第十四章 警視庁からのFAX 9月 1日 午後 5時
「意外に早かったわね」
法子は管理人室からFAXのロールを抱えて出て来た。
「でも管理人さん、私のことすっかりびっくりしたような顔で見てたから、何て言い訳しようか考えちゃったわ」
「で、何て言い訳したの?」
私が興味をそそられて尋ねると、法子はニコッとして、
「こうやって笑ってごまかしたの」
「ハハハ」
彼女にニッコリ微笑まれたら、大抵の男は何も言わずに頷くだけだろう。法子には全く自覚症状がないようだが、彼女の笑顔はホントに人の心をとろかしてしまうようなものなのだ。
「とにかくどんな内容なのか、目を通してみましょう」
法子は急に真顔になって階段を上がって行った。私は小走りになって彼女を追いかけた。
「待ってよ、法子!」
私はロビーにチラッと目をやった。藤堂さんと皇さん、そして裕子先輩と美砂江が、何があったのだろうという顔で、こちらを見ていた。私は軽く会釈だけして階段を駆け上がった。
FAXの内容は法子の部屋で目を通した。その内容の大半は、切り裂きジャックに殺された三人のプロフィールだった。これがあれば田島さんに資料を持って来てもらわなくても、大丈夫そうだ。ま、比較検討ということで、両方見るのもいいかも知れないけど。
「一人は出版社の営業マン。もう一人は警備会社のシステムエンジニア。そして最後の一人は、医薬品メーカーのセールスマンか」
私がボソリと言うと法子は、
「何も関連がないと言うのが、警視庁と実際に調査した各所轄の意見みたいね」
考え込むようにして言った。確かにそうだ。三人共、世代もバラバラ、趣味や遊び場所も違うし、仕事上のつき合いもない。やっぱり通り魔殺人なのかしら? でも……。
「唯一共通しているのが、三人が殺されたのがこの榛名湖周辺ということだけね。それも妙よね」
法子の言葉に私はビクッとした。そうだ、武さんも湖で死んでいたんだ……。
「三人が三人共、群馬県に来たことがない人達なのよ。それが何故群馬県に来て、殺されたのかしら? 全くわからない」
「そうねェ……」
私は腕組みをし、ベッドに腰を下ろした。法子はFAXの用紙をテーブルに置き、丸椅子に座った。
「……」
法子は目を閉じ、まるで悟りを開こうとしている修行僧のように静かに座っていた。私は声をかけられず、しばらく彼女を見ていた。
「あっ……」
どれほど経ってからだろうか? 法子が目を開いた。
「何だろう、三人の共通点が見えかけたんだけど……」
法子はまた考え込んだ。私は立ち上がりFAX用紙をもう一度見た。写真も送られているのだがちょっと写りが悪く、わかりにくい。ウン? でもこの出版社の人、どこかで見たことがあるような……。
「わかった、この人! 大学の生協の書店に出入りしている人よ。何度か見かけたことがあるわ」
私が言うと、法子はハッとして、
「そうか、だから何か見覚えがあると思ったのか。じゃ、他の人はどう? 何か見覚えがない?」
「ウーン。警備会社の人は見覚えないわね。でもこの会社、大学のセキュリティシステムを管理している会社じゃないの? 会社のマークに見覚えがある」
私は言ってみた。すると法子は感激した顔で、
「すごいわ、律子! これで二人の共通点が見つかったわ」
私の手を握った。私は何か気恥ずかしくなった。そして、
「そ、それだったら、医薬品メーカーの人って医学部にでも出入りしてるんじゃないかしら」
調子に乗って言ってみた。 法子はサッと立ち上がって、
「裕子先輩に聞いてみましょう。確か先輩のお父さん、ウチの大学の付属病院の先生が主治医のはずよ」
「そ、そうね」
私達は早速部屋を出て、階下に向かった。
幸いにも裕子先輩は一人でソファに座り、考え事をしているのか、遠くを見るような目で、窓の外に目を向けていた。
「裕子先輩?」
法子が声をかけると、先輩はハッとして私達を見た。
「あっ、ごめんなさい。ボンヤリしてたみたいね。何かしら?」
先輩は居ずまいを正して言った。私達は先輩と向かい合ってソファに座った。そして法子が、
「ちょっとこの人の顔を確認してほしいのですが……」
FAX用紙に出ている医薬品メーカーのセールスマンの顔写真を見せた。先輩は目を細めて紙に顔を近づけ、
「ウーン。何となく見覚えがあるような気がするんだけど。誰なの?」
「医薬品メーカーのセールスマンなんですけど」
法子が答えると、裕子先輩はアッと口の中で小さく叫び、
「そうか。病院で何度か顔を合わせたことがあるわ。この人がどうかしたの?」
「切り裂きジャックの犠牲者なんです」
法子の言葉に裕子先輩の目がより大きくなった。しばらく先輩はまばたきを忘れたかのように法子を見つめていた。
「そんな……。そう言えば、突然姿を見せなくなったようだったわね」
