エピローグ

 山道を進んでいくと、穏やかなせせらぎを見つけた。

 リムの提案で、この川沿いで一晩を明かすことにした。川で汗を流したり、焚き火を囲んでの語らいなど、光来にはどれも初めての経験で刺激的だった。

 会話の中で、リムは一つの疑問を口にした。


「あの時、なんで直接ケビンを撃たなかったの?」


 あの時とは、ケビンを気絶させた最後の一撃のことだ。

 回想してみたが、実のところよく覚えていなかった。無意識の動作というか、気づいた時にはナイフの方に照準を合わせていた。

 だから、改めて考え思い至った答えで説明した。


「俺が撃つと、魔法がトートゥに書き換わるかも知れなかったからね……ブリッツがそのまま発射されるかわからなかったんだ。ナイフを弾けば、トートゥを撃ったとしても殺さずに済むだろ?」


 光来の拙いながらも噛んで含めるような説明を聞いて、リムはしばらく考え込んだ。


「自分でコントロールできないんだ……そうよね。それができるなら、初めからトートゥなんか精製しないよね。理由を解明しなきゃ」


 この時、リムが口にした精製という言葉。充分に念を入れて作るという意味だが、実はそれにこそ解答は含まれていた。

 そして、そのことはすでにリムも薄々感づいていたのだが、その場では敢えて言わなかった。魔法は非常にデリケートな力であり、彼はその理に対してあまりにも知識がなさ過ぎた。焦らず、一歩ずつ前進するしかないだろう。無謀な飛翔より確実な一歩だ。


「そろそろ、寝ましょう」

「ああ、そうだな。なんか今頃疲れてきたよ」


 光来は多くのことを初体験した興奮と野宿という落ち着かない環境のせいで、なかなか眠れないと思ったが、極度まで疲労していたせいか横になった途端に落ちるように眠りに入った。




 夜が明けた。

 昨日の星空も感動的な美しさだったが、ずっと東京の狭い空で朝を迎えていた光来にとって、平原のはるか向こうの山々の間から昇る太陽も神秘的な輝きだった。まさに生命の源を感じさせる恵みの光だ。

 荷物をまるごと汽車に置いてきたせいでひどく心細くはあったが、リムはあまり気にしていないようだった。


「ラルゴで調達すればいいよ」


 旅に慣れているせいだろう。あっさりと言い放った。それよりも、光来のポケットにしまっていたスマートフォンとイヤホンが無事だったことに、とても喜んだ。

 野営の後片付けをし、再び出発した。しばらく進むと、リムが思い出したように、あっと口を開き、光来に振り向いた。


「そう言えば、あなたの名前、聞いてなかった」

「? キーラだよ。何度も呼んでるじゃないか」


 光来の返答に、首を振った。


「それはファーストネームでしょ。ラストネームも教えて。ワタシたち、これから一緒に旅する相棒なんだから、フルネームを知っときたいの」

「ああ、それは……」


 光来は、キーラと言うのはケビンが間違えて呼んだ呼び方だと言おうとしたが、思い留まった。

 この世界ではキーラで通した方がいいと思ったのだ。昨夜の危機を切り抜けた縁起のよい名前という思いもある。


「……キッド」

「え?」

「名前だよ。キッド。キーラ・キッド。それが俺の名前だ」 

「キーラ・キッド……素敵な名前ね。これからもよろしくね。キーラ・キッド」

「ああ、こちらこそ。リム・フォスター」

「行きましょう」


 太陽の登る方角。次の目的地であるラルゴに向かって、馬を走らせた。

 どのくらい、この世界に滞在することになるのか予想もつかないが、しばらくはキーラ・キッドという名前と、彼女に付き合うことになりそうだ。

 やれやれという思いの中に、未知なる旅路への期待を感じ、心が踊る自分に気付く。もしかすると、ずっとこんな世界での冒険に憧れていたんじゃないか……

 馬鹿な。そう思いながらも、光来は自然と笑みが溢れてくるのを抑えられなかった。




 ラルゴ。その街は、元は旅人の疲れを癒やす宿場町として自然と誕生した。

 近くに火山などはないが、深層地下水が地表まで湧き出ており、昔からあちこちに温泉が見られる地域で、旅の途中で自然の恩恵に与る者、その旅人相手に商売を始める者、商売人相手に物資の運搬を引き受ける者、生活するために様々な人々が次第に集い、発展した経緯を持つ。

 現在は温泉一色というわけではないが、旅人の足を留めて金銭を落としていってもらうため、遊楽施設にも力を注ぎ、観光地として賑わっている。そんな街である。

 そんな街の外れ。用がなければ人など通らないような場所にその小屋は建っていた。丸太を組み立てただけの無骨な建築物だったが、男なら一度はこんな小屋で暮らしてみたいと憧れる渋さがあった。

 中は工房になっていた。壁際には棚が並び、銃を製造するための工具が溢れていた。作業机も木製で、大きな力にも耐えられるよう、天板は分厚く脚も太い。銃に携わる職人なら、その充実した環境にため息を漏らすだろう。しかし、こんな辺鄙な場所に銃工房があると知っているのは、ごく限られた者のみである。そもそも、訪れる者など滅多にいなかった。 

