第十八章 田島刑事の話  9月 2日 午前11時

 法子はしばらくの間ジッと考え込んでいた。私も何となく声をかけられず、法子の思考に黙ってつき合っていた。

 確かに謎だらけだ。この不可思議な事件、ホントに人間の仕業なのかとも思えてくる。法子の、

「この世にわからないことなんて何一つない」

という言葉を思い出した。そう思いたいけど、この事件は「わからないこと」になってしまいそうな気がした。特に根拠はなかったのであるが。

 沈黙が破られたのは、それから結構たってからだった。

「私達だけで考えていても解決しないわ。助けを借りましょう」

 法子は田島さんにもらった茶封筒を手にして部屋を出た。私もすぐに彼女を追いかけた。

「どうするのよ?」

 私が後ろから問いかけると、法子は振り返らずに、

「田島さんに聞いてみるの」

 田島さんか。あの人、法子にいろいろ聞かれたら失神しちゃうんじゃないかな。ま、いっか。


 外へ出てみると、まだ警察の人達は辺りにたくさんいた。鑑識の人達が様々な場所を探索し、写真を撮り、何かを採取している。しかし、田島さんと北野さんの姿は保養所の表には見当たらなかった。

「どこかしら?」

 法子が周囲を見回して田島さんを探していると、

「どなたかお探しですか?」

 田島さんが後ろから現れて声をかけた。私はビックリして振り向いたが、法子はごく冷静に田島さんに顔を向けて、

「田島さんを探していたんです」

 田島さんはまた赤くなって、

「えっ? 自分をですか? 何でしょうか?」

 とてもかしこまった様子で言った。法子はクスッと笑ってから茶封筒を示して、

「この資料のことなんですけど」

「は、はい」

 田島さんは背中に棒でも入れられたんじゃないかと思うくらい、背筋をピーンと伸ばした。

「殺された人達の身元がどうやってわかったのか書かれていなかったので、教えてほしいんですけど」

 法子が言うと、田島さんは引きつった顔で微笑んで、

「あ、そのことですか。首が未だに見つからないので歯の治療記録も使えないし、スーパーインポーズ法 (重複印画法……該当者の写真と被害者の写真を重ね合わせて見る方法)も使えないですから、特定にはかなり時間がかかりました。何とか判明したのは、被害者に顔以外の身体的特徴があったからなんです」

「どんな特徴なんですか?」

 法子が尋ねた。田島さんは咳払いをしてから、

「一人は虫垂炎の手術痕があり、その脇にほくろがありましたので。もう一人は臀部に碁石大のあざがあり、さらにもう一人は家族が懸命に行方を探していて、詳しい身体的特徴を警察に提出していましたので、何とかわかったんです。でも、相当時間がかかりましたが」

「そうなんですか。それに比べると、今回はすぐに被害者の特定ができましたよね」

 法子はおとぼけなのか、田島さんの表情をうかがうように口にした。田島さんは法子に間近でジッと見つめられたので、また赤くなってしまい、

「そ、そうですね。その点については、我々も関心を持っています。明らかに前の事件とは、性質が違っていますからね」

「捜査本部では今回の二つの事件をどう見ているんですか?」

 法子が尋ねると、田島さんは辺りをはばかるようにして、

「自分が話したって言わないで下さいよ」

と前置きしてから、

「本部では今回の草薙さんの事件を模倣犯による殺人と見ているようです」

「模倣犯?」

 法子の顔がやや険しくなった。彼女、ちょっぴりお怒りなのかな。

「草薙さんの事件はそれまでの四つの事件と違い、現場が湖の周辺ではないこと、その他様々な箇所で相違点があるので、別物と考えているようです」

「田島さん自身は、どうお考えなんですか?」

 法子は「まさか貴方も」というような感じで尋ねた。田島さんはそれを察知したのか、

「自分の考えは違います。むしろ別に扱うべきは前の三つの殺人事件であり、武君と草薙さんの事件はつながりがあると考えています。そう考えないと、説明がつかないことがあると思うんです」

