第三章 女達の噂話   8月31日 午前11時

 私達は一旦それぞれの部屋に戻り、それから須美恵先輩の部屋に行くことにした。私はまず法子の部屋に行って彼女を誘い、それから6号室の須美恵先輩のところに行った。

「おジャマします」

 私と法子が中に入ると、すでに静枝、行子、美砂江の三人と、華子先輩が来ていた。

「貴女達で最後よ。早くその辺に座って」

 須美恵先輩が言った。彼女はベッドの端に華子先輩と座っていた。静枝と行子は背もたれのない小さめの丸椅子に腰掛けていて、美砂江は床に敷かれた絨毯の上に横座りしていた。法子と私も座るところがないので、絨毯の上に横座りした。

「裕子先輩は来ないんですか? 」

 私が尋ねると、華子先輩が、

「あの人、こういう砕けた話ができないのよね。だから遠慮しますって」

 トンボメガネをクイッと上げながら答える。須美恵先輩が、

「ちょっとお金持ちだと思って、気取ってんのよ。何様のつもりなのかしら」

 少々大声で言った。華子先輩はびっくりして、

「声が大きいよ、須美恵! 裕子先輩、隣なんだよ。聞こえたらどうするの?」

「聞こえやしないわよ。今頃彼女、CDをヘッドフォンで聞いてるわよ」

 須美恵先輩はケラケラ笑いながら言い放った。そして私達を見渡して、

「さてと。女だけに集まってもらったのは他でもないんだけどさ。まァ、草薙さんにはあんまり関係ないかも知れないんだけどね」

「えっ? それ、どういう意味ですか? 」

 静枝は少しムッとして尋ねた。須美恵先輩はまァまァという仕草をして、

「別に変な意味じゃないのよ。要するにこの旅行の目的ってこと」

「はい?」

 今度は静枝ばかりでなく、私を始め、法子、行子、美砂江が、キョトンとして須美恵先輩を見た。

「貴女達、一体誰がお目当てでこの旅行に参加したの?」

 そこまで言われて、私はやっとこの人が何を言いたいのか理解した。美砂江が、

「なァんだ、そういうお話だったんですか」

 笑い出した。すると華子先輩が、

「それじゃあ早速聞くけど、大和さんは誰がお目当てなの? 」

 ニヤニヤしながら尋ねた。美砂江はギクッとして華子先輩の顔を見て、

「い、いきなり私ですかァ? 弱ったなァ……」

 頭を掻きながら、チラッと静枝を見た。静枝はそれに気づかずに行子とヒソヒソ話をしていたが、須美恵先輩がいち早く気づいて、

「ははァ、大和さんのお目当ては、武さんなのね」

 美砂江はビクンと身体を動かして、

「ちょっ、ちょっと先輩、そんな大声で!」

 しかし予想に反して、静枝はにこやかだった。彼女は美砂江を見て、

「やっぱりねェ。どうも最近、私に突っかかって来ることが多いから、どうしてなのかなァって思ってたのよね」

 嫌みっぽく言った。美砂江は顔を真っ赤にして、

「だ、だからァ、そういうんじゃないんだってばァ……」

 反論しようとしたが、言葉につまってしまって黙り込んだ。

「そういう須美恵先輩は、一体誰がお目当てなんですか? 」

 静枝の興味は須美恵先輩に向けられた。ところが須美恵先輩は全然動じている様子がない。むしろ待っていたかのように、

「私のお目当ては皇さんなの。彼の家、弁護士一族でしょ? だから生活は安定してるし、将来は有望だし。それに皇さんて、かっこいいじゃない?」

 彼女の目はうっとりしており、口調は情感たっぷりだ。華子先輩は呆れ顔で、

「よく言うよ」

 肩をすくめた。私も華子先輩の意見に同感だった。皇さんてすごく理知的な雰囲気はあるけど、決してかっこいいとは思わないもんなァ。ま、人それぞれってことか。何てことを考えていると、

「じゃあさ、神村さんは?」

 いきなり私の番が回って来てしまった。わっ、どうしよう……。正直に言った方がいいのだろうか……?

「えと、私は、そのォ……」

 どうもいかん。小さい頃から、私はいきなりとかみなりが苦手で、ドキドキして喋れなくなってしまうタチなのだ。

「神村さんは、藤堂さんじゃないの?」

 静枝が核心を突いて来たので私はビクッとして彼女を見た。静枝はニッと笑って、

「図星みたいね。貴女がこの会に入会したあの日、貴女、藤堂さんに声をかけられてドギマギしてたでしょ? そうじゃないかってあの時から思ってたのよねェ。だからこの旅行に参加したんでしょ?」

「えっ? それ、どういう意味?」

 私はやっと胸のドキドキを抑えて尋ねた。 すると須美恵先輩が、

「だってこの旅行、男をゲットするための旅行なのよ。知らなかったの?」

「ええっ!?」

 私は顔が耳まで赤くなるのをハッキリと感じた。そして法子の反応を見ようと彼女に目を向けた。しかし法子は別に驚いた様子もない。知ってたのかな?

