湖畔の殺人

神村律子

プロローグ 彼女との出会い

 大学なんて来るんじゃなかったかな……。今の私の心の中にある、ホントに正直な思いである。何故かと言えば、バブル崩壊に始まったこの長く暗く救いようのない不景気。

 特に私達女子大生には「超」がつくほどの就職氷河期だ。私が卒業するまでにそれが解消されて引く手数多になる可能性はほとんどゼロに近い。

 悲しいよねェ。

 あっ、そうか。ごめんなさい。自己紹介もせずに勝手なこと喋りまくっちゃって。

 私ってば、ホントに気が動転してるわね。友達にもよく言われるの、あんたは話が横道にそれやすくてヘタなにブーメランみたいに元に戻らないことが多いって。

 えっ? 言ってるそばからそれてるって? あら、ホントだ。えーと、あっ、そうそう。自己紹介ね。

 私の名前は神村律子。「かみむらりつこ」と読むのよ。よく「名前負けしてる」って言われるけど、大きなお世話よね。そして大学の一年生。今年の春、死ぬ気で勉強して、何とか念願叶って、第一志望の某私立大学法学部法律学科に合格したのよね。喜んだのは私だけで、田舎の両親は悲しんだみたい。学費は高いし、アパート代は高いし、おまけに家財道具一式、もう一組買わなくちゃいけないし。こんな親不孝な私を、どーかお許し下さい、お父様、お母様。

 てなわけで、無事入学を済ませ、私の大学生活はスタートした。一年生は教養課程がほとんどなので、高校の延長みたいな気がするが、まァ、何よりいいのは、大学のキャンパスがすっごく広くて、開放的なところだ。

 私が通っている大学は八王子市のはずれ、日野市との隣接地域にあるのだが、山一つそっくりキャンパスっていう感じで毎日がピクニック気分である。その分、遊ぶところが遠いのだが。

 そんなキャンパスの中で、新入生を歓迎する催しがいろいろ行われ、同好会や愛好会や何やらが、様々な立て看板を出し、まるで夜の街の呼び込みのようにキャンパスを歩く新入生と思しき人達に声をかけまくっていた。

 私も何か同好会のようなものに入り、早く新しい友人を作ろうと考え、同好会の勧誘コーナーに足を向けた。その多くは、テニス愛好会、アニメ研究会、マンガ同好会といった、所謂定番モノであったが、私の目をひときわ惹いたのは、推理小説同好会の人達の、コスプレ姿だった。

 私はそれほど推理小説に詳しくないのだが、そこに立っている人達の姿には皆見覚えがあった。

 パイプをくわえ、季節外れのコートを着込み、大きな天眼鏡を持っている人。

 たぶんこの人は、シャーロック・ホームズのつもりなのだろう。

 その横で椅子に座っているのは、女性なのだが、黒のスリーピースに蝶ネクタイを着け、ピンととがった口ひげに、黒の山高帽をかぶっている。

 このひとはエルキュール・ポアロのつもりか。

 さらにその横に立っているのは、モジャモジャの長髪にヨレヨレの着物姿。

 紛れもなく、金田一耕助だ。この人も女性らしい。よォやるわ。

 そのコーナーには、全部で9人の男女( 男3人女6人 )がいたが、コスプレ姿は以上の三人の男女のみで、他の6人はごく普通の服装だった。

「そこの貴女、推理小説に興味がありますか?」

 ホームズ姿の男の人が私に話しかけて来た。私はビクッとしてその人を見上げた。あっ、結構いい男だ。

「はい?」

 思わずスットンキョウな声で応えてしまった。するとその人は微笑んで、

「失礼。私、この推理小説同好会の代表を務めます、法学部法律学科四年の藤堂守と言います」

「は、はい、どうも」

 私って、女子高生活で男に縁がない上、こんないい男に声をかけられたのなんて生まれて初めてだったので、すっかり舞いを舞ってしまっていた。

「どうぞ、おかけ下さい」

 私は言われるままに、椅子に腰を下ろしてしまった。その時、もう一人の女の子が隣の椅子に座っているのに気づいた。私はチラッとそのの横顔を見た。

( わっ、美人だァ……)

 女の私が言うのも何だが、その娘は――その娘も新入生らしいのだが――まるであどけない顔をしているのに、何かとても知的な感じのする瞳をしており、口元もすっきりしていて、最近流行りのダラダラ口調なんて絶対しそうにない。とにかく、惚れ惚れする顔なのだ。髪は天然なのか、フワフワッとカールしており、それをあまり派手でないリボンで結い上げ、ポニーテールにしていた。服装は落ち着いた淡いベージュのスリーピースで、スカートではなくスラックスを履いている。靴もパンプスではなく、革靴。普通ならお高くとまっているイヤーな女になりそうだが、そういう雰囲気が全くないのは、あのまるで少女のような無邪気そうな顔と、彼女の人柄なのだろう。

