いい女の条件

 衝撃の強さに萎えていた気管が、ようやく活動を再開した。大きく口を開けて、充分に酸素を肺に送り込んでやる。呼吸が落ち着くと、今度は筋肉がリラックスしてきた。ゆっくりと上半身を起こし、蹴られた箇所に手を当てた。


「つっ」


 鈍い痛みが走ったが骨は折られていない。とっさに体を捻って避けたので、急所を避けることもできた。大丈夫。すぐに動けるようになる。


「女の子に蹴りをくれるなんて、ひどい奴ね」


 自分を奮い立たせる意味も兼ねて、リムは独り言ちた。

 ケビン保安官は、わたしが女だとは知らなかったわね……

 そう思うことで、リムは怒りを少しでも薄めようと努めた。立ち上がろうとしたものの、足に力が入らず再び尻餅をついてしまった。

 ちょっと、効いちゃったかも……

 そう思った時、目の前の空気が切り裂かれるのを見た。同時に銃声が耳を貫通し、脳内の血液を凍りつかせた。


「えっ?」


 敵はまだいる? 

 自分に活を入れ、無理やり足に力を伝達させた。今、弾丸を避けられたのは本当の幸運だった。完全に油断していた。足がよろめかないでちゃんと立てていたなら、今の一撃で終わっていた。


「あ~あ」


 後方の闇の中から声がした。その調子だけで相手を舐めきっているとわかる、嫌らしい喋り方だ。


「外しちゃったよ。俺って射撃は得意じゃないんだ」


 積荷の影から一人の男が姿を現した。長身痩躯のその男の顔が月明かりに照らされ、リムの眼前に晒された。

 一瞬、リザードマンかと見間違うほどに、顔つきが爬虫類を連想させた。旅の途中で訊いたことがある。ごく稀にではあるが、人間とそれ以外の者との間に生まれた生物が存在すると。もしかしたら、この男もそういったケースの一人なのかも知れない。

 口元はだらしなくニヤついているのに、目はまさに冷血動物のそれを思わせた。今、初めて会ったばかりだし、声も聞いたばかりだが、絶対に友人や家族にはいてほしくないタイプだと思わせた。外見がどうこうではない。直感がそう言っており、体が全力で拒否している。生理的に受け入れられないと。


「おい。そこにいるんだろ? コソコソ隠れてないで姿を見せなよ」


 虫酸が走るような声に煽られ、リムが真っ先に思ったのは銃のことだった。

 こいつはワタシの銃が壊れるところを見ていただろうか? ナイフだけで仕留められるか?

 やるしかない。覚悟を決め、立ち上がった。


「本当はトートゥの使い手とやりたかったんだが、まあいいや。さっきの身のこなしを見たが、おまえもなかなかの腕前みたいだしな」

「なめるなよ。ボクは手強いぜ」

「死の魔法を操る極悪人と組んでるアホが、粋がるんじゃねえ」

「アホだと?」

「俺はな、おまえらみたいな犯罪者が大っ嫌いなんだよ。法で裁くなんてなまっちょろいこと言ってないで、この手で処理できたらどんなにスカッとするかいつも考えてんだ。犯罪者は犯罪者らしく、社会の底辺を這いずってりゃいいんだよ」


 下卑た笑いがますます大きくなった。口が耳まで裂けるのではないかと思ってしまうくらいだ。


「……あんた、クズだろ」

「あ?」

「クズほど人を見下したがる。努力しなくても自分が高い位置にいると勘違いできるからな」

「てめえ……」


 バーレンの顔が醜く歪んだ。


「図星を突かれて頭にきたか? 普段から人を見下してる奴ほど、自分が馬鹿にされると怒るんだ。恥をかかせたとか晒し者にしたとか吠えてな」

「ぶっ殺すっ‼」

「そういうのを、負け犬の遠吠えと言うんだっ」


 リムが身を翻すと同時に、銃弾が掠めていった。続けざまに銃声が響く。ろくに狙いもしない盲撃ちだ。余程の幸運がなければ当たるわけがない。そして、今夜のツキは自分の方にある。

 銃弾が止んだ。


「くそったれっ!」


 全弾撃ち尽くしたのだ。さっき本人が言っていたように、射撃の腕前は大したことはない。しかし、再装填はさせない。

 リムは一気に詰め寄り距離を縮めた。腰の後ろに装備しているナイフを抜き、水平に滑らせた。接触と同時に魔法の刃が発動する。仕込んであるのは銃弾と同じブリッツの魔法だ。

 決まったと思った刹那、硬い金属に弾かれたような衝撃に襲われた。


「うっ⁉」


 リムは転身しながらナイフを構え直した。

 いつの間に抜いたのか、バーレンもナイフを構えていた。先ほどの衝撃はナイフの刀身で防御されたものだったのか。


「この俺にナイフで挑むか」


 今の一撃をかわされたのは痛かった。痛恨の思いで胸が焦げつく。バーレンの構え方で、リムにはわかった。こいつ、ナイフ使いだ。それも相当の使い手と見受けられた。

 改めて観察すると、その体型のせいか腕が異常に長く見える。この見えるというのが曲者だ。誤った知覚は対応を著しく愚鈍化させる。


「どうした? こないのか? こないのなら」

「…………」

「こっちからいくぜっ」


 バーレンが突進してきた。どんっと音が聞こえそうな素早い突撃だった。

 受けるのはまずい。リムはとっさに判断し、身を低くしてかわした。風を感じるほどのすれすれを刃が通過した。素早く回りこみ、立ち位置を入れ替えた。

 バーレンの動きも素早かった。右足を軸に体を回転させ、再びリムと向き合った。


「勘がいいのか? それなりに修羅場を経験してきたか? けど、ナイフを持った俺ほど強い奴を相手にしたことはあるか?」


 バーレンの背後で、いきなり積荷が崩れた。まるでバターにナイフを入れたような、滑らかな切り口だった。

 まさか……シュナイデン?