「神村さん、貴女も藤堂さんがお目当てなの?」

 華子先輩の声は明らかに敵意があった。すると美砂江が、

「てことは、華子先輩も、藤堂さんがお目当てなんですか?」

 意外そうな顔で尋ねた。華子先輩はちょっとばかり照れ臭そうに笑って、

「まァね。去年の新入生歓迎旅行の時は、藤堂さん、裕子先輩といい雰囲気だったので何か気後れしちゃったんだけど」

 そこへ須美恵先輩が、

「あら、裕子先輩は、その頃は武さんとつき合ってたんじゃないの?」

 華子先輩は目を見開いて、

「あれ、そうだっけ? じゃ、私の勘違いか。でも、裕子先輩はともかく、藤堂さんは裕子先輩に好意を持ってたみたいよ。今は全然そんな感じしないけどね」

 美砂江が静枝を見て、

「静枝はさっきの話知ってたの?」

 静枝は頷きながら、

「もちろん。でももう、お互いきれいに終了してるって聞いてるわ」

 須美恵先輩が、

「藤堂さんや皇さんは、誰がお目当てなのかしら?」

 すると華子先輩が、

「皇さんは、少なくともあんたじゃないらしいわよ」

「な、何よ、それ!?」

 須美恵先輩は、プーッと頬を膨らませた。美砂江が愉快そうに、

「皇さんは静枝がお目当てらしいですよ。だから武さんと対立することが多いんですって」

 静枝は少し嫌そうな顔で、

「ええっ、ホントなの? どうしよう……?」

 まるでストーカーに狙われている女性みたいな発言だ。そのせいで須美恵先輩はすっかり機嫌を損ねて、

「何よ、その言い方!? ムカつくわね」

 静枝に食ってかかった。静枝はハッとして須美恵先輩を見て、

「ご、ごめんなさい、そういうつもりじゃないんです、先輩」

 手を合わせて謝った。華子先輩は須美恵先輩のカンシャクに呆れているようだ。方向を突然変えて、

「中津さんは誰がお目当てなの?」

 法子に話をふって来た。すると法子はニッコリして、

「私、そういうつもりで来たわけじゃないですから。彼はいますし……」

 えっ!? は、初耳だァッ! 法子に彼がいるなんて、彼女と知り合って半年近くになるのに−−いや、半年くらいしかたっていないと言うべきか−−、そういう話は聞いたことがない。裏切り者ォッ!

「えっ? そうなの? じゃ、一体何しに来たのよ?」

 美砂江がびっくりして尋ねた。私も興味シンシンで法子を見た。法子は、

「私、一度こういうところに来て泊まってみたかったんです。それに、榛名や伊香保にも来てみたかったし」

「ああ、そう……」

 美砂江はいささか拍子抜けしたように肩をすくめ、次に行子を見た。

「ねェ、戸塚さんは?」

 その問いに行子はギクッとして美砂江を見、それから静枝を見た。静枝も行子を見て、

「別に言いたくないのなら、言わなくていいのよ。でも、そういう女って、嫌われるわよね」

 行子は今にも泣き出しそうな顔になったが、静枝は慰めの言葉などかけなかった。

「ほら、そういうイジイジしたところがダメなのよ。もっとしっかりしなさいよ」

「……」

 行子は目をウルウルさせたままコクンと頷き、美砂江を見た。私達もこぞって行子が話し出すのを待った。

「あの……」

 行子は口を開きかけたが、周りの人が皆自分を見ているのに気づき、また黙ってしまった。とうとう静枝がたまりかねて、

「ホントにもう! あんたが口を開くのを待ってたら、何回誕生日が来るかわかりゃしないわ! 私が代わりに言うわよ」

 半ば脅迫めいた言葉を吐いた。行子はピクンと顔を上げ、目を見開いて首を横に振り、

「待って! 自分で言う……。言うから……」

 消え入りそうな声で言った。そして、大きく息を吸い込んで、

「私、武さんが好きです」

 これまた風の音で聞こえなくなりそうな声で言った。私はギョッとして静枝を見た。この女、何て残酷な奴なんだろう。自分と同じ男を好きだという、こんな可哀想な子をここまでいたぶって……。そしてまた、行子がまさに心の底から絞り出すようにしてやっとの思いで口にしたその言葉を、まるでバカにしたような目で見ていたのだ。ひどい女だ。