「あの、何か?」

 あまり私がジッと見つめていたので彼女がその視線に気づき、こちらを見た。その時の彼女の笑顔は、まさにゾクッとするほど素敵だった。私はすっかり焦って、

「ご、ごめんなさい、初対面なのにジロジロ見ちゃって。別に何でもないんです」

 慌てて応えた。するとその娘は、

「こちらこそ、ごめんなさい。何か、貴女を驚かしてしまったみたいで」

 右手を差し出した。私はハッとしてその手に右手を出し、握手した。彼女は再びニッコリして、

「私、中津法子と言います。よろしくね」

「よ、よろしく。私、神村律子です」

 私は少々顔をひきつらせて作り笑いをして言った。恐らく危ない顔になっていたろうなァ。

 これが私の現在の大親友、中津法子との最初の出会いであった。

 こうして私達は、推理小説同好会に同じ日に入会した。思えばこれが、あの惨劇への出発点だったのかも知れない。


 大学生活は楽しくそれなりに辛く、そして新しい友人もたくさんできて、毎日が充実していたので、前期の授業はあっと言う間、というほどではないが、たちまち終わってしまったような気がした。ただし私は推理小説同好会に関してはほとんど幽霊会員状態だったが。


 夏休みに入り多くの学友は実家に帰って行ったが、あまり裕福でない家庭に生まれた私は家には帰らずに、バイトに精を出していた。( 田舎に帰ってもバイトできるところが限られているからなの! )

 そんなバイト先とアパートとの往復という単調な生活を始めて一月ほど経った頃、一通の手紙が私のところに届いた。それは推理小説同好会代表の藤堂さんからのものだった。

 オッチョコチョイの私は変な思い込みをして、ドキドキしながら封を開いた。ところがそれは、前々から言われていた新入生歓迎旅行のことについてのあくまで事務的な内容のものであった。ああ、私のバカバカバカ…。

「新入生歓迎旅行は、群馬県の榛名湖畔にある大学の保養所で一泊して、あたりを観光することに決定しました。費用はわずか一万円、食費その他は別です。ぜひぜひ御参加を」

 そんなような内容だった。私はどうでもいいと考えていたので、大してよく読まなかったのだ。そして、返事を書く返信用のハガキにも気づかず、そのままレターケースの中に投げ入れてしまった。


 そして何日かが過ぎ、バイトの汗をシャワーで流し、エアコンのスイッチを入れて、暮れかけた外の様子を窓から眺めながら、机に頬杖をつき、ぼんやりしていた時、中津法子から電話がかかって来た。

「忙しい、神村さん?」

 受話器の向こうから、彼女の澄んだ声が聞こえた。まだ私達は親友とまではいかずお互いを名字で呼び合う程度の仲だった。

「そんなことないよ。どうしたの? 」

 私は携帯を顔と肩の間にはさみ、爪を切りながら応えた。すると中津法子は、

「藤堂さんからの手紙、届いたでしょ? 」

「うん」

「あれ、どうするつもり? 」

 彼女にそう言われて、返事を出していないことを思い出した。私はドキッとして、

「確か、ハガキ入ってたよね? 」

 すると中津法子は、

「そうね。私、まだ出していないの。神村さんは? 」

「ハハ、私も実はね。でも、私のバアイ、忘れてたって言う方が、正しいかもね」

 電話の向こうで、彼女の笑い声が、かすかに聞こえた。

「それでどうするの? 行くの? 行かないの? 」

「うーん。私、同好会に入ったのは成り行きだし、推理小説なんて読んだことないし、興味ないなァ。それに、バイトだってあるし……」

「そっか……」

 その時の彼女の声は、私の胸をギュッと締めつけるに足りるくらい寂しそうだった。私は何かとんでもないことを言ってしまったような気がして、

「で、でもさ、中津さんが行くんだったら、行こうかなァなんて思ってるんだけど、どう?」

 実に軽いノリで言ってのけた。また彼女のクスクス笑う声が、受話器から聞こえた。

「神村さんて、面白いひとね」

「そ、そう? 私、ゴク普通の女の子だよ」

 結局お人好しを三次元立体映像化したような私は、彼女と共に歓迎旅行に参加することになった。あんなことが起こるなんて、夢にも思わなかったので……。

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