第二十二章 法子の解決 9月 3日 午前 7時
「でも、まだ決定的とも言える証拠があるんです。いえ、あると思われます」
「……」
藤堂さんは勝ち誇ったかのようにニヤリとした。法子の言葉を負け惜しみくらいにしか思っていないようだ。次の瞬間、
「お嬢さん! 」
階段を駆け上がって来た北野さんが大声で叫んだ。私達はいっせいに北野さんを見た。
「何とか間に合ったみたいですね」
北野さんはゼイゼイ息を切らせて言った。彼は手に持っていた大きな封筒を法子に手渡した。
「これがそうですか?」
法子は中を覗きながら尋ねた。北野さんは大きく頷いて、
「ええ、そうです。貴方のご注文通りのものですよ」
キッと藤堂さんを睨みつけた。藤堂さんはビクッとし、にやけるのをやめてしまった。
法子は封筒から紙を二枚取り出した。それはビニール袋に入れられたもので、一枚はルーズリーフの用紙で、もう一枚は便せんのようだった。あれ、この紙、どこかで見たような……。
「よく見て下さい。私、FAXで間に合わせようと思ったんですけど、北野さんが東京まで行って本物を借りて来てくれたんです。助かりました」
法子は北野さんにニコッとしてお辞儀をした。北野さんは頭を掻いて照れ臭そうだ。法子は藤堂さんに向き直り、
「こちらが切り裂きジャックが持っていた推理小説の資料です。全てワープロで打たれていて、誰が作ったものなのかはわかっていないそうです」
法子はルーズリーフの用紙を藤堂さんに示した。藤堂さんはそれをチラッと見て、
「それがどうかしたのか?」
法子は次に便せんの方を見せて、
「こちらには見覚えがありますよね?」
藤堂さんはまたしてもチラッと目をやっただけで、
「ああ。あの日、僕がみんなの住所と名前を書いた紙だよ」
ムッとして応えた。法子は大きく頷いて、
「では、私の質問に答えて下さい。この二つの紙には一種類だけ同じ指紋が残っていました。それは誰の指紋でしょうか?」
藤堂さんをジッと見つめて尋ねた。余裕シャクシャクの藤堂さんの顔が再び蒼ざめた。
「……」
藤堂さんは俯いてしまい、何も答えようとしない。すると、
「お前の指紋だよ。自分でもそう思ったから答えられないんだろう?」
田島さんが身を乗り出し、今にも藤堂さんに殴りかからんばかりに言った。法子はそんな田島さんの突き出された右手に自分の右手を重ねて、
「田島さん、落ち着いて下さい」
「は、はァ……」
田島さんは法子に手を触れられたのとたしなめられたのとで、耳まで赤くなって下がった。可愛い人ね、この人。
「そうなんです。貴方の指紋らしきものが資料と便せんに残っていました」
法子が言うと、何故か藤堂さんはまた元気になったようだ。法子を正面から見据えて、
「それがどうしたんだい? 推理小説の資料に僕の指紋がついていて、便せんについていたからってそれが何の証明になるのさ? 百歩譲って資料が僕のものだとしても、それは僕が犯人である証拠にはならないよ」
反撃に転じた。この人、ホントにああ言えばこう言う人だなァ。しかし法子はそういう反撃を予測していたかのような顔で、
「では次の質問です」
もう一つビニール袋に入っているものを取り出した。それは折れたゴルフクラブのヘッドだった。あっ、それってもしかして……。案の定、藤堂さんの顔が白くなった。法子はかまわず続けた。
「私、ゴルフ練習場に電話して貴方のアイアンを処分しないようにお願いしたんです。そして北野さんに回収してもらい、科学捜査研究所に検出を依頼して大急ぎで持って来てもらったんです」
藤堂さんはロウ人形のような顔色になり、動かなくなった。
「質問に入ります。このアイアンから検出された指紋と血痕は誰と誰のものでしょうか?」
法子が尋ねると、さすがの藤堂さんももうなす術がないと判断したのか、苦笑いして、
「わかったよ。もう降参だ……。悪アガキはこの辺にしとこう……」
法子はニッコリして、
「そうですか。良かった」
ホッとしたように封筒を北野さんに返した。
「確かに君の指摘した通り、武と草薙さんを殺したのは僕だよ。認める……」
藤堂さんの口調はいくらか自嘲めいていた。北野さんと田島さんは顔を見合わせてから藤堂さんを見た。
「一つ、訊いていいかな?」
藤堂さんはまっすぐ法子を見て尋ねた。法子も藤堂さんを見て、
「何でしょうか?」
「いつ僕が犯人だと思ったんだ?」
その質問は敗者にとって一番気になるところであろう。法子は少し間を置いてから、
「犯人だと思ったのがいつかは私自身はっきり言えませんが、変だなと思い始めた時は明確に覚えています」
藤堂さんは興味深そうな顔をして、
「それは一体いつ?」
「北野さんが私達に事情聴取をした時です」
「事情聴取の時?」
北野さんは自分の名前が出たので法子に顔を向け、次の言葉を待っていた。法子は、
「ええ。あの時、武さんの姿が見えないという話になったのに貴方は言うべきことを言わなかったのです」
「えっ?」
法子の発言には、藤堂さんはもちろんのこと、私や田島さん、そして北野さんまでがキョトンとしてしまった。