「あら、静枝と一緒ね。仲良しもそこまでいくと考えものよねェ」

 美砂江の言葉は行子は心の傷に塩をぬるようなものだった。行子は声は出さなかったが、何かを呟いているように見えた。彼女の目からはポロポロと真珠のような大粒の涙がこぼれ落ちていた。

「何泣いてるのよ。何も泣くようなことじゃないでしょ? それじゃまるで私がいじめてるみたいじゃないのよ」

 静枝は怒ったように言った。行子は声にならない声で必死に謝っていた。今、ようやくわかった。この二人は決して仲がいいのではないのだ。行子は小学校以来ずっと静枝の付き人のような役回りをさせられていたのだ。彼女の無口なところは、長年のストレスが生み出したのではないか? 静枝に目をつけられる前はもっと明るくてハキハキした子だったのかも知れない。

「草薙さん、自分の劣等感を排除するために戸塚さんを利用するのは、いじめじゃないですか?」

 あんなににこやかな顔だった法子がまさに真顔になり、その目は静枝を射るように見ていた。

「何よ、中津さん。私の劣等感? どの辺が? 何言ってんのよ、ホントに」

 静枝はせせら笑うようにして、法子を睨みつけた。しかし法子は負けていなかった。

「何も言い返せない人に暴言を浴びせて恥じないのは、自分が本当の議論になったら負かされてしまうという劣等感の裏返しです。要するに貴女は口の達者な人とは議論しない。だから武さんにクイーンの批判をされても真正面から反論できなかったのです」

 静枝はキッとしたが、歯ぎしりしただけで何も言い返さない。法子の言ったことが、一から十まで当たっているのだろうか。

「言い返せなかった理由はもう一つあります。実は本当にクイーンのことをよく知っているのは戸塚さんで、草薙さんのクイーンに関する知識はそのほとんどが戸塚さんからの受け売りだからです」

 法子は続けた。静枝は今度は唖然とした。何でそんなことまで、とまるで顔に書いてあるかのように彼女はポカンと口を開けて、法子を見ていた。法子は行子をチラッと見て、

「戸塚さんが探偵のベストワンを言おうとしたのをさえぎったのも、彼女が困っているのを助けるためではなく、戸塚さんの方がずっとエラリー・クイーンのことを知っており、戸塚さんが草薙さんのマネをしていると思われているのに、実はその逆だったと気づかれては困るからでしょう?」

 本当に容赦しなかった。とうとう静枝は下を向いてしまった。すると行子は、

「もういいの、中津さん。静ちゃんをいじめないで……」

 法子にすがるように言った。静枝以外の全員がいっせいに行子を見た。法子は再びあのにこやかな顔に戻り、

「優しいのね、戸塚さんは」

 行子は首を軽く横に振ったが、ニコッとした。きっと法子が自分のことを助けてくれたことが嬉しかったのだろう。私は他の人達が法子をどう見ているのか気になって、周りを見た。須美恵先輩と華子先輩は、すっかり法子の推理力と分析力に驚嘆しているようだ。美砂江も同じようだが、彼女は少々法子に嫉妬しているように思えた。

「静ちゃん……」

 行子は健気にも静枝に近づき、彼女を慰めようとした。ところが静枝は、

「うるさい!」

 びっくりして座ってしまった行子を睨みつけ、次に法子にその怒りの目を向けると、何も言わずに部屋を出た。後ろ手に閉じられたドアは、あまり勢いが強かったので壊れるのではないかと思われたほどだった。

「ありがとう、中津さん。ホントに、ありがとう……」

 行子はスッと立ち上がって、法子に深々と頭を下げた。法子はポニーテールを触りながら、

「とんでもない。かえって草薙さんを怒らせて、貴女への風当たりが強くなるんじゃないかって、少し不安なの」

 すると美砂江が、

「確かにねェ。あそこまでコテンパンに言われた静枝を見るの、初めてだもの」

 皮肉ともとれることを言った。しかし行子は、

「大丈夫です。静ちゃんはサッパリした子ですから、そんなことないです。私、彼女の部屋に行ってみます」

 部屋を出て行った。全く、あの二人、わからない。ホントのところはどういう関係なのだろうか? 

「私も言い過ぎたと思ってますので、草薙さんの部屋に行ってみます」

 法子も立ち上がった。私も慌てて立ち上がり、

「あっ、私も行くわ」

 この場に残されれば、イジワル三人組の餌食にされると思ったからだ。

「さっ、早く行きましょ」

 私は法子を追い立てるようにして、須美恵先輩の部屋を出た。

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