第16話 遭遇戦①
◇
躱す、逸らす、距離を取る。
氷でできた槍の雨が次々と地面を突き刺す。射出された後の操作は利かないようで、光学銃で軌道を逸らすことはできるが、あまりの量に対処は追い付かない。かといって電磁シールドでのギリギリでの防戦ではそのまま蜂の巣にされることだろう。
特に、ユウヤの負担は大きい。
マコトは遠距離戦闘を専門とする狙撃手であることから、敵の火力による押込みに対応するのには不馴れだ。
また、真雪はされるがままにユウヤの片腕に抱えられている。能力はまだ使えないらしく、それだとどこにでもいるようなただの非力な少女でしかなかった。
バッテリを無視して光学銃を乱射する。精密射撃は苦手なだけに、数を撃っての対応になるが、どのみち手数でも押されているので関係ない。
軌道を逸らし、残った直撃コースにあるものを最小限で避ける。下手に大きく躱そうとバランスを崩して次が対応できなくなるので、辺りにも注意していなければならない。いずれ止むにしても、突き刺さった槍は行動を阻害させるものとしても邪魔な存在だ。
少しずつ後退しながら、それでも対処できなくなった攻撃は電磁シールドで威力を弱め、軌道を逸らす。
前進することは当然地形変化によってできないことは確かだ。だが、この氷の槍が絶え間なく続いていくことになれば、体力もバッテリも保たないのは明白であり、現状迎撃手段もないため攻撃を止めることも絶望的であろう。
なれば、早々に無理にでも逃走していた方がまだマシだったかもしれない。超長距離攻撃の可能な敵を前にのうのうと背後を晒すような真似は安直であるため、どちらにせよその選択肢は消していただろうから必然性が伴うが、ここまでとは想定外だったのだ。
真雪と荷物を担ぎながらではあるが、対処はまだギリギリ間に合ってはいる。ユウヤ自身の肉体には通常よりも付加がかかり、動きは鈍い。だがこれで、手数が増えなければ問題はない。攻撃は単調で、予測ができれば十分躱すことはできる。問題はひとつのミスで即終了となりやすく、制限がわからないところにある。
だが、攻撃は氷の槍の雨には留まらない。
『先輩! あれはまずいです』
確認できたときには、迫ってくるそれがユウヤの表情を更に渋らせる。
目視だけでもわかるように、巨大な氷の塊が隕石が如く、ピンポイントにこちらに飛来してきたのだ。
このままいけばほぼ確実に直撃する。
そうなれば、軽く身体は押し潰されて即死だ。巨大故に光学銃程度の射撃では軌道を逸らすことすらできないだろう。
よって取られる選択肢はひとつだ。
「スキーマで緊急退避する」
『了解』
心なしか、氷の槍による攻撃量は減っている。今なら、退避もさきほどよりかはやりやすいと結論付ける。
そもそも、退避しなければ圧死である。
勿論、最優先事項が氷塊に変わっただけで、周囲からの攻撃にも注意しなくてはならないだろう。
だが、これはチャンスとも言えた。
何故なら、極端な攻撃には必ず隙が生じるからだ。氷の槍を抑えてまで氷塊を動かしているとするならば、退避の方法もわかりやすいからだ。また、なんとか避けきれればそれが遮蔽物として機能する可能性もある。
「振り落とされるなよ!」
痛みを耐え、スキーマで遠ざかるように直進する。敢えて背後は見ない。この際、槍は無視する。万が一、直撃したら不運さを呪うだけだ。真雪を抱えているため、変に動作を入れることもタイムロスになりかねない。
急激に慣性が働き、その衝撃で傷が開いた。身体も麻痺してきている。
それでも、歯を食いしばって進む。
そして、数瞬後には爆撃のような音が背後から響いてきた。
遅れて、追い風が如く物凄い勢いで、圧力がユウヤを押した。
不意の衝撃で身体のバランスが崩れる。既に押せば倒れるくらいであったことも要因している。
「きゃっ!?」
転倒。
前から倒れていき、スキーマの起動も相まって嫌に身体が投げ出され、受け身もままならないまま文字通り身が転がった。真雪の声がコンマ数秒前に聞こえてきてはいたが、身体が投げ出されてしまったところでその行方は知れなくなってしまう。