「それ、どういうことなの?」
思いあまって、私は口をはさんだ。すると法子は私を見て、
「藤堂さんは武さんの部屋に行ったはずなのに、そのことを話さなかったのよ」
「えっ?」
ますますキョトーンとする私。しかし、藤堂さんは何か気づいたようだった。
「そうか。君はその前の日の夜、僕が武の部屋に行くと言ったことを覚えていたんだね。そしてその話を口にしなかった僕の態度を変に思った、ということか」
なーるほど。そう言えば、藤堂さん、そんなこと言ってたっけ。全く忘れていたなァ。
「はい。話さないこと自体は何も不自然じゃありません。でもあの場合、武さんの行方が話題になっているのにそのことを口にしないのは変だなって思ったんです。その時は、私にとってもそれだけのことでしたけど」
法子は応じてから、
「それからいくつかのことがつながり始めたんです。『マガク』のこと、そして武さんの死体を発見した時の貴方の奇妙な行動。全てつながったのは、残念ながら草薙さんが殺されてしまってからでした」
彼女はちょっと悲しそうな顔をしたが、すぐに厳しい表情になり、
「どうしてもわからないことがあります。貴方は何故武さんを殺したのですか? 教えて下さい」
その言葉に藤堂さんの顔も厳しいものになり、微笑みがもれていた口元がキッと固く結ばれた。
「あいつは僕を侮辱したんだ。だから、殺した」
「そ、そんなことで人を殺したのか?」
北野さんの声は怒りに満ちていた。藤堂さんは北野さんに顔を向けて、
「もちろん、それだけじゃありません。僕だってそれほど短絡的な人間じゃないですから」
そして目を伏せて、
「僕は中津さんの指摘通りあの夜武の部屋を訪れた。草薙さんとの口論のことを問いつめて、二人を仲直りさせようと思ってね。ところがあいつはせせら笑って応じなかった。それでも僕はゴルフのクラブを持って行き、その話で何とかなごませようと考えた。しかし、あいつはそんなことおかまいなしだった。毒舌は続き、僕は徹底的に侮辱された」
藤堂さんは目を上げ、一点を凝視した。
「堪えられなかった。武のことを思って話し合おうとしたのに、逆に罵られるなんてことがね。だから気がついたら、手に持っていたアイアンで武の頭を叩き割っていた……」
私はその時の状況を想像し、気持ち悪くなった。
「アイアンが奴の頭蓋骨に食い込んでいるのを見た僕は、もう少しで大声をあげるところだった。何とかそれを抑制して僕は落ち着こうと努力した。そして状況を把握し、どうすればいいか、考えた」
「そして出た答えが、切り裂きジャック、ですか?」
法子が言った。藤堂さんは力なく笑って、
「そうさ。僕はここへ奴のことを調べるために来たんだ。大事な設定資料を奪われた上その内容を実際の犯行に利用している犯人をこの手で捕まえてやろうと思ったんだよ。ところが自分がその切り裂きジャックになってしまった」
何て皮肉なことなんだろう。私は悲しくていつの間にか泣いている自分に気づいた。
「故意ではないとは言え、一人の人間を殺した僕は、その犯行を隠すためにさらに一人殺してしまった……」
「どうして、どうしてですか、藤堂さん? 貴方のような人が、どうして……」
今でも藤堂さんが犯人だということを信じ切れていない私の口から、問いかけとも、非難ともとれる言葉が出た。藤堂さんは私を見てフッと笑い、
「僕が普通の人間だからさ」
私は一瞬何を言われたのかわからなかった。藤堂さんは混乱している私に気づいたのか、こう付け加えてくれた。
「普通の人間だからこそ普通でいたいんだ。そのためには、普通でないことは排除しなければならない。だから、殺人すら厭わない。何でもできてしまうんだ。これは実際に人を殺した者にしかわからない心理だろうね」
私には何も言い返す言葉がなかった。 ところが法子は、
「私にはそんな心理、一生わかりたくありません」
法子らしい言葉だった。
まもなくして、藤堂さんは北野さんと田島さんに伴われて、そのまま高崎署に連行された。
後で藤堂さんが容疑者として逮捕されたことを知った同好会の人達の反応は、様々だった。
皇さんは驚きのあまり、声もなかった。彼は藤堂さんを尊敬していたので、大変なショックだったようだ。
裕子先輩は一緒に同好会を設立した人が逮捕されたのを知り、涙を流した。
華子先輩は、藤堂さんは犯人じゃない、誰かに陥れられたんだ、と言ってきかなかった。須美恵先輩はそんな親友のパニックをただ黙って見守っていた。
美砂江は驚きこそしたが、それほど感情的な反応はしなかった。「殺されなくて、良かった」くらいにしか思っていないのかも知れない。
行子は、武さんと静枝を殺した犯人が捕まったことと、その犯人が藤堂さんだったことが、どちらもとても重いことだったのでどう反応していいのかわからないようだった。
こうして私達の恐ろしい歓迎旅行は幕を閉じた。
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