弊害か。更なる焦燥が先行する。


 けれど。


 ふと違和感がユウヤを刺激した。生き埋めになりそうなのになっていない、そんなすぐにもわかる違和感の正体が気持ちの悪いものになり仕方ない。

 どういうことか。

 知らずのうちに、浮遊感も身体が体験しているかの感覚にも襲われる。


 ──いや。


 単なる感覚ではない。

 。その意味することとは、即ち、3人の足場となる氷の床が切り取られ、宙に浮いているのだ。脇で氷塊が落ちていくところを確認できるのがその証拠だ。

 続いて足場ごと上昇していくのがわかる。落ちてくる氷塊により視界が定まらないが、3人のいる空間を除いて崩壊が起きそれに逆らって上昇する力が働いているのだ。このままの勢いでは天井に突撃してしまうのではないかという気持ちに襲われるも、上昇は難なく継続されている。


 ──はっとなる。


 周囲の驚異的変化を目の当たりにしていたお陰でそちらに視線が誘導されてしまっていたが、この現象を起こしているのが誰なのか考えてみれば答えは想像に難くなかったと思い返したのだ。


 真雪を見る。

 彼女は足場となるところに両の手を置き、目を固く閉じ集中しているのがわかる。額からは汗が滲み出していて、必死にもがくような表情が窺われた。


(──もしかしてここら一帯を支配しているとでもいうのか!? 意思を持って自然現象に干渉できるなど、聞いたこともない)


 声などかけられるはずもない。集中する彼女の邪魔をしてしまっては、ここにいる全員が危険に晒される可能性もあるのだ。もどかしくも思うところだが、黙って見ていることしかできないとユウヤは判断する。

 真雪の息が弾む。

 視覚による現状確認を行っていないところを見て別の手段で周囲を知覚しているようだが、今彼女がしている操作がどれ程のものかユウヤは知らない。そもそも、真雪のような特異な能力を体質上持ち合わせているのは、そもそも構造が多少異なる人種であるレイジアーナを除いて、他に電磁場を自在に操るイェンサの一族と風の操作に長けるゲールの一族くらいである。馴染みのない超常現象の行使にはどうしても実感がついて来ない。


 もしかしたら、少女が苦しむほどに能力の行使にリスクがかかっているのかもしれないことも念頭に置く必要もあるだろう。彼女が凍り付けにさせた氷獣に対しても、能力と思わしきものを使った後には気を失っている。今回、それ以上の力を使っているとなれば──。


「ぐっ」


 真雪から吐息が漏れる。肩が上下するほどに呼吸音が連続的に聞こえてくる。


 その間ものぼる、のぼる。


 視界が定まらないことには変わりはないが、どんどん氷塊を掻き分けて昇っていく。


 そして、その瞬間が表れた。

 降り注ぐ氷塊が突如止む。下核領域を挟まなければその間の氷の厚さは50メートルを超える中を遂に──。


「──はっ」

「マジか!!」


 陽射しが落ちる。急激に光を浴びたことで、眩しさとなって目を刺激してくる。

 うっすらと目を開けるなか、見えるのは広がる空だ。珍しく快晴のようで、雲ひとつない青々とした風景が上部に渡っている。


 声にならない声がユウヤから漏れ、それを代弁するようにマコトが驚愕な気持ちを吐露する。ここで初めて浮いていたことをちゃんと確認できた。

 上昇するために真雪が無理矢理開けたであろう穴の傍らに足場の氷が着地する。同時に、覆うように張っていた氷の膜もパラパラと砕け散り、本域からの空気がユウヤへと到達する。


(本当に戻ってきたのか!? もともと外方領域にいたんだ。下核領域じゃない)


