第一章 第一日目朝   8月31日 午前9時

 眠い……。その一言に尽きる。


 私達推理小説同好会のメンバー総勢十一名は、明け方に上野駅を出発し(ご丁寧なことに各駅停車で)、朝早く群馬県の高崎駅に到着した。どうして新幹線を使わないんだろうと思ったけど、予算の都合で仕方ないのよね。でも眠い方が辛いよォ。

 高崎駅で電車を降りた私達は藤堂さんの親戚の人が運転するマイクロバスに乗り、榛名湖に向かった。

 まァ、一口に榛名湖と言ってしまったが、この湖は火山の噴火によってできた所謂カルデラ湖の一種で、その湖水に影を落とす榛名富士は、その名が示す通り姿が富士山に似ている。全国各地に富士の名を戴く山は数多くあるけど、榛名富士はホントに形がきれいで、まるで巨大なプリンのようである。(例えが食べ物になってしまうのが、私の教養の薄っぺらなところを如実に表してるよなァ……)


 一行の乗るマイクロバスが湖畔にある大学の保養所に着いたのは、午前九時頃。普通だったらやっと起き出す時間である。

「フワァァ……」

 私は場所柄もわきまえず、バスから降りた途端、拳がスッポリ入ってしまうんじゃないかというぐらい大きな口で欠伸をしてしまった。当然、他の全員の目が私に注がれた。私は耳まで赤くなって、

「ご、ごめんなさい、不謹慎でした!」

 深々と頭を下げて謝った。しかし、反応がない。変に思って顔を上げると、皆さんまるで流行り病にかかったかのように欠伸をしていた。要するに、私がいいきっかけと口実を与えたのだ。何か、謝って損しちゃったな……。

「確かに朝早いのは辛いよねェ」

 藤堂さんがさわやかな笑顔で言ってくれた。今日の藤堂さんはゴルフに行く人が着ていそうなポロシャツに、チェック地のスラックスを履いている。やっぱりかっこいいよなァ。何でこんなかっこいい人が推理小説なんか好きなんだろ……。ゲッ。今の発言、誤解招くかな。

「そうだよ、も少し遅く出たって良かったんじゃないの、藤堂さん」

 口をはさんだのは、三年生のたけ尊通たかみちさん。この人、Tシャツ、ジーパンという、これ以上軽装はできないという格好をしているけど、実はそこそこイイトコの坊ちゃんで、結構女の子にも人気があるらしい。確かにそれなりにいい男ではあるけれど、私はやっぱり藤堂さんだな(バカ……)。

「ま、いいじゃないのさ。眠くなったらいつでも寝てかまわないんだからさ」

 さらに口を出したのが、すめらぎみのるさん。この人も三年生で、父親が弁護士、そして母親が税理士で、母方の祖父が弁護士という超エリートの家庭に育った人である。自分も現役で司法試験に合格するつもりらしく、いつも六法全書を持ち歩いているらしい。今は手にしていないようだが、そんなに勉強が好きなのなら旅行になんか来ないで、家で勉強していればいいのに。この人もやはりゴルフ好きなのか、服装がそれっぽいものだ。なかなか凛々しい顔立ちなのだが、ちょい、マザコンが入ってるかもね。

「とにかく、中に入りませんか? ここでずっと立ち話をしていても、仕方ないでしょう? 」

 そう言ったのは、推理小説同好会の発起人でもあり、法学部男子のマドンナ的存在である、朝比奈裕子先輩である。彼女は財界の雄、朝比奈グループ総帥の娘で、武さんなんかとは比べものにならないほどのお金持ちなのだが、そんな素振りは全然なく、逆にとても控え目な服装だ。アイボリーホワイトのツーピースを着て、長く美しい髪を白いヘアバンドで留めている。何とも言えない、気品に溢れた人だ。憧れちゃうなァ。

「そうだね。そうしよう。みんな荷物重そうだし」

 藤堂さんが同意したので、一同は保養所の中に入った。

 この保養所は今から三十年ほど前、当時大学の理事長をしていた藤堂さんのお祖父様が建てたもので、外壁は白で統一されており、外観はどことなくアメリカのホワイトハウスに似ている。正面玄関はドッシリとした造りの木製の扉で、所謂観音開きになっている。中に入ると、まず広いロビーがあり、大型のソファが何脚か置かれていてその間には巨大なガラステーブルがあった。

