第十二章 法子動く  9月 1日 午後 2時

 警察の人達が帰った後、私達はしばらくロビーにいた。何をするというのでもなく……。

 やがて皇さんが黙ったままロビーを離れ、二階に行ってしまった。続いて藤堂さんも、

「失礼するよ」

 私達に言い、やはり二階に上がって行ってしまった。

 しばらくして不意に法子が歩き出した。どうやら階段の下にある公衆電話室に向かっているようだ。

「法子……?」

 私はどうするのだろうと思って、彼女を追いかけた。

「どこへ連絡するの?」

 私が尋ねると、法子は扉を開きながら、

「警視庁よ」

「えっ?」

 私がキョトンとしている間に彼女は中に入り、プッシュボタンを押していた。あら? 手帳も何も見ないでいきなりダイヤルしたってことは、相当かけて頭に入っている番号ってことかな? そう言えぱ彼女、警視庁に知り合いがいるんだっけ。ハハハ。私って、すぐ忘れちゃう。

「あっ……」

 そんなことを考えているうちに、法子が出て来た。

「ねェ、何を話していたの?」

 私がまた尋ねると、法子は小声で、

「警視庁の知り合いに今度の事件のことを照会してくれるように頼んだのよ。ちょっと気になるので」

「探偵するの?」

「まァ、そんなとこね」

 法子は可愛くウィンクしてロビーに戻って行く。私は慌てて彼女の後に続いた。

「中津さん、どちらに電話してたの?」

 須美恵先輩がイジワルっぽく尋ねて来た。華子先輩も法子を見ている。法子はニコッとして、

「実家です。予定が少し延びそうだって……」

「そう。事件のこと、話したの?」

 華子先輩が口をはさむ。法子は華子先輩に目を転じて、

「いえ。母は気が小さいですから、殺人事件が起こったなんて知ったら、卒倒してしまいますので」

 二人の先輩は少々不満そうに法子を見ていたが、やがて階段に向かい、二階に行ってしまった。法子はそれを見届けてから裕子先輩に近づき、

「先輩、ちょっといいですか?」

と声をかけ、何事か小声で話した。裕子先輩も小声で答えている。その時突然、

「ねェ、ホントは彼女、どこに電話してたの?」

 美砂江が話しかけて来たので、私はビクンとして彼女を見た。

「さァ、私、何も聞いてないから」

 とぼけてみたが、美砂江はまるっきり私を信用していないようだ。

「貴女が教えてくれないのなら、彼女に直接聞くしかないわね」

 美砂江は法子に近づいた。法子は美砂江に気づいて彼女を見た。

「ねェ、中津さん、さっきどこに電話してたの? 実家じゃないでしょ?」

 美砂江はまるで刑事が犯人のアリバイを崩した時のように得意満面の顔で言った。法子は軽く肩をすくめて、

「ばれちゃったみたいね。実は彼のところに『助けに来て』って電話をしてたの」

 えっ? 今の話の方がホントっぽく聞こえるぞ……。

「ああ、そう……」

 美砂江は呆れ顔でそう言うと、やはり二階に行ってしまった。私はすぐさま、

「ねェ、ホントはどうなの?」

 法子の耳元で尋ねた。法子はペロッと舌を出した。その仕草はとても自然でとても可愛らしかったが、彼女には全く自覚症状はないようだ。だから余計に可愛いのかな。

「警視庁よ。貴女には嘘ついたりしないわ」

 法子の言葉に私は感激した。この娘と一生親友でいたいと思ったものだ。ちょっと大袈裟かな。

「中津さん……」

 裕子先輩が口を開いた。法子と私はほぼ同時に先輩を見た。

「さっきの話なんだけど、武君の事件、切り裂きジャックと関係ないの?」

「ええ。私はそう思います。警察の人達はどう思っているのか知りませんけど」

 法子の話は私を仰天させた。武さんは切り裂きジャックに殺されたんじゃないの? じゃあ一体……。

「まさか法子、草薙さんを……?」

 私が言うと法子は私を見て、

「違うわ。とにかく今は、警視庁からの返事を待つしかないわね」

 私は裕子先輩と顔を見合わせた。

「武さんの部屋に行ってみましょう」

 法子が言った。私が、

「何しに行くの? もう部屋は見たでしょ?」

 彼女は、

「警察が何を見て、何を持って行ったか調べるのよ」

 私は再び裕子先輩と顔を見合わせてしまった。


 と言うわけで、裕子先輩と私は法子について武さんの部屋に行った。さっき来た時はそうでもなかったのに、武さんが殺されたのかも知れないと思うと何となく部屋に入るのが怖くなった。しかし法子はそんなこと全然ないらしく、スタスタと部屋の中に入って行った。裕子先輩も恐る恐る入って行った。

