第六章 口論の後 8月31日 午後 4時
私達が保養所に戻ったのは、それから何分か後のことであった。
日は西に傾き、夕暮れ時にさしかかっていた。とは言え、残暑を感じさせる太陽はまだ真夏を主張するかのようにギラギラと照りつけていた。
保養所に入ると、藤堂さんは皇さんに目配せしてすぐさま階段を駆け上がり、武さんの部屋に向かった。私達女性全員は裕子先輩を先頭に静枝の部屋へ赴いた。
「草薙さん、いるの?」
裕子先輩が、ドアをノックして声をかけた。するとドアが開き、泣きはらした顔の静枝が姿を見せた。
「あら、早かったんですね。もう帰って来たんですか?」
彼女は作り笑いをして言った。裕子先輩は、
「武君とケンカしたって聞いたんだけど?」
単刀直入に尋ねた。静枝は作り笑いを止めて真顔になり、
「あの人のことは、聞きたくないし、話したくありません。失礼します」
バタンとドアを閉じてしまった。
「……」
裕子先輩は私達の方を向いて、首を横に振った。
「そっとしておいた方がいいわね」
先輩はそう言い添えると、自分の部屋に戻って行った。私達残されたメンバーもそれぞれの部屋に戻ることにした。しかし、行子は残るようだった。
「私、もう少ししたら、静ちゃんに声をかけてみます」
彼女は言い、静枝の部屋のドアの前に立った。私は法子と顔を見合わせてから、自分の部屋に戻った。
「あの二人、本当の親友なのかもね」
法子が言った。そして、
「私もああいう関係の親友がほしいな」
私がいるよと言いたかったが、さすがに気が退けて言えなかった。
私は部屋に戻ると、ベッドに寝転がりボンヤリと天井を眺めて、物思いに耽っていた。
どれほどそうしていたのだろうか、私はドアをノックする音で我に返り、
「はい、どうぞ」
ドアが開かれ、法子と行子が入って来た。
「ごめんね、神村さん。大丈夫?」
法子は私が眠っていたと思ったのか、尋ねて来た。私は精一杯の笑顔で、
「大丈夫。寝ていたんじゃないから」
「そう。ならいいけど」
法子はドアを閉じ、神妙な顔で私を見た。行子も同じだ。
「どうしたの、一体?」
私は少しドキドキして尋ねた。すると法子が、
「草薙さん、武さんに別れ話をされて、ケンカをしたらしいの」
と答えた。
「えっ? ホント?」
私は行子を見た。行子は頷いて、
「ホントよ。私が静ちゃんから直接聞いたの」
「何でまたそんなことに?」
私が重ねて尋ねると、
「どうしてなのかまでは聞いてないからわからないけど、武さん、他に好きな子ができたらしいの」
行子は言った。すると法子が、
「しかもその子、推理小説同好会のメンバーらしいのよ」
「ええっ!?」
私はまさか自分てことはないと思った。しかし、武さんが静枝をふってまで好きになる女性って、一体誰なのかしら……。
「あっ!」
私は行子を見た。武さんの「理想の女性は行子」という静枝の言葉を思い出したのだ。行子も私の視線に気づいたようで、
「あっ、私じゃないわ、たぶん。そんなことはありえないわよ」
ひどく恥ずかしそうに否定した。私は別の仮説を思いついた。そして、
「裕子先輩?」
法子に言ってみた。しかし法子は首を横に振って、
「それはどうかしら。断定はできないわよ」
うーん。じゃ一体誰なんだろう? あっ、まさか……。
「中津さん?」
私は法子を見て言ってみた。すると法子はクスクス笑い出して、
「そんなはずないでしょ」
あっさり否定した。でも、私の中では「法子説」が最有力のままだ。こんな可愛くて優しくて頭が切れる女の子を、武さんが見過ごすわけがないのだ。
「中津さんかも知れない」
行子が同意した。法子は微笑んだまま行子を見て、
「違うと思うわ。武さんて、私みたいな勝ち気な女は嫌いよ、きっと」
「中津さんは勝ち気な女じゃないわ」
行子は自説を曲げようとしない。法子は苦笑いして、
「ありがとう、戸塚さん」
ポニーテールに手が伸びた。法子が照れている証拠だ。彼女は話題を変えた。
「それより、草薙さんが心配なの。冷静にはなったんだけど、武さんと顔を合わせると、また爆発するかも知れないのよ」
「じゃあ、しばらく二人を会わせないようにしたら?」
私が提案すると、行子が、
「でもそれは難しいわ。大学のような広い場所ならともかく、ここでは無理よ」
法子はあごに手を当てて考え込んでいたが、
「裕子先輩に相談してみましょう。それが一番いい方法だと思うわ」
私と行子は同時に、
「そうね」
と応えた。
私達三人は裕子先輩に会うために部屋を出た。そこで藤堂さんと皇さんに会った。
「武さん、どうでした?」
法子が藤堂さんに尋ねた。藤堂さんは首を横に振って、
「ダメだよ。ここに戻ってからすぐと、さっきも声をかけたんだけど、返事もないし、ドアにはカギがかかったままだし。どうしようもないんだ」
すると皇さんが、憤然として、
「だからあんな奴誘わなければ良かったんですよ。いつだって、問題を起こすんだから」
藤堂さんに抗議するような調子で言った。藤堂さんはしかし、
「まァ、そう言うなよ。ケンカの後で気が立っているから、一人になりたいだけかも知れないんだから。後で僕が話を聞いてみるよ」
皇さんをなだめすかすように言った。皇さんは不満そうだったが、何も言わずに階段を降りて行ってしまった。藤堂さんは皇さんを見たままで、
「あの二人、仲が悪いわけじゃないんだが……」
と呟いた。
聞いた話だと、武さんと皇さんは静枝が現れるまでは親友とも言えるくらいの仲だったらしい。同じ女を好きになってしまうと、友情さえ壊れてしまうのだろうか。
「じゃ、僕も失礼するね」
藤堂さんは言って、階段を降りて行った。私達はそれを見届けてから裕子先輩の部屋に向かった。
「どうぞ」
法子のノックに応えて、裕子先輩の声がした。私達は目配せしてから、先輩の部屋に入った。
「どうしたの? 」
裕子先輩は私達の深刻そうな顔を見て、ちょっとびっくりしたような感じで尋ねた。
「実は……」
法子が話の内容をうまくまとめて説明した。裕子先輩はますます驚いて、
「そんなことになっていたの……」
しばらく黙り込んでしまった。考えてみれば、武さんが静枝以外の女性に気があるという情報は、かつて武さんとつき合っていたらしい裕子先輩にとって、とても複雑な心境にさせるものであったろう。
「とにかく、草薙さんの話だけでは、片手落ちね。武君にも話を聞いてみないと」
裕子先輩は口を開いて言った。法子は頷いて、
「そうですね。そうしましょう」
同意した。私達は早速、武さんの部屋に行くことにした。しかし、確かカギがかかっているって藤堂さんが言ってたよな。大丈夫なのかな。ま、考えていても仕方ないから行動しようか。
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