(──まずい)
スキーマは稼働し続けているため、安定させることが難しい。空間認識もできずに、自分がどうなっているかもわからず転倒を繰り返す。
想定していない方向へと身体が捻り、痛む。もともと手負いのため、更にダメージを受ければ身体は軋む。最早、意識を失わずに気力でどうにかしているだけで精一杯の状態だ。
やがて、転がされた肉体は空気抵抗や摩擦により制止した。だが、すぐに起き上がることができず、視線のみが周囲の状況を追う。
『先輩、無事ですか!』
通信機能はまだ生きていたため、すぐさまマコトが介して訊ねてくる。
ユウヤが応えるよりも先に、端から人工的に作られた音を訊いた。マコトが屈み、ユウヤを見下ろしているのが確認された。
真雪も回収済みのようで、背負われている。だが、彼の背には他に狙撃銃1本のみであるところを見て、彼も彼で無理に回避したところが窺える。
「俺の荷物はどこだ」
「すぐそばにあります。ですが」
強引に身体を起こし、放り出されたものへと気を回す。ユウヤの生存力はある意味で手持ちのものに依存することが多い。自身を凡人と嘆く理由にもそれは直結する。
ユウヤは単純な戦闘力として見れば平均を下回る。たとえ、それが同じ武器を取り扱っていたとしても、武器を使いこなせるかどうかは別となるように、基礎的な力量で見れば他の隊員には劣る方だ。
けれど、ユウヤはその弱点をカバーするために、特殊性を持ち多目的な道具を取り扱っているのだ。光学銃ひとつとっても、普段火力戦には必須の通常弾の使用を最低限にする装備をすることで、特殊弾を活用させやすくしているのだ。
下核領域での氷獣との戦闘を見ても、ユウヤは特殊弾の使用によってなんとか切り抜けることができた。
この考え方は自身の手持ちにも反映させている。利便性を重視して、数々の場面で最適な行動ができるようにするためだ。遠征では余計なものを持ち込まないことの方が、急遽戦闘になった場合のときには有利に働きやすいこともあり、
敏捷性や反射神経がない代わりに量で対処する。それがユウヤのスタイルであるのだ。
だからこそ、手元に荷物がないことを気にしたのだ。
しかし。マコトの言葉を引き継ぐように、次はやってくる。
歪む視線の先は巨大な氷塊が前半分を遮断する。だが、それを飛び越えて氷槍の雨は飛び込んでくる。相手のこちらへの捕捉の仕方があり得ないレベルにまで達していた。
どんなに逃走を計っても、どんなに攻撃をいなそうと、絶対的な力として降りかかってきているようだ。
小さな絶望が生まれる。
満身創痍で、うまく身動きは取れない。
氷槍の軌道は直撃コースだ。避けねば死であり、動けないことが焦りに拍車をかける。
「やむを得ません」
真雪が呟く。能力上の問題で場を静観する立場にあったはずの彼女が動いた。そして――。
氷壁が前に突如として出現する。そして3人を覆い隠すようにドームを作り上げると、時間差で外のほうから爆音が響いた。間一髪の出来事に、脳の整理が追いつかない。そして、合わせて真雪の吐息が漏れる音がユウヤの耳に届いた。見れば、彼女は地面に手をつけて汗だくの状態でうずくまっている。それが何を指しているのか、ユウヤにはすぐにわかる。
「一応、対応はしたけど、これでもまだ持たない。どうにかしないと」
どのくらいのレベルで能力を行使しているのか、わかっている真雪自身は時間稼ぎにすらならないことを悟っているようだった。そもそも、巨大な氷壁を生み出すことに驚愕の一言であるのだが、ユウヤは今ここでは不要な情報として捨て置いた。
代わりに、今後の進行を決めるのがユウヤの役割だ。
「……上に来れたときは能力を行使していたはずだよな?」
「だから何?」
「…………もう一回降下する」
その決断にマコトが突っ込む。
「正気ですか?」
「ああ、これしかあるまい」
「……!」
