第八章 ダイニングルームで 8月31日 午後 7時
夕食は六時過ぎ頃始まった。
ロビーにいた私達と外のテラスにいた皇さんが早くダイニングルームに着き、その後、藤堂さん、美砂江、華子・須美恵の両先輩が来た。
私達が席に着くと、次々に大皿に盛られたおいしそうな料理が出て来て、食べるのを我慢するのが辛いほどだった。しかし、二十分たっても武さんも静枝も行子も降りて来なかった。
「先に食べましょうよ、藤堂さん。待っていたら、料理が冷えてしまいますよ」
皇さんがたまりかねて言った。藤堂さんは仕方なさそうに、
「そうだね。先に頂こうか」
それを合図に、私達は食事を始めた。
それからさらに二十分ほどして、行子が降りて来た。
「どうだった?」
私が尋ねると行子は無言のまま首を横に振り、そのままキッチンの方に行ってしまった。
「だめだったようね」
法子が囁くように言った。私は黙って頷いた。
「武君、食べないつもりかしら? 」
裕子先輩が心配そうに言った。しかし皇さんは、
「放っておけばいいのさ。ガキみたいな奴だな。メシを食わないでいれば、誰かが同情してくれると思っているんだろ」
「そういう言い方はないでしょう」
裕子先輩はまだ武さんのことが好きなのだろうか。もしそうだとすると、私には先輩の心がわからない。武さんのような人のどこがいいのだろう? 理解に苦しむ。
「あっ……」
そんなことを思っていると、トレイに料理を載せた行子がそそくさとダイニングルームを通り抜けて行った。
「戸塚さんもここで食べるつもりないみたいね。二人分持っていたわ」
法子が言った。行子は静枝と二人で食事をするつもりなのか。どんな会話をかわすのだろう。考えただけで気が重くなりそうだ。
「どうしちゃったんですか、武さんと草薙さんは……。ケンカはおさまったんですか?」
須美恵先輩が尋ねた。すると藤堂さんが、
「ケンカはおさまったらしいんだけどね。その後何があったのかは、僕は知らないんだ」
皇さんが、
「どうせ痴話ゲンカだろうから、あまり心配しない方がいいよ」
「そうですかァ……」
須美恵先輩は、あまり納得していない様子だ。今度は華子先輩が、
「そう言えば、裕子先輩、武さんと話をしたらしいですけど、ケンカの原因は何だったんですか?」
裕子先輩はビクンとして手を休め、華子先輩を見た。
「大したことじゃないのよ。草薙さんが武君に、もっとみんなと協調しなさいって言ったら、武君がそれを拒否したので、草薙さんが大声で怒鳴ってそれで武君も怒鳴り返してっていう感じで」
「そんなことで夕食も食べないんですか? ホントに二人共、子供みたいですね」
美砂江が呆れて口をはさんだ。武さんはともかく、静枝のプライバシーを守るために多少の嘘は仕方ないか。
「武と草薙さんのことは当人同士の問題だからあまり詮索するのはよそうよ。それより、夜は外出禁止だから、そのつもりでね」
藤堂さんが言うと、美砂江が目を見開いてびっくりし、
「どうしてですかァ? 」
口をとがらせて尋ねた。藤堂さんは美砂江に目を向けて、
「例の殺人犯がまだこのあたりにいるらしいからなんだ。幸い、日中は姿を見せていないので、夜だけ警戒してくれって言われているんだ」
「それじゃ、これから寝るまで何して過ごすんですか? つまんないなァ……」
美砂江はますます口をとがらせた。すると皇さんが、
「仕方ないさ。相手は狂える殺人鬼なんだよ、大和さん。夜道でバッタリ出会ったりしたら、大変だよ」
口をはさんだ。
「その犯人は、決して狂える殺人鬼ではないと思いますよ」
ずっと黙っていた法子が口を開いた。皇さんは法子を見て、
「どうしてそんなことがわかるんだい、中津さん?」
少々不機嫌そうに尋ねた。須美恵先輩も「愛しの皇様」に反論した生意気な後輩を睨んでいた。法子は皇さんを見て、
「犯人はすでに三人を殺し、数十人にケガを負わせ、それ以上の人数を追いかけているということです。それなのに誰一人として犯人の顔を見た人はいませんし、何も証拠を残していません。警察は通り魔殺人と考えているようですが、本当はそうではなくて、殺された三人には何らかのつながりがあるのではないかと思います」
「中津さん、貴女、推理小説の読み過ぎよ。いくら何でも現実の世界でそんなことが起こるわけがないでしょう」
