第十五章 保養所の裏  9月 1日 午後 6時

 夕食の時間が近づいたので、皆はダイニングルームに集まっていた。しかし法子と私は二階に戻り始めているところだった。

「夕食前に確認しておきたいことがあるの。つき合ってくれる?」

 法子は階段を上がりながら私に言った。私は頷いて、

「いいわよ」

 法子はニコッとして、

「ありがとう」

 いやいや、どういたしまして。私、頼られるのって好きなんだよな。

 法子が向かっていたのは武さんの部屋だった。ゲッ。またなの?

「今度は何を調べるの?」

 私は恐る恐る尋ねた。法子はさっさと部屋の中に入って、

「外部犯の可能性を確かめてみるのよ」

と応えた。

「えっ?」

 私は慌てて部屋の中に入り、法子を探した。彼女は窓のそばにいてカギを開け、窓を開いた。そして下を覗き、

「ここから侵入することは可能かもね」

 私も窓に近づいて下を覗いた。

「なるほど……」

 窓の下には山積みの薪があった。昔、保養所のお風呂を薪で焚いていた時の名残りらしい。それにしても随分たくさんあるな。もうすっかり変色してコケまで生えているようなものまであるぞ。

「ここを足場にすれば、犯人は容易く武さんの部屋に侵入できた」

 法子は現場検証をしている鑑識課員のように分析した。そして、

「首はあれで斬ったのかしら? 」

 薪の山の傍らにある斧を指差した。うわァ。もしそうだとしたら怖いなァ。血とか着いてるのかな。そんなはずないか。

「逆に言えば、ここからなら犯人は容易く武さんの遺体を運び出せたわね」

「……」

 私は法子のその発言にギクッとして思わず窓から離れた。法子はそんな私のリアクションにクスッと笑いをもらして窓を閉じ、

「あくまで可能性があるということで、絶対そうだというわけじゃないわ」

と言ってから、

「明日、田島さんが来たら斧を調べてくれるようにお願いしましょう」

「え、ええ……」

 法子が「可能性があるだけだ」とは言っても、私はもう怖くて仕方がない。犯人は薪の山を足場にすれば、どの部屋にも易々と侵入できるのだ。それほど薪はたくさん山積みにされているのである。心配ないのは一番端の部屋の藤堂さんと行子だけだ。

「外へ出て裏に行ってみる?」

 法子の発言は私を凍りつかせた。 法子はそんな私の反応を見て、

「じゃ、ここにいて。私一人で裏に回ってみるから」

 そう言われると、ここにいるのも怖いので、

「ま、待ってよ。私も行くわ」

 部屋から出て行く法子を追いかけた。


 保養所の裏は、ほとんど人が足を踏み入れていないと思われた。何しろ雑草が伸び放題で、地面がほとんど見えていない。私はサンダルで来たことを後悔しながら、法子を追った。

「これじゃ誰かが歩いたとしても、足跡は残らないわね」

 法子は辺りを見渡して呟いた。法子は斧に近づいた。わっ、もうやめて、法子!

「この斧、使われた形跡がある。洗ってあるわ。金属の部分はもう乾いているけど、柄の部分はまだ湿っているみたい」

 ひーっ! じゃあ、それで武さんの首を……。

「でも何故犯人は凶器を置き去りにしたのかしら?」

 法子が呟いたので、私は、

「もう一回使うつもりなんじゃ……」

と口にしてみた。法子はしかし、

「いえ、そういうことじゃないのよ。何故持ち去らなかったのか、ということなのよ。証拠品なのよ、犯人にとって。それを置いて行くなんて」

 確かに解せない。どういうことなんだろう? 法子はしばらく斧を見つめていたが、やがてクルリと向きを変えた。

「さっ、もう戻ろうか」

 彼女は歩き出した。私はビクンとして、

「ちょっ、ちょっと!」

 法子に続いた。

「この事件、北野さんの話の『犯人にしかわからないやり方』のことを考えても、どうしても同一人物による犯行とは思えない。何かあるはず。何か理由があるはずだわ」

 法子は歩きながら言った。そして、

「今までの事件では犯行の凶器は発見されていないし、ましてや置き去りになどされていない。殺害方法は似ていても、いえ、同じだとしても、同一の心理の、あるいは思考の人間による犯行とはどうしても考えられない」

 私にはよくわからなかったが、恐怖だけははっきり感じた。たとえそれが通り魔であっても、そうでなくても……。


 それから私達はひっそりと夕食をすませ、それぞれの部屋に引き上げた。しかし私はさっきのこともあって、どうしても一人で部屋にいることができそうにないので、法子の部屋に昨日に続いて泊まることにし、荷物を全て持って、彼女の部屋に行った。

「帰りたいなァ。て言うか、逃げ出したいなァ……」

 私はベッドの端に腰を下ろしながら言った。 法子は私の隣に座って、

「そういうわけにはいかないわよ。私達、死体の発見者だし、殺されたのは武さんに間違いないようだし」

「そっかァ。やだなァ。どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」

 私はそのままベッドに寝そべり、天井を見つめた。法子は私の顔を覗き込んで、

「どうしてかしらね。その理由がわかれば、何もかも明らかになると思うの」

「そう?」

 私は法子を見上げ、スッと起き上がった。腕時計を見ると十時だった。そんなに話していたとは思わなかったんだけど。

「もうこんな時間なのか」

 法子も腕時計を確認して言った。

「そろそろ寝ようか。今夜は寝相、気をつけるね」

 私が言うと、法子は、

「そんなこと、気にしないの」

 笑いながら言ってくれた。そして、

「お風呂、どうする?」

 私は強烈な睡魔に襲われていたので、

「明日の朝入るわ」

 すると法子はバッグから着替えを取り出して、

「じゃあ私、シャワー浴びちゃうね」

 浴室に入って行った。私はパジャマに着替えるとベッドに入った。今から考えれば、お風呂に入っておくべきだったのだ。ま、仕方ないな。

 そして私達は知る由もなかったのだが、その頃犯人は次の犠牲者を決め、実行に移ろうとしていたのだった。

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