 信じられないものに立ち合った身として、鳥肌が背中を辿る。


「ゼーッ、ゼーッ! ひゅーっ、はあっ……、かはっ! げほっ」


 静寂した場で唯一聞こえてくるのは少女の激しい呼吸音だけだった。異物を外へと吐き出すかのように咳き込み、体外にある空気を取り込もうとしている。

 必死に身体を安定させようともがく彼女の表情は人の苦しむそれだ。


 どうすべきか逡巡していたとき、先にマコトが動いた。


「大丈夫ですか!? 背中、失礼しますね」


 マコトはゆっくりと彼女の背中を擦る。それにより、拒否することもできずに為すがままの少女の容態は次第に回復していき、落ち着きを取り戻したようだった。


「体調はどうですか」

「ふーっ、問題ない。ありがとう」


 真雪は深呼吸をした後、引き攣った笑みで礼を述べる。そして、ユウヤを見上げると強がりながらも勝ち誇ったような笑みへと無理に変えた。


「どうかしら? 要望通りよ」


 手荒にもほどかあるとユウヤは思うが、結果的に目標が達成したことと彼女の疲れきった表情により反論は呑み込んでしまった。

 代わりに、呆れた呟きが漏れた。


「すごい力だよ。本当に」



 ◇


 ──本域。


 その場は多くの人種が生活の拠点としているところとして相違ない。理由としては単純に生活が下核領域以降の層と比べてしやすいことにある。

 また、氷獣があまりいないことも要因となるだろうか。


 氷獣がいないのは何故か。

 それは、氷獣が直射日光を嫌う傾向にあるからだ。中には本域へ上昇するだけの力を有する氷獣もいるのに、早々本域に姿を現さないのはそのためだ。

 氷獣は本能として直射日光を嫌うらしい。熱を持つそれを長時間浴びることとなれば、体質上氷でできているものたちからすれば驚異に感じるらしい。


 ただ、氷獣の上位互換となる獣種はそうとは言えない。知能を持つものも多いだけに、注意を払えば問題なく本域で生活をできているのだ。その本場となるは亜獣国家と呼ばれるガレイドオール、ファラングズといったところか。

 それも、現状危険視されているとも言い難い。何故なら、ガレイドオールは最北端、ファラングズは最南端に位置し、そう簡単にその国の王が根城から出てこないためだ。情報技術がまだまだな地球なだけに、人種の国家には目も向けないようだ。

 軍の隊員教育から各国の情勢についても教え込まれるわけだが、ユウヤはこの歪に安定している状況に不安を抱いていた。


 閑話休題。


 一時は中四強国と予想される敵影に下核領域へ踏み入ることを決断したわけだが、僅か2日と数時間で上がってこれてしまったわけだ。外方領域から下核領域へ移動できたときには下核領域でもう少し様子を見ようとも思っていたが、かのユレイヤの少女のお陰で危機を回避できたのだから文句はない。


 しかし、現状の位置を本域で照らし合わせる必要もあるので、周囲が把握できないままこの場にはいたくないとも思っていた。

 せめて、中四強国から離れるように南東方面へ進みたい。周囲5キロメートルにすぐにわかる気配はないのが救いか。


 けれど、ユウヤたちは足踏みしている状態だ。

 真雪の具合が悪化したのだ。


 熱を出し、うまく身体を動かせないようだ。能力の行使による反動のせいだろうが、ここまでになるとは予想外だ。意識はあるようだが、ぼんやりと視界が定まっていない。毛布にくるまれている少女の顔は赤くなり、輝く銀髪とアクアマリンの瞳とは不釣り合いに見える。

 一方、彼女は「何も問題ないわ」と強がるばかりだ。今はマコトが看病にあたっている。


(能力の過剰行使による体調の悪化……。それとも、環境に問題があるのか?)


 真雪の知る環境から1万年以上も経っているのだから、その間に真雪を害する何かができたのかもしれない。もしくは、急に能力を使い始めたから身体がついていけてないのか。どちらにせよ、解決方法は知らないことは問題か。

