第十一章 事情聴取  9月 1日 午前10時

「これで全員ですか? 」

 二人の私服刑事のうちの年配の方の人が、私達を見渡して言った。すると藤堂さんが、

「いえ、武という者がいません」

 年配の刑事は「フム」と頷き、

「わかりました。それで、桟橋で死体を発見したのはどなたですか?」

「私と、彼女達です」

 藤堂さんは、法子、行子、美砂江、そして私というふうに視線を移した。

「かけてお話を伺いましょうか」

 刑事さんはソファに目をやってそう言った。そして、

「失礼、自己紹介が遅れましたね。私、高崎警察署刑事第一課の北野です。それからこの男は、同じく田島です」

「よろしく」

 二人の刑事さんは身分証を掲示してそう名乗ると、ソファに向かって歩き出した。私達は互いに顔を見合わせてから、ソファに向かった。

 刑事さんの座ったソファの向かいに、右から美砂江、藤堂さん、法子が座り、私と行子は一人がけに座った。他の先輩方は、それを囲むようにして立ち、静枝は壁に寄りかかるようにして立っていた。

「それでは死体発見までの経緯を話していただきましょうか」

 北野さんが話を促した。私達は顔を見合わせた。藤堂さんが頷き、話し始めた。

 北野さんは静枝が桟橋のそばで倒れていたというところまで話が進んだ時、私達を見回して、

「草薙さんはどなたですか?」

 静枝がビクッとして北野さんを見たので、彼はニコッとして、

「ああ、貴女ですか。ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」

「は、はい……」

 静枝はガチガチに緊張しているようだ。汗がジットリと額に吹き出しているのが見て取れた。藤堂さんと法子が立ち上がり、美砂江と行子に付き添われるようにして静枝は北野さんの前に座った。

「何故貴女は、あの場所、つまり桟橋のあるところへ行ったのですか?」

 北野さんが穏やかに尋ねた。静枝はうつむいて、

「そ、それは……」

 口籠ってしまった。すると田島さんが、

「言えないんですか?」

 というより「言え!」と強制しているように私には聞こえた。しかし、静枝は何も喋ろうとしない。私は彼女が震えているのに気づいた。当然二人の刑事さんもそれに気づいていた。

