第二十一章 法子の対決  9月 3日 午前 5時

 私は懐中電灯の光の中に浮かび上がった犯人の顔を見て仰天した。

「と、藤堂さん!」

 私の大声が神社の境内で反響し、木霊となって返って来た。その間に法子は田島さんと協力して、藤堂さんの手首と足首を田島さんが持って来たロープで縛ってしまった。

「一体何のマネだい、中津さん? 僕が切り裂きジャックだって?」

 藤堂さんは悪い冗談を否定するような口調で言った。法子は藤堂さんを見下ろして、

「まだおとぼけになるんですか? ではここへは何しに来たんですか?」

 しかし藤堂さんは、

「恐らく君達と同じだよ。草薙さんが言っていた『神社に行けばわかる』という言葉が何を意味するのか、調べに来たのさ」

 言い逃れのようなことを言った。法子はすかさず、

「それは変ですね。貴方は何のためらいも迷いもなくまっすぐに絵馬の掛けられているところに行きました。まるでそこに答えがあるのを知っているかのように」

 藤堂さんの顔はほんの一瞬だが焦りの色を見せた。でも、

「偶然さ。ここへ来てたまたま絵馬のことが最初に頭に思い浮かんだからだよ」

 冷静に応じて来た。法子はさらに、

「では何故逃げたりしたんですか?」

「いきなり君に声をかけられてビックリしたからだよ。特別わけはないさ」

「そうですか」

 法子のその声は全く藤堂さんを信用していないという声だった。藤堂さんは当てられている懐中電灯の光を眩しそうに見ながら、

「なるほど。君はどうしても僕を犯人に仕立て上げたいらしいね。いいだろう。僕も推理マニアだ。君がどうして僕のことを犯人だと考えたのか、そのわけを聞かせてもらおうか」

 開き直りともとれる言葉だった。

「わかりました。何故貴方が切り裂きジャック、いえ、もう一人の切り裂きジャックなのか、お話しましょう」

 法子はジッと藤堂さんを見つめて応えた。

「まず、草薙さんの姿が見えないのでみんなで外に探しに出た時のことを思い出してみて下さい。私達は湖の方へ草薙さんを探しに行き、彼女を見つけました。その時のことが、私の心の中でずっと引っかかっていたんです。何かわからないけど気になっていたんです」

「何のこと?」

 藤堂さんは微笑んでみせた。この人、ホントに犯人なのだろうか、と思ったほどだ。それに対し、法子は真顔のままで、

「倒れている草薙さんを見つけた時、近づこうとした私を手で制して貴方は私に救急車を呼びに行くように言いました」

 すると藤堂さんはちょっと肩をすくめて、

「当然のことを言っただけだと思うけどなァ。それのどこが引っかかるって言うのさ?」

 法子は私の方をチラッと見てから、

「それだけだったら引っかかったりしないんです。でも貴方は草薙さんに近づくと、手首に手を当てて脈を診ました。妙ですよね」

「どういうこと?」

 藤堂さんも不思議そうだ。私と田島さんにとってもそれは不思議な話だった。

「普通は逆ですよ。人が倒れているのを見つけたらまず脈を診て、それから救急車を呼ぶのか、警察を呼ぶのか、判断するのではないですか?」

「そうかなァ。いや、仮にそうだとしてもあの時はあれでいいと思ったんだろう。妙なことじゃないと思うよ」

「そうでしょうか。今から考えてみるとあの時の貴方は、草薙さんは気を失っているだけだとわかっていたように思えるんですけど」

 法子は皮肉めいた口調で言った。藤堂さんはフッと笑って、

「そうかねェ」

と呟いた。そして、

「たったそれだけのことで僕のことを犯人だと思ったの? それじゃ他の誰もが犯人たり得るんじゃないかな」

 逆に言い返すような口ぶりだ。しかし法子は怯んだ様子はなかった。

「それだけではないんです。もう一つ、貴方でなければできないことがあるんです」

「僕でなければできないこと? 何それ?」

 藤堂さんは相変わらず余裕のある笑みを浮かべていた。

「草薙さんに近づき、武さんが渡したというメモを奪うことです。実際あの時、草薙さんの身体に触れたのは貴方だけで、私も律子も、そして大和さんと戸塚さんも触れていません」