 一人の老人が小屋の真ん中を陣取っていた。と言っても、小屋の中にはその老人一人しかいないのだが。

 その老人はワイズ・レイアーといった。顔だけ見ると、もう六十代後半、もしかすると七十歳を超えているのではないかと思えるほど、年輪を重ねた風格を纏っているが、体つきはがっしりしており、まだ四十代半ばでも通用しそうなほど筋肉が盛り上がっていた。

 ワイズは腕組みをし、ひどく難しい顔をして、一丁の拳銃を凝視していた。

 ワイズの前に置かれた銃は型こそリボルバーだが、通常のそれとは違う特徴のある形をしていた。バレルが長く、魔法の刃を仕込むことが出来た。普通の銃剣とは違い、バレルの先端部から刃が突き出ているのではなく、折りたたみ式になっていて、普段はバレルの下部に収まるように設計されている。


「…………」


 ワイズは銃を手に取った。ズシリとした重量感が、その存在を主張する。その重さは頼もしくもあったが、同時に心を暗くもさせた。

 外で人の気配がした。急いで銃を机の引き出しにしまった。引き出しを閉めたのとドアが開いたのは、ほぼ同時だった。


「ただいま。お祖父ちゃん」


 入ってきたのは一人の少女だった。ショートボブで艶のある髪。透き通るような白い肌。凛とした雰囲気。リム・フォスターとはタイプこそ違うが、間違いなく美少女と呼べる顔立ちをしている。

 少女の名はシオン・レイアー。彼をお祖父ちゃんと呼んだ通り、ワイズ・レイアーの孫だった。

 シオンは抑揚のない目で室内を見渡した後、音を立てないでドアを閉めた。彼女の行動はいつものことだったが、ワイズは彼女の気配を消すような動作を見る度に、あの事件以来、どこかが壊れてしまったのではないかと憂鬱になる。

 シオンが横を通り過ぎた時、かすかな異臭が鼻腔をくすぐった。


「なんだ? どこかで撃ってきたのか?」


 ワイズが嗅ぎ取ったのは、火薬の匂いだった。


「わかるの?」


 シオンは踵を返すと、ホルスターから銃を引き抜いてワイズに手渡した。


「銃を扱って、もう四十年以上経つんだぜ。たとえ一週間前に発砲したとしても、この鼻は見逃さねえ、いや、嗅ぎ逃さねえぜ」


 シオンから受け取った銃の弾倉を開き、残った弾丸を確認した。


「使ったのはアウシュティンか。寝穢いヤツにでも会ったか?」

「ホダカーズで決闘の場面に出くわしちゃって、一人シュラーフで撃たれたのがいたから」


 ホダカーズとは光来が現れた街である。

 彼女こそ、驚く光来を尻目にリムにアウシュティンを撃ち込み目を覚まさせた少女だった。


「決闘とは穏やかじゃねえな。どうせ、どこぞの馬鹿だろう」

「一人はネィディだった」

「稲妻のネィディか。そりゃあ相手が悪かったな。やられたのはどんな奴だった?」

「違う。負けたのはネィディよ」

「なんだと! あのネィディが負けた?」


 銃を扱っていれば、きな臭い噂も自然と耳に入ってくる。ネィディ・グレアムの悪行と銃の腕前は、ワイズも聞き及んでいた。


「相手はトートゥの魔法を使ったわ。死を司る魔法なんて本当にあったのね。お話だけかと思ってた」

「トートゥ……じゃあ、ネィディは」

「死んだわ」


 まるで「鳥が鳴いたわ」と言うのと同じ調子で言う。普段なら窘めるところだが、今のワイズにはトートゥを使う者が現れたことの方が重要だった。

 トートゥ

 死を招く禁忌の魔法

 その精製には、通常では考えられない程の濃密な魔力を必要とするという。

 そんな魔力を持っている者と言えば……

 動揺を悟られないよう平静を装って、日常会話のように訊いた。


「そのトートゥを使ったのって……どんな奴だった?」


 シオンは少し沈黙した後、心象を語った。


「……不思議な男の子だった。一つの檻の中に、子猫と虎が同居しているような」


 よくわからない例えだった。しかし、他人への興味が淡白なシオンの口調が、少し熱を帯びているように感じられた。意外な感じだった。それよりも……

 男の子……では、あの男ではないのか

 落胆したが、いや、と思い直した。あいつではないにせよ、関係者であることは充分に考えられる。なにしろ、トートゥなんて規格外の魔法を使うような奴だ。『黄昏に沈んだ街』を引き起こしたと言われている、グニーエ・ハルトとなにかしらの繋がりがあると考えるのは、それほど強引ではない。


「それで、その少年はどうなった?」

「保安官にシュラーフを撃ち込まれて、そのまま連れて行かれたわ」

「そうか……じゃあ、極刑は免れねえな……」


 思わず沈んだ声を出してしまい、絶句した。

 今、自分はなにを考えた? まさか、妙な期待を抱いたのか?

 そんなはずはないと思いながらも、胸の中にはごまかせない喪失感があることを否定できなかった。


「あんまり、余計なことに首を突っ込むんじゃねえぞ」


 自分の焦りはおくびにも出さず、孫に注意を促した。


「ええ。でも……」


 シオンは、全てを見透かすような不思議な瞳をワイズ向けた。


「なんとなく……なにかが起こりそうな気がするの」


 シオンには、先を見通す能力などない。しかし、彼女の予言めいた言葉が現実となるのは、それから数日後のことになる。


〈了〉

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銃と魔法と臆病な賞金首 雪方麻耶 @yukikata

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