「うわっ、粉っぽい」

 法子の声がした。私が気後れしていると、

「どうしたの?」

 法子が顔を出して、不思議そうな顔で私を見た。私は苦笑いをして、

「いやその、武さんが殺されたのかも知れないって思うと、何か入るのが怖くて……」

「何言ってるの」

 法子は半ば強引に私を部屋の中に入れた。

「ああ……」

 さっきの法子の言葉の意味がわかった。武さんの部屋はそれとはわからないほどきれいにされていたが、鑑識の人達が指紋の採取で使った粉の匂いというか、雰囲気というかが残っていた。

「何かなくなっているもの、あります?」

 法子は裕子先輩に尋ねた。先輩は辺りを見回して、

「特別なくなっているものはないみたいね。ただ、お風呂のお湯が少し減っているかしら?」

 バスルームを覗き込んで言った。法子もバスルームを覗いて、

「みたいですね。少し採取して行ったのでしょう。あと、カミソリと歯ブラシが動かされていますね。皮膚や唾液などが付着しているものですから、それだけ採ったのかも知れません」

「つまり湖で発見された死体と、武君の皮膚とかを比較するということね」

 裕子先輩は悲しそうに言った。法子は黙って頷き、バスルームから離れた。そしてベッドに近づき、

「ベッドの上はクリーナーをかけたみたいですね。髪の毛一本ありませんよ」

 顔を近づけて言った。私は少し退屈なのでドアのそばに行き、廊下の方を見た。

「何やってるの、神村さん? 」

 美砂江が現れて言った。私は、

「自分の目で確かめて結論出してよ」

 美砂江はツンとして部屋の中に入り、法子が武さんのバッグを眺めているのに目を留めた。

「ねェ、何してるの?」

 美砂江に声をかけられて、法子は振り向いた。

「ちょっと探偵ごっこよ」

 彼女はニコニコしながら答えた。美砂江は部屋の中を見回しながら、

「なるほどね。切り裂きジャックを捕まえるつもり?」

「いえ、とんでもない。武さんを殺したのは、あっ、もし武さんが殺されたのだとしたらだけど、犯人はあの切り裂きジャックではありえないの」

「そう?」

 美砂江は全然法子の話など信用していない様子である。しかし法子は美砂江の態度を気にせず、

「私の勘だけど」

と付け足し、私と裕子先輩を見て、

「階下へ行きましょうか」

 部屋を出て行った。私と裕子先輩は慌てて彼女を追いかけた。

「ちょっと待ってよ」

 美砂江も法子の話に興味を持ったのか、私達について来た。

「あっ、静枝……」

 廊下の向こうから、行子に付き添われて歩いている静枝を見て、美砂江が声をかけた。すると静枝は私達に気づいて、

「やっとわかったわ。わかったのよ」

 囁くように言い、ガタガタと震え出した。行子が、

「ごめんなさい、大和さん。今は静ちゃんをそっとしておいて」

 静枝をかばうようにして階段を降りて行ってしまった。美砂江はそれを黙って見ていたが、

「わかったって、一体何がわかったのよ……?」

 不満そうに呟いた。それは私も同じだった。何のことなんだろう?