迎撃は困難である。スキーマによる逃走は恐らくガス欠になる。真雪を全面に頼る。3番目の案は可能性はあるかもしれないが、生存の展望が薄い今、その選択肢たちを採ることはできない。真雪の負担を大きくしたところで、今の彼女のコンディションは最悪だ。無茶と無謀は選択肢にあってないようなものだ。
「できるか?」
「やるよ。それくらいなら、できる」
確認という形で真雪に訊ねると、彼女は強がって見せた。ユレイヤという戦闘部族としてのプライドも見え隠れし、彼女の決断は言葉にすることで強固なものとなる。
集中し、気を研ぎ澄ませる。その間、ドームが破壊されたときのための準備はするが、何も出来ずにいることにユウヤはもどかしく思う。
「……!」
そして、突如の浮遊感を感じ取った。ガクンと身体が落ち込み、地面に叩き落とされる。それが、真雪が能力を行使したものだと遅れて理解した。ドーム壁のみが本域に残され、その内部は段々と壁から遠ざかっていく。
「まだ、万全じゃないから、精密な制御はできない! 各自で対処して!!」
真雪は辛うじて居座らせてある足場の操作に夢中になりながら、ふたりへと忠告した。空気抵抗が働き、浮遊感が増す。ギリギリ足場に留まっていられるのはひとえに咄嗟に張ったワイヤーで身体を繋いだからであり、呼吸もままならないで数秒が経った。
体感してみれば数分としていたところを、僅か数秒で着地した。但し、受け身は取れなかった。
30メートル以上はありそうな高さからの落下でまだ息を繋いでいたのは、真雪が最後の最後で操作を上方に向けて威力を弱めたかららしい。
『先輩!』
「問題ない。それよりも早く、ここから移動するぞ」
ボロボロになりながら、3人はまだ無事に生きている。
もう既に身体は悲鳴を続けているが、一刻も早くこの場からの移動が必要なだけに、無理やり身体を起こした。
──しかし、真雪は動けずにいた。
息はある。だが、過度な能力の行使で限界に達したらしく、意識も朦朧としている。
「くそっ!」
そうだ。
絶望はまだ続いている。
断続的に起こる現象を、時には奇跡的に回避し、時には立ち向かっていった。それでも、この未来の全く見えない絶望は一向に立ち去ってはくれなかった。
もう駄目だとも思えた。
「これ、もう詰んでいるんですかね?」
マコトが力なく笑った。
その言葉をユウヤは否定できない。回避の選択肢が、最善の選択肢が、生存の選択肢が思い浮かばなかった。
上で地獄。下でも地獄。
どちらをとっても見えるのは、いずれ衰弱死か、戦死しかない。
──だったら。
ネガティブはもう切り換える。
ユウヤはふたりの側まで寄ると、精一杯の籠った笑顔を向けた。
(笑えているだろうか……。恐らく引き攣っているな)
マコトは縋る表情で、真雪は意志のある目だけを向けて、ユウヤを見据える。
「俺が奴を引き付ける。その間にマコトは真雪を連れて逃げろ」
「それは駄目です! それじゃあ、結局僕らは何のためにここまでやってきたことに──」
「勝機はまだある」
マコトの拒絶を制し、断言する。
マコトのユウヤを睨む目に、弱音は吐いてもまだ諦められない姿がそこにはあった。これからユウヤは本域へと戻る予定だが、下核領域も十分危険なところであることは念頭に置いてある。
なのに、自分の生命だけでなく全員の生命を優先してくれている。その姿が、勇ましさがユウヤを決心させる。
勝機があるなんて嘘だ。
ただのふたりを何とか逃がすための口実に過ぎない。マコトもそれを理解しているだろう。理論も重視するユウヤには今はそれが墓穴にすらなっている。
だが、この時だけは恰かも勝機が存在する口振りで、ユウヤは首肯く。
「まだ、ここで終わってたまるかよ。だから、お前も生きろよ、いいな!」
マコトの肩を叩き、返事も聞かずに逆を向いて進み出す。
装備不十分、バッテリー残量も少ない。スキーマは部分的に損壊していてあてにならない。
だが、いける。
この時、虚言を真実であるとの面持ちで、ユウヤは戦地へと戻るのだ。
(大丈夫だ。一発かませれば、勝機はある!!)