「どうしたんですか? 」

 北野さんが優しく尋ねた。静枝はゆっくりと北野さんに顔を向けて、

「私、尊通さんに呼び出されたんです」

 えっ? 武さんに呼び出された? 北野さんは眉を吊り上げ、

「タカミチさん? 誰ですか?」

「私達と一緒にここに来た男性です」

 代わりに裕子先輩が答えた。北野さんはチラッと裕子先輩を見てから、

「なるほど。で、そのタカミチさんは、どなたですか?」

「その人が、今ここにいない武さんなんです」

 今度は法子が口をはさんだ。北野さんは、

「ほォ。その武君は、一体どこにいるんですか?」

 法子を見て尋ねた。法子は北野さんを真正面から見据えて、

「それがどこにもいないんです。保養所のどこにも……」

 北野さんは訝しげに眉を寄せて、

「どこにもいない? 外に行ったのではないですか? こちらの草薙さんと会うために」

「だとしたら、武さんはバスタオル一枚で外に行ったことになります」

 法子はまた北野さんを見つめて言った。北野さんは法子の言おうとしていることがよくわからないらしく、

「どういうことです?」

 やや問いつめるような口調で尋ねた。法子はさっき武さんの部屋を見て来た時のことを北野さんに、いや、そこにいる一同に話した。

「なるほどね……」

 北野さんは合点がいったという顔をしたが、私と裕子先輩を除いた人達はすっかり驚いていた。

「確かにそれは妙ですね。事件と何か関係があるかも知れない」

 北野さんが言うと、静枝が突然、

「関係があるなんて、そんなものじゃないんです!」

 大声で言った。彼女は涙を流して、ガタガタと震えていた。田島さんが、

「それはどういう意味ですか?」

「……」

 静枝はまた黙ってしまった。行子が、

「静ちゃん、何かあったの?」

 顔を覗き込むようにして尋ねた。静枝は行子の顔を見てから北野さんを見、

「あの死体、尊通さんなんです!」

 ほとんど叫び声に近いような声で言うとワァッと泣き出し、ソファに顔を埋めてしまった。私はさすがにびっくりして法子を見た。彼女が言っていたことが、現実になってしまったのだ。法子は少しは驚いているようだったが、周りの人に比べればかなり落ち着いていた。

「武の死体だって!?」

 皇さんが大声で言った。 藤堂さんは驚きで声もない。裕子先輩は唇を震わせ、華子先輩と須美恵先輩は顔を見合わせたまま。行子は何が起こったのかわからないような顔で呆然としており、美砂江は腰が抜けたように静枝の隣に座り込んでしまった。

 しばらく、静枝の泣き声だけがロビーに響いていた。その声に驚いて、管理人さんや給仕のおばさん達がダイニングルームから顔をのぞかせていた。

「落ち着きましたか?」

 やがて北野さんが口を開いた。静枝はようやく泣くのをやめて顔を上げ、ゆっくりと起き上がり、美砂江が差し出したハンカチで涙をぬぐいながら北野さんを見た。

「では、順を追って話していただけませんか」

「はい……」

 静枝は消え入りそうな声で応えた。そして、

「私、尊通さんに呼び出されてあの桟橋まで行ったんです」

 北野さんは腕組みをして、

「そうですか。それでその後どうしたんですか?」

「その後、私、桟橋の上で尊通さんを待っていたんです。でも彼がなかなか来ないので……」

 静枝はグッとつまってしまった。たぶんその時のことを思い出したのだろう、また目が潤んで来た。

「彼が来ないので、どうしたんですか?」

 北野さんはやんわりと先を促した。静枝は嗚咽を抑えながら、

「桟橋から離れて、あたりを探してみようと思ったんです。その時、桟橋の端から何かが出ているのに気づいて……」

「それが人間の足だったんですね? 」

「そうだったんですけど、最初はそうは思わなくて……。桟橋から離れて辺りを見回しているうちに、それが足だってわかったんです……」

 静枝の目から涙があふれ出た。北野さんはしかし、

「ところでどうして、あの死体がそのタカミチさんだとわかったのです?」

 続けて尋ねた。静枝が涙声ながらもしっかりとした口調で、

「右足のくるぶしのところにアザが見えたんです。そのアザ、尊通さんの足にあるアザと全く同じでした。それで私、その足が尊通さんの足だと直感して……」

 北野さんがその言葉を引き取って、

「気を失った、というわけですね?」

 確認するように言った。静枝は黙って頷いた。北野さんはしばらく考え込むようにしてテーブルを見つめていた。私達は息を呑んで北野さんの次の言葉を待った。

「タカミチさんとは、どうやって待ち合わせ場所と時間を決めたのですか?」

 北野さんは顔を上げ、そう尋ねた。静枝は北野さんを見て、

「メモです。明け方に私の部屋のドアの下からメモが入れられていて。それに『湖に出て左手にある桟橋で七時に待つ』と書いてあったんです」

 北野さんは、ほォという顔で、

「メモですか。では、そのメモを見せていただけませんか」

 静枝の顔に緊張の色が走った。彼女は首を横に振り、

「持っていません。どこかに落としたか、忘れてしまったみたいで……」

 北野さんの目は明らかに静枝を疑っていた。まさか、静枝が武さんを殺したと思っているのかな?

