第十三章 北野警部補の再訪問 9月 1日 午後4時
やって来たのは北野さんだった。何となく不機嫌そうに見えるその顔は口をへの字に結び、やや上目遣いに私達の方を見ていた。
「お尋ねしますが、中津法子さんという方はどなたですか?」
北野さんは、私達をジロジロ眺め回しながら言った。法子がニコッとして、
「はい、私です」
前に出た。すると北野さんはあからさまに目つきが悪くなり法子を睨みつけた。そして、
「あんた一体、警視庁の警視さんとどういう関係なんですかね?」
えっ? じゃあもうあの話が北野さんまで……。早いなァ。法子はニコニコしたまま、
「ご近所なんです」
「近所だからって、あそこまであんたの言うことを聞いてくれるとは思えませんね。あの人は我々に捜査の内容を教えてくれと言って来たんですよ」
北野さんは失礼にも法子を指差して言った。法子はそれでも微笑んだままで、
「教えてもらえないんですか?」
「当然です。一般人に教えることじゃありません」
北野さんが言うと、法子は真顔になり、
「私は別に警視庁の知り合いを通じて貴方の捜査を妨害とようというわけではありません。ただこの事件が例の切り裂きジャックの事件と同じような手口の犯行なのなら、警視庁も捜査内容について知る権利があると思ったので、知り合いに連絡しただけです」
「警視庁に知る権利がある!?」
北野さんはかん高い声でオウム返しに叫んだ。法子は頷いて、
「そうです。一連の殺人事件の被害者は全て東京に住んでいた人達です。それらの人達の身元の割り出しや、身辺調査は警視庁とその所轄書が担当し、群馬県警とも合同で捜査を進めているはずです。だから、この殺人事件は警視庁にも知る権利があるのではないかと思うんですけど、違いますか?」
と尋ね返した。北野さんはギョッとしたように法子を見た。
「そ、そりゃそうですがね。まだこの事件が切り裂きジャックの犯行かどうかはっきりしたわけじゃありませんからね」
さっきまでのあの不機嫌そうな感じはなくなり、逆に法子を警戒しているような顔つきだ。
「でも捜査本部は三つの殺人事件に結び付けて考えたがっているようですね」
法子は何もかもお見通しという顔で言った。北野さんはますますビックリした顔で、
「そんなことまで知っているんですか? 誰だろう、喋ったのは……」
あごに手を当てて考え込んだ。すると法子がクスクス笑って、
「今、北野さんが喋ったんですよ」
北野さんはハッとして、
「あっ、お嬢さん、私にカマをかけたんですか?」
「ごめんなさい、その通りです」
法子はペコリと頭を下げた。北野さんは苦笑いをして、
「全く、してやられたな。こんなお若いお嬢さんに、この道二十年の警部補北野鷹夫が、してやられたなァ」
頭を掻いた。法子は厳しい表情で、
「警察上層部の人達の頭の中にあるのは事件の早期解決だけです。似たような殺人事件なのに犯人が別人かも知れないとなると、また一からやり直しになるので、人手と経費と時間がかかってしまう。それでは困るからです」
付け足した。北野さんも真顔になり、
「ええ。お嬢さんのおっしゃる通りですよ。幹部連中の考えていることと言ったら、記者会見の原稿のことばかりで、現場のことなんかおかまいなしですよ。だから今度の事件は今までとちょっと性質が違うんじゃないかって捜査会議で発言しても、全然取り合ってくれないんです」
怒気混じりに言った。法子が、
「北野さんは、今度の事件、今までと違うとお考えなんですね? 」
「ええ、もちろん。今までの殺人は通り魔的要素が強いが、今回のは明らかに違う」
「そうですね」
法子は大きく頷いた。しかし北野さんの顔色は冴えなかった。
「でも一つ、どうしても説明のつかないことが捜査会議で指摘されたんです」
「説明のつかないこと? 」
法子の眉がピクンと動いた。私や美砂江、そして裕子先輩までもが、北野さんをジッと見つめた。
「今度の事件でも、犯人は、犯人と我々捜査陣しか知らないことを、死体に施しているんです」
「えっ? 」
法子はびっくりしていた。私達は何のことかわからず、顔を見合わせた。
「つまり、一連の殺人事件の犯人でなければわからないことを、今回の事件の犯人もしているのですよ」
「……」
法子はショックを受けたように何も言わない。北野さんは頭を振って、
「わけがわかりませんよ。一体どういうことなのかね……」
「確かに……。それで、どんなことをしているのですか?」
法子が尋ねると、北野さんは苦笑いをして、
「それは言えません。重要なことなんでね。しかし何にしてもその謎が解けない限り、犯人は同一人物と考えるしかなさそうです」
「ええ……。ところで、今回の死体の身元ははっきりしたのですか?」
「まだ詳しい報告は受けていないのですが、十中八九、武 尊通君に間違いないだろうということでした」
北野さんのその言葉に、裕子先輩は床に座り込んでしまった。美砂江も息を呑んだまま動かない。
「そうですか……」
法子も悲しそうに言った。北野さんは溜息混じりに、
「とにかく今回の事件は、捜査本部にかなり混乱を招いています。犯人の姿がまた見えなくなってしまったのでね」
法子は裕子先輩に手を貸して立ち上がらせながら、