 保養所の中は外とはガラリと変わって木目を巧みに利用した柱と階段、そしてその色に合わせたかのようなブラウン系の壁。そして床は深いワインレッドの絨毯が敷き詰められ、見事なコントラストである。

 このセンスは、藤堂さんのお祖父様のものだろうか、それとも設計士のものだろうか。

「まァ、すごい保養所ね。まるで大富豪のお屋敷みたい」

 同好会では私より一週間ほど先輩の草薙静枝が言った。彼女は文学部の一年生で、アメリカ文学を勉強するために大学に入ったのだそうだ。明朗活発、その上、人並み以上の美人。服装のセンスも抜群で、ジーンズ地のスカートに白いノースリーブのサマーセーターを着て、ジーンズ地のブルゾンをその上にはおっている。靴はアンクルブーツで、色合いも形も可愛らしく、彼女をひときわきれいに見せている。脚も細いし、足首もはっきりしてる。もう、うらやましいとこだらけだ。これだけの容姿だから、男子学生に当然もてている。現に武さんとつき合っているようだし。積極的なところが私とはまるで正反対である。

「大富豪か。確かにそうかもな」

 武さんは意味ありげに裕子先輩をチラッと見てから、ごく自然に静枝の肩に手を回した。裕子先輩は武さんの視線に気づき、スッと目を背けた。

「あーあ、もうあてられちゃって、やってられないわ」

 大きな声で言ったのは、大和美砂江というである。彼女は私と同じ法律学科なので、中津法子についで私が比較的よく知っている娘だ。かなり多めの髪をショートカットにし、ややつり上がり気味の大きな目をさらに強調するような眉やアイラインは、美砂江のきつい性格を表しているのだろうか。彼女も結構ファッショナブルで、レザーのミニスカートに、二ーハイブーツを履き、黒のハイネックセーターを着ている。当然のことながら、ミニを履くくらいだから、彼女の脚も、うらやましい限りのきれいなものだ。そして、美砂江は無類のポアロ好き、クリスティー好きで、あの時ポアロの格好をしていたのが彼女なのである。

「と、とにかく、部屋割りをしようか」

 藤堂さんが場を和まそうとして言った。すると裕子先輩も、

「そうですね。見取り図か何かありますか?」

「ああ、もちろん」

 藤堂さんはバッグの中から折り畳んである紙を取り出し、ロビーのガラステーブルの上に広げた。私達はテーブルを取り囲むようにして見取り図を覗き込んだ。藤堂さんは周りにいる人達を見渡して、

「部屋は全て二階にある。1号室から、18号室まであるんだ。ただし、4、9、13は存在しないから、全部で15室になる。つまり一人一部屋で大丈夫だから、いびきや歯ぎしりが心配な人も、気にせずに眠れるって訳さ」

と冗談まじりに話した。すると、美砂江がケラケラ笑って、

「やだァ、藤堂さん、オヤジみたいなこと言わないで下さいよ」

 藤堂さんは苦笑いをして、

「そうか、オヤジ入ってたか」

 一同はお愛想のように笑い、部屋割りの相談を始めた。


 やがて部屋割りが決まった。


 藤堂さんが1号室、武さんが2号室、皇さんが3号室、裕子先輩が5号室。そして6号室には、吾妻須美恵あずますみえという法律学科の二年生の人が入り、7号室には、同じく二年生のおと華子はなこという人が入った。この二人については、後で詳しく紹介するので、乞う御期待!