 法子の言葉に藤堂さんは少しも動じた様子がない。

「でもそれは、草薙さんの言葉を信じてという前提条件があっての、とても貧弱な推測だよ、中津さん。何の証拠にもならないね」

「そうかも知れません。今の話は推測でしかなく、しかも決して実証できるようなことではありません」

「だったら、もうこのロープをほどいてくれないか?」

 藤堂さんはきつく巻かれたロープを見て言った。でも法子は、

「いいえ。今のは私が貴方を疑い始めたキッカケに過ぎません。貴方はいろいろなところでエラーを犯しているんです」

「まだあるのか、僕が犯人だという根拠が?」

「ええ、あります」

 上目遣いで自分を見ている藤堂さんを法子は正視したままで言った。

「刑事さんが連絡先と氏名を書いて下さいと言って、便せんを渡してくれました。あの時、貴方が代表して全員の氏名と住所を書いたんですよね?」

「ああ、書いたよ。それがどうかしたの?」

 藤堂さんはまた微笑んでみせた。もしホントにこの人が犯人なのなら、とんでもない心の持ち主だ。

「貴方は全員の名前を書き、刑事さんに武さんの氏名と住所も書くように言われ、書きました。その時、貴方は武さんの『尊通』の『通』を書き間違えたんです」

「書き間違えた?」

 藤堂さんは何のことだ、という顔つきで法子を見た。法子は田島さんから手帳とペンを借り、

「いいですか、藤堂さん。『尊通』の『通』はしんにゅうの中はこうなんです」

と「甬」という字を書いてみせた。途端に藤堂さんの顔色が悪くなっていくのがはっきりわかった。

「それなのに貴方はこう書いたんです」

 法子は次に「角」と書いてみせた。藤堂さんは顔中から汗を吹き出し、唇を震わせていた。法子は田島さんに手帳とペンを返した。

「おわかり頂けましたか? 貴方はずっと『通』という字を書き間違っていたのですよ。そして草薙さんも、貴方がいつもそう書き間違っていることに気づいたんです。だからこそあの時、彼女は震え出し、逃げ出してしまったんです」

 藤堂さんが顔をうつむかせたので法子はそれを覗き込むようにしてしゃがんだ。

「草薙さんはその前にも同じ字を見ているんですよ。彼女は神社に来ていませんから、どこか他で見ているはずです。そして震え出してしまうようなものにその誤字を見ていたのです。それは一体どこに書かれたものだったのか?」

 法子はそう言うと立ち上がった。藤堂さんはうつむいたままだ。

「草薙さんがその誤字を見たのは、武さんからのメモだったのです。そのメモに藤堂さんが間違えたのと同じ字が書かれていたので草薙さんは震え出したんです。何故なら、そのメモを書いた人物こそが武さんを殺した犯人だからです」

 法子は続けた。そしてさらに、

「草薙さんが『神社に行けば、わかる』と言ったのはそのことだったんです。この榛名神社にも貴方が書き間違った『通』が書かれた絵馬がありますからね」

 その時、私にも「マガク」という謎の言葉の意味がわかった。法子は私を見て、

「律子の考え通りよ。草薙さんは、実は『マが、クだった』と言いたかったのよ。でも、戸塚さんがそれを『マガク』という言葉に聞き取ってしまったので、意味不明の言葉になってしまったの」

と言ってから再び藤堂さんを見た。すると藤堂さんは、

「そういうことか。しかし、それもやはり草薙さんの話を信用してという大前提があってのことだよね」

 ニヤリとして言った。法子は微笑み返して、

「そうですね。まだ証拠としては空想の域ですね」

 しかし、彼女の目は決してひるんでいなかった。法子はさらに続けた。

「武さんが発見された時のことをもう一度よく思い出してみて下さい」

 私はその時の情景を思い出し、ゾッとした。また腰が抜けそうだった。

「……」

 藤堂さんはニコリともしないで黙って法子の話を聞いている。法子はそれを確認するように藤堂さんを見てから、

「あの時、私達は草薙さんに近づきました。そしてさっきの話にも出ましたが、貴方が草薙さんに近づき、脈を診て気を失っているだけなのを確認しました。その後のことなんです」

「何?」

 藤堂さんはムスッとした声で尋ねた。法子は逆にニコッとして、

「貴方は他の誰にも気づかないことに気づいたんです」

「……?」

 藤堂さんはキョトンとしている。私にも法子の言いたいことがわからなかった。法子は真顔になり、

「貴方は、桟橋の端に人間の足が出ていることに気づいたんです」

 あっ、そのことか。えっ? どういうこと?

「私はもちろんのこと、律子も大和さんも人間の足には気づきませんでした。しかも貴方は『人間の足じゃないか』と正確にそれを指し示し、言い当てたんです」

「……」

 藤堂さんのキョトンとした顔が少々引きつり気味になった。法子はそれに気づいて、

「そうなんです。貴方の行動は不自然なんです。草薙さんが倒れているのを見て救急車を呼ぶように言ってみたり、誰も気づかない人間の足に気づいたり……。まるで一度現場に来てあたりを確認してあるかのような行動なんです」

 藤堂さんは何かを言いかけたが声には出さず、口を閉ざした。

「でもそれも、私の思い込みと言われればそれまでですよね。ですから私は今、時間稼ぎをしているんです」

「……?」

 藤堂さんは訝しそうに法子を見た。法子は肩をすくめて、

「それは追々わかることですから話を先に進めましょうか。さて、武さんの遺体には首がなく、衣服は何も身に着けていませんでした。武さんの遺体を湖から引き上げたおまわりさんは、すぐに『切り裂きジャックの仕業だ』と断定しました。それほどこの辺りの警察関係者にとって、湯の町の切り裂きジャックは名を馳せているのです」