華子先輩はまるで法子に言い聞かせるように言った。推理小説の読み過ぎはお互い様ではないだろうか。しかし法子は、
「犯人の目的は被害者の身元をわからなくすることです。衣服は下着まで脱がされていて、首と手首、あるいは腕まで切断されているのはその現れです。ただの通り魔がそこまでするとは思えません」
「なるほど。言われてみれば確かにそうだな」
藤堂さんが頷いて言った。華子先輩は藤堂さんが法子の肩を持ったのが面白くないらしく、キッと法子を睨みつけ、
「でもそれは推測でしかないわ。だって犯人は他に何人も殺そうとしているのよ」
法子は少し間を置いてから、
「私、事件のことが気になったので管理人さんに聞いてみたんです。管理人さんの話では、犯人に追いかけられた人で、ケガをした人はいずれも軽傷で、しかもそのうちの何人かは、ころんだり倒れたりしたのに、犯人が逃げて行ったということです。つまり犯人は殺すつもりなどなく、ただ単に無差別殺人を狙っている狂人と思わせるための芝居をしているのではないかと思われるんです」
華子先輩はちょっとひるんだようだ。皇さんはさすがに法子の指摘が的確なものだと気づいたのか、
「警察もそのことに気づいているの?」
さっきとはうって変わって穏やかな表情で法子に尋ねた。法子は再び皇さんを見て、
「いえ。それは証言した人が悪いんですけど、犯人が逃げたことを話していないんです。『私は犯人に追いかけられました。でも顔は見ていません』。その程度の話しかしていないようです」
「なるほど。まァ、警察としてみれば、軽傷の人が顔を見ていないと言えば、もうそれまでということでそれ以上突っ込んだ事情聴取はしないかも知れないな」
皇さんはまるで弁護士のような態度で話した。法子は頷いてから、
「警察は、榛名を中心にして山狩りをしたり、殺された人達の身元の確認に人員を割いているので、そんなに細かいことまで手が回らないというのが本当のところでしょうね」
皇さんも大きく頷いて、
「そうだなァ。日本人にはあまりにも事なかれ主義者が多いよ。自分の証言の重大性を全く認識していない連中が、ロクな証言をしないから、犯人が逃げおおせてしまうケースだってあるのだから」
藤堂さんは腕組みをして、
「とにかく、外に出かけるのは控えてくれないか。何かあってからでは取り返しがつかないことになりかねないから」
「でも通り魔じゃないって中津さんが言ってるんだから、大丈夫なんじゃないですか? 事件も最近は起こっていないみたいだし……」
美砂江が皮肉を込めて言った。彼女はニヤリとして法子を見た。でも法子は、
「通り魔的犯行ではないかも知れませんが、犯人の動機がはっきりしていない以上私達は安全だとは断言できませんよ」
「はい、もうその話はそこまでにして! そろそろ解散しませんか?」
裕子先輩が口をはさんだ。皇さんが、
「そうだね。もう八時になるし、そろそろ部屋に戻って自由行動にしましょうよ、藤堂さん」
「そうするか。しかし、くれぐれも外出はしないようにね」
藤堂さんが重ねて言うと、美砂江がうんざりした顔で、
「わかりました。どこにも行きませんよ」
と応えた。
しばらくして私達は各自の部屋に戻った。結局静枝と武さんはダイニングルームに姿を現さなかった。
「武君の分、持って行くわ」
優しい裕子先輩はトレイに武さんの分の食事を載せて、階段を上がって行った。
「裕子先輩、今回この旅行に参加したワケ、武さんとヨリを戻すためだっていう噂、ホントかもね」
須美恵先輩がニヤニヤして言った。華子先輩も、
「そのようね」
嬉しそうに同意した。そして私を見て、
「神村さんは、どう思う?」
いきなり尋ねて来た。
「えっ? 私ですか? 」
私がオタオタしていると、
「神村さん、面白い本があるんだけど、読む?」
法子が私の腕を引いて階段を上がり始めた。私はホッとして法子に目をやり、
「うん、読むわ」
法子について階段を上がった。華子先輩が背後で毒づいているのは見なくてもわかったが、今は知らんふりをするのがベストだ。
「ありがとう、中津さん」
私は小声で法子に礼を言った。法子は私を見下ろして、
「どういたしまして」
微笑んで応えた。
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