 その隣の8号室には私神村律子が、そして10号室には中津法子、11号室には草薙静枝、12号室には大和美砂江が入った。そして14号室には草薙静枝とは小学校以来の同級生という戸塚行子とづかゆきこが入った。彼女はとてもおとなしい女の子で、明るくて活動的な静枝とどうして馬が合うのか、とても仲がいいらしい。好きな作家もエラリー・クイーンで一致しており、かなりのマニアのようだ。彼女も静枝と同じく、文学部の1年生である。


 私は荷物を部屋に置き、パンプスを脱いでサンダルに履き替え( オバサン入ってるかな )、早速隣の中津法子の部屋に行った。

「どうぞ」

 ノックの音に応えて、彼女の声がした。私がドアを開くと中津法子は髪をまとめて、ポニーテールを作り直しているところだった。

 彼女は、最初に会った時は正装という感じの服を着ていたし、大学ではいつもスーツ系を着ており、スカートではなくてスラックスだったが、今日は全く違う。白のTシャツに、ジーパン、そしてスニーカーである。ここまで極端なのは珍しいが、学業と遊びをはっきり区分けしているのだろう。彼女らしいと言えば、彼女らしいか。そして、今日初めて気がついたのだが、彼女、見かけによらず巨乳かも知れない。ああ、それに比べて、私の胸の貧弱さよ……。

「ひと休みしたら、湖まで行ってボートに乗るらしいけど、乗ったことある?」

 私は尋ねてみた。すると中津法子−−あーっ、もうかったるい、法子にしちゃおっと−−は、

「ええ、あるわよ」

と応え、窓に近づき、外を見た。私も彼女に近づき、窓の外に目をやった。木々の間から榛名富士と榛名湖が見える。彼女は窓の留め金を外して、バタンと開いた。涼しい風が部屋の中に入って来た。それと同時に、法子の髪に残るシャンプーのいい香りが私の鼻をくすぐった。

「この保養所、設備が行き届いてるわね」

 彼女は外を見たままで言った。私はキョトンとした。すると法子は私を見て、

「部屋ごとにバストイレ付きで、電話も直接部屋からかけられるし、部屋同士の通話も可能でしょ。それにロビーの奥には、リネン室とボイラー室があって、管理人さんもいるようね」

と話してくれた。私はすっかり驚いてしまった。彼女は一体いつそれほどの観察をしていたのだろう? ひょっとしてこの娘(こ)、前に一度ここに来たことがあるんじゃ……。するとその考えを見透かすかのように、

「いいえ、私は初めて来たのよ。前に来たことなんてないわ」

 私はますますびっくりして、彼女を見つめた。

「ど、どうして私が訊こうとしたことがわかったの? 」

 私の声は、すっかり裏返っていた。法子はニコッとして、

「だって、そんなに驚いた顔をするんですもの。誰にだって、貴女が何を訊こうとしたかわかるわよ」

 私はそれでも、

「で、でも、どうして奥にリネン室とボイラー室があるのがわかったの?」

「匂いね」

 法子はこともなげに言った。私は、

「匂い?」

 オウム返しに尋ねた。法子はコクンと頷いて、

「クリーニング屋さんに入った時、独特の匂いがするでしょ。アイロンを湿った布に当てた時のような。あの匂いがしたのよ。それと、ボイラーの稼動音も聞こえたわ」

「へえ、私全然わからなかった」

 私はすっかり感心すると共に、法子がとてつもない推理小説マニアだと感じた。まるでシャーロック・ホームズだ。するとまた彼女は、

「私の言ったこと、ホームズみたいだって思ってるんでしょ?」

 私の心を覗いたようなことを言ってのけた。私は再び仰天した。

「ど、どうしてそんなことがわかるの?」

 法子は私があまりにもおおげさに驚くのでしばし微笑んでいたが、やがて、

「今のは推理でも読心術でもないのよ。経験則なの」

「ケイケンソク?」

 また私はオウム返し。全く、ボキャブラリーのない奴……。

「そう。私が何か気づいたことを言うと、相手がそれに気づいていない時に見せる反応にパターンがあるの。神村さんの場合、私と同じ推理小説同好会に所属していてこの旅行は同好会の人達で来ているものでしょ? となれば、貴女の推理小説に対する知識から考えて、ホームズのことを思い浮かべたろうなって思ったのよ」

「なるほど……」

 わかってみれば大したことはないのだが、やはりそれには鋭敏な感覚が要求されるはずだ。この娘、すごい。

「あっ、先輩方、外に出ているみたいよ。私達も行きましょ」

 法子は窓の外をチラリと見てから、私の方を見た。私は少し呆然としたまま、

「あっ、うん、そうね」

と応えた。

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