「ホントですか?」

「ホ、ホントです!」

 静枝の潤んだ瞳がキッとなった。彼女も自分が疑われていることに気づいているみたいだ。

「わかりました。ではそのメモは鑑識に探させましょう」

 北野さんはそう言って立ち上がった。そして藤堂さんに目をやり、

「タカミチさんという人の部屋を見せてもらえますか」

「は、はい、どうぞ」

 藤堂さんはやや緊張気味に応え、北野さんと田島さんの先導をして階段を昇って行った。

「静ちゃん、大丈夫?」

 行子が声をかけると、静枝は行子を見てかすかに微笑み、

「大丈夫」

 裕子先輩が藤堂さんが戻って来たのに気づき、

「刑事さん達はどうしたんですか?」

「武の部屋を見て回ってるよ。朝食がまだなのでと言ったら、どうぞと言われたので降りて来たんだけど」

 藤堂さんも相当参っているようで、喋るのが辛そうだった。それでも、

「とにかく食事にしようよ。あまり食欲ないかも知れないけどさ」

 一同に言った。私達は頷き、ダイニングルームに行った。


 私達は食事をしている間何も喋らなかった。カチャカチャと食器の音がする。パタパタと歩く音がする。昨日の昼食の時と同じだった。みんなが口を開かないのは昨日と理由が違っていたが……。


 私達が朝食兼昼食を食べ終わり、ロビーに戻ると、北野さんと田島さんが鑑識の人達に二階に行くよう指示を出していた。武さんの部屋をいよいよ本格的に調べるみたいだ。

「ああ、そうだ。皆さんの連絡先を教えて下さい。後で何かお尋ねすることがあるかも知れませんので」

 北野さんが鑑識の人から便せんのようなものを受け取って、藤堂さんに渡した。

「わかりました」

 藤堂さんは紙を受け取ってソファに座り、

「誰か、書くもの持ってないか? 」

 私達を見た。華子先輩がすかさず、

「どうぞ」

 ボールペンを差し出した。藤堂さんはニッコリして、

「ありがとう」

 ペンを受け取り紙に向かった。北野さんは田島さんに何か言うと私達に近づいた。しかし、田島さんは玄関から外へ出て行ってしまった。

「ああ、すみません、あと、タカミチさんの住所と氏名、電話番号もお願いします」

 北野さんは藤堂さんが書いているのを覗き込んで言った。藤堂さんは、

「あ、はい」

 武さんの住所と氏名、電話番号を書き始めた。

「うっ……」

 その時、静枝が口を抑えてうずくまってしまった。行子がすぐさま駆け寄り、

「大丈夫、静ちゃん? 」

 背中をさすった。静枝は小刻みに震えていた。どうしたのだろう? あっ、つわりか?

「ご、ごめんなさい、大丈夫……」

 静枝はそう応えて、フラフラしながら立ち上がり、蒼ざめた顔をしたまま一人がけのソファに腰を下ろし、背もたれに寄りかかった。行子は心配そうに静枝に近づき、彼女を気遣っていた。

「できました。どうぞ」

 藤堂さんが便せんを北野さんに渡した。華子先輩は藤堂さんから受け取ったボールペンをハンカチに包んで、大事そうにバッグにしまった。あのボールペン、永久保存するつもりかな?

「それでは私達はこれで。また何かありましたら来ることがあると思います」

 北野さんは受け取った便せんを丁寧にたたんで、スーツの内ポケットに入れた。そして、

「皆さんにはしばらくここにとどまっていただきたいので、そのおつもりで」

 サッと軽く敬礼をして玄関に向かって歩き出し、鑑識の人達と共に保養所を出て行った。

「静ちゃん?」

 行子がびっくりしたように声を出した。静枝はさっきよりも激しく震え出し、ダット駆け出すと二階へ行ってしまった。

「静ちゃん!」

 行子が追いかけた。

「一体どうしたっていうのよ……」

 須美恵先輩が少々呆れた調子で言った。華子先輩は肩をすくめて、

「さァね」

 私は法子の反応が気になり彼女を見た。法子はジッと二階を見つめていた。

「本当にどうしたのかしら、草薙さん……」

 彼女は呟いた。

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