「じゃあ、武さんが殺される前、つまり三人の殺人事件までは犯人の姿が見えていたんですか?」
北野さんは肩をすくめて、
「いや、見えていたというほどじゃないんですが。少なくとも前の三人は、殺される原因がたくさんある連中でしたから。しかし武君の場合、それほどの原因があるとは思えないんです」
「北野さんは、前の三人も決して通り魔に殺されたとは考えていないんですね?」
法子は少し微笑むようにして言った。北野さんは大きく頷き、
「もちろんです。ただですね、どこをどう調べても、三人のつながりが出て来ないんです。職業、出身地、出身校、立回先……。いくら捜しても、何も共通点が見つからない。となると、やはり通り魔の仕業かとも思えたりするし……」
「なるほど……」
法子は腕組みをして考え込んだ。北野さんもあごに手を当てて考え込んでいる。そして、
「そこへ持って来て、大学生の武君が殺された……。ますます共通点がありませんからね……」
独り言のように言った。それから法子を見て、
「そんな具合ですから、幹部連中が通り魔殺人にしたがる理由もわからなくはないんです。通り魔殺人なら、迷宮入りになっても面目丸潰れということにはなりませんからね」
「世間体しか考えていないんですね、上の方達は……」
法子は呆れ顔で言った。北野さんは苦笑いをして、
「県警の上層部は、国家公務員ですからね。地方の所轄が解決できない事件のせいで、左遷されるのは困るんでしょう」
しかし北野さんの目は笑っていなかった。そんな官僚主義に対する怒りに満ちていたのだ。
「いつもバカを見るのは現場の人間ですよ。検挙して当然という考え方がありますからね。しかし、現実はそれほど生やさしいもんじゃありませんよ」
「わかります」
法子は頷きながら応じた。北野さんはまた苦笑いをして、
「こりゃ、グチになってしまいましたね」
「いえ、そんなことありませんよ。それより北野さん、今までに殺された三人の身辺のことが記された資料を見せていただくわけにはいきませんか?」
法子が尋ねると、北野さんは一瞬ピクンとしたが、すぐにニッコリして、
「いいでしょう。後で田島にでも届けさせますよ」
「ありがとうございます」
法子もニッコリして礼を言った。北野さんは小声で、
「あいつ、お嬢さん方のどなたかを気に入ったらしくて、さっきもここに来たがってたんです。いい口実ができて、喜ぶでしょう」
「まァ、そうなんですか」
法子はクスクス笑った。
しばらくして北野さんは帰って行った。そしてそれと入れ替わるようにして、二階から藤堂さんと皇さんが降りて来た。
「また警察が来てたの? 音楽をヘッドフォンで聴いてたから、全然わからなかったよ」
皇さんが言った。藤堂さんも、
「僕も気が滅入って何も考えないようにしようとしていたから、気がつかなかったな」
と言い添えた。
「ところで警察は何しに来たのさ? 犯人の目星でもついたのか?」
皇さんが神妙な顔つきで尋ねた。すると法子が、
「いえ、犯人の目星はまだついていません。ただあの死体は、武さんに間違いないようです」
皇さんは藤堂さんと顔を見合わせた。皇さんはさすがに親友だった武さんの死を実感したのか、しんみりとした口調で、
「そうか……。何か、信じられないな……」
藤堂さんも溜息をついて、
「そうでなければいいと思っていたけど……」
黙ってしまった。
しばらく沈黙の時が続いた。
何も喋ろうとしない私達のいるロビーに、階段の奥の医務室からやって来た行子が、
「どうしたんですか、皆さん?」
声をかけたので、沈黙は破られた。美砂江が、
「静枝は大丈夫なの?」
行子は弱々しく微笑んで、
「大丈夫ってほどじゃないけど、落ち着いてるわ」
「そう。何よりね」
裕子先輩が微笑み返した。しかし行子は、
「でも静ちゃん、ちょっと変なんです」
「えっ? 変て、どういうこと?」
私はようやく会話に混ぜてもらえると思い、口をはさんだ。行子は私達を見渡して、
「わけのわからないことを言ってるんです。『マガクだったのよ』って……」
「マガク?」
皇さんがオウム返しに尋ねた。行子は皇さんを見て頷き、
「ええ。『マガク』って言ってました。私、何のことなのかわからないので、静ちゃんに尋ねたんですけど、彼女、その言葉を繰り返すだけで、答えてくれないんです」
「なるほど……。武の死体を見たこととそれが紛れもない現実だとわかったこととで、精神が相当参っているんだな」
皇さんは分析してみせた。藤堂さんが、
「草薙さんは他には何か言ってないのか?」
行子に尋ねた。行子は藤堂さんを見て首を横に振り、
「他には何も言ってません。私、心配で……」
涙ぐんだ。藤堂さんは皇さんと顔を見合わせて腕組みをし、考え込んでしまった。
「失礼します……」
行子は涙を拭いながら、二階に上がって行った。
「中津さん、FAXが届いていますよ」
管理人さんが管理人室から出て来て法子に声をかけた。法子はハッとして管理人さんを見て、
「はい、わかりました」
私に目配せして管理人室に向かった。私もこれに続いた。藤堂さんと皇さん、そして裕子先輩と美砂江は、法子と私の行動をただ呆然として見ていた。
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