 バーレンのナイフを見ると、刃の部分は透明に近い青だった。水に濡れているような感じで、艶やかにさえ見える。

 シュナイデンの刃。一般には刃物の切れ味を補強するために使用される魔法だが、強い魔力を用いて形成された刃は、岩だろうが鉄だろうが真っ二つにできる。ここまで鋭い切れ味を発揮するということは、かなり強力な魔力を持った者によって形成された刃なのだろう。

 見るのは初めてではないが、保安官であるはずのこの男がシュナイデンのナイフを装備しているとは思っていなかった。銃にしろナイフにしろ、捕縛を目的としている彼らにはシュラーフが支給されているはずだ。

 ケビンといい、この男といい、こんな危険な連中が法の番人だと闊歩しているなんて。さっきまで身を置いていた街の裏側を垣間見た気がした。


「なにを驚いているんだ? ナイフってのは切るためのものだろうがっ」


 バーレンが再び攻撃を仕掛けてきた。右に左にと刃が通過する。積荷を盾にするも、シュナイデンの刃の前には盾代わりにもならない。

 リムもナイフには自信があった。しかし、合間を縫って反撃しても、受け流されたりぎりぎりでかわされてしまった。完全に見切られている。バーレンが手強いと言ったのはハッタリではなかった。形勢は防御一方になりつつあった。


「くっ」


 このまま避けてばかりいては、いずれ餌食になってしまう。積荷に刃が当たろうがお構いなしに振り切るので、身を隠すことすらできなくなっていく。

 しかし、背筋が寒くなる程の切れ味を発揮するシュナイデンも魔法だ。積荷が切られる度に魔法陣が小さくなっていく。おそらく、あと数回切れば魔法の効果がなくなるはずだ。

 残り少なくなった積荷を背中にし、振り下ろされるように向かってくるナイフを避けた。


「うっ?」


 バーレンが小さく声を漏らした。切られた積荷が崩れないで、表面だけが切られていた。魔法の効力がなくなってきたのだ。

 勝機っ!

 リムは弧を描く動きから直進に変え、体ごとぶつかる勢いでナイフを胸に突き立てた。


「うあっ?」


 今度は、勝機を得て仕掛けたはずのリムが声を漏らした。渾身の一撃はあと数ミリのところで止められてしまった。手首をガッチリと掴まれてしまった。すごい力で握られ、逃げることもできない。 


「魔力が切れるのを見計らって仕掛けてくると思ったよ。積荷が崩れなかったのは魔力が切れたからじゃねえ。俺の技術さ」


 バーレンがこれ見よがしにナイフを大きく振りかざした。


「騙されやがって。バカが。ちょこまか動き回られるのも疲れたから、このまま決めさせてもらうぜ。うるさい上司がいてな。殺しゃしないから安心しろ」

「騙された? それは誰のことを言っているんだ?」

「なんだと?」

「自分の腕に絶対の自信を持っているうえに、相手を舐めきっているあんたなら、かわさずに掴むと思ったよ。自信というのは一歩踏み外しただけで過信へと変わる」

「あっ?」


 リムは、掴まれたのとは反対の腕をぶんっと振り下ろした。まるでマジシャンがなにもないところからトランプを出すように、いつの間にかその手には小型の銃が握られていた。

 スリーブガン。袖の下に仕込んである装置で、隠し持っている銃を素早く取り出すことができる。光来に渡した銃も、実はここから取り出したものだった。


「てめえっ?」

「くらえっ‼」


 バーレンがナイフを振り下ろす前に、リムの拳銃が炸裂した。光来に渡したものは二発装填できるタイプだったが、こちらは一発のみの単発銃だ。最後の手段に用いる奥の手で、外せば後がない。

 ブリッツの弾丸が魔法陣を描き、バーレンの体内に吸い込まれる。


「がああっ⁉」


 強烈な電流が駆け巡り、バーレンが悶絶しながら崩れ落ちた。どんな大男だろうと、たとえ獣人だろうと、この衝撃に耐えられる者などいない。


「……きたねえ、野郎だ」


 絞り出すような台詞を吐き出し、バーレンはそのまま気絶した。

 リムは、もしかしたら最後の反撃がくるかもと構えを解かないでいたが、さすがにそれは無理だったようだ。

 リムは、思わず安堵の吐息を漏らした。


「残念だったわね。男を痺れさせるくらいのいい女を手放すなんて」


 こいつはもう放っておいてもいいだろう。しばらくは動くことすらできない。しかし、念には念をだ。リムは、バーレンが携帯していた手錠を拝借し、彼の手首に掛けた。そして、もう一方の輪は列車に固定されている鉄パイプに繋げた。さらに、鍵を取り上げ闇の中に放り投げた。これで、この男のことは考えなくてよくなった。

 障害を一つ取り除いたが、これで一息つくわけにはいかない。キーラを追わなければならない。だが、どうすれば?

 考えろ。なにか方法はないか。なにか……

 リムの頭に閃きが迸った。

 あれなら追いつける。しかし、こっちの車両に積まれただろうか?

 考えるのは後回しだ。今は行動を起こすのが先決だ。

 リムは、勢いをなくして停車しつつあった車両を最後尾に向かって走りだした。

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