 荷物を漁ると小瓶に入った薬が数種類出てくる。ラベルと効能について確認し、相応なものを選び取る。


 ユレイヤはエラルティアとで人種の違いがある。だから、薬が効くかどうかもわからない。まして毒にもなりうることも考慮すべきだ。

 結論に達し、頭を振ると小瓶をそのまま荷物の中に戻してしまった。医者でもない自分が下手に処置を降すことはできない。


 結局、何もできないまま立ち尽くす。

 それでも、何かしたい気持ちもあったことは確かで、マコトが看病しているところに近寄る。


「君のその症状、原因は何かわかるだろうか」


 意識が朦朧とする真雪に直球で質問を投げかける。真雪がユウヤを見つめる。言語処理系には問題はないようで、彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「何も問題ないわ、と言いたいところだけど。…………そうね。のコントロールができれば体調もよくなるとは思う」

「つまり、能力を使うと?」


 彼女は冷気を操る人種である。ならば、能力を行使することで自身の身体も調整できることを意味するのか。だが、現時点で彼女が能力を再度使おうとする気配はない。

 その理由は彼女の口から語られた。


「私の力、まだこの世界で調整がうまくできないみたいなの。自分でも信じられないくらい。何だか、身体が軽いの。…………けど、力を使えば私の身体では耐えられない」


 やはりといったところか。まだ、彼女がこの世界に適応できていないのだ。苦しむ真雪ではあるが、気にせず続ける。


「でもね。……力がコントロールできて、冷気をうまく循環させられれば回復すると思う。問題は、今の私じゃ力が使えないほどに身体が動かないってことかな」


 吐息が規則的に聞こえるようになる。話すことにも労力が要るようで、自力で呼吸を調えているようだ。

 そして、落ち着いたとき。


「見捨てて」


 真雪は笑みを浮かべてそう言った。


「──何を言っている」

「……私はエラルティアが嫌い。けど、時は流れて世界は私たちを忘れてしまった。あなたたちに協力したのもほんの気まぐれだったし、から。……だから、これ以上は私に構わず行きなさい。最後は気に食わないけど人助けもできたし、これで皆のもとへ逝ける」


 そうか。


 彼女は外方領域で目覚めたあのときから、既に諦め終わっているのだ。支えるものも何もない、誰もいないなら意味はないと悟ったのだ。

 ユウヤは彼女が向き合う重みを知らない。だから、どう声をかけるのが正しい答えになるのかも考えられない。それでも、黙ったままにはしたくなくて、何か言葉を探す。

 口が開き、閉じる。


「もう、意味なんてないから──」

「ダメです!」


 真雪の言葉に反論を示したのは、ユウヤではなくマコトだった。


「君はそんな悲しいだけの人生だからって理由で逃げ出すのか!?」

「……勘違いしないで。悲しいだけがすべてじゃない」

「でも、やっぱり苦しみながら死ぬなんて間違っている!! 君のことは知らないし僕じゃどうしようもないけど、それでもこれからの未来の方が長いはずだ。ここで終わらせない、僕たちは既に君を見捨てないと決めているっ!!」

「──っ! …………好きにしなさい」


 真雪の口が抵抗しようと震える。しかし、何もできないと理解しているのか、それとも何か情でも湧いたのか、顔を背けた。

 ユウヤが言うべきことはマコトが言ってくれた。このまま、マコトに看病をさせても問題ないだろうと思うと、ユウヤは考える。


(……能力、冷気、コントロール。情報的に意味はなんとなくわかるが、ロジックが不明だ。休めば何とかなるかもしれないが、その分身動きが取れなくなる。外部からの治療は構造上、現実的とは言えない。──ならば)


 ユウヤはある結論に達する。

 もうすぐ昼も終わり日が暮れる時刻だ。これから更に冷え込み始める。今回は今いる場で野営せざるを得ないだろうが、翌日に動けるなら動きたい。


 病人に鞭打つようで申し訳なくなるが、取る手段は1つだった。



 ────けれど。


====================


《補足・裏設定の小話》


“外界人”(つづき)

地球(氷星)における通信技術は現代のものとは遥かに劣ります。理由は外界人の存在にあります。玄人種が宇宙躍進を成功させたことで宇宙空間の支配にも“格”のようなものが絡んできます。

つまるところ、地球人は外界人に比べて宇宙空間の支配領域を獲得できず、閉鎖的な現状が続いているのです。それが通信技術の発展が遅れている1つの理由です。


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