「犯人を見たのかしら?」

 裕子先輩が言った。法子が頷いて、

「そうかも知れませんね。あるいは何か思い出したのでしょう」

「そうね……」

 裕子先輩は相変わらず悲しそうだ。見ていて痛々しいくらいである。

「大和さん、草薙さんとすれ違った時、草薙さん、手に何か持っていた?」

 法子が美砂江に尋ねた。美砂江は目を見開いて法子を見つめ、

「ちょっと覚えてないわね。どうだったかな?」

 小首を傾げて考え込んだ。そして、

「さっき静枝が刑事さんに話してたメモのことね?」

 法子は、

「ええ。貴女がそれを見かけていれば、草薙さんがメモを持っていたということを裏付けられるから」

「なるほどね」

 美砂江もさすがにクリスティーファンだ。灰色の脳細胞を働かせ始めているらしい。

「あの刑事さん、明らかに静枝を疑ってたし、彼女のメモの話を信用していなかったものね」

「そうね」

 私達は階段を降り、ロビーに行った。そこには静枝と行子の姿はなかった。管理人のおじさんの話だと、二人は奥にある医務室にいるということだ。医務室とは言っても救急箱とベッドが一つあるだけだが。

「私達、どうすればいいのかしら?」

 裕子先輩がゆっくりとソファに腰を下ろしながら言った。法子も向かいのソファに座り、

「そうですね……。今できることは、ここにいること。それくらいしかありませんね」

 裕子先輩は黙って頷き、目を伏せた。

「あっ、こんなとこにいた!」

 階段の上から須美恵先輩が顔を出した。やがて彼女は華子先輩と共に階下に降りて来た。

「部屋を見て回ったら誰もいないんですもの。何してるんですか、ここで?」

 華子先輩が裕子先輩に声をかけた。裕子先輩は病み上がりのような顔で華子先輩を見て、

「別に何もしてないわ」

 須美恵先輩は法子に目をやり、

「貴女さっき武さんの部屋に行ってたでしょ? 何してたの?」

 そうか、須美恵先輩の部屋からだとドアを少し開いただけで、武さんの部屋の前が見えるんだ。

「探偵ごっこですよ」

 法子はニコッとして応えた。しかし須美恵先輩は、

「どうも貴女って、行動が変なのよね。電話をかけたり、武さんの部屋を探し回ったり……」

「そうですか?」

 法子は微笑んだまま言った。須美恵先輩は一人掛けのソファに座って法子を見据えて、

「そうですか、じゃないわよ。一体何を考えてるの?」

「何をって、どういうことですか?」

 法子は呆れたように尋ね返した。須美恵先輩はキッとして、

「とぼけないでよ。何でどこかに電話したのを嘘をついてごまかしたり、武さんの部屋を探し回ったりしたのよ?」

 声を荒らげて言った。華子先輩はそうよそうよと言わんばかりに法子を見下ろしていた。法子ピンチだわ。

「すみません。私、あまり気が回る方ではないので先輩方のお気にさわったのなら、ごめんなさい」

 法子は深々と頭を下げた。これには須美恵先輩も虚を疲れた形になり華子先輩と顔を見合わせた。

「べ、別に謝ってもらいたくて言ったわけじゃないわよ。たださ、同じ同好会のメンバーとして隠し事をされるのって、あまり愉快なことじゃないってことなのよ」

「はい、よくわかりました」

 法子は須美恵先輩を真正面から見つめて真顔で応えた。須美恵先輩はそんな法子の目を見られずに、

「わ、わかればいいのよ」

と言ったが、声がうわずっていた。そして、

「それで貴女はどう考えているの、今度の事件のこと?」

 法子はニコッとして、

「先輩こそどう考えておられるのですか? お聞かせ下さい」

 須美恵先輩はビクッとして法子を見て、

「わ、私?」

「ええ、そうです」

 法子はホントに屈託のない笑顔で言った。須美恵先輩は救いを求めるように華子先輩を見た。華子先輩は肩をすくめてみせた。私には助けられないわ、という意味だろう。須美恵先輩は仕方なさそうに溜息を吐き、

「今のところ、殺されたのが武さんかどうかはっきりしないし、切り裂きジャックの仕業なのかもわからないから何とも言いようがないわね」

 すると法子は、

「私もそう思います。今は何も結論が出せる状態ではありませんよね」

「え、ええ……」

 須美恵先輩はポカンとしてそう言うと、華子先輩に目配せして、

「じゃあね」

 ロビーを離れ、階段を上がって行ってしまった。私がそれを見送っていると法子が、

「パトカーが来たわ。何か忘れ物かしら?」

 窓の外を見て言った。私と裕子先輩も窓の外に目をやった。確かに外にはサイレンを鳴らしていないが、赤色灯を点灯させているパトカーが1台来ていた。

「犯人が捕まったのかしら?」

 美砂江は言い、窓に近づいた。

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