 法子はニッコリして、

「例えば、どんなことですか?」

 田島さんは頭を掻きながら、

「例えば、前の三つの事件の被害者は東京出身者ですが、どの人も行方不明になって何日かたってから死体で発見されています。しかも未だに榛名湖畔に来るまでの足取りは掴めていません。それに比べて今回の武君と草薙さんの事件では、二人は榛名湖畔に来てから殺されています。この違いは大きいと思います」

と見解を述べた。法子は大きく頷きながら、

「そうですか。あともう一つ、いいですか?」

「は、はい、どうぞ」

 田島さんはビクッとして言った。法子は真顔に戻り、

「草薙さんが武さんに呼び出されたと言っていたメモ、見つかりましたか?」

「いえ、見つかっていません。当初は草薙さんが容疑濃厚でしたので自分らはさして気に留めていませんでした。彼女が嘘をついていると考えていたんです。今にして思えば大変な失策でしたが」

 田島さんは、実に申し訳なさそうに答えた。

「そうですね。あの場合、信じろと言う方が無理かも知れませんね」

「はァ……」

 田島さんはすっかり落ち込んでしまったようだ。法子もそれに気づいたらしく、

「ごめんなさい、別に私、田島さんを非難しているわけじゃないんですよ」

「は、はい」

「それから、一つお願いがあるんですけど」

「は、はい」

 法子はあまりにまっすぐな田島さんの反応を見て、クスッと笑い、

「『マガク』という言葉について何か事件に関係あることがないか、調べてほしいんです」

「『マガク』ですか? どういうことです?」

 田島さんは何のことだろうという顔で尋ねて来た。法子は、

「草薙さんが何度も口にしていた言葉なんです。何か気になるので」

 田島さんはちょっと考え込んだが、やがて、

「わかりました。調べてみます」

 真顔で応えてくれた。

「お願いします」

 法子も真顔で言った。その時、

「おーい、田島、ちょっと来てくれ」

 遠くで北野さんの声がした。田島さんは、

「はい、今行きます」

 大声で応えてから、

「では、自分はこれで」

 立ち去った。法子はしばらく田島さんを見送っていたが、

「謎、どれか一つでも解けるといいな」

 呟いて私を見た。私は頷いて、

「そうだね。それより法子」

 ニヤニヤしてみせると、法子は、

「何よ、変な笑い方して。どうしたの?」

 私はますますニヤニヤしながら、

「田島さんとホントにお見合いしてみたら? 結構いいかもよ、彼」

「何言ってるのよ。田島さんみたいな人にはもう素敵な彼女がいるわよ。私なんか相手にしてもらえないわ」

 法子は笑いながら答えた。ホント、この娘、そういうことに関しては鈍感なんだなァ。あのホームズばりの観察力はどこに行っちゃうんだろ。田島さんのあの反応見て自分に気があるって気づかないなんてさ。あ、それともとぼけてんのかな? でもそこまでイジワルじゃないよなァ。

「とにかくバラバラの謎が一つにつながらないと、この事件、犯人像が見えて来ないわ」

 法子の顔はすっかり探偵の顔になっていた。するとそこへ、

「中津さん、思い出したことがあるんだけど」

 行子が現れた。法子は行子を見て、

「思い出したこと? どんなこと?」

 カフェテラスに向かって歩きながら尋ねた。行子は私と共に法子を追いかけながら、

「静ちゃん、神社を気にしてたの。神社に行けばわかるって……」

「神社に行けばわかる?」

 私がオウム返しに尋ねた。行子は頷いて、

「ええ。そう言われたの」

 法子は椅子に腰掛けながら、

「とにかく詳しく教えて、戸塚さん。一体どういうことなのか」

「ええ」

 行子と私も椅子に座った。行子のその話は事件の核心に迫る重要なものだったが、その時は私も法子もはっきりとわかっていなかったのであった。

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