先輩は忘れていたまばたきをまとめてするように目をパチパチさせ、思い出すように話した。その時法子が、
「殺された三人がつながりました」
私と先輩は、
「えっ?」
と彼女を見た。法子は、
「三人共、私達の大学という共通点を持っているようです。田島さんが来たらこのFAX用紙と一緒に、今のことを話してみます」
「大学が共通点か……」
裕子先輩はすっかり驚いているようだった。
「何かあったのか?」
皇さんが階段を降りて来て尋ねた。法子が、
「切り裂きジャックに殺された人達の共通点が、私達の大学らしいんです」
「ええっ!? ホント?」
「まだ推測の域を出ていませんけど」
「なるほど」
皇さんは法子が手にしているFAX用紙に気づき、
「ちょっと見せてくれる?」
「はい、どうぞ」
皇さんは用紙に目を通して、フーッと大きく溜息を吐いた。そして法子に用紙を返して、
「確かかもな。俺、出版社の奴と警備会社の奴、見覚えあるよ。医学部には法医学の関係で、来年には顔を出すだろうけど、今のところは足を踏み入れていないから、わからないな」
「これで証人が三人になったわ……」
法子はFAXの用紙を折りたたみながら言った。すると皇さんが、
「しかしどうして警察はこのことに気づかなかったんだろう?」
と誰にともなく言った。法子は皇さんを見つめて、
「これは私の推測ですけど、三人のうち二人は営業の人ですよね?」
「ああ、そうだね。それが何か?」
皇さんは法子の言おうとしていることを確かめるかのように尋ね返した。法子は頷いて、
「こんなふうには考えられませんか? 出版社の人と製薬会社の人は、会社に内緒で営業に来ていた。いえ、もっと悪く言えば、横領のようなことをするつもりで会社に黙っていた」
「そうか……。営業の人間なら、考えることがあるかも知れないな。で、警備会社の方は?」
皇さんも、ウンウンと頷きながら応えた。法子はさらに、
「警備会社の人はシステムエンジニアですから、日報とかをつけている場合はともかく、一日の行動を捉えることは難しいんじゃないでしょうか。よほど管理の行き届いているところでない限り。あるいは本人が日記でもつけていない限り……」
「なるほど。営業の人間のように勝手に動き回れないかも知れないが、どことどこを受け持っていてというようなことまでは、警察も調べ切れないかもね」
皇さんは法子の話にすっかり感動したように言った。法子はFAXの用紙をたたみ終えて、
「そうです。それに群馬県警は、警視庁に被害者の身元確認とお互いのつながりを調べてくれるように依頼しているだけのようです。つまり、東京へ人を派遣していないのですよ。これでは警視庁も所轄署も、徹底的に調べるということはしてくれません」
「そうだなァ。自分のとこの事件だけで手一杯なのに、よその事件のことで少ない人手を割いていられるかってなるよなァ」
皇さんは腕組みして言った。法子は皇さんを見て、
「群馬県警はこの事件を通り魔殺人にするつもりのようですから、出張費や宿泊費を出して東京に捜査員を送るつもりはなかったのでしょう。これでは警視庁の方だって悪気はなくても、捜査への力の入れ方が変わってしまいます」
皇さんは憤然とした顔で、
「全く、タテ割行政の一面を見たっていう感じだよ。もう少し捜査の仕方が違っていれば、もっと早くこのことに気づいていたはずなのに!」
私も同感だった。皇さんは法子を見て、
「それで、このことを警察に話すの?」
「ええ、もちろん。事件解決につながる重要な事実ですから」
「そうだな」
皇さんはそう言うと、ロビーから立ち去って外へ出て行った。心無しか寂しそうなのは武さんの死を実感し始めたからなのだろうか。
「ねェ、法子、これで武さんもつながったんじゃない?」
私は言ってみた。法子は私に目を向けて、
「武さんがその大学の学生だから?」
「ええ」
法子の考えは私と違うようだった。
「それは違うと思う。武さんは別の人間に殺されたのよ」
「ええっ!?」
私ばかりでなく、裕子先輩もビックリして声をあげた。
「考えてみてよ。武さんは自分の部屋から姿を消した時、バスタオルを一枚身に着けていたか、何も着けていなかったかのどちらかなのよ。つまり、武さんはあの部屋で殺された可能性があるということなの」
「……!」
私は裕子先輩と顔を見合わせて息を呑んだ。法子は続けた。
「もちろん、外に連れ出されて殺された可能性もあるけど」
「中津さん、じゃあ貴女は、犯人は保養所の中にいる人間だと言うの?」
裕子先輩の声はまるで探りを入れているようだった。法子は軽く首を横に振り、
「いえ、そうは言っていません。殺されたのが部屋の中の可能性がある、ということなんです」
と応えた。私はもうすっかり当惑していた。
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