▼
「お、れは……、まだ、いき……、て、いる、のか?」
浅い呼吸音が身体を巡り、意識が甦る。けれど、身体は思うようには動かせず、ただ仰向けに知らない光景を見ているだけだった。
■■は記憶を辿り始めた。
脳が正常に動いていないためか、ちゃんとした出来事や時系列があやふやであるのだが、そのときは主との約束は完全に思い出すことができていた。
あのとき、無理にでもついていくことをしていればとか、羽交い締めにしてでも出立を阻止していればとか、あの日の後悔までもが鮮明に自身の持つ映像として流れている。
そう思い耽って、我に返る。
(ここは、どこだ……?)
知らない光景というのも、視界はぼやけているためよくわからないが、そこで言える景色は空ではなかった。雪原でもなかった。禍々しき戦場でもなかった。
そこは無機質で、灰色が一面を覆う世界だった。その中で、自身の丁度真上には、これもまた無機質に照らされた光だった。熱さえも感覚が停止させられているらしい。そこでの暖かみも一切が感じ取れなかった。
そう考えて、ふと頭上から声がしてきた。顔をそちらに向けたいが、残念ながら身体は動いてくれなかった。
けれど、知りたかったことは向こう側からやって来た。
「おお、これが」
「だ、……れ、だ」
「いやはや、私もユレイヤという種族の様々な人間を解剖してきましたが、これほどまでに上質な個体ははじめてですな! 肉体が極度に損傷してますが、あの戦場でここまでサンプルが残っているとなると、戦争様様ですな!!」
問いかけは通らず、目の前の人間はペラペラと悪意のある言葉を連ねている。ただ、それを■■が理解するまでは行かず、実のところ、誰かがいることくらいしかわかってはいなかった。
見た目と声質から初老の男だ。丸顔で眼鏡を不気味に光らせている。髪はもう薄く、白髪と黒髪が疎らに無造作に伸ばしてあった。
「ええ、わかっていますとも! 心配せずとも、この個体なら成功しますよ、それもとびきりの完成形としてね! すべては■■■■■設計のため、私、力は出し惜しみしませんとも」
誰かとの会話という単なる雑音を耳にしながら、■■は記憶を辿り直す。
どうして、自分がこんなことになっているのか。こうなる前の、最新の記憶はどこにあるのか。
思いを巡らせて、けれど、到達はし得なかった。
状況からして、恐らく自分は負けたのだろう。ユレイヤという最強種族として生まれ落ちることになりながら、最期はここで無様を晒している、というのが安直ながら最も納得の行く答えだ。
そして、目の前で不快音を垂れ流す男はエラルティアの人間で間違いないだろう。
ここまでくれば、予想することも簡単だ。捕まって、自分が人体実験のモルモットとされようか、といったところだろう。
怒りや絶望を通り越して、最早笑いが込み上げてくる。一層、清清しい。こんな、自身が下等と見下した相手に、遂には最期まで弄ばれる羽目になっているのだ。
これもすべて、自身の愚かさが招いた結果だ。主である雪景の言に素直に従っておけば良いものの、無理に特攻でもしたからこうなってしまったのではないかと記憶のない過去の自分を呪った。
けれど、当然の末路を辿ったらしいことにはもがくのは止めた。
力は使えない。
身動きも取れない。手足があるのかすらも、感覚がないからわからない。
(これが、俺の最期……か)
もう終わる。
未来へと託すものは何もない。もう主の訃報は知っている。あるとするならば、せめてもの、一族の存続を期待するまでだ。
(いや、託したかったものはあった、か?)
最期の最後で思い出した。
『
──と。
雪景の言葉を思い出した。
だが。
それを思い出してしまったが故に、彼の絶望はこれが始まりになってしまったのだ。
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