 私は気を失いそうになるのを必死になって堪えた。ああ、でも気分が悪い。

「それはまさに貴方の狙い通りでした。武さんを殺したのは、湯の町の切り裂きジャックであると思い込ませることこそ、貴方の考えだったのですから」

「しかし、もしもだ。もし仮に僕が犯人だとしたら、首を斬って遺体を湖畔まで運ぶなんてことはしないよ。それはとても大きなリスクを背負うことになるからね」

 藤堂さんはもう耐えられないというような口調で反論した。しかし法子は、

「それ以上のリスクがそうしなければ発生してしまうとすれば、首を斬り、遺体を湖畔まで運ばざるを得なくなりますよ」

「それ以上のリスク?」

 藤堂さんの眉が釣り上がった。何言ってるんだ、こいつという顔である。法子は真顔のまま藤堂さんを見つめ、

「そうです。武さんの遺体は発見してもらわなければならない。しかし、そのままでは自分が犯人であることがはっきりわかってしまう。ならばそれがわかってしまう状況を取り除き、その上で捜査を惑わせるような方法を考えればいい」

「……」

藤堂さんは再び沈黙した。法子は一息吐き、続けた。

「首を斬りリスクを冒してまで遺体を湖まで運び、沈める。しかも発見してもらわなければならないから足だけ出しておく。そういう行動をとったのはひとえに凶器と犯行現場をわからなくし、切り裂きジャックの犯行と見せかけるためなのです」

 藤堂さんはついにうつむいた。法子の話が核心に迫ったためであろうか。私は、さっきまでの気を失いそうな気分の悪さはどこかに行ってしまい、彼女の推理の展開にこの上なく興味をそそられていた。

「何故首を斬ったのか? 単に切り裂きジャックの犯行に見せかけたいだけなのなら、リスクを冒してまですることではない。不可能犯罪にしたいがために密室殺人のトリックを考えるのより愚かなことです」

 法子の目は藤堂さんを見たままだが、藤堂さんはうつむいたままだ。

「理由は別にありました。武さんの首がそのまま残っていると、凶器が特定されてしまう恐れがあるからです」

 藤堂さんはピクリとした。何かナイフを首に押し当てられたかのように、顔色が悪くなって行くのがはっきりと見て取れた。

「凶器が何なのかをお話する前に、武さんの遺体が発見された日の早朝のことを思い出して下さい」

「……」

 藤堂さんはまさしく、恐る恐る法子の顔を見上げた。法子は頷いて、

「そうです。貴方は、皇さんと一緒にゴルフ練習場に行きました。その後のことです」

 彼女は私をチラッと見てから、

「貴方はアイアンを折ってしまい、意気消沈して帰って来ました。その上、そのアイアンはそこに処分を頼んで来たということでした。妙です。お気に入りのアイアンですよ。仮に折ってしまったとしてもそんな簡単に手放したりしないでしょう」

 藤堂さんに顔を近づけて問いつめるように言った。藤堂さんは法子の顔をまともに見られないのか、また俯いた。

「私、そのことが引っかかっていたんです。そして貴方が犯人だということがわかった時、アイアンを処分してもらった理由もわかったんです」

 法子は近づけた顔を離して言った。藤堂さんはギュッと唇をかみしめた。

「武さんを殺した凶器であるアイアンをごく自然に自分の手元から離し、処分してもらう。これがアイアンを置いて来た理由です」

「……」

 藤堂さんは再び法子を見上げ、何かを言おうと口を動かしたが、言葉を呑み込んでしまったかのように声には出さなかった。

「そして貴方は貴方が犯人であることに気づいた草薙さんを殺してしまった。武さんを殺した動機はわかりませんが、草薙さんの殺害理由は口封じです。貴方は草薙さんを殺して首を斬り、武さんと同じように湖に沈めるつもりでした。でも、管理人さんが思いがけなく早く起きて草刈りを始めてしまったので草薙さんの遺体を途中で投げ出し、逃げなくてはなりませんでした」

 法子はそこで一旦言葉を切り、空を見上げた。少し明るくなって来たようだ。

「夜が明けて来たようですね」

 法子は独り言のように言った。

「君の推理はまさに君の推奨するポオのデュパンに迫るようなものだったよ。でも悲しいことに、何一つ証拠がないな」

 藤堂さんの表情に余裕の色が見え始めた。その目は法子を哀れんでいるかのようだ。法子は藤堂さんに視線を戻し、

「そうですね。今のところは何もありません」

 証拠がない。これは法子にとってかなり致命的だった。

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